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【一氣読み・長編小説】「愛の歌を君に2」

こちらは長編小説「愛の歌を君に2」(全16話)を通しで読めるようにまとめた記事です(中盤にカット&順番を変えた箇所あり。その他、全体的に修正あり)。
テーマは「人々の目覚めを促す」です。読み応えたっぷりの物語となっております。今の社会に疑問を持っている方、生きづらさを感じている方、社会に不満を持っている方にオススメ。ぜひ読んでみてください🥰

まだ最終話を読んでいない方はこちら……!
【連載小説】「愛の歌を君に2」#最終話 新たな野望を胸に

第一部・一氣読み「愛の歌を君に」(あらすじあり)はこちら
※初めての方は、こちらで世界観を知ってから読むとより楽しめます!


<<あらすじ(738字)>>

麗華の所属事務所・社長から「三人でメジャーデビューしないか」と声がかかった。断れば音楽業界から締め出されることが分かっていた麗華だが、拓海と智篤に励まされ事務所を辞める決意をする。

「いじめ」はすぐに始まり、行きつけのライブハウスのオーナーからも出入り禁止を言い渡されてしまう。

後日、音楽プロデューサー・ショータと、ウェブ上で人氣のバンド「ブラックボックス」の協力により、ミュージックビデオのウェブ配信を成功させた三人だったが、協力者の一人であるリオンが麗華の所属していた音楽事務所に引き抜かれたことでメンバーの仲が悪化する。

リオン不在のまま、サザンクロス単独のライブを業界の息がかかっていない野球場で開催することが決まる。麗華が所属していた音楽事務所が同日に急遽、音楽フェスを開催するという対抗策をとってきたり、台風接近に伴う悪天候に見舞われたりと困難な状況に陥る中、ライブ会場には熱心なファンが集い盛り上がる。

前半のライブもいよいよラストという時、停電が発生する。そんな中、ウェブ配信を続けろと言ったのはオーナーだった。その言葉に後押しされ、再開したライブは無事に終わる。

控え室に戻ると、そこにはなんとリオンがいた。葛藤の末、ショータの手引きにより停電に乗じてアリーナを抜け出してきたという。彼はサザンクロス封じのためメジャーへの憧憬しょうけいを利用されていたのだった。真相を聞いた仲間はすべてを赦した。

停電が続く中、六人で始まった後半のライブは歌の奇跡がたびたび起きるなどして一層盛り上がる。いよいよ最後の曲という時になって麗華の元所属事務所・社長が姿を現した。麗華は社長を、そして聴衆を目覚めさせるために歌う。その夜、その場所はまさに愛と平和に溢れる世界になったのだった。

前半(約42000字):


1.<麗華>

 ――で、どうする? 麗華の考えを聞かせてくれ。
 声を失った拓海の新しい伝達手段である手話を読み取ったあたしは、腕を組んでしばし悩んだ。

 大型連休に、新生サザンクロスで初めて行った路上ライブは大成功のうちに終わった。それについては何ら不満はなく、むしろ誇らしくさえ感じている。が、問題はそのあと。

 音楽事務所に呼び出されたあたしは、「いい加減ソロに戻りなさい」と言われるに違いないと身構えていた。ところが社長の口から飛び出したのはまさかの「サザンクロスのメジャーデビュー」案。人づてに路上ライブの撮影動画を見た社長があたしたちの集客力をみて「売れる」と思ったらしい。

 これが二十代の頃の誘いだったらどれだけ良かったことか。あの時はあたしだけが引き抜かれ、それが原因でバンドは解散。メンバーには長らく恨まれることになったわけだが、三十数年が経った今になってあの頃望んでいた「メジャーデビュー」のお声がかかるとは皮肉なものである。

 これがただの、、、再結成後の話なら喜んで飛びついただろう。しかしあたしたちは拓海の病を機に集まり、彼の声の喪失を乗り越えてここにいる。自分たちの音楽を表現することの歓びを改めて知り、まさに今、新生サザンクロスとして出発しようとしているところへ「メジャーデビューしないか?」と言われても困惑するばかりだ。

