【連載小説】第二部 #5「あっとほーむ ~幸せに続く道~」自分探しの旅
前回のお話(#4)はこちら
<悠斗>
五
めぐが突然アルバイトを始めると言い出した。一度決めたら意志を曲げないめぐ。まずは近所の小さな食堂で短期間雇ってもらい、社会勉強を兼ねて料理の修業をするのだという。
「わたし、もっともっと二人の役に立ちたい。そのためにも自分を成長させたいの」
このままでは三人暮らしも破綻する。めぐもそれに気づいたからこそのアルバイトなのだろう。
前向きなめぐの言葉を受けて、おれも何か行動を起こさなければという気持ちになる。この、穏やかだが代わり映えのしない日常には、いくらかの刺激と変化が必要だ。
めぐの夏休みも終盤にさしかかっている。夏が、終わる。そう思ったとき、胸がチクリと痛んだ。亡くした愛菜の顔が脳裏に浮かぶ。
愛菜を亡くしたのは遠く離れた沖縄の海。母親の生まれ故郷だが、愛菜の死後は一度も訪れていない。当時の苦い出来事を思い出すのが怖かったからだ。
愛菜の死は、ここ数年で乗り越えたつもりだ。でも、胸を張って乗り越えたと言い切るためにはやはりあの海を訪れ、花を手向けなければならない。
*
その晩。翼はいつものようにおれの隣の布団に横たわった。進展のない日常。不満と苦悩を抱いているのは彼も同じはず。おれは思いきって相談を持ちかける。
「少しの間、家を空けようと思う。自分探しってやつをしてきたいんだ」
寝るつもりだったであろう翼は、おれの発言を聞いて飛び起きた。
「マジかよ……。少しってどのくらい?」
「まー、五日くらいかな。仕事もあるし。五日で自分探しが出来るのか、分からないけど」
「そっか……。でも、その間どうすればいい? 悠斗が不在だと、この家には俺とめぐちゃんだけになっちゃうぜ?」
「ああ、そこで相談なんだけど、おれがいない間、翼もめぐと距離を取って欲しいと思ってる。お互いに一人の時間を作ろう。それぞれが成長して、それからまたここで暮らそう」
「それぞれが成長する……か。確かに必要だよな」
翼はぽつりと言い、天井の隅を見つめた。
「分かった。たったの五日だろ? まだ夏休みだし、めぐちゃんにはアキ兄の家に戻ってもらうよ。で、俺がこの家に残る。そうすれば何の問題もない。その間、俺も何かしら自分なりの答えを見つけておくよ」
「サンキューな」
「……念のため確認しておくけど、そう言っておきながら出て行っちゃうなんてことはないよな?」
「大丈夫、ちゃんと帰ってくるよ。この指輪に誓ってな」
心配性の翼の目の前に指輪を見せる。おれはもうかつてのおれではない。待ってる人がここにいる。だから、どこへ出かけていっても最後には必ずこの家に戻ってくる。
◇◇◇
沖縄を訪れるのは実に二十年ぶりだ。おれと、おれを取り巻く環境は様変わりしたが、海は何一つ変わっていない。あの日と同じように美しく、波が寄せては返す。
前日の晩のうちに沖縄入りしたのは他でもない、観光客や海水浴客がいない早朝の海を訪れるためだ。弔いをするなら静かな海に限る。沖の方まで泳いでいったおれは、愛菜を想いながら花束を海に預けた。しばらくぷかぷかと浮いていたそれはやがて波に呑まれて沈んでいく。
恐怖は感じなかった。むしろ、比較的穏やかな波が、おれの意思を汲み取って死者のもとへ花束を届けようとしているように思えた。愛菜のため、そして海の神に幼い命を奪わないで欲しいと伝えるためにそっと手を合わせ、祈る。
「うんじゅん、たーがなうしなたるがやー?」
海から上がると沖縄弁で声を掛けられた。顔に深くシワの刻まれた男性。八十代くらいだろうか。それが方言だと分かっても、さすがになにを言っているのかまでは分からない。失礼だと思いつつも聞き返すと、「あなたも誰かを亡くしたんですか?」と標準語で言い直してくれた。
「はい、娘を……。そちらも?」
「私は友人ですがね。……好きな人を奪い合って死に追いやってしまったんですよ」
