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UPCH(UCLファウンデーションコース)を終えて 

6月20日のテストをもって1年間のファウンデーションコースを修了した。7月19日に結果が出て、無事進学を希望していたBsc Politics and International Relationsに進学できることになった。1年を終えたときの所感を示しておきたいと思う。

できるようになったこと

日本の普通科の公立高校を卒業した私は、言い換えると英語の取り出し授業がある私立高校とか、国際系の高校を卒業したわけではない私は、英語でエッセイというものを書いたことがなかった。ファウンデーションコースで1年かけてエッセイの書き方というものを学んだ。イントロの書き方、メインパラグラフの書き方、まとめの書き方。一つのパラグラフ内での意見構成の方法。ああ、セオリーはここにいれれば、自論のサポートになるんだなとか、前提とか定義とかはここにいれるべきなんだなとか、歴史的事実はイントロですべて述べるのか、該当する段落でそれぞれ指摘するべきなのかとか。そういった、「書き方」というものを学んだ。

同時に英語でエッセイを書くときの鉄則や、用語といったものも学んだ。日本語で論文を書くときも「たり」は一文中で2回使う、「時」は「とき」にする、「なので」は使わないとか色々ルールがあると思う。英語でエッセイを書くときも同じである。think, and so on, feel,このような単語を使うことは推奨されていないし、主語にI, We等を用いることはsubjective(主観的である)とされ減点の対象となる。どのような言葉を使って良くて、どのような単語を避けるべきかということを学んだ。

できないなと思い続けていること

エッセイの書き方を学んだと書いたけれども、それは上手にエッセイが書けるようになるとイコール関係にあるのではない。エッセイの構成方法を知っていても、それが高評価に直結するわけではないのである。それにはいろいろな要因が考えられるが、一番の理由は英語力の不足といったことであろう。私は特段、日本語体系で高校までの教育を受けたことに対する後悔はない。しかし、実際に渡英してファウンデーションコースに進学すると、用いる単語の幼稚さ、ちょっとしたニュアンスの違い、そんなところで最後の最後までぼこぼこと減点され続けていた。マキャベリのエッセイが返却されたときにフィードバックで「Your English is difficult to understand」と書かれたときの「うまくいかないもんだねぇ」という気持ちは鮮明に思い起こすことができる。エッセイの内容で減点されるのではなく、書き方で減点されるのは内容で減点されることよりも悔しく、むなしいものである。

アウトプットでできないなと思うことが存在すると同時に、インプットでも難しいなと思うことがある。インプットとは、論文を読むということだ。作者の主張を的確に把握するということである。私はまがいなりにもファウンデーションコースに進学するだけの英語力があった人間だから、ある程度のリーディングはできるのである。しかし、論文を読んで、「で、なんなん?」と思うことが多かった。筆者の主張を把握するということは、エッセイを自分で書くときに重要な要素となるセオリーの把握につながる。筆者の主張が分からない限り、セオリーというものもわからないのである。

一年を通して

助けてくれ、救ってくれ、許してくれと思い続けた一年であったと思う。点数が芳しくないエッセイ。先行き不透明な英語のテストに選択科目のテスト。数か月後に何をしているのかが分からないまま色々な準備をしなくてはならない徒労感。不確実性しか存在しない中、あるであろう未来に向けて刻一刻と変化し、消滅していく現実を消費していく焦燥感。助けてくれ。誰か私を救ってくれ。ずっと日本語で教育を受けてきて、単身で渡英してよくここまで頑張った、もう頑張らなくてもいいんだよと誰か私に言ってくれ。誰か私を許してくれと思っていた。そして同時に、他人からの「大丈夫だよ」、「できるよ」、「がんばってるじゃん」といった励ましの言葉は何も意味を持たない、励ましにも、心の支えにもならない空虚な音の羅列として虚空に消えていくものだとも知った。「きっとできるよ」。「大丈夫だと思うよ」。こういった励ましの言葉をかけるという行動は、LINEでたいして面白くもないメッセージに「笑」と真顔で返信しているときとさして変わりない。自動的にベルトコンベアに乗って適切な倉庫に振り分けられ運ばれていく商品のように、他人との無意味な軋轢を避けるために無意識に考え、喉を通って口から発せられる音声でしかないのである。極論、助けてくれ、救ってくれ、許してくれと心の中で叫び続ける自分を、助け、救い、許すのは自分自身の仕事であって、他人が代替することができないものなのである。そういうものなんだと悟った1年であった。

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