 名を売りたいなら受けるべきだと言うことは全員が承知している。ただ、今のあたしたちの目的は内なる想いを表現することに尽きる。メジャーの世界に足を突っ込むと言うことは、自分の意志とはかけ離れた音楽作りを甘んじて受け容れることでもある。それが嫌でインディーズで活躍してきた拓海と智くんが首を縦に振るとは到底思えなかった。いや、あたし自身、今では彼らと同じ考えに至っている。プロデビューしてからというもの、多くの曲を事務所に言われるがまま作ってきたが、改めて聞き直してみると全然「あたしの思い」が籠もっていないのが分かる。自分の仕事用の音楽に納得できないままメジャーの世界に戻っても無意味なのは明らかだ。

 ではなぜ悩む必要があるのかと言えば、この誘いを断ることで何が起きるのか想像できてしまうからだ。端的に言えば「いじめ」が始まる。主要な音楽イベントには出られなくなるだろうし、悪評が流される恐れもある。そうなってしまえばあたしたちの活動は制限され、「世界征服」など夢のまた夢になるだろう。

「メディアの力とはそれほどまでに強大で恐ろしいものなのよ……」
 自分の考えをまとめ二人に説明すると、智くんも拓海も呆れたようにため息をつき、顔を見合わせた。

「今更そんなことを恐れる僕たちじゃないよ」

 ――そうだぜ。覚悟を決めなきゃいけないのは多分、麗華のほう。これからも俺たちとインディーズの世界でやっていくつもりがあるなら誘いを蹴って欲しい。事務所を通して出る仕事を断って路上ライブをすると決意した時のように。

「…………」

「インディーズにはインディーズのやり方があるし、僕らは金で買えないものを持ってる。音楽業界の圧力には決して屈しない」
 智くんの言葉に拓海も頷く。

 ――なんだかんだ言って、デビュー曲が一番良かったってアーティストは多い。……そう、誰でも最初は魂が籠もってる。だけど売れるに従って魂が抜かれてく。俺たちはそうはなりたくないし、麗華にももう、そういう道を歩いて欲しくない。……っていうか、俺たちを信じてるっていうなら何も怖いことはないだろう?

 二人の力強い言葉と目力を見てホッとする。
「やっぱり二人と一緒で良かった……。そこまではっきり言ってもらえたなら、こっちもすっぱり断れる」

 どのみち、路上ライブが済んだら事務所とは話し合う必要があると思っていたのだ。あちらはいい条件を提示してくれたが、仲間とともに「世界征服」を果たそうと目論むからには既存の組織との対峙は必至。たとえそれが業界の非常識であったとしても。

 二人の顔を交互に見ながら言う。
「あたし、事務所を辞める。社長には悪いけど、話をもらったことでメジャーデビューできるだけの実力があるんだって分かったし、実際に路上ライブでは手応えを感じたもの。辞めるなら今しかない」

 拓海と智くんは目を丸くしたが、直後ににやりと笑い合った。


2.<拓海>

 覚悟に満ちた表情が印象的だった。口には出さずともずっと以前からこの日が来たらどう動くか選択肢を用意していたに違いない。長年世話になった事務所からの「優しさ」を拒否し、インディーズでやっていくと宣言するのは決して容易たやすいことじゃない。しかし麗華には確かな実績がある。俺たちにもある。そこに人が居さえすれば、そして歌声とギターさえあればいかようにも出来ることを知っている。この自信はちょっとやそっとじゃ折れない。とりわけ死の淵から戻ってきている俺の場合は。

 やりたいことは全部やったつもりだった。死んでも後悔しないはずだった。だけどそれは俺個人の話で、俺と一緒に新しい世界を作りたいという二人の想いに応えていなかったと氣付いたのは死の間際。生還の代償に自分の声を差し出さなければならなかったのは正直辛かったが、二人の笑顔を目の当たりにしたときは悪い取引ではなかったかな、と思えたのだった。

 生きることの意味を知ったのもその時。ちっぽけに思えるこの命も誰かを喜ばせるのに役立っているなんて、死にかけなければきっと一生氣づけなかった。二人にはまだちゃんと伝えていないが、俺が世界に向けて発信すべきはこの氣づきだと思ってる。

 俺は智篤を小突き、手を小さく動かす。
 ――頼みがあるんだけど……。俺の代わりに歌ってほしい歌がある。

「拓海の代わりに?」

 ――ああ。麗華の綺麗な声よりお前の力強い声の方がイメージに合うんだ。……俺を生かした責任、とってくれるんだろう?