男性の言葉に思わず目を見張る。
「……なぜ、初対面の人間にそんなことを?」
「あなたを見ていたらふと、思い出しましてね。若い頃の話だから、私の中でもケリのついていることだったのですが。……海が記憶を連れてきたんでしょうな」
男性はしみじみと語る。
「……妻も分かっていましたよ。彼女もまた友人を追い詰めた、と。だからこそ……自分たちは友人の分まで生きなきゃいけない。奪い取った幸せを噛みしめなきゃいけないってね。……その妻も数年前に亡くなって、私は今、一人になってしまいましたがね」
「……後悔してるんですか?」
「まさか……。人生はすべて、自分が最善だと思って選んできたことの積み重ねで出来ているのに。あなただってそうでしょう? でなきゃ、こんなひなびた海岸に朝早くから花を手向けに来るはずがない」
悩みを抱えてここにやってきたことを見抜かれたような気がした。
「……あなたは超能力者ですか?」
「いやいや……。人生経験豊富な、ただの年寄りですよ」
「あー! オジイ! ここにいたんだ! うちに帰るよ!」
声のする方をみると、ニコニコしている男性の後ろから、ちょうど翼くらいの年齢の男がやってきた。おれと話をしていると分かると、若い男は軽く頭を下げてから言う。
「……あの、変なこと言ってませんでした? 若い頃の話とか」
「えっ?」
「祖父はいつもこの海岸で若い人を見つけては話してるんですよ。祖母を亡くしてから寂しいみたいで。だから、気にしないでください」
「そうなんですか……。でも、心に響く話が聞けておれはよかったです」
「本当ですか……? ボケが始まってるからどこまで真実やら……。とにかく、オジイ、帰ろう。な?」
孫とおぼしき男性は祖父の肩を抱き、ゆっくりとした歩みで去っていった。
残されたおれは今聞いた話をじっくりと噛みしめる。
多少の嘘が混じっていたにせよ、自分の幸せを選んだことで友人を死に追いやった、とあの人は言った。なのに、後悔してはいない、と。
(例えばおれが翼を押しのけてめぐと結ばれたとして、心から幸せを感じられるだろうか。そもそもおれは、あいつを傷つけてまでめぐと結婚したいのか……?)
出会ってすぐの時ならイエスと言っていただろう。めぐを勝ち取った暁には心から喜んだに違いない。だけど今のおれにとって翼は息子のように大切な存在だ。だからこそ悩んでいるし、前に進めずにいる。
――もう、答えは出てるんじゃないのか?
内なるおれが言う。
――悠斗は翼を傷つけたくない。傷つけるくらいならいっそ……。
(そうさ……)
内なるおれの言葉を遮るように思いを告げる。
(おまえの言うとおり。たぶん、それが本心なんだと思う。だけど、翼がそれをよしとするかどうか……。問題はそっちだろうな)
めぐとの結婚を打診された頃のおれは、自分が幸せになることを第一に考えていたし、そのためにももらった話を実現させなければと思っていた。めぐもそれを望んでいるから、と。しかし野上家の面々と接し、ともに暮らす中でおれは幸せを手に入れてしまったのだ。そして皮肉なことに笑うことが増えた結果、自慢だった若作りの顔には笑いじわが深く刻まれ、年相応になりつつある。
さっき出会った老齢の男性もしわくちゃな顔をしていた。あれはきっとあの年齢まで幸せな人生を生きてきたからに違いない。話す口ぶりからは、亡き友人から妻を勝ち取った自信、そしてその後の人生を悔いなく生きてきたという誇りが感じられた。豊かな人生があのような顔を作るのだとすれば、そしておれもそれに近づいているのなら、年相応に老いていくのも悪くはないのかもしれない。
*
その日は市内でバイクをレンタルし、一日ツーリングをした。海沿いの道をひたすらに走る。一人きりで走っていると、野上家で世話になる前の自分を思い出す。あの頃は本当に孤独だった。一切笑わず、ほとんど話さず、仕事と寝食をするだけの日々は無味乾燥だった。もしあのまま一人きりの暮らしを続けていたら、遅かれ早かれ死んでいただろう。
