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なぜ自分は生まれてきたのか?――「ありのまま生きられる社会」を目指して
私は、誰もが「自分らしく生きることが出来たらなんと素晴らしいのだろう」と願っています。しかし、そこまでの道のりは簡単ではありません。ときには自分自身や家族、そして社会との関係の中で葛藤することがあります。たとえば、子育て支援やボランティア活動に参加するとき、自分の時間や家族との時間を削らなければならない場面が出てくることがあります。そのときこそ、「自分が本当に大切にしたいものは何か」という問いに向き合う機会だと思うのです。
支援活動において「家族がいるから今日は行かない」と考えることは、家族を大切に思う気持ちの表れで、決して批判されることではありません。しかし、その選択が本当に家族のためだったのか、自分がやりたいことを後回しにしてしまっただけではなかったのか。そうした自分自身との葛藤を通じて、私は「自分らしく生きる」とはどういうことかをその度に考えるきっかけにしています。
自分がありのまま生きられる社会は、独りでは成り立たず他者との「繋がり」の中で生まれます。たとえば、支援活動で出会う人々の笑顔や「ありがとう」という言葉に、自分の行動が誰かの役に立っていることを教えられます。その喜びを他者と分かち合うことで、支援の価値や、社会全体を良くするための行動の意義を共有することができます。これこそが、「自分がありのまま生きる」と「共に生きる仲間を大切にする」の両立を可能にする方法ではないでしょうか。
一方で、誰もが自分らしく人生を全うできる社会をつくるためには、「相手に寛容である」ことも忘れてはなりません。人はそれぞれ異なる価値観や生活の背景を持っています。それを自分と比較して否定するのではなく、「その人なりの大切なもの」を尊重し合うことが、寛容な社会を作る基盤となります。支援活動もまた、そのような寛容さを人と人との中から学ぶ場となります。支援を通じて相手の状況を理解し、自分とは異なる価値観を受け入れようとする力が育まれるのではないでしょうか。
人生を全うするということは、ただただ長く生きることではなく、自分の内なる思いや願いを形に変えていくことだと思います。そのためには、自分自身に正直であること、そして他者との繋がりで自分らしく生かされていると気付くこと、それが必要なのです。支援活動やボランティアはその具体的な手段のひとつであります。だから、家族や自分の時間を犠牲にすると考えるのではなく、むしろその経験を通じて自分の中にある「やりたいこと」と真剣に向き合い、それを周りの人たちと分かち合う道を探ることが重要なのではないでしょうか。
私たちが生まれてきた理由は、明確な答えがあるわけではありませんが、私は「誰かの役に立ち、社会に意味をもたらす存在として生きること」ではないかと考えています。そしてその実現のためには、まずありのままの自分を認めること、そして相手の立場を受け入れることが答えを開く鍵となります。こらはの積み重ねで、誰もが自分らしく生きられる寛容な社会を築くことの第一歩になるのでしょう。
支援活動に向き合う中で見えてくる自分自身の思い、その思いを仲間や家族や手の届く社会の繋がりと分かち合うことで、「ありのまま生きられる社会」が形ち作られ、すべての人が『最幸』の人生を全うできる社会となる、そんな希望を持って進んで目指いきたいと願っています。