【番外編】あっとほーむ~幸せに続く道~ 不器用な男たちのキャッチボール
<理人>
どうやらおれの言葉には人を、とりわけ野上センパイを引き寄せる力があるらしい。以前も噂をしていたところにやってきたことがあったが、今回も三浦が会いたいと言った野上センパイだけを引き寄せた。当の本人も予感がしたのか、三浦たちを見つけるなり「なーんか会う氣がしたんだよなぁ」と言って二人の隣に腰掛けた。
おれが目配せすると、三浦は早速、野上センパイに向き直り頭を下げた。
「先日お目にかかったときには言えませんでしたが、おれがこうしていられるのはあのとき先輩が信じてくれたお陰です。その節はありがとうございました」
高校生当時、三浦は教育熱心な親に対する不満を野球部内に噴出させた問題児だった。おれも迷惑を被った人間の一人だが、一番の被害者は野上センパイだった。にもかかわらず、センパイは三浦を罰せず、のけ者にもせず、一緒に野球をしようと何度も誘い、最終的に三浦を改心させたのだった。
「…………? あの時って、もしかして大昔の話? 改めて引っ張り出してくるのはやめてくれよなぁ。大津もおれのことを神様みたいに扱って手を合わせるんだけど……」
「神様、野上様」
いつものようにパンパンッと手を合わせると、センパイは迷惑そうに首を横に振った。
「定食ひとつ頼むわ」
センパイは話題を変えるように言い、続けて「反響はどうだ?」と聞いてきた。
「上々です。毎日十件くらい体操クラブの入会に関する問い合わせメールや電話があります。すぐに上限行くんじゃないですかね? 運動会前にもう一回、かけっこ指導して欲しいって問い合わせもすごく多いです。どうやら先輩の息子の提案が人集めに一役買ったようですね」
「よかった。一日中走った甲斐があったってもんだよ。あー、水沢先輩、あの日は一緒に走ってくれてありがとうございました。次の野球の体験会にはおれも参加しますから」
「氣にするな。走ったお陰でこっちも思いがけない縁が繋がった。むしろ、誘ってくれたことを感謝しているくらいだ」
水沢センパイはそう言って三浦の肩に手を置いた。
はにかんだ三浦の顔を見て、こいつも変わったなと改めて思う。おれの記憶の中の三浦は本当にヤバいやつで、野上センパイに改心させられた後もなんとなく近寄りがたい存在だった。おれの大事なキャッチャーミットを川に投げ捨てたのだから、簡単に許せるはずがない。おれは野上センパイみたいに寛容じゃないのだ。
なのに、ウン十年の時が三浦を丸くしてしまったのか、再会してみれば当時の面影や雰囲気は一切感じられない。そんなやつに「元野球部のよしみで仲良くしよう」と手を差し出されたら断れないじゃないか。
まぁ、地元で店を構えている以上、昔の顔に出くわすこともある。ここは仕事と割り切って乗り越えよう。そう思って野上センパイに注文された定食の調理をしていると、三浦が妙なことを言いはじめる。
「……なぁ大津。仕事が終わってからでいいんだけど、久々にキャッチボールしないか。今日は一日空いてるんだ」
「はぁ……? 何時間後の話? 閉店は七時だぜ? そのあとでキャッチボールをしようって言ってんの?」
「ああ、そう言ってる」
「ばっかじゃねえの……?」
突き放したつもりだったのに声が震えてしまった。氣付かれたのか、野上センパイに笑われる。
「素直じゃねえなぁ、大津は。あの頃からちっとも変わってない」
「変わるわけないじゃないですか」
「それは、誘ってきた相手が三浦だから?」
「…………」
答えに窮していると三浦は「閉店の頃にまた来るよ」と言い、それからしばらくの間はセンパイたちとの談笑を楽しんでいた。
*
秋分を過ぎたからか、日暮れが幾分短くなった気がする。窓からオレンジ色の西日が差し込ん出来たかと思えば、数分後には夜のカーテンが空の半分を覆っていた。
「お客さんもいないし、今日はもう締めようか」
双子の兄かつ、もう一人の店主である隼人が店内の掃き掃除を始めるのに合わせ、おれも「CLOSED」の札を掛けようと表に出る。と、店の前に、グラブを手にはめた二人組が立っていた。男の一人が問いかける。
「どうだ? キャッチボールをする氣になったか?」
