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【インタビュー】そのへんの、島でずっと生きていくかもしれない人

このnoteは、ちゃこさんインタビュー連載【そのへんの一般人】に触発されて書いた、友人へのインタビュー記事です。取材日:2019/7/29

瀬戸内海に浮かぶ小さな島・男木島(おぎじま)へ、高松港からフェリーで40分。男木港で船を降り、でかいタコツボの作品がある辺りに歩いていくと、島の人たちがお店を出している「島テーブル」という一角から、ごきげんなおじさんの声が聞こえてきた。

『いやあ、これは丁寧なお料理ですよ。』

そのブースではひとりのおばあちゃんと一緒に、長い髪を束ねた30歳の女性が、焼き鯛を乗せた冷や汁をてきぱきと準備していた。

彼女が、この記事で紹介する石部香織(以下、石部ちゃん)だ。

石部ちゃんは「食の仕事がしたい」と言って3年前にうちの会社を辞め、高松市の地域おこし協力隊として男木島に移住した。

弘前での農場ステイ(WOOOF)経て移住に至るまでのストーリーはWoman typeの記事をどうぞ。

冷や汁を売る

——きょうの冷や汁のお店はどんな風に始まったの?

「まあ、昨日から始まったんですけど」

——きのう。

「もともと2年前に『島の人にお弁当配達がしたい』と思って準備を始めてたんです。島のおばあちゃんたちからは『まだか』『早くしないとしんでしまうよ』『生きているうちに始めてほしい』とかずっと言われてきたけど、飲食提供の経験もないし、最初から配達だと時間内に配達できる気が全然しなくって、それで、まずはお店を出すところから。」

——なかなかのプレッシャーのかかり方ね…

「6月の灯台まつりのとき、ちょうど泊まりにきてくれていた友人といっしょにお弁当のお店をやりました。彼女のおかげで、お店デビューできた。」

「でも、瀬戸芸の夏会期(※)がはじまって、いざ一人で同じメニューをやってみたら、仕込みも盛り付けも全然終わんないの。ぎりぎり出店できたのがお昼の12時ぐらいなんだけど、もうピーク過ぎちゃってて、けっこう売れ残りが出ちゃった。でもこれ、頑張っても時間巻けないなーと思って、おにぎりみたいに当日しか準備できないものをやめて、もっと仕込みの割合が多いものを…

ということで、冷や汁になりました!」

瀬戸内国際芸術祭2019 夏会期「あつまる夏」は、7/19から8/25まで。秋会期はそのあと9/28から11/4まで。

——冷や汁だったらひとりでできそうなん?

「鯛をさばくのも慣れてきたしね。きのうはうっかり冷や汁が『ぬる汁』になっちゃうアクシデントがあったけど、きょうはおだしを凍らせておいて対策した。

夏会期中は、これをブラッシュアップしながらやっていこうと思ってる。」

麦畑を開墾

——「食の仕事を」って思って島に来たわけでしょ。これまでの仕事はどんな感じなの?

「さいしょは、前職でやってた受託制作みたいな形で、ライターみたいな仕事もいいかなと思って『男木と献立』っていうブログをやってた。
でも、せっかくここに来たんだから、ここでしかできない仕事、『自分の手で何かつくり出す仕事』がしたいなと思った。

それで、島のおばあちゃんたちに昔ながらの料理を教わる中で出会ったのが『男木味噌』。これこそ男木島ならではの『味わい深い食文化』なんだと気がついたんです。」

「ムシロで糀を発酵させて、『よし、いまだ!』っていうタイミングで大豆を煮始めて、あわせる。長年の技が代々引き継がれて、家によって味が違う。
わたしもこの味噌が好きだから、つくれるようになりたいな…
しかもせっかくつくるなら、素材ぜんぶ男木島産にしたいな…

そう思って、まずは大麦を。」

——大麦。

「男木島って傾斜がすごいから、田んぼができなくって、昔はみんな麦を主食にしてたの。いまはどこも林になってるけど、人口が多かった頃は島のてっぺんのほうまで一面麦畑だったみたいだよ。」

——麦畑をはじめたの?

「去年の秋から、ちいさいところを借りて始めた。

でも最初の開墾がほんとに大変で!」

——開墾が。

「チェーンソーと草刈り機持って友だちに来てもらって、あとでっかいトラックにユンボ(※)積んできてもらって、それでなんとかできたっていう感じです。

島の人に『島に個人でユンボ呼んだ人初めて見たっす』って言われたから、次はもうちょっと自力で開墾したいな。」

ユンボ=バックホウ=いわゆるショベルカーっていうやつ。

——第1回の収穫はどうだった?

「猪か何かに食べられちゃって、ことしは実が小さかったけど、ちゃんと金網をするっていうのを覚えたから次はきっと大丈夫。」

——試行錯誤やな…

「収穫してからも…
とりあえず手刈りしたのを『はざかけ』って言って干すんだけど、麦の束を紐で結ぼうとしたら大変すぎて、でも束ねる量が多くないと全然終わらないから、今年はブルーシートを畑の畝にばーっと敷いて、なるべく穂が重ならないようにして、5日間たまたま雨が降らなかったから干せたんですよね。逃げ切った。今年は。

次は『こきばし』っていう弥生時代の道具で脱穀して…

——令和の時代にひとり弥生時代やってる。

「来年は中古の機械をヤフオクで買って、昭和ぐらいまでは時間の針を進めたい。」

あと半年で

——3年前より、すごく、たくましくなってるなと思って。

「できる気がしなかったことでも、やらないと生きていけないから、できるようになっていくよね。

重いものを運ぶのとか、持てるキロ数が増えてく。今は、30kgぐらいはいける。」

——協力隊の期間が終わったらどうするの?

「協力隊にもいろんなスタンスの人がいて、観光協会とかコミュニティセンターをプロジェクト的に手伝う=期間が終わったら仕事も終わりっていう人もいる。

でも私は、協力隊の仕事がしたくて来たんじゃなくて、男木に住みたいから来たんだよね。だから、島の人にも『あれやれ、これやれ』って言われずに、自分がやりたいことに100%時間投下させてもらってる。」

——任期、あと半年(※)でしょ。いけそう?

「全然!(笑)」

地域おこし協力隊の委嘱期間は1年以上3年以下。

——実際どうなるの?

「お店だけでガンガン稼ぐぞっていうのもストレスになりそうだから、最初は島の中にある『こなせば確実にお金もらえるバイト』を並行してやっていって、心の平穏を得ようと思ってる。」

この写真はダモンテ商会さんでフルーツソーダをいただきながら。

***

そんなことを言いながらも、石部ちゃんは島テーブルの出店をきっとどんどん軌道に乗せていくんだと思う。道行くおばあちゃんと笑い合い、男木島図書館のカフェで店主と鯛の仕込みについて相談する姿は、すっかり島に根を下ろしているように見えた。

チャーミングな彼女の冷や汁をいただいてみたい方は、高松港10時発の「めおん2」で男木へ。夏休みのフェリーは甲板に立錐の余地もないほどの混雑ぶり(お盆は激混みのはず)だと思うけど、男木島にも行く臨時便も出ているみたい。岡山→高松までは、マリンライナーで1時間。意外と、すぐ会えるところにいる人かもしれない。

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男木島にある瀬戸芸の作品についてはこちらもどうぞ。

元祖「【インタビュー連載】そのへんの一般人」はここからスタート。


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illy / 入谷 聡
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