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人生の意味を見出す旅:彼のストーリーが示す前向きな人生の築き


【プロローグ】


はじめに、私は今年48歳。横浜市内で体をケアする院を経営して20年目になります。自分で言うのもなんですが、普段の振る舞いから、前向きな人間として捉えていただくことが多いようです。患者様にはよくこんな風に言われます。

「先生は優等生だったでしょう」、「生徒会長とかやってたんじゃないですか」。

笑っていることが多いせいか、「なんでいつもそんなにいい笑顔なんですか」と言っていただくこともあれば、「悩み事なんてないでしょ」と言われることすらあります。

実は、私は元から快活な人間だったわけではありません。子供の頃を知る人は、多分そんな風に私を見ていないはずです。実を言えば、小学校4年生の時からタバコを覚え、中学校1年生の時にはそれがバージョンアップしてシンナー遊びをしていました。勉学に取り組むことはなく高校は中退してしまっています。要は普通以下のダメダメな生徒でした。

しかし、大人になり、23歳で結婚し子供を授かり、そして25歳の時にカイロプラクティックにめぐり合います。これが現在の私の職業です。

私は16歳のころからバイクに乗っており、その後はサーキットで走っておりました。19歳と遅咲きではあったものの、バイクのレースチームに入り将来はレーサーになるためにすべての時間と労力を捧げていましたが、事故により夢であったバイクのレーサーを断念せざるを得なくなりました。そこで今後自分がどのように人生を進めていくのかと混迷していた時にカイロプラクティックというものを知りました。

人に元気を与えることができる素晴らしい職業であるカイロプラクティックに魅了され、勉強嫌いの私が一生懸命勉強し、大検受験を合格。カイロプラティックの専門学校を2年で卒業し、サンフランシスコのカイロプラクティック大学へ神経解剖学やレントゲン学を学びに研修に行き、念願だった自分の院を開院することになります。

ただ、この先私がお話しするのは、不良少年がどうやって真面目になったか、という話でも、「カイロプラクティックで前向きになれる」という話でもありません。

開院後、私が直面した事件。それはおそらく普通の人は経験したことがないほど酷い事件でした。

そこからどのようにして私は心を立て直したか、「悩み事なんてないでしょ」と言われるまでになったのか。

そのことをお話ししたいと思っています。そのためには、その事件について少し説明をさせてください。

人生最悪の日

2003年6月10日、私は3人の家族を一度に失いました。

父と母と妹が殺害されたのです。犯人は当時19歳の妹、みつばの元婚約者でした。この男は婚約が解消されたあとにストーカーと化し、復縁を迫っていました。そして私の実家に乗りこんできて凶行に及んだのです。そして事件を起こした直後、その実家で彼も自殺してしまっています。

自分の院を開院した翌年のことでした。この事件に私は打ちのめされました。

それから人が信用できなくなりました。人が怖くなりました。人と話すことができなくなりました。毎日が真っ暗闇のどん底で幻聴も聞こえてくる地獄のような苦しみの日々でした。

もちろん、たくさん、たくさん泣きました。

「お父さん! お母さん! みつば! なんでだよ! 俺は、親孝行一つもしてないじゃんか」

こんな思いが頭をめぐります。

両親と妹は何のために生まれ、生きてきたのか。考えても答えは見つかりません。

犯人への復讐心がつのります。しかし、その犯人は自殺してもうこの世にいません。

憎しみを、どこにもぶつけられませんでした。犯人の家に行き、犯人の家族もめちゃくちゃにしてやろうか。そんな考えが浮かんだこともあります。

私の気持ちを汲んで、こんなことを言ってくる叔父もいました。

「勇、やるか。復讐するか! 相手の家族めちゃくちゃにするか? 手伝うぞ」

社会的にも成功し、地位も名誉も、守るべき社員も愛すべき家族もいる叔父です。それなのに自分の立場もかえりみず、そんな言葉をかけてくれました。

今思えば、この言葉に、私は救われました。冷静になれたからです。

「叔父さんを巻き込んじゃいけない、みんな苦しいんだ」

そして、へこみにへこんだこの一番つらい時に、亡くなった母の声が聞こえてきたことがありました。

たしか四十九日法要が終わる前後でした。

突然の事件で家の中はぐちゃぐちゃだったのですが、少しづつ自分の時間が取れてきたときに散らかった部屋を掃除して、家族の少ない写真を片付けていた時、ふいにこんな声が聞こえてきたのです。

