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喜びのさなかの不吉な予感(Foreboding Joy)に対処する
最近始まった話でもないのだけど、「喜んでいいはずのできごと・境遇・日常に対して、何か『嫌な予感』が拭えず、心から楽しめない」という気持ちを感じることが多い。楽しかった仕事を終えた、『だけど……』。恵まれた職場にいる、『だけど……』。
実はこれ、実は名前と対処法があるらしい。
ブレネー・ブラウンの著書『本当の勇気は「弱さ」を認めること』の中で、この事象は「喜びのさなかの不吉な予感(Foreboding Joy)」として章タイトルになっている。
たとえば、朝、目覚めると、こう思う。
「仕事は順調、家族は皆健康で、大きな問題は何もない。住まいもあり、健康のために運動をして心身ともに快調だ。だが何だかいやだ。ひどく悪い予感がする。きっと災難がすぐそこに待ち構えているに違いない」
彼女の研究によれば、かなり多くの人が、喜びの瞬間において、傷つく不安を強く感じるらしい。これは、喜びが失われた時に傷つく可能性に対して先手を打とうとする防衛機構だという。「悲劇のリハーサル」という表現がしっくりくる。私もなにかと悲劇のリハーサルばかりしては、そのネガティブイメージのほうにすっかり染まって、つらくなることを繰り返していた。
だが、こうした「慢性的な失望感」に囚われていると、「不確実性やリスク、そして喜びを受け入れる余裕を持てない」とブレネーは指摘する。この説明を私が面白いと思ったのは、プロジェクトマネージャー的なアプローチとして「最悪の結末」を常に考えることは、リスクを取るために必要だと考えていたからだ。しかし、「最悪の結末を受け入れられるかどうか判断する」ことと、「最悪の結末に備えるために喜びを受け取らない」ことの間には、確かに大きな乖離がある。
さて、そこで「喜びのさなかの不吉な予感(Foreboding Joy)」に対する処方箋はこれだ:感謝の習慣化。
「感謝」という言葉は、有象無象のスピリチュアル関係記事で語られすぎている。しかしブレネーの長年の研究から得られた「苦しみを乗り越えるための共通項」であり、Vulnerability(傷つきやすさ)をマネージするために必要な構造であると知れば、信じて行動することは合理的だ。
欠乏感の反対が充足感だとすれば、感謝を実践するとは、「これで十分であり私もこれでよいと認める」ことである。
この引用にある通り、「今この瞬間に感謝する」こととは、「充足感」に意識を強く向ける行動にほかならない。だから、自己受容をはばむ「欠乏感」を緩和することができる。
「感謝の練習」が必要だ。意識的に「感謝すること」を繰り返さないとなかなか習慣化しない。定番の練習方法としては、日記の活用がある(3 good thingsや感謝日記など、ポジティブ心理学方面には多数のTipsがある)。
流れていく平凡な毎日、自由を享受できる環境、少しの達成感の積み重ね、「打席に立つ」チャレンジの繰り返し。これらひとつひとつを「感謝」という習慣でしっかり受け止めること。ブレネーが説く「喜びを浪費しない」姿勢は、「欠乏感」に対処し、自己受容を進めることにつながる。
ブレネー・ブラウンは、2011年のTED Talks(6千万回再生!)をきっかけに、Vulnerability(傷つきやすさ)とShame(恥)の研究者として広く知られている。以前から知ってはいたが、今回「自己受容」「自己承認」というテーマを掘り下げる中で出会い直した。Vulnerabilityというコンセプトは、Compassion(慈しみ)にも強く関連する。
『本当の勇気は「弱さ」を認めること』(原題 Daring Grately)には、個人の生き方についての示唆だけでなく、「文化としての欠乏感」など、集団や組織に対する示唆も多く含まれる。ロバート・キーガン『なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか』とあわせて繰り返し読んでいきたい。
参考記事
Photo by Scott Evans on Unsplash
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