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【連載】チェスの神様 第二章 #10 決意

#10  決意

 鈴宮が殴ったことはすぐ先生に伝わり、一時間目の休み時間になるや、二人そろって進路指導の先生に呼びつけられた。
 僕は騒ぎを大きくしたくなかったから「けがは大丈夫」の一点張りをした。一方の鈴宮は「野上が悪い」と自己の正当性を主張。結局、今回は大目に見るが、こういうことは進路に大きく影響するから「絶対に」慎むようにといわれて解放された。
 そんなことがあったから、教室のどこにいても鈴宮が鬼の形相でにらみつけてくるし、周りの人間も僕の行動を監視しているように思えて、とてもエリーに会える雰囲気じゃなかった。
 どうしてこんなにも僕のほうが遠慮しなくちゃいけないのか分からない。
 また鈴宮にやられるのが怖いから?
 違う。
 エリーに危害が及ぶのが怖いんだ、きっと。
 鈴宮なら、今日のことをきっかけに、エリーを組み伏せたり脅したりするかもしれない。それが怖いんだ。
 放課になり、部活動の時間がやってくると、僕はわき目も降らずに部室へ向かった。部活だけは僕らが唯一、公然と会える時間だ。誰にも文句は言わせない。
 部室の前でエリーが来るのを待った。鍵を持ったエリーはほどなくしてやってきた。
「あぁ……。アキ、ごめんね。私、こんなことになると思ってなくて……。痛い思いさせて、ごめんね」
 僕を見るなり、エリーはそういって僕の顔に触れた。今朝殴られたところが青あざになっているのは、トイレに行ったとき鏡で確認済みだ。放っておけば痛みは感じないけど、触られたら鈍痛がした。でも、エリーの柔らかくて温かい指が触れているというだけで痛みなんてどうでもよくなった。むしろ、殴ってくれたことに感謝の気持ちすら湧いてきたほどだ。
 鍵を開け、部室に入る。後輩が来るまでわずかな時間しかないが、今は二人きりで話ができる。
「今朝の出来事は耳に入ってるってことだよね?」
「うん……」
「鈴宮に別れるって言ってくれて、僕は嬉しいよ」
「でも、悠があんなふうにアキに突っかかると知っていたら私……」
「鈴宮って前からそういうやつだったから気にしてないよ」
「そうかもしれないけど……。ゴールデンウイーク明けの学力テストの点数、競い合うんでしょ? 私、アキの成績、知ってるよ? もう、気が気じゃなくて」
「はは……。そりゃあ、十日くらい猛勉強しないと無理かもね。でも、昨日言ったでしょ。お互いに自分のやりたいことを見つけたら……ご褒美くれるって。そのためのいい練習だと思ってる。ライバルいたほうがやる気も出るっていうじゃん?」
「へぇ……。アキってば、いつからそんなに前向きになったの?」
「多分、兄貴の影響かな」
「もし……。もしアキが負けちゃったら私、どうしたら……」
 その手が僕の手に触れる。僕は優しく握り返す。温かさが愛おしい。
「大丈夫。がんばるからさ。……でも二つだけ、お願いしていいかな」
「なに?」
「英語と古典、教えて……。ほんと、苦手なんだ……」
「OK。それなら私に任せてよ。いつもクラスで三位以内の成績、キープしてるからね」
「助かるー」
 今まで誰かと勉強したことなんてなかったけど、今度ばかりは一人でやるには限界があるとわかっていた。自分で仕掛けた勝負でもある。絶対に高得点を取らなければいけない、大事なテスト。エリーのためでもあり、僕のためでもある。
「もう一つのお願い事は?」
 エリ―の問いに、僕は定跡本とチェスセットを手渡した。
「預かっていてほしい。テストの日までは勉強に集中したいから」
「……本気ってわけね。わかった。大切に預からせてもらうわ。で、勉強はどこでやろうか?」
「図書室はどう?」
「ゴールデンウィーク中って開いてたっけ?」
「あー、そうか」
「中央図書館は? 静かでいいよ」
 エリ―の家の近くにある市立図書館のことだ。なるほど、勉強するのにはうってつけの場所に違いない。
「OK。きまり」
 話がまとまったところで後輩たちが一気に部室になだれ込んできた。入ってくるなり僕らに駆け寄り、拍手を浴びせる。
「副部長! 部長との恋、成就したんですね! おめでとうございます!」
「部長も、副部長のこと、やっぱり好きだったんですね。この前はあんなこと言ってたくせに! このこのぉ!」
 どうやら二年生にも話が伝わっているらしい。
「あんたたちって面倒くさいわね! 私たちのことは放っておいてくれない?」
 エリーが顔を真っ赤にして反論するが、その姿は、僕からすればもう、ただかわいいだけだ。僕自身、表情を保つのが難しくなったから、顔をそむけて窓を開け、外を見た。三階なら、僕がどんなににやにやしていてもバレないはず。
「こんなに嬉しいことを放っておけるわけないじゃないですかぁ!」
「そうそう! で、どんなふうに告白されたんですか? 教えてくださいよぉ!」
 後輩たちはエリーを取り囲んでまだ盛り上がっている。今日はしばらく、部活どころじゃない雰囲気だ。
 そういう僕もきっと、チェスに専念はできないんだろう。エリーといれば、エリーのことしか見えないし考えられない。で、家に帰れば勉強だ。
 ……あれ? 勉強嫌だなぁって思ってない、僕。自分で自分のことを、単純でちょろいやつだなぁって思う。
「アキ! 部活、始めるよっ!」
 エリーが僕のすぐ横にやってきて背伸びをし、顔を覗き込むように言った。
「……あのさぁ、照れるからそんなに顔を見ないでくれる?」
「後輩たちに根掘り葉掘り聞かれるくらいなら、アキの顔を見てたほうがマシ」
「僕だって、エリーだけを見ていたい。でもそんなことしてたら、やっぱり冷やかされる」
「もう、今更なにをしてたってあの子たちはそういう目で見て、そういう反応してくる」
「そうだろうね。でもさ、ここで見世物になるくらいなら、部活サボって二人で市内をぶらぶらしてるほうがいいと僕は思うね」
「うーん、それもそうね……。どうする?」
 エリーの顔が本気で、部活か、サボるかを聞いている。その眼が僕をじっと見つめる。
 あぁ、ダメ。息が止まりそう。
「お前ら。まだ準備もしてないのか? ちゃんとチェスをしろ、チェスを!」
 突然、顧問がずかずか入ってきて、僕とエリーをキッと睨みつけた。何を隠そう、この顧問こそ、今朝僕をしかりつけた進路指導の先生である。いつもは部活が終わるころに顔を出すか出さないかなのに、騒ぎが起きたとたんにこれだ。
「ここにいる間、吉川と野上は、チェス部長と副部長なんだから、役職通りのふるまいをしてくれないと困るな」
 これを言うために顔を見せたに違いなかった。だけどエリーはきっぱりと、
「これは私たちの問題です。先生は口を出さないでください」
 と言った。さすがの顧問も驚いている。
「こりゃあ、吉川の担任の先生にも相談したほうがいいかもしれないなぁ……」
 顧問はボソッとつぶやいた。


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いろうた@「今、ここを生きる」を描く小説家
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