「そう言われたんじゃ断れないな……。オーケー。リーダーの頼みなら何でもするよ。で、どんな曲?」

 問われた俺は歌詞と楽譜を手渡し、早速ギターを奏で始める。心の中で歌いながらリズミカルに弾く。智篤が口ずさみながら身体を揺らす様子を麗華が微笑みながら見ている。

「とってもいい曲。確かにその歌詞なら、あたしより智くんの声の方が断然いいわ。ねぇ、もう一回弾いてみてよ。今度はあたしも一緒に弾く」
 麗華は俺たちの返事も待たずにギターを引っ提げ、音を合わせ始めた。

 俺たちの演奏に合わせて智篤が二度三度、同じ歌を歌う。聞けば聞くほど惚れ惚れする美声。ウイング時代は曲との兼ね合いもあって俺がメインでボーカルを務めていたが、「オールド&ニューワールド」をはじめ、智篤の歌が始まると誰もが「魂の叫び」を聴く体勢に変わったものだ。そんな智篤の才能を羨みながらも俺は文字通り喉をらして歌うことしか出来なかった。

 そんなことを考えていたら智篤の呟きが聞こえる。
「まだまだ歌いたかったんだろうね……。歌詞に君の、歌いたいという想いが詰まってる」

 確かに思いは込めた。しかしあくまでも延長戦に入った人生で思うことを俺なりに表現しただけ。完全に声を失った生活に慣れた今は、地声で歌いたいという氣持ちはだいぶ薄れている。その理由を手話で伝える。

 ――いんや。お前の声を通してちゃんと表現されるからなんの未練もねえよ。いまや、お前の声は俺の声も同然だ。俺たちゃ一心同体。そうだろう?

「なるほど……。それが声と引き換えに君を生かしたことに対する贖罪ならば、僕は君の『声役こえやく』を、君が死ぬまで続けなくちゃいけないわけだ。まぁ、いいさ。君の想いを感じながら歌えば自ずと君らしく歌える。……あ``ーあ``ー。そういうことならもうちょっと喉を潰した方がいいかな?」

 ――そいつはオススメしねえな。ほんとに喉を痛めかねない。

「冗談さ。君が声を失うのを目の当たりにしてるし、君と違って喉のケアをするのは僕の趣味だからな」

 その言葉を聞いて反射的に小突いたが、こうなったのはすべて自分に責任があるのも分かっているので、湧き上がってきた自分への怒りはギターに乗せて発散することにした。


3.<智篤>

 長きにわたる音楽人生でこれほどまでに穏やかな氣持ちでいたことはない。安定した心から生み出される音は優しく、そして美しく、三人での暮らしをより豊かにしてくれる。

 刺激が少ないからか、この頃は新しい音楽を作ろうというパッションが湧いてこなかった。そこへ拓海から、今の世に向けた「挑戦状」ともとれる曲を手渡され、にわかに昂揚こうようする。そうだ。この生活は新たな一歩を踏み出すために必要な、強固な土台。いつでも帰ってこられる「心の住み処す か」を足がかりに僕らは「世界征服」を始めなければならない。それがミュージシャンである僕らの使命。

「拓海。最後のところ、もうちょっと歌詞を足して歌ってみてもいいかな。どうせならもっと過激にしようぜ」

 ――おっ、乗ってきたな? もちろん、お前が歌いやすいようにどんどん変えてくれ。

 拓海は嬉しそうに手話で返した。ラストの部分に思いついた歌詞を加えて歌うと、大袈裟なくらいの拍手で歓びを表してくれた。

 ――サイコーだぜ。やっぱ、三十年この世を憂えてきた人間は違うな。うん、今のでいこう。

「じゃあ、歌詞を書き加えておこう。……それはそうと、タイトルが決まってないようだけど?」

 ――それなー。ちょっと悩んでる……。考えてるのは「叫びスクリーム」とか、「燃やせ、魂バーン・ユア・ソウル」とかだけど。

「なんか違うかなぁ……。シンプルに『コンパス』はどう? 羅針盤と書いてコンパス」

 レイちゃんの提案を受けて、歌詞を書いたついでにタイトルも書き加えてみる。その上で全体を眺めてみたら、何だかこれしかないような氣がしてきた。拓海もそう感じたようだ。