余裕の表情を浮かべる三浦と、同じく後ろでほくそ笑んでいる人物になぜか腹が立つ。
「……なんで野上センパイと一緒なんだよっ!」
「なんでって……。もし大津が断ったときはおれが付き合ってやるよって言ってくれてな。野上先輩の寛容さには脱帽するよ」
「センパイ、優しすぎっしょ。どうして三浦のためにそこまで……」
「おれは見届けたいだけだ。二人が心のキャッチボールをするところを」
「心のキャッチボール……!」
あまりにもセンパイらしい言い回しに思わず笑う。しかし一度笑ってしまったら緊張が解け、すべてが、どうでもよくなってしまった。
「あーあ、センパイには敵わないなぁ……。今、店を閉めるんで待っててくれます?」
おれの言葉を聞いた二人は顔を見合わせて笑い、頷いた。
*
店を閉め終える頃にはほとんど日が落ちていた。その昔、こんな夜空の下で野上センパイとぬるいジュースを飲みながら語り合ったことを唐突に思い出す。
元野球部のセンパイたちにいつ誘われてもいいように、グラブを店に置いておいたのが幸いした。店からそのまま近所の公園へ移動し、キャッチボールをするべく適当な距離を空けて立つ。
「あれ、センパイはやらないの?」
「言っただろ? おれは見届けたいだけだって」
声を掛けると、センパイはニコニコしながら「早く始めろよ」と言ってベンチに腰掛けた。
「投げるぜ、大津!」
呼ばれて振り返る。と、すでに球が目の前にあり、慌てて捕球する。肩の強さは健在ってわけか。
「よく捕れたな……。永江先輩にキャッチャーの素質があると言われただけのことはある」
「ふん……。そのせいで妬まれたことは今でも覚えてるぜ。お前がおれにした数々の出来事もな!」
わざと変なところへ投げてやる。しかし俊足も健在なのか、あっという間に球に追いつき、すぐさま投げ返された。
「まだ根に持ってるのか……」
「ったりめえだ。おれは一生許さねえ……! どれだけ時間が経とうともな!」
次も的外れなところに投げる。が、三浦は捕りに行かなかった。公園のフェンスにぶつかって戻ってきた球を拾い、静かに呟く。
「……許されなくて当然だよな。お前のプライドをズタズタにした挙げ句、クラス中の笑い者にしたんだから」
「そうだ。今思いだしてもむしゃくしゃする」
「……おれも腹が立つよ。昔のおれに。何度詫びても許しちゃもらえないだろうが、あのときは申し訳なかった」
深々と頭を下げた三浦を見ていたら余計にイライラした。何にってそりゃあ、あの頃の自分と寛容になれない今の自分に対して、だ。苛立ちを紛らわせるように石ころを強く蹴飛ばす。
「……なーんであの時のおれたちは、あんなにも血の気が多かったんだろうなぁ」
「本当にな……」
「野上センパイが止めてくれなかったら……。受容してくれなかったらと思うとぞっとするね」
「全くだ」
三浦はそう言ってベンチに歩み寄ると、野上センパイにボールを渡した。
「一緒にキャッチボール、してくれませんか」
「……しゃーないなぁ。おれは別に褒められたくてここに来たんじゃないんだけど。……ま、いっか。二人がわかり合えたならそれで」
センパイが軽く投げたボールを受けながら返事をする。
「確かにわかり合えたかもしれないけど、許してはいませんからね」
「わかり合っても許さない。そんなことがあるのかよ?」
「あるんです!」
「やっぱり素直じゃねえなぁ……」
「だからそう言ったでしょ!」
ボールと言葉を一緒に返す。センパイは呆れた様子で球を三浦に回したが、許さないと言われた当人はボールをキャッチしながら「もう、いいんです」と答える。
「大津に許してもらおうなんておれ、思ってませんから。許してくれないならくれないで、そういう大津を受け容れるつもりです。先輩がそうしてくれたように……」
「聞いたか、大津。どんなお前でも受け容れてくれるってよ」
「心外ですね……。三浦には一生嫌われたいんですが」
「おいおい……」
「センパイ。心の傷ってのはね、たとえ塞がっても元通りにはならないんですよ。切られた痕は一生残る。そしておれは、その傷痕を見せつけながらでしか繋がれない……。捻くれた人間なんです」
視線を三浦に移す。三浦はさっきの言葉通りおれを受け容れるかのように正視した。
