AIとゆっくり読む「Vtuberの哲学」 はじめに〜第一章冒頭
これはちょっと難し目な哲学の本をAIといっしょにダラダラ読んでみるという試み。順に整理せずに読んでいくので、まとまった話にはなりませんが、読書メモとして残しておきます。
VTuberの哲学 山野 弘樹 (著)
最近、Vtuberのコンテンツを見始めたところで、この本の存在を知った。哲学者がVTuberについて考察するという珍しい本だ。
さすが哲学者の人が書いただけあって色々複雑であったり構造的でもあったりするので、ざっと読んだだけでは理解出来なさそうなので、読書メモを残しながら読み進めていくことにした。哲学畑には疎いので、理解にはGeminiをつかって用語の理解などを掘り下げてみることにした。
まずは「はじめに」から第一章の冒頭まで
はじめに
のっけから定義がうるさい
「配信者タイプ」「虚構的存在者タイプ」「そうでないタイプ」
とかなんやかんや。アカデミックなのでこういう定義や限界が書かれていると私はホッとするけど多くの読者にはどうなんだろうな。
ここで虚構的存在者という言い回しもちょっと面白い。自分だったら「架空キャラ」といいそうだけど。
虚構的存在者としてぱかチューブのゴールドシップがあげられているのだけど、これは既存の架空キャラが先に立ってるってことかな、狼と香辛料の
ホロがやってたホロライブみたいな。
もちろん「海賊団船長」「音大首席デュラハン×サキュバス」とかだって架空の定義なのだけど、配信者が先だからそれはそれで良いと。配信者と虚構的存在者が対になる概念だとすると、アイデンティティが自身そのものかってことになるけど、この辺が多分大問題なんだろうな。
「VTuber文化」「アバター文化」
筆者が「この2つを分けて考えたい」と強調してきた。VTuber=中の人の非分化で考えたいわけだ。なるほどそういう論点で行きたいわけね。オッケーわかったそれでいこうか。
VTuberに「さん」を付ける理由
なるほどwwwwわかったwww
思想が強いな。さすが哲学者様だな。
この本はあくまでVTuber学の端緒であるとの由
第一章
定義
配信者タイプ HIKAKIN・ガッチマンV
虚構的存在者タイプ 麻宮アテナ ゴールドシップ
それ以外 ホロライブ・にじさんじ
ガッチマンVはなんかわからんでもないけど、HIKAKINはYouTuberじゃなくって?私の知らないHIKAKINがいるのか?
まぁ本論じゃないので置いておくか(後の方で、配信者が自身のアバターを作って配信しているケースと説明された)
VTuberの存在論的身分
なんかすごいのが来たな
配信者説
虚構的存在者説
両立説
非還元主義
筆者の立場は4なのね
構成する要素のどれか一つにVTuberを還元することを認めない立場
なるほど。思想が強い表現だ。「VTuberは複数の要素を同時に持つ」でも意味はおなじになると思うけど。とにかくそういう言い方したかったのね。要素が互いに関係しているかオーバーラップしているときには、複数の要素を持つだとMECEな言い方になってるので、要素の還元を認めないという言い回しになってるのかな。とりあえず「VTuberは…なりきりとかアバターとかじゃなくて…なんかこう…もっとすごい存在なんだよ!」ということを言語化したということで受け取っておこう。
非還元主義の理論的骨子
と思ったら…あぁ…哲学的なバックボーンのある話なのね…ジョン・サールの社会的存在論…知らんもん出てきた
Geminiに聞いてみよう
統制的規則と対になるのね。えーと、統制的は「〜すべき」で表されると。構成的規則は、社会や制度が必要だってのがポイントか。
わかったようなわからんような…例えば「結婚」は
だから、構成的規則の典型。
じゃあ結婚式にウェディングドレスを着るのは統制的規則なの?
AIは「構成的規則に伴う儀式」と言ってきたが…「儀式は統制的規則じゃないのか?」と問い詰めたら「一部はそう」と認めてきた。構成的規則は「新しい行為や事実を作り出す」ってのが大事なのね。で、本書はVTuberは非還元主義‐制度的存在社説をとると。ふむ。
だとすると「Xは文脈Cにおいて、Yとみなされる。」の方程式において、XかYがVTuber、Cが何かという話になるのかな。
あとは本論読んでかないとわからんな。
うん?社会的存在論と非還元主義の関係性がわかってないな。AIに聞いてみよう。
なるほどこれはわかりやすいな。社会的事実は還元論的に説明できないと。まぁそれはそうかもね。
「社会的事実は多くの事象からの結果であり個々に還元することは困難である」という理解は社会的存在論が非還元主義の立場を取ることと整合性がありますか?
おっ。褒めてもらった。褒められると嬉しいな。
つまり、筆者はVTuberが非還元主義的存在だと言っているだけではなく、制度的存在者だと言ってるわけね。まぁ確かにテキスト読んでるとそう書いてあるが。
序盤としてはこんなもんかな。ジョン・サールについても予習しておくか…
「中国語の部屋」の発案者
制度を自明というか前提としているので、ポストモダニズムとは相性が悪そうだな→AIに聞いたらYESとのこと。AIにこの辺の哲学的議論の状態を聞いてみたが、案の定、批判の無限後退という言葉に集約された。まぁわからんでもない。なんか無意味な議論に収斂されそうではある。
セクハラで2019年に大学追放されてるのね。社会制度的理論の支柱がセクハラ常習者とはパンチが効いてるな。
これもAIに聞いてみよう。
ジョン・サールは2019年にセクハラで大学を退職していますが、これを社会制度論的に解釈してください
ありがとうGemini。良い回答だと思うよ。
とりあえず序盤の読書としてはこんなもんかな。