「夢中」には二段階ある?
インターネットのおかげで、
色々な人の話を聞くことができる。
そうすると、
「どうも人によって使っている言葉の意味が違う」
と思えてくる。
「凡人」と「天上人」では、
同じ言葉を使っているようでもレベルが違う。
そういうふうに思えてならない。
その一つが、例えば、
「夢中」という言葉。
「夢中」には二段階ある?
誰もが知っている「夢中」の意味は、
「他のことが目に入らないくらい集中する」
「没頭する」
みたいなこと。
これは誰もが知っている、
「夢中」の意味だと思う。
これは凡人も天上人もたぶん一緒。
ただ、そんな誰もが知る「夢中」は、
天上人にとっては、
「夢中レベル2」と言い表せるかもしれない。
天上人は常に「夢中レベル1」。
天上人の「夢中」について考えてみる。
もちろん天上人にも、
他には何も目に入らない。
そんな夢中状態があると思う。
ただ、それだけじゃない。
天上人にとっては、
日常が「夢中レベル1」
だと思うんですよね。
つまり、天上人は、
何もしていないときでも、
頭の片隅で常に何かに意識が向いている。
誰かと話しているとき、
映画を見ているとき、
本を読んでいるとき。
そういうときでさえ、
頭の片隅で何か考えるべきこと。
それがあるのだと思う。
日常生活を過ごすにしても、
仕事をするにしても、
常に考えるべき「テーマ」みたいなものがある。
そんな命題について常に考えている、
「プチ夢中状態」がある。
それを仮に「夢中レベル1」とする。
そして、誰もが知る夢中を、
「夢中レベル2」としてみます。
凡人は「夢中レベル2」を一気に目指す。
ぼくみたいな凡人にとっては、
「普通の状態」と「夢中レベル2」しかない。
だから、
「何もしていないか」
「何かに夢中になっているか」
そんな0か100しかない。
白か黒かしかない。
そうして、凡人は、
一気に夢中レベル2に行こうとする。
自分が夢中になれる何かを探している。
でも、それはハードルが高い。
夢中になれるときはなれる。
だけど、その他のときは考えない。
そういう意識だと無理なのかも。
そうやって0か100かで夢中を考える。
そうすると、
「常に何かに夢中になっている」
そんな状態に行くのは、
夢のまた夢なんでしょう。
まとめ
ということで、
ぼくみたいな凡人が取るべき戦略は、
日常的に考えるテーマを決めて、
実際に考え続けること。
それを世間では、
「価値観」だったり、
「使命」だとか、
「人生のテーマ」だとか言うのかもしれない。
そうやって自分で自分にテーマを付ける。
そうすることで、
そのテーマに沿った視野を持つことができるのではないか。
視野が狭くなるとは違うと思う。
情報の溢れるこの世界で、
一本の筋を通すみたいな。
そんなイメージだと思うんだけど、
どうでしょう?