【短編小説・番外編】続々・ワライバでの、とある一日 ―野上翼編―
<本編>
コータローさんから聞いたときには耳を疑い、呼吸が止まった。幼少の頃から憧れてきたシンガーソングライターのレイカが、よりによって実家のすぐ近くに越してきたと報告されたら誰だって困惑するに決まってる。
「えっと……。冗談だよな? いくら何でもそんな都合のいい話……。俺をぬか喜びさせようとしただけだと言ってよ」
「それがどうも事実らしい。ここへ来る途中にちゃんとこの目で確認してきたから間違いない。さすがに約束も無しに訪ねることはしなかったが、証拠写真なら撮ってきたよ。見せようか?」
自分がレイカと旧友だからって、二十こ以上年下の俺も同じ感覚だと思ったら大間違いだ。両手を前に突き出し、数歩下がりながら「大丈夫……」と拒否したが、コータローさんは首をかしげる。
「なぜそんなにも全力で拒む? 麗華さんが近所に住んでいて、その氣になればいつでも会えるというのに? ファンなんだろう?」
以前から思っていたが、どうやら元プロ野球選手のコータローさんには一般人の感覚が欠落しているらしい。憧れの人だからこそプライベートを見たくないという俺の氣持ちは多分、理解してもらえない……。
「そりゃあファンだけど、会うときはきちんとした場所がいいな。例えばそうだな……。以前のようにワライバとか」
ワライバというのは、自宅近くにある小さな喫茶店の名前だ。
「なるほど。確かにその方が僕も会いやすいな」
コータローさんは言うが早いかスマホを取り出し、何やらポチポチと入力し始めた。
「……って言うか、なんでそんなに会わせたいわけ? 俺、昔っからのファンってだけだぜ?」
疑問を口にすると、彼は入力する手を止めて俺を見、にやりと笑う。
「決まっているだろう。君が、麗華さんのバンド再結成の経緯を一緒に聴くのにふさわしい相手だからさ」
◇◇◇
会う日程を調整した俺たちは三週間後の日曜の夜、閉店後の喫茶ワライバに向かった。
「あのさー、どうしてセンパイはいっつも面倒事を持ってうちの店に来るわけ?」
予想していたとおり、コータローさんと親しい店主の大津さんは俺たちが入店するなり愚痴をこぼした。実際のところ二人はものすごく仲が良いが、大津さんはこういう物言いしか出来ないらしい。
「面倒事とは失礼だな。ちゃんと金は払っているじゃないか」
「はぁ……。これだから元一流のプロ野球選手は困る……。何でも金で解決すると思ってんだから」
「おや? 貧乏喫茶に金を落として欲しいと言ったのは君じゃなかったかな? 別に、落ち合う場所はどこでも構わないんだが……」
「はいはい、ありがとうございます。うちは、喫茶店であり飲み屋であり会議室であり、音楽スタジオですよ……」
そんな会話をしていると店の扉がすっと開き、黒髪の美しい女性が顔を覗かせた。歌手のレイカ、その人だった。
初対面ではない。だが、どういうわけかデビュー当時の容姿になってしまったらしい彼女の顔を見た瞬間に身体が固まった。椅子から立ち上がれずにいると、あとからバンド仲間と思われる男性二人も入ってきて、そのうちの一人が軽いノリでコータローさんと挨拶を交わす。
「会わせたい子ってのは彼のことかな? へぇ、すごく純朴そうだね」
「ええ、翼クンは僕の命の恩人です」
「ちょっ……! いきなりそれ言っちゃうわけ?!」
緊張をほぐそうなどという発想が一切ない紹介に冷や汗が出る。しかし相手方はその一言で何かを悟ったかのように「ああ……」と言って頷いた。
「その辺の話はレイちゃんから聞いてるよ。ギターが弾けるってこともね。僕らにも一曲聴かせてもらいたいものだ」
「と、とんでもない……! 今日はコータローさんの付き添いでお話を聞きに来ただけなので勘弁してください……!」
「遠慮するなよ……って、こいつが言ってるけど?」
しゃべれないのか、こいつと指さされた茶髪の男性は手話を使い、緑髪の男性が通訳をした。
「遠慮なんてしてないです……。と、とりあえず座りましょうか。時間も限られていますし……」
どうやらここは俺が取り仕切った方が良さそうだ。たぶん、ミュージシャンも店主もコータローさんも時計を見て行動するタイプじゃない。