「いいよ、それで。おれは大津の店に行き、大津はおれを客として扱う。そういう関係を続けるうちに友情が芽生えれば儲けもの、位に考えておく」
「友情……! おれが、お前と友だちになる……?」
傷痕を見せつけながらでしか繋がれないと言ったばかりのおれと友人になりたい、と言われて頭が混乱する。笑い飛ばすのがいいのか突っぱねればいいのかも分からなくなる。しかし、公園の外灯で辛うじて分かる三浦の表情から笑みが消えていくのを見て、さすがにこれ以上悪態をつくのはやめようと思い留まる。
「友だちになりたきゃ、まずそっちが心を開け。その上で氣が向いたらこっちも心を開いてやるよ。ただし、数十年の時を埋めるには相応の時間が必要だと心得よ」
「分かってるよ。……大津にそう言ってもらえたなら、今後は定期的にワライバを訪れることにしよう。キャッチボールもしたいな。どうだろうか?」
「言っとくけど、おれは店の他に『みんながまんなか体操クラブ』の営業もやってるからホントに忙しいんだぜ? ねぇ、野上センパイ?」
助け船を求めるが、「三浦にも手伝ってもらえばいいんじゃないの?」と相手にされない。三浦本人も「何でも手伝うよ」とやる気満々の様子である。
「……なーんでそこまで、おれにこだわるのかねぇ?」
「……似てるからさ。かつてのおれに。だから分かるんだよ。お前がおれを許せない理由も、本当は許したいと思ってることも」
「……似てる? んな訳あるかよ」
反論したものの、その声は思いのほか小さかった。三浦に何もかも見透かされているような氣がして恥ずかしかった。うつむくおれを見て、野上センパイが間に入る。
「大津。また三人でキャッチボールしようぜ。おれたちはもう、あの頃のおれたちじゃない。あれから様々な人生経験を積んで進化した『別人』なんだと思ったら、うまくやれそうじゃないか?」
「別人……」
「あー、そうだなぁ……。お前らが仲良くなるんならおれを神格化してくれてもいいよ。おれを中心にすることで結束できるって言うならそうしてくれて構わない。だからまた、集まろうぜ」
「……賽銭は投じませんけど」
「あはは、いいよ別に」
「相変わらずお人好しだな、センパイは」
「ま、そういう役回りなんだと割り切ってるよ、最近は。その代わり徳を積んでるんだって思うようにしてる。物は考えよう、ってな」
そう言われてはぐうの音も出なかった。
「分かった……。センパイ込みでなら会う。これが精一杯の妥協案だ」
睨み付けたのに、三浦はホッとしたように笑った。
「ありがとう、また会うと言ってくれて」
「礼はいらねえ! その代わり、うちの店で飲み食いしていけ!」
「分かった、分かった……。先輩も、ありがとうございました。また連絡させていただきます」
「ああ、待ってる。……おっと、兄貴が迎えに来てるぜ。おれたちもそろそろ行こうか」
「はい。それじゃあまたな」
先輩と三浦はそう言うと爽やかな笑顔で走り去っていった。二人の背中が小さくなりかけたところで背後から隼人に声を掛けられる。
「本当は嬉しかったくせに……。ぼくにそういう気持ちを押しつけるなよ……」
双子ってのは不思議なもので、一方が興奮状態にあると、遠くにいても感情の共有が出来てしまう。どうやら、内に隠したはずの嬉しさが隼人の方に飛んで行ってしまったらしい。それで不満を言いに来たようだ。
「うるせえ……。いきなり心の距離縮めちまったら気持ち悪いだろうが。不器用なキャラを演じる方が性に合ってんだ」
「お前らしいな……。だけど、演技もほどほどにしろよ。やり過ぎると嫌われるぜ?」
「余計なお世話だっ! んなこと言ってると、晩飯作んねえぞ?」
「生憎だったな。晩飯ならぼくが用意しておいた。それで迎えに来たんだよ」
「ちっ……」
恥ずかしさを隠すように舌打ちし、駆け足で店に戻る。あとからついてきた隼人がクスクスと笑っている氣がした。
<庸平>
背後に人がいないことを確認してから素早くマンション内に入る。オートロックの自動ドアが閉まるのを見届け、ホッと息をつく。
が、安心したのもつかの間、エレベーターの前で東京ブルースカイのキャップをかぶった女性を発見してぎょっとする。
(もしかして、姉貴……?)
