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ごちそうさまです

仕事の日、昼食にラーメンを食べようとなった。職場の先輩Aと近くのラーメンチェーン店に向かった。
向かう途中、他の先輩2人(以下B・C)と一緒になり、せっかくだからということで4人でラーメンを食べることになった。
先輩Aはいつも自分のことを気にしてくれる優しい人で、先輩Bは主任で4人の中で最年長、先輩Cは職歴が僕の1個上である。

そのラーメン店はずっと気になっていたところで、やっと訪れることができて気分は高揚していた。空腹も相まって、普段は絶対に頼まない大盛サイズを頼んだ。普段は金額を気にしてしまうが、この日は値段に目もくれず食べたいものを頼んだ。こんな小さなことでも、幸せ者だと感じてしまう自分は本当に頭の中がお花畑だと思う。
運ばれてきたラーメンはもちろん熱々で、好みの細麺は柔らかくなく、ちょうどよい麵の硬さでスープによく絡む。とても美味しい。もう一度食べたいな、休みの日にまた来ようかな、なんて1口目を飲み込んだ瞬間に考えた。
平日にもかかわらず駐車場は満タンで繁盛している。土日に食べに来たらもっと混んでるのかな、平日休みじゃなきゃ来れないかと1ヶ月の休日を頭の中で思い出しながら、麺がなくなって店内のライトに照らされた美味しい油が輝くスープを名残惜しく口に運んだ。

テーブルの4つの器の中から麺がほぼなくなったとき、Bさんが「ちょっとトイレ行ってくるわ」と席を立った。
僕たちは「いってらっしゃい」と言いながら各々スープを口に運んでいた。男子はトイレが早い。だけどBさんがなかなか帰ってこない。ラーメンが少し油多めであったから、少し胃腸に負担がかかったのかな?と呑気に待っていた。
「おまたせ~」とBさんが席に戻ってきた。それを合図に、僕たちも席を立った。財布を持ってレジに並んでいると「あ、もう、支払ってあるから。」とBさんは店の外へ出ていった。

支払ってある? まだこちらは払ってないけど?


あ・・・


そういうことか!!!!!


僕たちは急いでBさんの後を追いかける。
「ごちそうさまですっ!!」
一斉に頭を下げた。僕も今までで一番気合の入ったごちそうさまを言えた自信がある。
「全然。午後も頑張って」Bさんは爽やかに去っていった。

めちゃくちゃかっこいいよな、『大人』って感じがしますね、あんなスマートな奢られ方は初めてです、と口々に言いあった。テレビでよく話題にされる奢り方が、現実に、しかもまさか自分が体験するなんて、思ってもみなかった。一瞬で心を掴まれた。不覚にもキュンとしてしまった。

大人になるってこういうことだろ?とか、こんな大人になりたいとか、理想を今まで並べてきた。その中でもBさんの行動はナンバーワンでかっこいいし、憧れる。
でも奢る機会なんてそうそう来ないし、第一そういう場が苦手だから機会がない。ぎこちなく奢っても奢られる側も罪悪感が残るだけだし、こちらもカッコつけた弊害で恥ずかしさがとてつもなく襲ってくるだろう。一発勝負で成功させないといけない、意外と難しいことのように思えた。

自分には難しい。
そう思っていたとき、Aさんと2人でまた別のラーメン店に行った。美味しいラーメンを堪能し、お会計をしようと財布を持ってAさん→僕の順番で並んでいるとAさんが僕の分も一緒に支払ってくれた。
Aさんは家庭を持っていて、まだお子さんも小さい。時間的にも金銭的にも厳しいから、仕事終わりに会社の仲間と飲んだり食べたりすることをなるべく控えている、という話を聞いたことがあった。実家暮らしで独り身の僕でさえ財布の中身を見てため息をつくことがある。世のお父さんたちの懐事情はなんとなく分かる。
Bさんの奢り方をAさんの前でべた褒めしてしまったから、Aさんを奢らなければいけない気持ちにさせてしまったのかもしれない。僕の配慮の無さも原因の1つだろう。それでも僕はすごく嬉しかった。
いくら誰かのことが奢り方を褒められていたとしても、嫌いな奴に奢らないと思う。Aさんの中で(多分)僕は最低限、嫌いな奴ではないのだろう。先輩の中で「しょうがないから奢ってあげられる人」という位置づけでもいい。自己肯定感低めの僕からしたら、それでもとても救われる。
長々とかっこいい奢られ方云々を書いてきたけど、どんな奢り方でも受け取り側はとにかく嬉しいのだ。奢る、という行為の、その隙間から垣間見える相手の心情を読み取ってくれる人にだったら奢ってもいいかなと思えた。



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