「あんたがお父さんと、お母さんとみつばの分まで幸せになってね。人生楽しみなさい!」

母親がこんな風に語り掛けてくれた気がしたのです。

それは幻聴だったのかもしれません。でも、ここから私は、残された人生を楽しく幸せに過ごしたい、と思うようになりました。

とはいえ、当然ですが急に前向きな気持ちや陽気な気分になれるはずがありません。当時の私は幸せになるための考えと行動がわからなかったからです。しかし、それでも決めたのです。

「必ず幸せになる」と!

立ち上がる

それから私は、この出来事を必ず意味のある出来事にすると決めたのです。ここまで来るのに3年かかりました。

それからの私は、両親と妹の死にちゃんと立ち向かおうと思ったのです。

もう少し細かく言うと、次のようなことを考えるようにしたのです。

「3人の死から何が学べるのだろう」 「3人の死を無駄にしないために、自分に何ができるのだろう」 「3人の死を意味のあるものにするには、どうすればいいのだろう」

もちろん、簡単に答が出る問題ではありません。私自身、長い間もがき、苦しみ、考え続けました。

そのプロセスについては、このあとも触れていきますが、結果として私は大きく成長することができたと感じています。

そして人生を楽しく充実して過ごすために必要だったものがあります。それは

1 乗り越えること 2 自分を信じること 3 目標を持つこと

この3つでした。

乗り越えること、自分を信じること、目標を持つこと、これらを深く考えたことで、私は生きる目的が明確になりました。夢を夢のまま終わらせずに、目標に置き換え、そしてその目標を達成する術を身に付けました。だから私は大きく人生を変えることができたのです。

こんな体験をしなければ私は一生涯自分の人生について深く考えることはなかったでしょう。いや、できなかったと思います。

なぜ私が伝えなければならないのか?

私は、最後まで両親から与え続けて貰いっぱなしでした。その恩を返すことができないままでした。

だから今度は私がその恩を誰かに返す番なのだ。私の両親と妹が亡くなったことによって、私は一度立ち止まり、自分の人生について真剣に考える機会を与えられました。私が経験し、乗り越えてきた苦難や困難は、ただ私自身のためだけにあったのではなく、他の人々に勇気や希望を与えるためのものだと感じたのです。

私は、この出来事を通じて学んだ方法やヒントを具体的に伝えることで、他の人々が辛い過去や困難に立ち向かう勇気を持ち、希望を見出す手助けをしたいと思っています。私自身が辛い経験を通じて得た洞察や気づきを共有することで、読者の方々が自身の人生を前向きに変えるきっかけを見つけることができるかもしれません。

私の経験は小説の中で語られるストーリーとして、読者の心に響くことを願っています。過去の苦難を乗り越えるための勇気と希望の道を紡ぎながら、読者の心に深く届くメッセージを伝えることが私の使命だと信じています。

この物語の続きでは、私が人生の岐路に立たされた後、どのようにして自分自身を取り戻し、新たな目標に向かって歩み始めたのかをお伝えします。私が出会ったNLP心理学のメソッドや考え方、そして実践してきた具体的なアプローチについてもお話ししていきます。

私の目指すのは、読者の方々が自らの過去や困難に立ち向かい、心からの希望を見出し、前向きな人生を築くためのヒントを見つけることです。共に困難を乗り越え、充実した人生を歩むための道筋を示すことが私の願いです。

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