【連載小説】「愛の歌を君に2」#13 嵐の球場ライブ
前回のお話:
37.<麗華>
ライブ日が近づくにつれ、アリーナで行われる音楽フェスの宣伝が過剰なまでに行われるようになった。特に目を引くのがテレビCM。「来場者全員に、お好きなアーティストのグッズを一つプレゼント!」と謳うだけならまだしも、「同日同エリアで行われるインディーズバンドのライブ会場と間違えないよう、ご注意ください!」と表示するのはさすがにやり過ぎだと思う。
ただ、心配しているのはあたしだけで、拓海と智くんはむしろ「勝手に宣伝してくれてラッキーじゃん」などと喜んでいる。
――あっちは自分たちが「本物」で俺らは「偽物」だと言いたいんだろうが、そう言わなきゃいけないくらい、向こうは焦ってるんじゃねえかな?
「僕もそう思う。言わなきゃ知らなくて済むものを、お金をかけてまで言ってるんだからね。……ほら、また流れた」
――……つーても、さすがに見飽きたな。
流行をチェックするため音楽番組を見るのが習慣であるあたしたちでも、番組よりCMの方が長いんじゃないかと思うくらい頻繁に、それもフェスの宣伝ばかりされたら萎える。
拓海がチャンネルを変えると、ちょうど一週間の天氣予報が流れていた。それを見てまた一つ、頭を悩ませる。
「台風、来ないといいね」
南の海上にある熱帯低気圧は数日以内に台風に変わると予想されている。どんなに念入りに準備しても、屋根無し球場でのライブを予定しているあたしたちにとって最も厄介なのは雨。交通機関が麻痺しない限り雨天でも決行する予定だが、客足を考えるとやはり晴れてくれた方がありがたい。
「ま、台風が来たとなれば向こうだって影響は受ける。条件は同じだ。氣にしすぎないことだよ」
――なあ、それならいっそ、歌の力で最高の天氣になるよう祈るってのはどうだ?
同じ楽観的でも拓海の提案は現実離れしていた。しかし、死にかけた彼が今ではこうしてピンピンしていることを思えば、祈りの力で天氣を操ることも不可能ではないのかもしれない。
「そうね。あたしたちの想いが届けばきっといい天氣になるはず。信じましょう」
◇◇◇
しかし、そんなやりとりも空しく台風は発生し、太平洋側の地域に風雨をもたらしている。幸いにしてここは降らない予報だが、強風による交通機関への影響は出ている。実際、風に弱い路線のいくつかは徐行運転中で、手伝いを頼んでいた弟の元同僚が数名、遅れて現地入りすると聞いている。
前半のライブ開始は正午だが、たどり着くのが困難な状況で来てくれるファンがどれほどいるのか。それ以前にこちらの準備が間に合うのかも若干怪しい。球場の最寄り駅には、時間前にもかかわらず、あちら側のスタッフらしきベストを着た人が数名立っていて、自分たちのライブに誘導しようとしているとの情報も耳にした。幸先はあまり良くない。
弟のスマホに、元同僚から「到着までもう少しかかる」というメール連絡が入ったとき、ぞろぞろとダグアウトに入ってくる一団が見えた。年は四十代後半くらいだろうか。いかにもミュージシャンですという格好の男たちは拓海と智くんを見つけるなり手を上げた。
38.<拓海>
それは、ライブハウス「グレートワールド」に出入りするバンド仲間だった。俺も智篤も、急な出来事に目を丸くする。
「手伝いは頼んでなかったはずだが……」
「兄さんたちの勇姿を間近で見るには手伝いにくるしかないってみんなで話してたんだよ。あわよくばオレたちもバック演奏に加えてもらおうって腹なんだけどさ……。手伝いの人数は多い方がいいだろう?」
「いいも何も……。この強風で予定していた人数が集まっていないんだ。手伝いは大歓迎だよ」
「だと思ったんだ。ライブの準備なら、素人よりオレらの方が慣れてる。すぐに手伝うよ」
「助かる。ありがとう」
