JR大阪駅に立ち現れたデヴィッド・ボウイ

ちょっと不味い、理髪店の待機時間による(厳密に言えばパーマの薬品が髪に浸透するのを待つ時間の)終末のような退屈さに、脳が起動を始めた。書くというピュアな能動的行為によって報酬を覚えるように脳内回路がリセットされた。会計を終え街に出、ぼくは何処へでもなく走り出した。天啓のようにデヴィッド・ボウイの「スターダスト」が頭蓋のなかを駆け回る。存在の弱さを受容した男の賛美歌が光の起伏をなして網膜に立ち現れる。JR大阪駅近傍を立ち並ぶ建造物が夜の大気に光を撒き散らす。その光は網膜のデヴィッド・ボウイと混ざり温もりを帯びて建造物の輪郭を奇形に縁取る。景色が再構成される。駅から出てきた人々、駅へ入っていく人々、流れの異なる巨大な濁流がぼくの左右で早回し映像のように加速する。誰の顔も識別ができない。やがてその《勢い》は熱を帯びて白んでいく。手をかざした、その《白さ》は熱された鉄のように自由に形を変えた。ぼくは図画工作で粘土と邂逅し、その全能感にエクスタシーを覚えた学徒のようだった。世界の滑稽さを腹の底から笑った。

There’s a star man waiting in the sky.

大人たちはやがて全てを失うだろう。それは新たな変容において不可欠な過程であり、やがて力をえた大人たちは全てを忘れ、自由に踊るだろう。

Let the children lose it. Let the children use it. Let all the children boogie.

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