絶望の時代に『ベルリン・天使の詩』をみる
『都会のアリス』や『まわり道』『さすらい』などで、すでに僕たち若きシネアストの憧れの的だったヴェンダースは、ハリウッド進出第1作である『ハメット』ですったもんだがあり、興行的には失敗作を生み出してしまう。その後、『ことの次第』で、おそらくその時の心情を詰めんで映画作りがうまくいかないと状況をそのまま映画にした。
そして、我らがヴェンダースは『パリ、テキサス』で大復活を遂げる。この作品で、ヴェンダースはパルムドールを獲得した。
その後、究極のプライベートムーヴィーとも言える『東京画』を経て、この『ベルリン・天使の詩』へとたどり着いたのである。
『ベルリン・天使の詩』は1988年に日本で公開されたのだが、当時まだヴェンダースはニュージャーマンシネマの旗手と呼ばれていて、ドイツではなく西ドイツの映画監督として紹介されていた。つまりまだ、ベルリンの壁は歴然とあり、作品に登場するポツダム広場は壁によって二分され荒地となっていた。
その荒地に天使が降り立つのだ。そして、天使から人間になったブルーノ・ガンツは、この広場を人間になった感覚を全身に感じながら走るのである。
ベルリンの壁が崩壊したのはこの映画が作られて2年後、日本公開の翌年だった。当時テレビで、ベルリンの壁の崩壊を見ていた僕は、崩れる壁を見ながらブルーノ・ガンツのことを思い出していた。
今回公開されたリストア版は本当にきれいだ。もしかしたら、公開時のフィルム上映よりも鮮明になっていたかもしれない。
そんな、クリアな画面で『ベルリン・天使の詩』を久しぶりに見ていると、とても胸が苦しくなった。天使は本来、猥雑な存在であると言われる。神でもなく、人間でもなく、人と神の間に存在する天使は、どこにも所属しない宙ぶらりんな印象があり、そう思いながら見ると、この映画に出てくる天使たちはみんな所在なさげで切ない。
そして、改めていま見ると、天使たちがさまざまな人から聞いている心の声は、僕たちが否応なく目にしてしまっているSNSの言葉と同じだなあ、と思うのだった。
天使であるブルーノ・ガンツは、日々、市井の人々の声を聞いているが、次第にサーカスの空中ブランコ乗りの女性の声だけを聞きたくなる。そして、元天使の声も聞き、人間になるのだ。
でも、もしいま、天使が人間になったとしたら、今までに聞いていた人々の心の声以上に凄惨な言葉を知ることになるのだ。
ヴェンダースは、ベルリンの壁が崩壊してから、この映画の続編を作った。その『時の翼にのって』は、統一されたベルリンで天使から人間になった男が悪に手を染める物語が描かれる。
さて、あの時以上に、誰もが絶望を抱えている世の中で、さらに続編を描くなら、ヴェンダースはどんな物語を紡ぐのだろう。