集まってくれたのは古くから付き合いのある三つのバンド。活動拠点はいずれもこの辺りだったはず。地元だからすぐに駆けつけられたというわけか。本当に有り難い。
――……そう言えばショータの姿が見えないが、誰か知ってるか? こんなときこそ秘策を出してきそうなものなのに。
彼らの背中を見送りながら手話で問いかけるが、智篤も麗華も首を横に振る。
「それが、ひと言『用事がある』とメール連絡があっただけでそれっきり音沙汰がないんだ。あいつのことだから何か考えがあって行動しているとは思うけど……」
「ここにいないショータさんを待っていたらこっちの作業が滞ってしまうわ。やることは決まってるんだし、バンド仲間が来てくれたなら彼らに指揮を執ってもらいましょう」
――そうだな……。
二人の言葉に納得した俺はショータを探すのをあきらめ、ステージの設営を見守ることにした。
*
初秋でもまだまだ日差しが暑い時期。予定ではグラウンドに日よけのテントを設けることになっていたが、風であおられる危険があるため設営は無しになった。野外ライブでは良くあることだと、慣れた様子の仲間たちが的確な指示を出していく。その結果、路上ライブに毛が生えた程度の極めてシンプルなステージが出来上がった。
――せっかく広い会場を押さえたのに、これじゃあ俺たちが目立たなすぎじゃねえかな? あっちの社長が見たらきっと笑い転げるに違いない。
満足そうな仲間の姿を尻目に、俺は手話の分かる智篤に愚痴をこぼした。
「仕方がないさ。開催できるだけマシだと思わなきゃ。それに、僕らが目立つ必要はない。ギターの音と歌声が届けばいいんだから」
――それはそうなんだけど……。
歌声を響かせられる智篤はそれができるからいいだろう。だが、俺にはその声が出せない。声を失ったことは後悔していない。だが、せっかくのライブなのだから煌びやかなステージに立って「手話」いたかったな、とは思う。一応、カメラで撮影した映像を巨大スクリーンに映すことにはなっているが、スクリーン越しでどれだけ想いが届くかどうか……。
「大丈夫、届くよ。君の想いは」
まるで心の声を聞いたかのように智篤が言った。以前にもこんな事があったが、慣れていない俺はまたしても恐怖を覚えた。
――……俺はまだ何も言ってねえぞ?
「言わなくたって分かるさ。何しろ……。僕には君の声がちゃんと聞こえているからね」
驚く俺に小さく笑いかけ、智篤は続ける。
「正確には、聞こえる氣がする、だけどね。ただ、意識を集中させればあの時――『星空の誓い』を収録した時――のように、本当に君の声が聞こえると確信しているんだ。それを叶えるには多分、このシンプルなステージの方がいい。……僕はもう一度君の声が聴きたい。だからこのライブ、何がなんでも絶対に成功させるつもりだよ。ライバルに勝つためじゃない。僕らのために、だ」
――そんなに期待されたんじゃ、聴かせない訳にゃあいかないな。俺の声はお前に預けたつもりだったが、今日ばかりは返してもらうとするか。
「ああ、いつでも返すよ。……さて、僕らもそろそろ準備をしよう。ライブの時間が近い」
*
未だ風は強く吹き、揚げられた国旗が力強くはためいている。
氣付けばライブ開始まであと数分。ダグアウトから空きの多い観客席を見て「こんなもんか」と思いつつも、俺らの人生ではおそらく過去最高の観客数。何千という目がこちらを見ることを想像するだけで武者震いがする。
適度な緊張感に包まれている俺に対し、智篤はこの空氣に飲まれているようだった。それに氣付いた麗華があいつの手を握る。
「こんなに汗かいてたら、ちゃんと弾けないよ? ……緊張してるの?」
「……正直に言うと、ドキドキしてる」
「あたしもよ。だけど、緊張すらも楽しまなくちゃ」
