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【連載】チェスの神様 第一章 #7 家族
#7 家族
「……あのさぁ、駒っちゃん。やっぱやろうか、結婚パーティ」
唐突に兄貴が言った。
「せめて親族ぐらいにはきちんと披露宴しとこうかなって。おれ自身、一人前になったって、証明したいし。……特に母さんには」
「本当に? 仕事が忙しいんじゃ……」
「忙しいのはほんと。だけど一日くらい平気だよ。……実を言えば、仕事を言い訳に使ってたんだ。でき婚し、駒っちゃんはうんと年上だし、そのことで何か言われるんじゃないかって。……もっと言うと、母さんに否定されるのが怖かったんだ。だから必死になって駒っちゃんと母さん近づけて『いい人なんだから認めてくれよ』ってアピールしてた……つもり。……サイテーだよな、おれ。自分の世間体のために家族を振り回してさ」
いけこまと僕は互いに顔を見合わせた。
「兄貴、素直に言えるようになったね」
「そうね。あたし、うれしい……。ようやくあたしたち、家族になれた気がする」
「そう、かな」
「これからも、隠し事はなしね」
「うん」
二人は見つめ合って笑った。
「彰博君、ありがとう。おかげさまで、あたしたち、これまで以上にちゃんとやっていけそうよ」
いけこまがかしこまってお辞儀をした。
「僕は何も。兄貴をちょっと困らせてやりたかっただけだから」
「ちょっとどころじゃねぇ、うんと困らされたぜ。でもまぁ、久々に家族のありがたみを感じられた気ぃするわ。結婚パーティ、彰博の会費はおごってやるか」
「そうよ、そうしましょ」
「んで、やる時期なんだけど」
ここからはまじめな話、とばかりに兄貴は僕たちを見る。
「さっきは仕事を口実に避けてたって言ったけど、実際これから休みにくくなる。ゴールデンウイーク明けから新規のプロジェクトが立ち上がることになっていて、おれもそのメンバーになるんだ。で、しょっぱなから出張でヨーロッパに行くことになってる」
「出張? 長いの?」
「今回は一週間。だけどちょいちょいあると思うし、海外との時差の関係で夜勤にもなると思う。うまくいけば査定アップで給料増えるし、出世も早まる可能性大だから頑張りたいと思ってる。ずっとやりたかった仕事だからさ」
「なら、パーティーどころじゃ……」
「いや、今月中なら余裕があるよ。急だけどさ、親戚にあたってパーティできないかな。親戚がだめなら、家族と親しい友人だけでもいいし」
「そうね。本当に心からお祝いしてくれる人だけに来てもらえたほうが、あたしもうれしいな」
二人は言って、それぞれスマホを取り出すとスケジュールを確認し始める。
「といっても、今月ももう半ばかぁ。次の土、日くらいしか、日がないけどどうかなぁ?」
「あたしは平気。後は来客集めね。……まず一人、確保ね」
いけこまの両手が僕の肩に置かれた。
「はいはい、行きますよ」
「おまえ、すっかり気に入られたなぁ」
兄貴が笑いながら言った。
*
僕といけこまは最寄りの停留所からバスで、兄貴は僕の自転車でそれぞれ帰った。が、バスの待ち時間の関係でほぼ同時に家に着いた。
ドアを開けると母さんが勢いよく出迎えた。
「二人してどこ行ってたの? 学校行くだなんていうから安心してたのに、表に出てみたら自転車も車も置きっぱなしで。あとで、路教(みちたか)も出て行っちゃうし」
『ごめんなさい』
僕たちは三人同時に謝った。ぽかんと口を開ける母さんに、兄貴が代表して言う。
「母さん、おれたちやっぱ、まずは自分たちで暮らしてみようと思うんだ。結婚したら母さんのそばにいたいってずっと思ってたけど、おれ、ちょっと焦りすぎたみたいだ。駒っちゃんにも彰博にも怒られた……。母さんだってほんとは無理してんだろ? だから……」
「路教……」
「仲良くやってほしいって思いがあって同居を選んだけど、お互いのことをよく知らないうちに始めるのはやっぱ、無理だったなって気づいたんだ。ごめん、母さんの期待に応えられなくて。おれ、そろそろおれの人生歩んでもいいかなぁ」
「何言ってんの。ばかね。初めからあなたの人生はあなたが決めればいいのに」
母さんは泣いた。
「謝るのはこっち。いろいろ背負わせちゃってごめんね。あなたはしっかりしてるから、彰博の世話もさせちゃったし、いい大学、いい企業に入ることがあなたの幸せだって勝手に決めつけては、勉強させたわね。でもね。あなたはちゃんと、自分の道を歩いているわよ。だって、こんなに素敵な人を連れてきたんだもの」
「母さん……」
「……そうね。路教のいうように、本当のことを言えばお母さんもしんどかったわ。若いお嫁さんに家のことをさせられない、私が頑張らなくちゃって、ずいぶん肩に力が入ってたんだものね。だけど、あんたからそう言ってもらえて、吹っ切れた。駒さんにも無理させちゃったかな。ごめんなさいね」
「あの、お義母さん。あたしたちの二人暮らし、許してくれますか?」
「許すも何も。わたしたちのことは心配しなくていいから、二人で楽しく暮らしなさいな。時々、孫の顔を見せてくれればそれで十分」