 ――パンチの効いたタイトルにしようと思ってたけど、アリだな。

「うん。僕もこれが良いと思う」

「ねぇねぇ。そういうことなら早速録音してみない?」

「オーケー」
 僕らは返事をして移動を始めた。

 三人で暮らすこの家には、転居に伴って改装した音楽スタジオがある。中古とはいえ、住宅の購入やリノベーションにはまとまった金が必要だったが、そのほとんどはレイちゃんが出資してくれた。メジャーの世界で活躍してきたお一人様の手にかかれば、地方都市の一軒家など安い買い物のようだ。しかしその彼女もいよいよ事務所を「卒業する」となれば、拓海の部屋で三人暮らしをしていた頃のように貯金を切り崩したり、地域のイベント等に出演したりして生活費を工面することも念頭に置く必要があるだろう。

 それでも僕らはあえてインディーズでの活動を選ぶ。三人での楽しい日常があればいい。三人でいれば大抵のことはなんとかなるし、奇抜な広告で惹きつけなくとも僕らの声は必ず届くと確信しているからだ。

 録音機材は充実している。これもレイちゃんの財力とプロの目利きの賜物だ。凝った編曲は出来ないが、アコギバンドの僕らはむしろそれで勝負するつもり。それが証拠にギターは曲に合わせて使い分けが出来るくらいの本数を所有している。

 拓海が新曲「羅針盤コンパス」にふさわしいギターを迷わず選んだのを見て満足する。レイちゃんも拓海の選んだギターの音を生かすような一本を選択し、肩から提げる。

 二口ふたくちペットボトルの水を飲み、喉を整える。レイちゃんが機材の準備をし、合図のあとで拓海の演奏から録音が始まる。

声をなくした、歌手だけど
未練がましいミュージシャン
俺にはギターがあるからさ
こいつで思い、伝えんだ

曇りきったこの世界
歌とギターで晴らすまで
俺たちゃ歌い続けんだ

みんなが右へならえ、ったって
俺たちゃ絶対向かねえぞ
心の羅針盤はりに従って
自分の道、進むんだ

他人だれかの言葉にゃ価値がないって
気づいたやつから目覚め出す
「ホントの自分」の声、動き出す世界、
名もなき男の戯れ言ざれごとを聞いてくれ

##

声をなくした、歌手だけど
未練がましいミュージシャン
俺には仲間がいるからさ
みんなで思い、伝えんだ

腐りきったこの世界
歌とギターで晴らすまで
俺たちゃ歌い続けんだ

「頑張れ、やれば出来る」ったって
俺たちゃ限界、やれねえぞ
心が折れちまう前に
捨ててしまえ、常識を

あいつの言葉は嘘だらけだって
気づいたやつから目覚め出す
魂からの声、嘘のない世界、
名もなき市民おれら戯れ言ざれごとを聞いてくれ

渡されたコンパス
それってホンモノ?
針さす方にあるものは?
希望か、それとも、ぜ・つ・ぼ・う?
嫌なら言ってやろうぜ!
戯れ言ざ ごとを! たわごとを! 真実を! さぁ!