「確かに。ファンがいなかったらこの緊張感を味わうこともなかったんだもんな」
智篤は一度深呼吸をし、落ち着きを取り戻した。
「レイちゃん。今日は二人で作った曲でこの会場を一つにしよう。あの日、拓海の命を救ったときのように」
「ええ。でも、今回は二人じゃない。拓海もいるわ。ね、そうでしょ?」
麗華は俺がしゃべれなくてもちゃんと会話を聞いていると知っている。問いかけられた俺は鼻を鳴らした。
――その前に俺の「サンライズ」でここにいる全員を泣かせちゃうけどな。
冗談でも何でもなく、俺の「手話」を観た者聴いた者はきっと感涙すると確信している。ちなみに前半は「サンライズ」、後半は麗華たちの共作曲がラストを飾り、聴衆を魅了することで決着している。
そこへ、今回司会進行をお願いしたユージンとセナがやってきて声をかけられる。
「じゃあ、俺らは一足先にステージに上がります。……呼んだらすぐ来て下さいよ?」
「もう! あたしも上がるんだから、そんなにガチガチにならないの! ほら、行くよ!」
セナに肩を揉みほぐされたユージンは「よし……」とひと言つぶやき、セナと一緒にグラウンドの中央に設置されたステージめがけて飛び出した。
39.<智篤>
二人の姿が見えるなり大歓声が上がる。ユージン! セナ! と声援も飛ぶ。その人氣は僕ら以上かもしれない。しかし二人は、今日は自分たちがゲストだとわきまえているようで、声援に応えるのは最小限に留め、早速司会の仕事を始める。
「お待たせしました! 皆さん、今日はサザンクロスのライブにお越し下さりありがとうございます! ウェブ中継でご覧の皆さんも、カメラの前での視聴ありがとうございます。本日は二部構成でお届け予定です。長丁場ですが、皆さん最後までついてきて下さいね!」
「感動曲をたくさん用意してるから、ぜーったいに最後まで聴いてってよね? ……ってことで、早速登場してもらいましょうか。サザンクロスの三人、ステージにおいでー!」
セナに手招きされた僕たちはギターを引っ提げ、ステージに駆け寄る。
僕らに向けた黄色い声援が耳に届く。空席からも声がしているのではと思うほどに、たくさんの声援が僕らの背中を押す。一人ひとりの顔は見えない。だが、彼らの目は、耳は、こちらに向いているはず。やることは普段のライブと何ら、変わらない。
ステージ上でギターを素早くアンプに繋ぎ、音が出るのを確かめたのち、レイちゃんがマイクの前に立つ。
「最初から盛り上がっていきましょう! まずはこの曲。『マイライフ』!」
#
曇り空を抜け あすへと続く道
心の箱に秘密をしまおう
新しい世界へ さあ
きのうの影にさよなら
主役は僕 全力で進め
夢を描こう 最高の未来
僕の世界を作るのは僕
世界は心で作られるから……
#
サザンクロス再結成後、初めて拓海が書き下ろした曲。非常に爽やかで、若いころのサザンクロスを思い出させるこの曲はライブのスタートにぴったりだ。
そう、この歌詞にあるような最高の未来を実現させるために僕らは一年間、活動してきた。そして今まさに僕は、心に描いた通りの、いや、それ以上の世界にいる……。
一年前、小さなライブイベントで弾いたときにはレイちゃんを恨みながら演奏していた僕が、一年後にこんな舞台に立っているなんて誰が想像しただろう? 死に別れると思っていた拓海が隣にいて、未だこうして一緒にギターをかき鳴らしているなんて、夢でもなけりゃ説明出来ないようなことが今、目の前で起きてもいる……。人生、どう転ぶか分からないものだ。
あの日は早く終わってほしいと、そればかり考えて弾いていたっていうのに、今はいつまでも続いて欲しいと思う。積極的にバックコーラスを歌ったり、アドリブで弾いたり……。僕は、今この瞬間を存分に楽しんでいる。