「ほらほら、コータローさん。今日は聞きたい話、あるんでしょ? それをまずは話してもらおうよ」
本来の目的を思い出してもらうべく話題を提供する。
「それじゃあ皆さん、席についてもらいましょうか。お一人ずつ、飲み物をお伺いします」
店主の声かけでようやく一同が着席し、会合が始まった。
***
レイカがかつてのメンバーとアコギバンド『サザンクロス』を再結成すると宣言した日のライブイベントは生で観たが、なぜ急にそうするに至ったのか、確かに氣にはなっていた。
彼女の話によると、メンバーの拓海さんが病氣で余命幾ばくかの状態だったこと、歌で奇跡を起こし死は免れたものの代償として声を失ったこと、そしてその彼の手助けをする意味も含め現在は三人で暮らしている、とのことだった。
「ほら、あなたが言っていたでしょう? 家族と呼ぶのに血の繋がりはいらないって。彼らと一緒に過ごすようになって本当にそのとおりだなと実感しているの。ちょうど、あのときのお礼が言えたら……と思っていたところだったから会えて本当に嬉しい。ありがとうね。おかげさまで、今は『ただの麗華』として自由な氣持ちで日々過ごしているわ」
「そんな、お礼を言われるようなことは何も……」
「もぅ! そんなに固くならないで。そうだ、昔の歌を歌ってあげる。そうしたら少しはリラックスできるんじゃない? どれがお好き? ……あぁ、もちろんお代はいらないわ」
プロの歌手が俺のリクエストで歌ってくれるなんて、そんな夢みたいなことがあるだろうか……。
「本当に、いいのかな……?」
恐れ多くて目を合わせられず、思わずコータローさんに尋ねる。
「臆することはないよ。それに、彼女はもう君の知る『レイカ』ではない。歌を聴けば分かるはずだよ。こうやって目を閉じて聴いてみたまえ」
その言葉からはレイカさんへの絶大なる信頼を感じた。そこまで言うならと、コータローさんに倣いまぶたを閉じる。
「えぇと……。それじゃあ、せっかくだからサザンクロスになってからの曲を一つ……。どれでも構いません」
「どれでも、かぁ……。どうする?」
俺の曖昧なリクエストを受けてレイカさんは仲間と相談しているようだ。少し経ってからようやくギターを準備する音が聞こえた。空気が張り詰めたように感じたとき、レイカさんから合図があり、直後に演奏と歌が始まる。
とてもしっとりとした、それでいて恨みがましい内容の歌詞は、たしかにかつての「レイカ」にはないものだった。想像するに、これは彼らの長年の関係と思いが詰まった愛憎の歌……。
若い頃に聴いていたら理解できなかったかもしれない。だけど妻子がいる今の俺には歌い手の心情が分かる。
(そっか……。「レイカ」は愛する家族とともに、より一層、進化するためにバンド活動に専念するんだな……。)
曲が終わり、目を開けた俺らは静かに拍手を送った。
「いまのはLOVE LETTERという歌。仲間があたしにくれた手紙から作ったのよ。どうだったかな? あたしらしくなくて驚いた?」
「いえ、情感がこもっていたし、色々と考えさせられました。先に過去の話を聞いていたからもしかして、と思ったけどやはりそうなんですね」
「あなたならきっと分かってくれると思った!」
レイカさんは嬉しそうに微笑んだ。
「もう一曲、歌いましょうか?」
尋ねられて首を横に振る。
「いえ、それより……。バンドを再結成したレイカさんたちが目指す音楽について教えていただけませんか?」
隣にいたコータローさんもこくんと頷く。レイカさんは一瞬天井を仰ぎ「あー……。それだったら智くんから説明してもらったほうが……」と仲間に視線を送った。
「教える? いや、彼の場合、僕らの歌を聴けばきっと理解してくれるだろう。LOVE LETTERの感想を聞いてそう直感したよ」
緑髪の男性、智篤さんは唐突に弾き語り始めた。てっきりレイカのバック演奏者だと思っていたが、突き抜けるような声量と澄みきった声に圧倒される。
嫌なことは嫌だと、本当のことは本当なんだと、ちゃんと言え。周りの目を氣にしたり常識に囚われたりするなよというストレートな歌詞。それでいてどこか爽やかさも感じる曲調は俺の耳にいつまでも残った。
「今のは『羅針盤』。僕らの最新曲だ。いい歌だろう?」