先日、孝太郎のファンクラブに入ったと自慢げに語る姉が真新しいキャップをかぶっていた姿が思い出され、目の前の女性と重なる。しかしよく見ればそれは、東京ブルースカイでピッチャーを務めた夫を持つ春山詩乃だった。再び安堵の息を吐くと、目が合った春山に眉をひそめられた。
「……自動ドアの前で何をキョロキョロしてたんです? メチャクチャ怪しい人に見えましたよ?」
「いや……。姉貴が後を付けてきてないかどうか心配でな……」
「え? お姉さん? お姉さんなら別にいいじゃないですか」
「よくない。あれが部屋に上がり込んできたら……と想像するだけで寒気がする。とにかく、口うるさいからな」
先日、ワライバで偶然姉貴と鉢合わせたときに言われた言葉――あんたと一緒にコウちゃんの部屋に行っちゃおうかなぁ?――が未だに頭の中を占領して離れない。冗談だ、と言われてその場は終わったが、姉貴の行動にはこれまで何度も驚かされてきたからどうしても警戒してしまうのだ。
「だからって、入り口付近でオドオドするのはやめた方がいいですよ。ここの住人には社長や資産家が多いですから」
「分かった、分かった。もうしないよ……」
到着したエレベーターに乗り込んだ俺たちは、上層の自宅がある階でそれぞれ降りた。
部屋に戻ると、孝太郎はソファで寛いでいた。「ただいま」と声を掛けると、持っていたスマホをローテーブルに置き、こちらにやってくる。
「おかえり。三浦クンを連れてワライバに行ったんだろう? 大津クンはさぞかし驚いていただろうね」
「驚いたも何も。昔の恨み言が噴出して喧嘩になるところだったぜ。いつまでも過去を引きずって。小せえ男だよ、大津は。ま、幸運にもそのあとやってきた野上が丸く収めてくれたから良かったけどな」
「ほう……?」
孝太郎は呟くなり微妙な視線を投げてきたが、それ以上の言葉はなかった。何となく氣まずくなった俺は話題を変える。
「……そうそう、ファンクラブの件だけど、順調に会員数が増えてるぜ。五百人を超えたらファンサービスの一環としてサイン会を開くのはどうかと考えてるんだが」
孝太郎は渋い顔をした。
「サイン会……。そこまでして君は麗華さんと僕とを会わせたいのかい? 僕が体操クラブ開業後にこちらから連絡すると言ってるにもかかわらず」
「バレたか……。だってよぉ……。あっちはファンクラブにまで入会してるんだぜ? サイン会を開くなら呼んでくれっていうし……。俺は、会わせろって意味だと解釈したんだけど……」
「悪いが、君が麗華さんの目を気にして逃げ回るような態度を取るうちはサイン会など開けない」
「へっ……?」
混乱していると、その目がソファの方に向く。
「今し方、春山クンからメールが入ってね。庸平がマンションの入り口で、麗華さんに後を付けられていないか心配するあまり挙動不審だったから注意しておいた、と」
「あ、あいつ……!」
俺より一階先に降りた、そのわずかな時間差で情報を流すなんて……。孝太郎も孝太郎だ。普段はろくすっぽメールチェックなんぞしないのに、こういう時だけ時差なく目を通すなんてあり得ない……。
孝太郎は困惑する俺を追撃する。
「麗華さんにここで暮らしている姿を見られるのは都合が悪いのかい? なぜ?」
「なぜって……。ま、万が一姉貴がここで暮らしたい、なんて言い出したらどうする?! 昔みたいに家族同然に暮らすのもありよね、なんて……」
「なるほど。君の懸念はそれか……」
動揺する俺を見て、始めはクスクス笑っていた孝太郎だが、やがて大声を上げて笑った。
「な、なにがおかしいんだよぉ?」
「君の考えが分かってしまったからだ。おそらく君はこんな想像をしている。僕と麗華さんが恋愛関係、もっというと結婚した場合、自分の居場所がなくなってしまう。果ては僕との友情も破綻してしまう。それが恐ろしくてたまらない……。やつれた顔で叫ぶ君の顔まで目に浮かぶよ」
「…………!!」
俺が頑なに言語化を拒んできたイメージを、孝太郎が完璧に表現してしまったことにショックを受ける。待てよ? 言語化できるってことは、やはり孝太郎の頭の中にはすでにそのような考えがあるってことじゃ……? などといらぬことまで考えてしまう。
孝太郎はまだ笑っている。