今のおれには野上家の面々――めぐや翼――がいる。離れていても繋がっている実感さえある。これが家族ってやつなんだとしみじみ思う。
途中、街中のコンビニに立ち寄って休憩を取る。店の外でスポーツドリンクを飲みながら点在する家々に目を向けると、ここで暮らす人々の日常が嫌でも目に入ってくる。
周辺は観光地で方々から人がやってくるが、住人にとっては見慣れた景色。いつもの場所。そしてここでの暮らしがすべてだ。結局人は、自分が「ここ」と決めた場所で懸命に生きるしかないことを改めて知る。
どんなに華やかな結婚式を挙げ、親戚や友人に祝福されたとしても、日常こそが、泥臭い毎日こそが人生の本番である。心から笑う時間より悩み苦しむ時間の方が長いし、同じことを繰り返すだけの日々に生きる目的を見失うこともある。
おれだってそうだ。限られた人生をなんとかいいものにしたくて何度となく年齢に抗おうとした。が、過ぎていく時を止めることも巻き戻すことも出来ないと悟り、抵抗するのをやめたのはつい最近のこと。あの頃出来なかったことは永遠に出来ないまま。失敗したことも失敗したまま。ティーンになったつもりであれこれ挑戦もしたが、所詮四十代のお遊びでしかなかったと気づいてしまったからだ。
どんなに気持ちが若くても、おれの人生は折り返し地点を過ぎている。そして終盤に向かって進み続けている。ならば、過去に叶わなかった人生のイベントを後半戦でこなすより、中年なら中年らしい生き方をするのが自然なのではないか。それこそが、真に幸せな人生と言えるのではないか。バイクを走らせれば走らせるほど、そんな思いが胸を支配する……。
*
ツーリングを終え、今日泊まる宿に向かう。すると、受付に見覚えのある顔があった。向こうもそう思ったのか、お互いに「あっ」と声を出す。
「今朝、お会いした方……ですよね? オジイと話していた……」
「そうです。鈴宮って言います。……ここの宿の人だったんですね?」
「家族で民宿を営んでいまして。あー、ちなみに祖父が開業した宿なんですが、今は引退して父と母がメインでやっています」
「なるほど。……おじいさんもこの宿に?」
「いえ。祖父は宿の隣の自宅に。……お呼びしますか?」
「その必要はないよ」
振り向くとそこには「オジイ」が立っていた。まるでおれが来るのが分かっていたかのようだ。その証拠に、オジイはおれを手招きした。荷物を預けたおれは黙ってオジイについていく。
宿からちょっと行くとすぐに海が広がっている。オジイが砂浜に座ったのでそれに習って隣に腰を下ろす。
海風が心地いい。ふと空を見上げると、関東とはまるで違う星空が広がっていた。聞こえるのも波の音だけ。つかの間、自然と一体化したような錯覚に陥る。
と、目の前をオレンジ色の球体がゆっくりと横切った。一つかと思いきや、二つ三つと増えていく。
「ほーら、人魂が集まってきましたよ」
オジイが静かに呟いた。
「人魂……。オジイが呼んだんですか?」
「さぁて、どうかな……?」
「やっぱりあなたは他の人とは違う」
「自分はただ霊感が強いだけですよ。……人魂が見えるあなたもね」
「……オジイといるから見えるんじゃないんですか?」
「いやいや。あの世の人と波長の合わない人には絶対見えない。そういうものですよ」
嘘をついているようには思えなかった。つい、本音が口をついて出る。
「……成仏している家族の魂に触れることも出来ますか?」
「あなたが望めば。身体を持たない魂は移動も自由自在らしいですから」
そう言ってオジイは微笑んだ。おれが何を望んでいるのか、分かっているに違いない。
まるで夜の海を散歩するかのように、人魂たちは周辺をふわふわと漂っている。この中に亡き家族はいるのだろうか? ……しかし、会えたとして何を話す? ただ懐かしさに浸りたいだけなのではないか? それは生きているおれのエゴではないのか……?