「ええ……。分かりました、サザンクロスさんたちが歌でどんな奇跡を起こそうとしているかが。俺はずっと、シンガーソングライターのレイカのファンだったけど、サザンクロスも好きになりそうです。って言うか、智篤さんの歌声に惚れちゃいました」
「うん。思った通り、君はいい耳をしている。ええと……翼だっけ? 近くに住んでるならまた会おう。今度は君の自慢の家族にも会わせてくれよ」
俺は小さく頷いた。氣付いていないだけで、彼らの自宅の目と鼻の先に住んでいる両親とは顔を合わせているかもしれないな、と思ったが黙っておくことにした。両親は、俺がレイカの真似がしたくてギターを始めたことを知っているので、数十メートル先に住んでいることが分かれば黙っていても必ず連絡をよこしてくるはず。紹介するのはそのあとでも遅くはあるまい。
***
互いのことが分かったところで今日はお開きとなった。歩いて帰る途中、ずっとニヤニヤしているコータローさんが氣持ち悪くて思わず突っ込む。
「なーに考えてんのさ? 俺が隣を歩いてなかったらメッチャ不審者なんだけど?」
「いや……。こんなにも早く打ち解けられると分かっていたら、野上クンも連れてくれば良かったかなと思ってね」
「やめてよー。未だに苦手なの、知ってるだろ? 俺とコータローさんと父さんの三人とか、マジ勘弁! ……っていうかコータローさん、最近は随分冗談を言うようになったな」
俺と出会った頃の彼は冗談どころか、にこりともしない人だった。
「そりゃあ、君たち家族と一緒にいれば僕だって冗談の一つくらい覚えるさ。何しろ常に笑いが絶えない家だからね。仏頂面でいる方が難しいというものだよ」
「……改めて思うけど、変わるんだな。人って」
そこでふと、氣がつく。
「……ああ、彼らはそれを信じているのか。だからあんなふうに歌ってる……」
「だろうね。麗華さんも彼らと再会してから随分変わったよ。すごく活き活きしている。そう、人はいい影響を受ければいい方に、悪い影響を受ければ悪い方に変わる。それも、割とあっさりと」
「そうかもしれない……」
「もちろん、何が良くて何が悪いかを決めるのは難しいが、少なくとも彼らは弱者の味方になろうとしているように僕は感じた」
相づちを打つと、話は急に壮大になる。
「いま、人々は救世主の登場を待ちわびている。そして彼らはおそらくその、救世主になろうとしている。無論、一筋縄ではいかないだろうが、今後の彼らの動向には注目しようと思う。僕が野球を通して見る人に夢を与えてきたように、歌を通して夢や希望や勇氣を届ける人も必要だからね」
「じゃあ、そんな彼らを応援する?」
「ああ。だけどそうするより前に、僕たちは僕たちに出来ることをまずはやるべきだろう」
「俺たちに出来ることって?」
「一日一日を、今日という日を悔いなく生きること。……こうして君と夜のひとときを過ごしたり、部屋で同居人とくつろいだりする時間があって初めて、他人の役に立てるというものだよ」
「うん、そうだね。……ふわぁぁっ。ねむーっ」
話がいつもの場所に落ち着いたこと、そして家が見えたことで途端に眠氣に襲われた。
「俺、明日からまた仕事ー。だけど……今日はちょっぴり夜更かしした甲斐があったよ。強引にでも誘ってくれてありがとう」
「礼を言うのは僕の方だ。おかげで緊張せずに彼らと会うことが出来た。……さて、君の家に到着だ。今日はもう遅いからこのまま帰るが、また近いうちにお邪魔させてもらうとしよう」
「いつでもどうぞ。それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
別れの挨拶を交わすと、まだまだ元氣そうなコータローさんは自宅マンションのある方へ颯爽と走っていった。
※いつも読んでくださっている皆様へ
現在、メインで連載中「愛の歌を君に2」の第一話はこちら!
✅完結の「愛の歌を君に」一氣読みはこちら!
✅今回登場の野上翼くん含むキャラがメインで活躍するお話、
「あっとほーむ~幸せに続く道~」は全四部作
の大長編ですが、ご興味のある方はこちらから!
※見出し画像は、生成AIで作成したものを加工して使用しています。
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