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写真の枚数

夏休みが終わった。前半は毎日遊んでいたけれど、後半はただ実家でダラダラと過ごすだけだった。まぁ、これが夏休みの本来あるべき姿なのかもしれない。休みなのだから、体と心を休ませないと。遊んでばっかりも考えものだから。

写真をよく撮る人がいる。一眼とかではなくスマホで。最近思い始めたのだが、どこかに行った時に写真ばっかり撮っている人が苦手なのかもしれない。もちろん1枚もとるなと言っている訳では無い。私だって残したいものはある。しかしながら、例えば花火大会に行った時に上がる花火の全てを写真に撮ろうとする人とか、水族館に行った時に水槽全てにシャッターを切る人とかは撮りすぎだと思う。せっかく一緒に来ているのだから、もう少し落ち着いてもいいんじゃないかと。目の前の素敵なことを記録ではなく、記憶として焼き付けた方が素敵だと思うけれど。

私はあまり写真を撮らない方ではあると思う。何故なら見返すことがないから。誰かに話すために写真を撮ることもあるけれど、水族館なら入り口だけを撮っておけば何とかなる。あとは目玉の生き物。カワウソとかイルカとか。魚なんか撮っても名前なんて分からないし。見たければ図鑑を見ればいいだけの話だ。花火なんか特にそうだ。見返したことなんて1度もない。1枚だけ撮っておけば、どこの花火大会で撮ったかは思い出せる。と言うか、どこの花火大会で撮ったとしても同じようなものばかりだ。容量は無限では無いのだから。無くなく消すくらいなら初めから撮らなくていい。

しかしながら、写真の量は幸福度に比例すると思ってはいる。社会人になって、平日は会社と家の往復。休日は外に出ないなんて生活を続けていたら、記録したい物など現れる訳がなくカメラを起動する回数もめっきり減った。大学生の頃はもっと遊んでいたから、あまり撮らないとはいえ、写真を撮る機会も多かった。直ぐに遡ることの出来るカメラロールを見て、少しだけ悲しくなった。

スマホで簡単にいつでも写真が撮られるようになった弊害か、自分の目にだけ写しておきたいという感情が無くなってきているのではないか。最高なものほど残したくは無いと思う。共有したいと思うことは悪いことでは無いけれど。胸に残すべき体験も大切にしていった方がいいと思う。

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