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成功する=補助輪を外す?
「成功する」ってどんな感覚なんだろう?
って妄想してみた。
そのひとつの答えが「基準が上がる」ではなかろうか?と思った。
例えば、自転車の補助輪。
自転車の補助輪。
最初はみんな「補助輪」をつけて自転車に乗っていた。
だけど、あるときに大人にむりやり補助輪をはずされる。
「やればできるよ!」って。
幼い頃の自分からしたら怖い。
今まであった補助輪が急にはずされる恐怖。
「無理に決まってるだろ!」と思ってた。
ただ、いざ練習して、補助輪なしで自転車に乗れた。
より速く、より遠くまで、自転車で行けるようになる。
大人の仲間入りをした感覚になる。
自分が成長したことを実感できる。
そして、思うのが、
「もう補助輪があった頃には戻れないな」という感覚。
もう補助輪をしないでも自転車に乗れることを覚えてしまった。
そのときからすでに、もう後戻りすることは考えてない。
むしろ「なんでもっと早く補助輪を外していなかったんだろう?」という疑問さえ浮かぶかもしれない。
おわり
何かで成功を収めた。
そういう人にとっては「今までは補助輪を付けていた」みたいな感覚なのかな。
もうあの頃には戻れない。
もう自分にはできることを知ってしまった。
だったらもう一度できるはず。
そういう感覚なのかもしれない。