「その顔を見る限り、図星だったようだね。……しかし、そんなことが現実化すると本気で信じているわけではあるまい? 君自身、麗華さんの口から聞いているんだろう? 僕には家族以上の感情はない、と」
「姉貴からは聞いた。でも、お前からは聞いてない」
「……つまり聞きたい、と?」
逆に問われて一歩下がる。
聞いてどうする? と問う俺がいる一方で、答え合わせがしたい、と好奇心むき出しの俺もいる。冷や汗でシャツを濡らす俺を見て、孝太郎は意地悪い少年のように笑う。
「麗華さんと庸平。どちらが好きかと言われれば、僕は迷わず庸平と答える」
「お、俺っ?!」
「好きでもないやつと一緒に暮らせるもんか」
「…………!」
「どうだい? これこそが真に君が望んでいた答えだろう?」
面と向かって堂々と告白された俺は、ただただ赤面するしかなかった。同時に、姉貴に勝った! という妙な優越感も湧いてくる。しかし孝太郎は、もう見ていられないというように顔を背けて笑い続ける。
「君という人間は本当に面白いね。若い頃ならともかく、こんなにもいい年になってしまった僕に愛らしき文句をささやかれて喜んでいるんだから。……ん? 僕もまだまだイケるってことなのか? それなら今みたいな感じで麗華さんに言い寄ればあるいは……」
「おい、まさかお前本気でそんなことを……!」
「ははっ、冗談だよ。今、君の方が好きだと言ったばかりだろう。それとも、僕の言葉が信じられないのかい?」
「うぅっ……」
二度三度と揶揄われ、全身が燃えるように熱い。なんでこんなことになった……? それもこれも全部、姉貴のせいだ。そこへ追い打ちを掛けるように孝太郎が顔を寄せてきた。思わず後ずさる。
「な、なんだよっ……」
「僕を信じ切れないなら行動で示すのがいいと思ってね……。どうだろう、今からデートをするというのは」
「デ、デート……?!」
言葉の響きから連想したのは、手を繋いだり飯を食べさせあったりといったシーン……。
(いやいや……! そんなわけねえだろ……!)
内心で叫んだ声が聞こえたのだろうか。孝太郎はニヤつきながら「何を妄想しているんだか」と言うなり、ローテーブルに置いてあったスマホをスラックスのポケットに入れた。
「行くぞ」
振り向きもせずにさっさと行ってしまうときは大抵、俺がついてくると確信しているとき。俺は外から帰ってきたそのままの格好で靴だけ履き直し、後を追った。
*
妄想したようなことが起きては困ると、隣は歩かず背中を見ながらついていく。しばらくは距離を保ったまま歩いていたが、そのうちに孝太郎がくるりと振り返り、後ろ向きで歩き始める。その表情は相変わらず楽しそうだ。
「頬を赤らめながらついてくるなんて、まるで中学生の女の子みたいだな。僕のことが好きなら堂々と隣を歩けばいいものを」
「お前が『デートだ』なんていうから緊張してんだよっ……」
「男同士が連れ立って出かけるだけじゃないか。そんなに恋愛ごっこがしたいなら、してやらんこともないが? ほら、手を出せよ」
俺が拒むと分かっていてわざと右手を差し出してくる孝太郎。揶揄われ続けるのも癪なので仕返しとばかり、かばんに忍ばせていた硬球を握らせる。と、さすがに驚いた表情に変わった。
「俺とデートしたいってんなら、付き合えよ。キャッチボールに」
「そうきたか……。いいだろう、付き合ってやる」
受け取ったボールを嬉しそうに何度も握り直すその顔はまるで少年のようだった。
*
ちょっと歩いたところに公園を見つけた。孝太郎が吸い込まれるように足を踏み入れ、俺と目が合うなりヒョイッとボールを投げてくる。
「……あの頃を思い出す。懐かしいな」
「あの頃って、中学? 高校?」
言葉と一緒にボールを返すと、孝太郎も同様に言葉と球を投げてくる。
「どっちもさ。思い返せばずいぶん長い付き合いだが、なぜだろう……。高校卒業後、四十数年が経過したなんて嘘みたいに、氣持ちは、精神は、あの頃からそれほど変わっていない」
「ここ数ヶ月は色々あったけどな……」
「それも含めて、だよ」
孝太郎はにやりと笑い、キャッチャーのようにしゃがんだ。お互いにミットもグラブもないが、高校時のポジションだったセカンドから送球するつもりで力一杯投げてやる。それを孝太郎はノーバウンドでキャッチした。
