中央公園今までありがとう!って言えたらいいのに。
1/15、新庁舎建設に向けて、ふれあいセンターの隣の中央公園がとうとう閉鎖。トイレも使えないし、駐車場も全部閉鎖。辛い😂辛すぎる。おかしい、嫌だ、と言いつづけたら止められるのではと思ってたけど。なぜ新しくなるのに嫌がるの?とか、
古くさい人間って言われた。
30年以上前なのか、ふれあいセンターができたとき「なんて大口に似合わないたてもの!」と思ったけど、公園にバスケットコートとボルダリングがあってすごく嬉しかった。井上雄彦さんにちなんで建てられとかってきいて(詳細は不明)、バスケットコートがあることは井上雄彦の町だ!みたいな感じで誇らしかった✨
大人になったいま、小学生の遠足ではここが集合場所になったり、保育園児や療育のこたちが遊びに来たり、小さい子をバスケットコートに知らないお兄ちゃんが遊びに入れてくれる姿を見たりして嬉しくなったりした。
ここにはいくつか木がうえてあった。きっと値段が高かったと思うようなおしゃれな木。木の皮が面白い木。葉っぱがステキな木。この木は伐られるのかな😢
みんなが作ってよかった新庁舎になるようワークショップもたくさん参加した。公園については参加者からいろいろな楽しい意見も出てた。でも設計を見たら、今ある遊具からなにから全部撤去で、芝生と築山ってなってた。
私たちは今まさに使ってる公園。「今まさに使ってる公園、撤去しないで」って設計事務所の公園担当の人に言ったけど、「?」って感じだった。ワークショップのファシリテーターは「今は設計に賛成、反対とかじゃなくて」って言って、実際に出来上がった設計に関して発言する時間ではないという。
設計士は「小さな子たちにバスケットボールが飛んできて危ないってワークショップで意見があったから」と、わざわざ道路の向こう側にバスケットコートをつくりなおしますと言ってた。小さい子と大きな子の遊び場をわけることにした設計にしたと。
バスケットコートと遊具と砂場、みんなが入り混じって遊んだり交流できたりできてたのに💦そういう関わりあいが今大事なんだと思ってた。
トイレも壊して作り直し。公園やトイレが使えなくならないようにって先に南側にバスケットコートを作るって言ってたのに、まだ出来上がってないのになぜか1/14でこっちのこうえんも使用禁止。
タクシーの運転手さん、こどもたち、お酒飲んだあと、みんな公共のトイレ使ってたよね!
高校生、みんなで公園にたまってバスケしたり、スケボーしたりしてたよね!
なんならふれあいセンターの和室もダンス室も調理室も使ってたよね!アトリウムだって、市民が展示会とかいっぱいしてたよね!
歴史資料館、すごくお金かけていいのがあったのに。人をちゃんと雇わないで入口に柵をたてて、看板もずっと紙がぴらぴらしてた。図書館のなかに小さく作り直すらしい。
新しくできるものがいま我慢しても良いものができるなら、こんなに辛くないし、文句は出ない。
でも、明らかに今より使えないものじゃないかと心配してる。木を伐ってまた木をうえるの?
スラムダンクの映画。伊佐市特別上映。
リョータが沖縄のバスケットコートに大きくなってから帰る場面があって、それを見たとき、やっぱりあのバスケットコートは残すべきだって思ったんだけどなあ。
「新しく公園作るのになんで嫌なの?」
「反対したら使えなくなる期間が長くなるだけですよ」
わたしも新しくできる公園やトイレを楽しみにしたいなあ。なんでこんなに辛いんだろう。
なら、市は正々堂々説明して、理解してもらって、最後に「中央公園お別れの会」でもして、バスケットコートにペンキで絵でもかかせてくれたらよかったのにと思う。そんなこともなく、1/15、公園の電気は止められて、しめきられて、駐車場はつかえなくなってた。
パブリックコメントをいくら出しても、ワークショップで意見を出しても、署名を出しても、説明会で心配ごとをつたえても、結局進む新庁舎。予算が通ってさらに進む。予算に反対した市議は4人(畑中さん、遠矢さん、庵下さん、武本さん)。それ以外は賛成。「内容はよくわかってないけどね。」って言ってたけど賛成した前田議員と久保議員。これくらいにならないといけないんだろう。
わたしはみんなの思い出やトイレに困ったらとか、よくテレビに取り上げられる福島食堂に市外からお客さんきたときや飲み会のとき駐車場みんな困るんじゃ?とか知らないけどたくさんの人の困り事を想像しすぎなんだろう。
「いい公園ができてよかったねー」と今の怒りと手のひらかえて言えるくらいだといいなあ。
鹿児島市内のドルフィンポートも壊されるとき嫌だった。結局今なにも建ってない。
辺野古も馬毛島も。そして能登の地震で被害が酷かった場所も。辛い。
修繕は必要です!
でも、「新しくすればいい、新しい場所にうつればいい」、「公園いままでありがとう」と明るく楽観的に思える人たちが羨ましい。
もし「対話」がそこにあれば、この辛い気持ちは少しは楽になれたのかもしれないけど。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?