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六本木材木町
東京は町名の整理統合で昔ながらの名前が住所から消えてしまったけれど、今の六本木ヒルズ、六本木トンネルの辺りは「材木町」と呼ばれていた。
私の親戚の女流画家で、私が最も尊敬する人物が戦時中、この界隈に住んでいた。
1960年生まれの私は戦争経験者ではないが、親や親戚から話を直接聞くことができた世代でもある。
1990年、私が30歳のとき、父が急逝した。そのとき、葬式の出し方も満足に知らなかった私を、彼女がいろいろサポートしてくれたことがきっかけで、たびたびお逢いするようになった。
30代半ばのころだったと思うが、一度お逢いしたとき、私がちょっと人生に迷っているような時期だったのだけど、そのときの彼女の一言を今でも忘れない。
あなた、焦ることないわよ。
私なんか、48で絵を始めたんだから。
そりゃ子供のころから
絵を描くのが大好きだったけれど
昔は「女が絵を描くなんてとんでもない」
って時代だったの。
それで、女学生の制服を縫う仕事をして
身をたててたんだけど
ずいぶん経ってから、
親が亡くなってひとりになったとき、
あ、そうだ、今から絵を始めようか、
と思って、本格的に習い始めたのよ。
彼女は50~60代になってからフランスやポルトガル、タイにまで出かけて絵を描きまくった。
焦ることはないわよ…その彼女の言葉に勇気づけられ、 何かをやりたい、という気持ちを消さない限り、いつかはできるようになるんだ、と信じるようになった。
別のある日、六本木に住んでたってのはうらやましいですね、 という話になったとき、初めて本格的な戦争体験を彼女から聞いた。
うらやましい、ってあなた、
空襲で焼け出されたのよ。
歴史上は3月10日のが
いちばん人的被害が大きかったんだけど
私の場所は、B29が400機以上来た、
5月25日のほうね。
戦闘機を操縦している米兵の顔が見えた。
…って言うと誰も信じないんだけどね、
ホントに見えたのよ。
なぜか、って言うと夜だって言うのに
火の海で上空が照らされて、
おまけに低空飛行で襲ってくるから
見上げると顔がはっきり見えるの。
それで、水がないでしょ、
だから家から家に火が燃え移って
友だちと一緒に
「ああ、今度はお宅が燃える番ね」とか
言ってたの。
そのころもう80代であったはずだが、そんなことを全く感じさせない、しっかりした口調で、淡々と語ってくれた。
そこまでいくと怖いとか怖くないとかの次元を超えて、もう開き直るしかなくて、運まかせでただ立ち尽くして焼けていく自分の家を見ていたのだろう。
上空の米兵からも彼女たちの見上げる顔が見えたのかも知れない。
映画の映像ではなくて、現実にね。
これだけの経験をしてきた人からは、最近の若い子のちょっとした人生のつまずきなんてのは甘く見えるんだろうな。
今は不況だと言っても、それでも最低限の安全は確保されている平和な時代なんだと改めて感じた瞬間だった。
終戦記念日の今日、彼女に敬意を込めて、この文章をここに残すことにした。
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