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【短編小説】つくもの図鑑 第2話
がりがり、がりがり。
「つくもー、下敷き忘れないでー」
『む。すまなんだ、主』
かりかり、かりかり。
「書きにくかったでしょ…って紙が穴だらけじゃん!」
『どおりで書きにくかったはず』
「気づこう!?」
かりかり、かりかり。
「ん?畳にちまちま黒いのが…………………つくも?」
かりかり、かり。
『あ。……………す、すまぬ、主』
気づいたところでもう遅い。
新米猫又つくも、絶賛文字書き練習中の惨事であった。
「もー!」
とある庭に面した和室。そこで、必死に畳を拭う人間がいた。右手に持った雑巾をしきりに右に左に動かすが、油性の汚れがそう水拭きで落ちるはずもなく。
「練習はいいけどさ…汚れはもうこれが限度だよねえ。ああ、畳に傷もいってるよこれ……いぐさ出てきちゃわないかなぁ」
人間ががっくり肩を落とす。その後ろで、これまた肩を落とした猫——否、尾が二つに分かれた猫又が一匹、しょげていた。
『ふぐぬぅ……』
和室の畳で犬のようにお座りをしている猫又が、耳をぺしょりとさせて縮こまっている。どうやら自分のせいであるという自覚はしっかりあるらしく、夢中になって尻尾に握っていたペンを置いて、主の沙汰を待たんとばかりの様子である。
息をついて振り返った人間を視界の端でとらえたのか、猫又の肩がぴょんと跳ねた。
「つくも。今回はもうしょうがないけど、次は気を付けてね」
『承知……』
「下敷きと紙はセットで置いときなさい」
『仰せの通りに……』
「そのセリフ、ドラマ以外で初めて聞いたよ」
ふは、と笑った人間に、猫又はゆるりと顔を上げる。人間は、猫又が思ったような怒気をはらんではいなかった。
「もうやっちゃったことはしょうがない。私も良い畳の汚れ対処法をすぐみつけられなかったし、調べておくよ。でも、もう同じことにならないのが一番だから、下敷き使うか……今度つくも用に木の板買ってくるから、その上でやってね」
『…うむ、そうする。すまぬことをした』
「もういーよ。ほら、練習続けていいから。私の名前、本に書けるようにがんばってくれるんでしょ?」
『……うむ!』
さて、このやらかした猫又、同じ猫又たちの中ではまだまだ新参である。猫又なのだから十分長生きだろうと思われるが、とある猫又の先輩にしてみれば、赤子も当然と言わしめるくらいには新参だった。
というのも、いつの間にか猫又となっていて、ただの猫としての記憶がないという変わった経緯の白と黒の猫又なのである。猫又は猫又になるだけの月日を経て、なにがしかのきっかけをもって猫から形を変えるはずであるが、その重要なきっかけもろとも過去が欠落しているというありさまであった。
そんな猫又が彷徨ううちに先輩猫又とお人好しな人間の世話になり、また気づけばその人間の家で保護に近い形で居つくようになっていた。
ちなみに、妖怪丸出しの尾を見ても人間は驚きすらも見せなかった。さもありなん。この人間、幼いころから例の先輩猫又に子供同然に可愛がられて育ったらしいので。
もはや、つくもという末っ子ができたくらいにしか思われていなかった。「つーくーも!今日はそれくらいにしよ!」
『む、もう夜なのか』
「そうだよー、集中してたねえ」
ちなみにつくもと軽々話しているが、これは猫又側の能力のため人間は別段特殊な何かを持ってはいない。ただ単に、猫又によく縁がある人間というだけである。
『書いても書いても足りぬのだ、またペンが空になるやもしれん』
「それはいいよ、畳にこれ以上穴あけなければ」
『ふぐぬっ』
「じょーだんだって、怒ってないよ~」
びくりと目をつむったつくもの頬をついついとつつく人間の様子は実に楽しげである。もー、とばかりにつくもが軽く口を開けて指にかみつく真似をすれば、人間が笑いながら指をひっこめる。これも一人と一匹の、よくあるじゃれあいであった。
つくもがペンを握るようになってひと月。当初に比べ、随分と流暢なひらがな書きが板についてきた。だが、まだ書けるようになってきただけで、つくもはあくまで猫又。読みはどうかというと、まだ理解しきれていなかった。とにかくはやる気持ちをそのままに、まずは書け書け思うまま、といった風にひたすら書いていたのである。この事態が判明したのは、人間が「何て書いてるの」と尋ねたときだった。ちなみに、ペンを握って二週間は経とうかという頃である。これを先輩猫又に知られてからから笑われたのはつくもの記憶に新しい。
だが、目的の文章が無いまま書いたにしては習得は早かった。よほど書くことが楽しかったのか、文字を書くこと自体は実にスポンジが水を吸うが如くである。だが、単語として文字が合わなければ文章にはならない。
そういうわけで、ようやっと文章らしい言葉の並びの練習に身を入れているところだった。
文字数的には三文程度は十分書けるであろうが、それが文章として成り立っているかはまだまだ怪しい。小さな子供のように鏡文字を書いてしまったり、「は」を「ほ」、「つ」を「し」と書いてしまって文章にならない、なんて経験もしつつ、日々少しずつ、文字と音をすり合わせていった。
