映画業界 ハラスメント体験記【奴隷日記#2】
夏きたりて、セット完成!!
『濡れたカナリヤたち』クランクイン約1週間前、ずっと付きっきりだったラブホテルのセットがようやく陽の目を浴びる。途中で何度も怒られながら、殴られながら、そして時には孤独な作業を強いられながら、遂にJ太郎はセットを完成させる。嬉しさの余り、予定に無かったセットでの「テスト撮影」を行い、照明を仕込み、俳優部も呼び、本番さながらの予行演習が行われた。セットをスタジオに建て込み、イメージ画と殆ど同じ見栄えになったセットを見て、
「俺、やってみてほんまに良かった」
と感動しているJ太郎が脳裏から離れない。思い返せば、出会った5月頃の時期から、J太郎は自分の時間を殆ど全てセットに注ぎ込んだ。雨の日も、大学が休みの日も、何度も何度もやり直しと修正をしながら、予算と格闘しながら。そんな姿を見ていた私は、彼の充実した顔を見て、少しうるっときてしまった。
幾人かの監督達が見物に訪れ、「低予算ながら」「学生ながら」という冠がつきながらも褒められ、我々は鼻が高かった。回転ベッドの下で、成人二人の重みに耐えながら、ベッドを回転させていた撮影部の後輩たちは、汗だくになりながらも楽しそうにしていた。
その上、アキさんがJ太郎のセットを「安物なんだけど、意外とうまくできてるんだよ」と他の学生に話す姿まで見てしまい、我々は、もはやクランクイン前に謎の充足感に満たされていた。
正直、この時期は彼の暴力どうこうなど気にする由もなく、「アキさんのおかげ」という感謝一心だった。
いざ、本番前日!スタッフ総動員の建て込み作業
そして、あっという間に本番を迎え、他のロケシーンや常設セットでの撮影を済ませ、撮影休日を迎える。とはいえ、休日とは名ばかりの、スタッフ総動員のセット建て込み作業だ。これまでの炎天下での撮影に疲弊しきっていた我々の作業速度は嫌に遅かった。
休日にわざわざ手伝いに来てくれたアキさんにも、流石に苛立ちの色を感じられた。作業の途中、何度もJ太郎は殴られ(この頃になるとスタッフには驚きもなかった)、J太郎はただ一人の美術部として、自分の作業の拙さに責任も感じ、ずっと涙目になっていた。
我々スタッフはアキさんの苛立ちと、それに応じて殴られる回数の増えるJ太郎の姿に、話しかける気にもなれず、ただ早く作業を終わらせようと必死だった。
事件はそういうタイミングで訪れる。
アキさん「ニンギョウがない!(ニンギョウとはセットを支える重要なもの)」
J太郎「探してきます」
二人は別々にセットを飛び出した。時刻でいうと18:00頃だった。あたりが暗くなり、隣のスタジオで撮影していた別の組が、バラシ中だった。今だとばかりに、それまで何も飯を食べていなかったJ太郎に弁当を手渡す我が制作部。
J太郎「(突っぱね)アキさんに怒られるから」
私「探し物くらい他のスタッフがするから、今のうちに食っとけ」
と、お節介にも私は弁当を食わせてしまった。アキさんも飯を食っていたのだから、いいじゃないかと。当然、上下関係の上ではダメなのかもしれないが、不憫でならなかった。ただ、それがアキさんに見つかる。
アキさん「もう勝手にせえや!」
と後頭部に拳骨一発。含んでいた唐揚げが落ちる。
J太郎「すいません」
すぐさま立ち上がり、謝り倒す。大きな怒声とともに殴られる音がスタジオ前に響く。我々スタッフだけでなく、横でバラシ中の別の組も二人に注目する。アキさんは、周囲の反応にバツが悪そうに、J太郎とスタジオ裏に行く。
私のお節介のせいで殴られたのに、私は何も言えなかった。本当に申し訳ないことをしたと思っている。
第三者からの視線
「ああいうのいつもなんですか?」
こう話しかけたのは、先ほどバラシ中だった組のスタッフ。その組は、我々の姿を見て、驚きの顔だった。どうして先生が生徒に手をあげているのか、疑問というよりショッキングな光景、でも空気の重さに、おおっ広げには話せない、そんな雰囲気だった。スタッフ間でひそひそ話でこちらを見ていた。
我々の間で、もはや常態化していた現実は、一気に、異質なことなのだと再認識させられる。あの時のJ太郎の返答が忘れられない。
「俺が悪いから。アキさんが殴るのは普通よ。当たり前」
悲しげに笑う彼の姿に、私は撮影どころではなかった。裏に連れて行かれた後、どうなったのか野次馬的に聞かれた彼は、「一発だけ」と答え、作業に戻った。
これがハラスメントでなければ、なんなのだ。
以降の作業では、彼は奴隷のように、アキさんの作業を見守り、言われた道具を探し回り、顔色を伺いながらスタジオと美術倉庫を走り回る。無言だ。一切の私語などない。何か作業をする時も、アキさんの方をチラチラ見ながら、怯えたように作業を進める。1週間前のセット完成の充足感など、もはや存在しない。その場にいる全員、居心地の悪さと空気の重さに押しつぶされた。
この建て込みの日だけで数十発は殴られていた。握り拳、裏拳、顔をはたく、腹パン、肩パン。いつも陽気なツイマ君も、この日ばかりは静かだった。アキさんの機嫌を保つために笑い話にしようとするツイマ君、アキさんが高らかに笑う、J太郎も合わせて笑う。
あの時あの場所に、映画作りに必要なものなど何もなかった。
