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【連載】チェスの神様 第二章 #4 映璃

#4 映璃

 遠くでスマホの目覚ましアラームが鳴っている。
 ――早く止めなければ……。
 おもむろに手を伸ばし、画面を見てみると電話マークが表示されていた。着信音で目覚めたのだと知る。
 ――誰だ、こんな朝イチで電話をかけてくるのは……?
 眠い目をこすってよく見てみると、「吉川映璃」の名が見えた。
 その瞬間、昨日の出来事が、――去り際のエリーの言葉や後ろ姿が――よみがえる。僕はすぐに飛び起きて電話に出た。
「もしもし……」
『おはよう。起こしちゃった?』
「そりゃあね」
 部屋の時計を見ると、六時を少し回ったところだった。
「それで、何の要件かな?」
 起き上がり、布団の上で胡坐をかく。エリーは『うーん』とためらってから、
『会える? 今から』
「今から、か……」
 何を言われても驚かないつもりだったが、こんなに朝早くに呼び出しされるとさすがに気が滅入る。幸いにして頭はクリアだ。冷静に一つずつ確認する。
「今日は学校ある日だよね? 学校で話せない?」
『行きたくないな。誰にも会いたくないの』
「でも、僕には会いたいと?」
『……アキしかいないの、頼れる人が』
「……家の人は?」
『……自分の体のことで心配かけたくないから』
 ここまで聞いて、エリーの話したいことが見えてくる。
「行く気になったの? 病院に」
『うん』
「だけど、僕でいいの?」
『うん』
「今日じゃなきゃダメ?」
『先延ばしにしたら、一生行かない気がするの。変わるならたぶん、今日しかない』
 これだけ念を押しても引く気がないところを見ると、決意は本物のようだ。
「わかった。一緒に行くよ」
 考えるより先にそう答えていた。「しない」より「する」だ。
「で、今どこからかけてるの? 自宅?」
『ううん。中央図書館の近く。家から歩いて二、三分のところにいる。家ではこんな話、できないよ』
「了解。じゃあ、本川越駅まで歩ける? 昨日みたいに、改札前で待ち合わせよう。ただし、こっちは今すぐ出ても三十分はかかるけど、それでもよければ」
『大丈夫。先についても待ってるから』
 返事を聞き、僕は電話を切った。
 一息つき、まずは身支度をしなくちゃ、と自分の服をひっつかんで立ち止まる。
 首元がよれよれでみすぼらしいTシャツ。Gパンも後ろのポケットや裾が破けている。
 ――なんたってこんなものをいつも着ているんだ? ……っていうか、何で今日に限って、そんなことを気にしているんだろう?
 だけど、一度気になってしまったら着ていく気にはなれなかった。
 兄貴はもう起きているだろうか? 怒られるのを覚悟で部屋の戸を叩く。
「僕だけど、起きてる?」
「あぁ」
 幸いにしてすぐ返事があり、中に入る。一緒にいるいけこまはすでに着替えを済ませていて、僕の姿を見るとにっこり微笑んだ。
「珍しいな、朝っぱらから。いったいどうした?」
「あー……。すっごく頼みにくいんだけど、また服貸してくれないかなぁ。今日は普段着でいいんだ」
「はぁ? でもお前、今日は学校だろ? それとも放課後に着るのか?」
「いや……。今すぐ必要なんだ」
「今すぐ? 学校さぼってデートでも行く気か?」
 あっ! 兄貴といけこまが同時に声をあげ、うなずきあった。
「わかったぜ、昨日の子だろう? お前もやっとその気になったってわけか。そういうことなら喜んで貸すよ」
 兄貴はやけににやにやしながら、クローゼットから服をチョイスしてくれた。
「これならキマるだろう。あっ、駒っちゃん。ちょっと外してくれない? 男同士、大事な話があるから」
「大事な話ねぇ……。保健室の先生としては一言いいたいところだけど、いいわ。ここはみっちゃんにお任せする。彰博君、頑張ってね。応援してるから。た・だ・し! うまくいったら学校においでよ。ね?」
 化粧道具を抱え、いけこまは部屋を出ていった。
「やれやれ、真面目なんだから」
 兄貴は階下に行く足音を確認してからゆっくり口を開いた。
「さて、初めてのことだろうから助言しておく。デートってのは、いかに男を魅せるかが大事だ。服装はもちろん、話し方、しぐさ、食べ方ひとつとっても、女の子をがっかりさせちゃいけねぇ。で、だ。これが一番大事なことだが、こいつはどんな時でも必ず持っておくこと。そしていつでも使えるようにしておくこと。それが、紳士のたしなみってやつさ」
 そういって、部屋の隅の小さな引き出しから何かを取り出した。それは避妊具だった。
「いや、僕は……いらない。っていうか、必要ないから」
 とっさに突っ返したが、兄貴は聞かない。
「いつか使う日が来る。女の子と付き合ったら必ずな。お守りだと思って一つ持っとけ」
「よく言うよ。子供作っといて」
「まぁ……。それとこれは別! デート服貸してやってんだから、おとなしく兄貴のいうことは聞いとくもんだぜ?」
 デートしに行くわけじゃないと否定したって、服を借りている時点で説得力ゼロだ。時間もないし、ここは言うとおりにしておくのがよさそうだ。
「っていうか、もう行くのか?」
「あー、うん。その……駅で待たせてるから」
「ほぉ! おまえも隅に置けねぇな。いい結果報告を期待してるよ」
「……行ってきます」
 こんな時に限って一つも嘘がつけないなんて、これじゃあばか丸出しだ。戸惑っているつもりはないのに、クリアだった頭が一気に雑念で埋め尽くされたみたいで正常に働いてくれない。
 今、六時三十分。結局、準備に十五分くらい要してしまったので、自転車で全力疾走しても本川越駅に着くのは七時ごろになる。エリーはもう着いた頃だろうか。
「急ごう」
 エリーの沈んだ声を思い出す。僕は力いっぱいペダルをこぎだした。


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いろうた@「今、ここを生きる」を描く小説家
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