「さすがに腕力は衰えているようだな」
再び笑った彼は、立ち上がると先ほどのように緩い球を返してきた。
「君には感謝してるよ。今も昔も。前にも言ったかもしれないが、君がいなければ僕は刑務所行きか、あるいはとっくに死んでいた」
「……一緒に暮らしているのは、恩義を感じているからか?」
「違う。僕の持てる語彙を駆使して言うならば、一緒にいると心底落ち着けるからだ。好きとか好きじゃないとか、そう言う単語で語れるものじゃない。君に抱いているのはもはや言葉には出来ない想い。多分、君が僕に抱いている感情とは似て非なるものだろう」
「…………」
「言葉とは便利なようでいてその実、想いの半分も伝えられない。僕の想いを一番伝える方法があるとすればそれは……」
「野球、だろ?」
「ご名答。ただし、もう試合はしないけどね……」
なんだかんだ言ってやはり孝太郎と野球は切っても切れない関係なのだ、と改めて思う。そして言葉では伝えられない想いが何であるかは、こうしてキャッチボールをすればちゃんと分かる。
「そりゃそうだよな。姉貴とはこんなふうにボールを投げ合うことなんて出来ないもんな……。やっぱりお前の相手は俺じゃないと」
「そういうことだ。ようやく分かったようだな。満足したか?」
「ああ」
「それじゃあ、キャッチボールはこの辺でおしまいにしよう」
孝太郎は向きを変えると、さっさと公園を出て行ってしまった。慌てて追いかける。
「お、おい……。どこ行くんだよ?」
「行き先なんてどこでもいいじゃないか。むしろ、君といられればそれで充分。なんてったって今日はデートなんだから」
「…………!!」
突如として体中から汗が噴き出る。
「ああ~。動いたら汗だくだぜ~……」
我ながら下手な言い訳である。鈍感な孝太郎でも嘘だと氣付いたようだ。またしても揶揄われる。
「ほう……? それならもっと汗をかかせてやろう」
孝太郎は、少し先に見える建物を指さした。
「君のお陰で今日のデートスポットが決まった。キャッチボールでウォーミングアップも出来たし、ちょうどいいだろう」
「バ、バッティングセンター……。なるほどね……」
「それぞれ何球ホームランを出せるか競い合おうじゃないか。もちろん、最高速度で」
「おいおい、もう競い合う野球はしないんじゃなかったのか……?」
「今からするのは遊びだよ。命はかけない。だから、いいんだ」
「そ、そうですか……」
「さぁ、行こう」
今日はメチャクチャ機嫌がいいらしい。とうとう腕を取られ、引っ張られる形で歩かされる。今の孝太郎を見て、元プロ野球選手・永江孝太郎だと氣付く人間は一人もいないだろう。そのくらい表情が違っている。
しかしよくよく考えてみれば、俺たちはもう現役を引退したのだから、一打席ごとに全力で臨む必要はない。勝ちにこだわる必要もない。純粋に好きな野球を存分に楽しめるとわかれば、人は自然と笑顔になってしまうものなのかもしれない。
(そうだよな……。もう周りの反応を氣にする必要はない。湧いてくる感情そのままに、瞬間瞬間をただ、生きる。きっとそれでいいんだ……)
少し前、野上にも言われたっけ。好きなら好きって言えばいい、と。どうしても恥ずかしさが先に立ってしまう俺だけど、どうせバレているなら堂々としていればいいような氣もしてくる。
急に、恥ずかしがっていたのが馬鹿馬鹿しくなった。先を行く孝太郎を追い越し、今度は俺が引っ張る格好になる。
「ぜってえ負けねえ! 俺だって社会人野球チームでずっと活躍してたんだからな!」
「その言葉を待っていた。それでこそ我が親友」
顔を見合わせ、互いにほくそ笑む。もう相手より上位に立つために競い合うことはない俺たちだが、多分この関係は一生涯続くだろう。
バッティングセンターまでのわずかな距離を、俺たちは少年のように駆け抜ける。いつの間にか妙な汗は引き、濡れたシャツを秋風がすり抜けていった。
※見出し画像は、生成AIで作成したものを使用しています。
イメージ通り生成できず、今回はかなり合成・修正しています💦
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