拓海が死を覚悟したとき「もう一度麗華のバック演奏が出来たら死んでもいい」と言った、その氣持ちが分かったような氣がする。この三人で弾けることは、僕にとっても至福の時だ。
*
ライブは滞りなく進み、残すは、セナとオーナーのピアノ曲と拓海の「サンライズ」だけだ。最初の予定ではグランドピアノを設置することになっていたが、「こっちの方がリオンの心を打つのでは」というセナの発案により、リオンが残していった電子鍵盤に変更された。
僕らがステージから降り、代わりにセナとオーナーが立つ。いきなり現れた年輩の男性を観たファンからはどよめきが起こるが、二人はそれに反応することなく静かに椅子に腰掛ける。座ったのを確認し、司会のユージンが曲紹介をする。
「これからお聴きいただくのは『グレートワールド』。どこかでこれを聴いているであろう弟のために、セナが心を込めて演奏します。では、どうぞ……」
促された二人は、目を合わせると同時に一つのピアノを弾き始めた。数秒聴いただけで鳥肌が立つほどの迫力。ざわついていた聴衆も一氣に聴くモードに変わり、会場に響くのは二人の演奏だけになる。
それはまるでそよ風のようであり、川のせせらぎのようでもあり、時に嵐のようでもあった。セナの、リオンに対する想いはきっとこの強風に乗って彼の元に届いていることだろう。
氣付けば、温かいしずくが頬を流れていた。歌詞がなくても想いは伝わるのだと思い知る。僕は目をつぶり、彼らの想いを耳だけで感じることに専念した。
四分ほどの演奏はあっという間に終わった。誰もがもっと聴きたいと思ったのだろう、自然とアンコールが送られる。それに応えたのはオーナーで、今の会場の雰囲氣にぴったりな即興曲をさらっと演奏し、再び喝采を浴びた。自分が弾けばおいしいところを持って行ってしまうぞ、というオーナーの言葉がよみがえる。確かにその通り、オーナーは会場の視線を独り占めしてしまったのだった。
――くそぉ。オーナー、さすがだなぁ。だけど、最後の最後は俺がおいしいところを持って行くぜ……。
拓海が意氣込みを新たにし、ステージに飛び出そうとした、まさにその時……。
突風が吹き、直後に巨大スクリーンの映像が消えた。観客席からはどよめきと悲鳴が同時に聞こえ、辺りは騒然となる。グラウンドには砂塵が舞い、ユージンとセナが慌てて電子鍵盤の撤去を始める。
「……何が、起きた?」
突然のことに頭が混乱するが、非常事態が発生したのは間違いない。
「ライブ中継を一旦中止した方が良さそうね」
「ああ……。早くカメラマンに指示をださなければ」
レイちゃんの言葉に同意し、ステージに駆け寄ろうとしたとき、ダグアウト内にいた彼女の弟のスマホが鳴った。電話に出た彼は何度か頷くと僕に電話を差し出した。
「ショータさんからです」
「ショータ……!」
奪うように電話を受け取る。
「おい、こんな時にどこをほっつき歩いてる?! こっちは突然巨大スクリーンが消えて大変……」
『こちらの方が悲惨ですよ。すべての電気系統が落ちてアリーナ内は真っ暗闇ですから。どうやらこの一帯で停電が発生したようです。詳しいことは調査中ですが、おそらく強風の影響で電柱が倒れたか、飛来物等で電線が切断されたのでしょう』
「停電……?! それじゃあライブはどうなる?!」
慌てふためく僕を尻目にショータはくすくすと笑う。
「……な、なにがおかしい?」
『天はあなた方に味方したようです。自分が思い描いた最高のシナリオを実行する準備がいま、整いました』
「えっ……」
『今からそちらに急行します。……サザンクロスとブラックボックスの共演ライブ、ここからが本番です』
「はぁ……? 一体どういうことだよ……?」
問いかけたが、通話はすでに切れていた。
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