監督としての自分の能力を恥じた。スタッフの苦しみに対処する術が思いつかなかった。これまでの感謝もある、先生と生徒という関係もある、何よりJ太郎が、まだ師匠のように彼を感じていた。私が殴るわけにはいかない。
「アキさん、ありがとうございました。最後の作業はスタッフでやります」
これが精一杯の私の対応だった。
僕らのセットが建った。
建て込みが終了した。そういう空気感の中であっても、自分たちのセットにライトが灯り、テストの際には無かった装飾や細かな修正が施され、本当の意味で完成したセットを目前に、やはり充足感があった。すごいすごいと馬鹿みたいに喜んでは、「このまま撮影開始までこのベッドで寝ようか」なんて騒ぐ私に、
J太郎「堂ノ本くん、あとは頼んだよ」
と嬉しそうにJ太郎は語った。
彼のセットは美しかった。確かにプロの力量とは大きな差はあったかもしれない。けれど、たった5万円でその全てをやりくりした彼のセットは美しかった。ベッドの布団は友人たちからの貰い物だ。春画は、うまく貼れなくて、少しクシャッとなっている。鏡は思ったほど反射しなかった。壁の継ぎ目はパテで埋めたが、少し目立った。けれど、私は美しいと思った。
「あとは頼んだよ」という彼の発言で、つい先ほどまでの空気感は消し飛び、私とキャメラマンのサイコは具体的に撮影の話を詰め始めた。ツイマ君や他のスタッフは疲れと満足感に、その場に座り込んでセットを眺めていた。きっと、みんな綺麗だと思ったはずだ。
そこにモンスターが訪れる。
アキさん「明日の現場も来たほうがいいよな。不安なことあれば手伝うぞ?」
一同「・・・」
J太郎「いえ大丈夫です。現場は自分だけで頑張ってみます」
アキさん「お前に聞いてないんじゃボケ。しゃべんな。ドウ、なんかあったら電話しろよ。いつでも来るから」
J太郎「遅くまですいませんでした。ありがとうございました」
この会話が、J太郎が初めてアキさんを拒否した瞬間だったと記憶している。このシリーズを書いていると、つくづく思う。あぁ、この瞬間でも私は動けなかったのか、と。
そうしてモンスターなき現場では、私自身の中に問題はありながらも、無事終了し、クランクアップを迎える。打ち上げに、彼はバイトで来れなかったのだが、スタッフ・俳優部一同、J太郎が作品のMVPだと語ってやまなかった。二次会に合流したものの、すでに泥酔状態の我々に、彼はやっぱり嬉しそうに付き合っていたのが、印象的だった。いつも行ってたホッソイババア(敬愛を込めて)のスナックとJ太郎のセットを比較して「J太郎の方がいいな」と言っていた私は、親バカならぬスタッフバカだと思う。
クランクアップして・・・
クランク・アップからそのまま、夏季休暇に入る。ただ、我々は作ったセットの名残惜しさに夏季休暇でも、スタジオに入り浸っていたと記憶している。バラしたセットの残骸を見て、早く処分しなきゃいけないけれど、捨てるに捨てれなかった思い出が蘇る。
一難去った後は、全て水に流したような雰囲気だったのだが、その頃から次第にアキさんと距離を置き始めるJ太郎を感じていた。スタジオに入り浸っていたのは、機材の話や大学の教授陣と現場の話をするのが大好きなツイマ君の影響なのだが、J太郎は仕切りに「シナリオ閲覧室行かん?あんまり先生らと話したくないんよ」と私に相談していた。
私も目上の人が生来好きではないせいで、この時からツイマ君を置いて二人でだべることが増えたように思う。ツイマ君は寂しげだったが。シナリオ閲覧室という場所は、エアコンが効いていて、無限に映画の本があって、ソファに寝転びながら、映画美術や演出の話で盛り上がっていた。
時々アキさんは、我々を飲みに誘っては、「J太郎は甘い」などと小言を抜かす日々だったが、関係は良好だった。アキさんの頼みで、テレビドラマの手伝いに行くなど、良い経験もさせてもらった。
夏休みが明けて、スタジオでの授業が再開すると、相変わらず師弟関係のように時に怒られ、時に殴られる事はあったが、建て込みの時ほどの緊張感はなかった。アキさんが大学に来ていないときは「アキさんおらんのやったら今日はいかん」と授業をサボる事も多かったので、やっぱりJ太郎はアキさんのことが好きなんだと勘違いしていた。のちに、この会話は「アキさんがおらんのやったら(あとで怒られる心配がないから)今日はいかん」という意味だと気づく。
次回予告
そうして、『濡れたカナリヤたち』が完成を迎える2019年の暮れのこと。打ち上げと称して、J太郎とサシで飲む初めての機会が巡る。その時、彼の口から出るのはアキさんの話ばかり。その具体的な話に続いて、この頃、ちょうど「産学協同映画」と呼ばれる、大学が学生主体で製作する長編映画の準備も始まる。その時の出来事が、まさに映画界の縮図ともいえる状況だった。
ちなみにこの頃、アキさんは「3月にやる映画で美術監督のオファーが来たから、この産学で色々学ばせて、その現場に助手として俺に就かせる。お前らの卒制までに美術としてマトモにしたるから」と私に語っている。
予告としていえるのは、この記事より酷い状況が産学協同映画で起こり、心身ともに疲弊したJ太郎は、続く3月の現場で完全に破壊される。「これ自殺しても、おかしくないよ」とまで言い出すことになる。私はこの事態に、ようやく彼を救い出す決意をしたのだが、事はそう格好よくはない。
ここまでは序章だ。
ここからが真の奴隷日記、スタートだ。