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十一月下旬 自選十句

 おはようございます。こんにちは、こんばんは。蒼井憧憬です。今回は、前回までの続き、11月に作った397句の中から、下旬で10句選句してみたので、一つ一つ、日記の代わりにコメントしていこうと思います。前回までの記事を未読の方は、ぜひ下のリンクからお願いします。

 11月下旬は、うつ症状に快復の兆しがあり、精神科のお医者さんからも、減薬や復職プログラムの卒業など、目に見える形での進展があった時期でもあります。なので、詠む句も、自ずと明るかったり、いつもとは違う視点で詠めたり、俳句にも影響がありました。

布団乗りにゃーと挨拶夜明け前

 これは、「布団」という冬の季語の使い方として合っているのか分からないが、私は愛猫家なので、こういう句をよく作ってしまう。
 冬は朝が来るのが遅い。でも、猫たちには季節は関係ない。定時の6時には、布団に飛び乗り、にゃーと挨拶をして、ご飯をくれと大合唱を始める。そんな、風景を切り取り、詠みました。

しばれるや我慢汁さへ出でぬ夜

 うつ状態がおさまってくると、徐々に性欲が回復し始めた。ここ3ヶ月、一切自慰行為をしなかった。こんなこと、自慰を覚えて以来の初めての事件である。それを、冬の寒さのせいにして、詠んだ句です。
 文語文法が怪しく、「出る」と、「出づ」は、正確にはニュアンスは変わってくるのか、それからその否定形は、「出でぬ」なのか「出でず」なのか、それを夜に繋げると、どうなるのか、よく分からないまま。やはり、これからの俳句作りには、文語辞典が必要不可欠です。

ナプキンが男子トイレにあり寒夜

 この時期、北大路翼という俳人のエッセイを読んでいたので、彼の作風に従って、自分も真似て作ってみた句。
 実際には、そのナプキンを捨てさせたのは私で、これは非行少年時代の、夜の公園の公衆トイレの景色です。この頃はそういう行為にハマってしまっていたのです。

エアマックスに蹴られ路面の味や冬

 これも、上の句と同様、北大路翼氏の影響で詠んでみた句。同じく非行少年時代の実体験の句で、当時金もなく、安物のクロックスもどきにスウェットで、よく屯していました。そんな折、とある集団と喧嘩になりました。
 相手はおそらく、大学生くらいだったでしょう。中学生時分の我々はなす術なく、地面に倒されました。その相手の靴がエアマックスだったわけです。その惨めさったらない。

寒鴉気狂いの度を知る薬

 同じく精神的に不安定な時期を過ごしている友人と二人で、岩盤浴に行った日のこと。私たち二人は、気狂い同士、薬の量や種類で張り合っていたわけですが、それがまぁ哀しいことよ。でも、意外と多くの人がそうなんじゃないの、なんて思って、詠んだ句です。
 寒鴉という季語は、中七下五を思いついた後にとって付けたものですが、この句には、合っているような気が自分ではいたします。どうなんだろうか。

園児や見つむ看板のモンブラン

 上の句と同じ日の朝に見た景色。園児たちが、街を散歩していたのですが、その中の一人が、パタリと足を止め、何かを見つめていました。その目線の先にはドトールの新商品、モンブラン。
 看板のモンブランが、季語としてどうなのかという気はしますが、私にはその園児の、羨ましいけれど自分には届かないというあの視線が、ありし日の自分とも重なり、詠みたくなりました。

新宿のゴジラのよふに聖樹あり

 これも上の句と同じ日に詠んだ句。本当は、岩盤浴場に大きな聖樹(クリスマスツリー)があり、その”場違いさ”を詠みたかったのですが、なかなか思いつかず、大きさに着目して詠んでみました。

冬の暮今宵はジャズか駅ピアノ

 最寄りの駅に、ピアノが置いてあって、誰でも自由に弾けるというアレがあります。自宅に帰る前や、どこかに向かうとき、いつも誰かしらが何かを弾いているのですが、その日は大好きなジャズで、それもモーニンだったのを覚えています。
 元々は、「駅ピアノジャズを奏でる冬の暮」としていましたが、駅ピアノがジャズを奏でるという主述がおかしい感じがしたのと、「今日はジャズだ」という嬉しさを出したいなと思って、この句の形にしてみました。

冬灯し世界の愚痴をボイスメモ

 これは私の元日課。とにかく、非行少年時代はすぐに思ったことを口に出し、大きな災いを呼んでいた私ですが、いつしか、真逆になりました。
 思ったことを言わない、怒らない、苛立たない、菩薩のような人間になりました。思えば、この菩薩時期は、躁状態なのでしょうが。
 そんな私が、鬱憤をボイスメモに残すようになったのが、大学を卒業してからのこと。世界の愚痴、と大袈裟に言ってみましたが、詩情があるかどうか。

炬燵入る生まれし日からのよそ者

 これは11月最後に作った句です。私の家庭環境からか、こう思うことがよくあって、どこへ行っても、余所者のように感じられました。
 小学校のときは、ニュータウンに越してきた人間でした。中学の時は、非行に走り、賢い私立の同級生からは煙たがられ、反面、賢い高校に入っては、非行少年時代との違いから、うまく馴染めませんでした。芸大に入ったら逆にその賢さから余所者ぶりを実感し、今東京で絶賛、余所者です。
 そんな私を、炬燵は迎えてくれる。暖かくて、温かい。そんなふうに思えて、詠んだ句です。語順が逆でも良かったかもしれません。「生まれし日からのよそ者入(い)る炬燵」もしくは、入る→にも、にしても良かったかも。

まとめ

なんだか、色々作っては、反省してばかり、悩んでばかりの俳句生活。でも楽しい。今はスポンジのように色んな俳句本に触れ、実際に自分でも毎日10句以上作っては楽しんでいます。けれど、そろそろ教えを請える人が欲しい気持ちが募っています。師となる、私の俳句の先生や先輩、つまるところ、俳句仲間が欲しい。12月、1月、そこで何か進展を作れるのか、どうなのか。俳人の卵は、どこへ向かうのか。

【最後にお願い】

 こちらの「気ままに俳句日記」は、鬱に陥って以来、私の救いになってくれている俳句を気ままに記事にしているものです。もし、こうすればいいよなどの上達の方策など、コメントいただけましたら幸いです。感想でも構いません。
 また、スキを押してくださいますと、単純に見てもらえているんだなと嬉しくなります。よろしくお願いします。


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堂ノ本 敬太
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