母さんの目から再び涙がこぼれた。うれしさと寂しさが入り混じったような表情。初めて見る顔だった。
兄貴は続けて、お披露目パーティーの話を切り出した。急だけど、家族が増えたことを報告したいと。
「集まってくれるかわからないけど、とにかく連絡してみる。お母さんに任せなさい。こういうことは得意だから」
「ありがとう。やっぱり母さんは頼りになる」
「そりゃあ二十四年、あなたの母さんやってるからねぇ」
電話、電話! といいながら、母さんは居間に戻っていった。
「お母さん、泣いていたわね」
「母さんにもいろいろと思うところがあるんだろう。……やっぱ、いつかは同居したいな。ダメかな?」
「うん。あたしたちの生活が落ち着いて、お互いのことが分かってきたら自然とそうなる気がするわ」
「よかった。もう一回同居を考えるころにはきっと、彰博も家を出ているだろう」
「ん?」
急に話を振られ、とっさに言葉が出なかった。もちろん、怒られる。
「ったく、そんな反応するから、何も考えてねぇって言うんだよ。おまえ、さっき自分で言ったよな? もうすぐ十八だって。大学か就職かを決めなきゃいけない大事な一年だぞ? 少なくとも、何をしたいか、方向性だけでも決めろ。んで、一度家を出ろ。世界が広がるから」
「僕を追い出そうってこと?」
「そうじゃねぇって。駒っちゃんからも言ってやってくれよ。一人暮らしは必要だよな?」
「そうねぇ。しておけば、人生経験の足しにはなるわよ」
この家を出て自分だけで暮らす。考えたこともなかった。でも二人は、高校を卒業したら家元を離れるのは自然なことだと主張している。僕が口を開きかけると兄貴が先に、
「できないっていうなよ? やるんだ。……おまえは頭がいいんだから、絶対できる」
「え、いま、なんて……?」
頭がいいから絶対できる。そう聞こえたが、聞き間違いだろうか?
兄貴は面倒くさそうに言う。
「おれは二度もほめねぇぞ。南高受かったんだろ? チェスの大会でも県大準優勝してんだろ? おまえなら、本気出せばもっとできるんだから、やれ」
「え、何で知ってんの? 大会の成績」
「ばか、父さんが自慢しないわけないだろ。今年の正月、ここに帰ったとき教えてくれたよ」
「しかも父さんなの?」
「何も言わない父さんだけど、ちゃんと見守ってくれてんだぜ。……おまえが最後に手抜きして二番手に甘んじてるんじゃないかとまで言ってたぞ?」
すべてを見透かされていて怖かった。
県大会で優勝すれば、個人戦で全国に行ける。だけど、一人で全国の強者と勝負するだけの度胸が僕にはなかった。本当は勝てた試合だったのに、わざと相手に有利な手を指してチェックメイトを誘い、準優勝になったのだ。もちろんそんなことは誰にも言っていない。
「どうやら図星らしいな」
兄貴はやれやれとため息をつく。
「いいか? おまえにはチェスしかないって言うなら最後まで全力で戦えよ。手抜きなんかしたら、本気出してる相手に失礼だろ? 戦いを挑んだら絶対に引いちゃいけねぇ。おれ相手にそうやったように、最後まで食らいつけ。負けるときは全力出してから負けろ」
「……今日の兄貴、なんか変だ」
「おいおい、おまえがおれを変にしたんだろうが」
「ふふふふ」
僕らの会話を聞いていたいけこまが笑いだした。
「やっぱ、二人って仲良しなんだねぇ」
「おれにしてみりゃ、世話の焼ける弟だよ。っていうか、そこ、笑うとこじゃないだろ?」
「はは。ごめん、ごめん。ほほえましいなぁって思ったらつい」
「ったく、今日は調子崩されっぱなしでくたくただぜ。……そういやぁ、昼飯まだだったなぁ。いっそ、外食するか。たまには家族全員でさ。いいだろ?」
玄関の掛け時計を見ると一時を回っている。さっき和菓子は食べたけど、言われたら急にお腹が空いてきた。
「異議なし」
僕は手をあげて答える。
「あたしもそれでいいけど、ご両親は?」
「おれが説得する。彰博、近くの回転寿司でいいよな?」
「おっ、いいね」
「じゃあ先に行って、席の確保、よろしく」
「了解。行こう、いけこま。すぐそこなんだ」
そう言って歩き出す。
自分でも驚くほどに足取りが軽かった。ほめられていい気になるなんて、僕も案外、単純だったんだなと思う。
「ありがとう、家に来てくれて」
いけこまにお礼を言った。いけこまは「ううん」と首を振る。
「家にいるだけじゃ、あたしは何の役にも立たない女だったわ。それを彰博君が変えてくれた。一歩踏み出す勇気をくれた。だから、お礼を言うのはこっちのほう」
「じゃ、お互いさまってことで」
「ええ。これからもよろしくね」
「はいはい」
ずっと、慣れ親しんだチェス以外の世界を知るのが怖かった。だけど、初めの一歩を踏み出してしまえば、案外新しい世界も楽しめそうだ。
チェス一筋で恋愛には全く興味がなかったけど、いつか兄貴たちのように家庭を築くのも悪くない。そんな気持ちさえ芽生え始めたのだった。
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