そんなことを思っているうち、三つの人魂がおれの前に集まってきた。そしてあっという間に形を変え、見覚えのある姿になった。
「お袋、親父……。愛菜……」
在りし日の姿で現れた三人。微笑むその姿に思わず目頭が熱くなる。涙をこぼすまいとまぶたを押さえたらさっそく母にツッコまれる。
『なによぉ、悠斗。会いたかったんじゃないの? せっかく会いにきたんだから、ちゃんと笑ってくれなくちゃ。ねぇ、お父さん?』
『そうだよ。こっちはこっちで楽しくやってるから、悠斗も現世で楽しくやればいい。人の心配なんてしなくていいんだよ。悠斗が一番したいことをするのが一番幸せなんだから』
まるで、最近あれこれ悩んでいるおれの内心を知っているかのような口ぶりだった。魂の状態になると、生きている人間の心にも簡単に触れられるのかもしれない。
なぜおれを置いて先に逝ってしまったのか。みんな、別れが突然すぎやしないか……。言いたいことは色々あった。が、魂の姿の亡き家族にそんなことを言うのは無意味だと気づいて言葉を飲み込む。
黙していると、愛菜が飛び跳ねるようにしておれの眼前に顔を寄せてきた。そして満面の笑みを浮かべて言う。
『聞いて、聞いて! おとーさんが前を向いて生きているおかげで、愛菜はもうすぐ生まれ変われそうなんだ。それを伝えたくて』
「えっ、生まれ変わる……?」
愛菜の言葉に思わず身を乗り出す。愛菜は続ける。
『おとーさんと再会できるかもしれないってこと。ずっと神様にお願いしてたら、生まれ変われる順番が回ってきたんだー』
「そうか……。また、愛菜に会えるのか……」
『生まれ変わるとき、今の記憶はなくなっちゃうんだけどね……』
「えっ……。もし生まれ変わっちゃったら、こうして話すことは出来なくなるってことか?」
『うん……。だけど、新しい思い出は作れるよ!』
「新しい思い出、か……」
『前を向いて生きているおとーさんなら、愛菜と話せなくなっても大丈夫だよね? 新しい愛菜ともうまくやっていけるよね?』
「……ああ、そうだな」
口ではそう言ったものの、まだしっくり来ていない自分がいた。生まれ変わるということは、赤子の状態でこの世に生を受けるという意味だろうか……。それはつまり……。
「愛菜は……おれの子どもとして生まれ変わろうとしているのか……? それを望んでいるのか……?」
どうしても聞いておかねばならなかった。それが愛菜の望みなのかどうかを。答え次第では重大な決断を下さなければならなくなるからだ。
ぼんやりとしか見えないが、それでも愛菜がおれを凝視しているのが分かった。愛菜ははっきりとした口調で言う。
『それは愛菜が決めることじゃない。生きているおとーさんが決めること』
ハッとする。いつの間にか決断することを放棄していたと気づかされる。愛菜がおれの子どもとして生まれ変わりたいと言ってくれたらそれに従って行動すればいい、と……。
「そうだよな……。お父さんが自分で決めなきゃいけないよな……」
『そうそう。愛菜は、おとーさんが幸せならそれでいいんだから。おとーさんが、一番幸せになれる人生を選んで、ね?』
「ああ、分かった。お父さんはこれからも幸せに生きるよ。それだけは約束する」
『きっとだよ? ……また会おうね! あの家で待ってるから!』
愛菜はそう言うと、両親の手を取った。そしてまたオレンジ色の光に戻ってふわふわと漂い始めたかと思うと、遠くの空に消えていった。
「……家族との対面を果たしたようですな」
オジイの声が耳に入り、現実に引き戻される。他のオレンジ色の光ももう見えなくなっていた。
「……死んだ家族に改めて教えられました。自分の人生は自分で決めるのだ、と。ずっと迷いがあってこの地にやってきましたが、やっと決断できそうです」
「うむ。それはよかった。どんな人生でも、生きている限り決断の連続です。そして選んだ道が最善です。だから、どんな決断を下しても自分の決めたことに誇りを持っていいと私は思いますよ」
「はい」
「沖縄にはいつまで?」
「三、四日はいるつもりです」
「なら、その間はまたオジイの話し相手になってくれますかな? あなたとは気が合いそうですから」
どうやらオジイに気に入られてしまったらしい。泊まる宿は特に決めておらず、当日に決めるつもりで考えていたから、オジイの民宿に連泊するのは何の問題もない。
「わかりました。じゃあ、沖縄滞在中はここに泊めてもらうことにします。ぜひオジイの昔話を聞かせてください」
おれが興味を示すとオジイはくしゃくしゃの顔に更にシワを作って笑った。
(続きはこちら(#6)から読めます)
登場人物紹介(復習用):
鈴宮悠斗:
彰博、映璃とは高校の同級生。二十代のころ水難事故で娘を亡くし、それを機に離婚。その後は独身を貫く。八年前に母の危篤の知らせを聞いて帰郷し、それ以来川越で暮らしてきた。めぐとは「恋人同士」。四十八歳。
野上めぐ:
零歳の時、彰博、映璃の養子となる。八歳のとき悠斗と出会い、それ以来「友だち」として交友を深めてきたが、実は早くから好意を寄せていた。現在、悠斗とは「恋人同士」。高校三年生。十八歳。
野上翼:
彰博の甥。父親は野上路教みちたかで、元K高野球部主将。彰博、映璃のことを兄姉のように慕って育つ。めぐは従妹に当たるが以前から好意を寄せており、猛アタックの末、恋人関係に。幼稚園教諭。現在二十八歳。
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