もっともらしいことを言う人は信用しない。
ことばのセンス
もっともらしい顔をして、もっともらしいことを言う人、よくいますよね。
そういう人は、信用しちゃいけないと主人は言ってました。
とくに、政治家に多いんですよね。
もっともらしい顔して、もっともらしいことを言ってる。
穴があくほど、その政治家の顔を見てると、映像で映し出される顔がその人の言葉を裏切ってることがよく分かると教えてくれました。
確かに、もっともらしい顔して、読みあげた原稿の漢字の読みかたを間違えるという大失態をした政治家サン、多いですよね(笑)。
あとは、客観的事実を伝える報道はウソが多いと教えてくれました。
これは、主人がよくテレビでも講演でも言ってましたが、
災害などが起こり、そこにレポーターがいき、「付近の住民は口々に不安の声と不安な夜を過ごされています」と言っても、必ずそこでピースしてる人たちが映って、レポーターの言葉を映像が裏切ってる。
「“付近の住民”って、近くに住んでる人たちはとか、ご近所に住んでる方たちはって言えないかなあ」と、ブツブツ言ってました。
「もっともらしいことを言っても、シラけるんだよなあ」と、クスっと笑う主人。
「昨今とか使う人って、いやだなあ。最近でいいじゃない。」
「忙しぶってる人って、いやだなあ。もちろん忙しいんだろうけど、あからさまに忙しい忙しいと態度に出すやつ、みっともないよなあ。」
「なになにすべき。とか、言い切る人いるじゃん。なんで言い切ることができるんだろうね。何様なんだって思うよね。」
主人も、主人と同世代で活躍されてる人にたくさん会わせてもらいましたが、みなさん、同じようなことを言ってました。
決して、偉ぶらない。偉いなんて、これっぽっちも思っていない。
決して、言い切らない。
みなさん、お話するときは、「僕は、こう思うんだよね」とか、“思う”を使っていました。
私の周りにも、もっともらしい顔をして、もっともらしいことを言う人がいます。
「こうすべきなんです!」と、言い切る人が大勢いますねえ。
おっと、この人には要注意しなきゃと、ブレーキをふみ、聞いたフリしてその場を過ごしてます(笑)
情緒的な言葉と科学的な言葉
そういう人に会ったり、そういうシチュエーションに遭遇したとき、堪えきれずゲラゲラ笑ってしまう主人。
そういう主人が、ずっとそばにいたので、毎日が楽しくておもしろかったです。
事実を伝えあう言葉をキチンと使えるようになれば、理解というものが生まれる。
でも、理解だけじゃダメで、ハートの部分は共感という情緒的な言葉で作られている。
情緒的な言葉で共感を作り、広告的な言葉で理解を生み出していく。
理解と共感が、バシーンと背中合わせでうまくくっつくと、とっても社会がよくなると思う。
理解もしあってるし、共感もしあってるのは、一番強い社会。
そういうふうに地球上がなればいいけど、そうはならないんだろうなあ。
そうなったらいいなあ、人間ってしょうがないなあというところから出発しないと、地球は一つの村だというところに到達しないんだろうなあ。
お互い自分が一番いい、自分が正しいと思ってる。
自分を笑う能力がない。
言葉に操られている。
正しい言葉なんて使わなくていい。生き生きとした言葉を使って欲しい。
言葉が元気だと、社会も元気になる。
そう、主人はいつも言ってました。
いま、私は渋谷のラジオで『渋谷の寡婦さん寡夫さん』というコーナーのパーソナリティをやらせていただいてます。
ときどき、お知らせの告知原稿を読むことがあります。
話し言葉の中に、急に書き言葉(客観的事実を伝える報道)が入ると違和感を覚えてしまうんです。
とくにラジオなので、書き言葉で読むと、聴いてる側は意味がわからない言葉があると思うんです。
主人が、「伊佐子、僕なら話し言葉にするよ。ふふん♪」と言ってくれてるようで、必ず話し言葉に直してから読むようにしています。
正しい言葉より、生き生きとした言葉を使わないと主人に笑われる!
“昨今”も言いません(笑)。
“てことで〜”も、言いません(笑)。
私はバカだから、もっともらしいことが言えないだけなんですけどね。
では、
『フォースと共にあらんことを…』
いつもサポートしてくださって、ありがとうございます。
感謝しかありません。ありがとーーーーーーー!