「…どう?」
『………これで、いかがか!』
「どれどれ……『つくものずかん』……うん!書き間違い無し!合格!!」
一枚の用紙を電球にかざし、くるくる回る人間が一人。
『本当か!』
「本当ですとも!おめでとう、つくも!何も見ずに書けたね」
『長かった…!』
「うん、すごいすごい!」
用紙をつくもに持ち替えて、人間が再度くるくる回る。書けた当事者より喜ぶものだから、つくもは目を回した。しばしして、先輩猫又がそれを見つけてくれたものだから、止めてもらった。数週間前にも、似たことがあったような。
『かるた?』
「そう、かるた」
一部のひらがなの音を覚えたものの、まだすべてとはいかなかった。そんな練習の進捗が芳しくなくなってきた頃、人間が手のひら大の札の山を持ってきた。
「絵札と文字が書いてある札が対になってて、これがひらがなの文字数分…あ、『ん』と濁点、半濁点のものはないからそれ以外なんだけど、文字数分あるんだよ」
『ふむ、それで?』
人間が、絵札を数枚畳に散らす。絵札はひとつひとつ、絵柄が違っていた。そして、絵柄にはひとつだけ、ひらがなが書かれていた。
「一人が文字の札を読んで、文の頭文字と同じ頭文字が書かれた絵札を探すの。ちなみに文章はちゃんと絵札に書かれてる絵の説明だから、最後まで読まれるほどどの札かわかりやすくなるよ」
そう言われて、つくもが広がった絵柄に目を通す。たしかに、絵札に書かれた文字も絵もすべてばらばらだ。同じものは見当たらない。
『ふむ。探して見つけたらどうするのだ?』
「その札を、こうする!」
破裂するような軽快な音が鳴る。つくもは体ごとぴょ、と浮いた心地がした。人間の手が、絵札を叩いたのだ。
「見つけて先に絵札に手をついた方が、札を取るの。これを続けていって、手元に絵札がたくさんある方が勝ち!」
『ほう!つまり、音を覚えながら文字の形を覚えるのにも最適なのだな?』
「そういうこと!」
つくもの尻尾がピンと張る。確かにこの方が、ただ書いているよりは覚えるのは楽しそうだ。その文字を使うものが絵柄として見えるのも良い。
『だが、二人でどうやって競うのだ?ひとりは文字を読むのだろう?』
「そこはもちろん」
『我が呼ばれたのはそういうことだな』
いつの間にそこにいたのか、真白の先輩猫又が畳に鎮座していた。相変わらず、りんとした姿勢が見事である。
『いぶき殿!』
「いぶきー!来てくれてありがとう、よろしくね!」
『まったく、猫又使いの荒い子だ。「かきを取ろうとして」』
「わあ待って待って!まだ絵札並べてないよ!!?」
まだ数枚散らしただけの人間が、残りの絵札を慌てて広げる。そんな様子を見やって、いぶきはいつものように笑った。
『ほっほっ。ほれ、はようせい』
『ふむ、今のだとこの絵札か?』
「もーいぶきの意地悪ー!つくももわかったのは偉いけど広げるの手伝ってよー!」
そうやって、最初はハンデとして人間が三秒待機、なんてこともしていたのだが、回を重ねるほど思いのほか熾烈を極め、数日もすればハンデ無しでもつくもの方が札を多く取れるようになるということを、人間はまだ知らなかった。
目で見たかたち。そこに、音が乗る。不思議なもので、かたちだけだったそれが、誰かと話すたび、言葉として脳裏に躍るようになってきた。少しずつ、ほんの、少しずつ。
それでも、じわじわ広がる世界のかたちが見えるようで、夢中で絵札に飛び掛かった。とびついたその一歩が重なるたび、前に進めている気がしたのだ。
「ところでね、つくも」
『うむ?』
「日本語ってね、ひらがな以外にカタカナっていう文字があって」
『うむ、よく異国の言葉をカタカナにするのであろ?いぶき殿に言われたことがあるから知っているぞ、ちゃんと覚えるつもりだ。案ずるな』
「ああ、いや、それは良かったんだけど、その」
『む?』
「……それが終わったら、次は漢字を覚えた方がいいと思うんだ。その、世界を、まず日本を知って書くってことなら…うん」
『む、そういえば主がよく読む本にはひらがなより遥かに難しい文字があったな、もしやそれか』
「うん、そう」
『なに、仕方あるまい。少しずつでも覚えればよいのだ。ところでその漢字はいくつあるのだ?ひらがなと同じ数ほどか?』
「……………」
『主?』
「……ん」
『む?』
「最低でも、二千個くらいは必要、かな……はは」
『ふぐぬ!!??』
新米猫又つくもの文字書き練習、まだまだ長い道のりである。
あとがき
こんにちは、坂 伊佐巳です。今回はペンを握れたつくものその後のお話でした。案の定夢中になって文字を覚えていきますが、形を覚えただけで音は伴っていませんし、しまいには畳にやらかす珍事も起きて、いずれ立ちはだかる漢字の壁にもめまいがする。自分で文章を書き連ねるにはまだまだ前途多難ですね。
それでも文字にあふれた世界を知るために、記録するために、つくもは今日もペンのインクを空にするのでした。
この記事を読んでいただき、ありがとうございました。
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