 三人の息と想いが完全に重なるこの瞬間がたまらない。そして死の淵から生還した拓海の作った歌詞を朗々と歌える歓びに浸る。これぞ魂の叫び。社会に対する挑戦状。聞いた人が「危険な思想だ」と突っぱねたって僕らは何度でもどんな場所でも歌う。僕らの声という楽器、そしてギターがこの手にある限り。

「智くん、とっても活き活きしてる。サザンクロスのメインボーカルは智くんで決まりね!」
 一回目の録音を終えるとレイちゃんが興奮気味に言った。
「あたしの所属する事務所の社長は悔しがるでしょうね」

「これで三十年越しの恨みを晴らせる。どんなに金を積まれても僕はノーと言い続けるよ」

 端からは大チャンスに見える誘いをあえて蹴って悦に入る……。自分で言っておいて何だが、ライトノベルの主人公の台詞っぽくて笑える。実際には相手が悔しがろうがどうしようがどうでも良い。年齢を重ねた僕らが求めるものはもはや金でも名声でもない。魂の叫びを通して人々の覚醒を促すことだ。立ち上がる人を増やすことだ。

「これ以上、神聖な音楽をけがされてたまるか。利用されてたまるか」
 言い放つとレイちゃんは目を伏せ、小さくため息をついた。

「……拓海の歌詞と智くんの言葉……。二人の熱い想いを知ったらこれまで書いてきた曲を書き直したくなってきちゃった。ああ……。あれもこれもみんな……」

「レイちゃん……」

「この年にもなれば若い頃の作品なんてみんな不出来に感じるもの。そうじゃない? ああ、そのままにしておくなんて恥ずかしすぎる……! よーし! 『羅針盤コンパス』の録音を終えたら早速着手するぞー!」

 そんなことを言うレイちゃんの容姿が「若い頃」なのでそのギャップに再び笑いが込み上げる。だけど僕は一皮むけたレイちゃんが好きだ。拓海も嬉しそうに手を動かす。

 ――じゃあさ、麗華の若い頃の作品もイイ感じに編曲できたら、「羅針盤コンパス」と一緒に路上で披露しようぜ。反応が良かったらライブハウスでも歌えばいい。

「だね! それじゃあもう一回、『羅針盤コンパス』弾こうか!」

 彼女にとびきりの笑顔を向けられた僕らも満面の笑みを返す。穏やかな日常。しかしこんな日々はこれきりになるかもしれない、と心のどこかで思う。歌とギターを引っ提げて闘うと決めた僕らにはおそらく想像を超える試練が待っている。それでも、歌を聴いた人たちの笑顔を取り戻すために僕らは立ち上がる。たとえ僕らから笑顔が消えることになっても……。


4.<麗華>

「どうなっても知らないからね……?」

 社長と交わした最後の言葉が現実のものになるまで一週間とかからなかった。まず、定期的に通っていたボイストレーナーから契約を打ち切られた。理由を聞いても「ごめんね」と言うばかりで詳しいことは何も教えてもらえない。それならばと別のコーチを当たってみるも反応は同じ。ここでようやく辞めた事務所があたしを排除しようとしているのだと悟った。

 しかし仲間は「想定内」だと思っているのかあまり氣にしていない様子だ。最初からインディーズでやってきた彼らにとっては自力が普通。組織に属し、従ってきたあたしとはそもそも考え方が違う。頭では分かっているつもり。だが、どうにも落ち着かない。

 リビングでソファにもたれ天井を仰いでいると、拓海に顔を覗かれた。
 ――何考えてるか、当ててやろうか?

 拓海は手話でそう言い、あたしの隣に腰掛けた。

 ――自分は、思い通りに音楽活動が出来なくなることを不安に思ってるのに、俺らがあっけらかんとしてるから困惑してる。……違うか?

「……あたり」

 ――心配するな。生きてる限り、打開策は必ず見つかる。俺らを信じろ。

「……だとしても、あたしはあんたたちのように、でんと構えていることが出来ないわ」

「それは多分、レイちゃんがメジャーの人間だからさ」
 そこへ智くんも加わる。
「拓海の復活からここへの引っ越し、そして路上ライブと忙しい日々を過ごしてきたせいでこの頃は交流する時間がなかったけど、僕らにはインディーズ仲間がたくさんいるんだ。ライブハウスのスタッフたちとも親しい。僕と拓海が堂々としているのはそのせいだよ」

 智くんの言葉を聞いた拓海は、「そういうこと!」と言わんばかりに笑みを浮かべて頷いた。

「仲間……か」

 思い返してみればあたしはずっと一人で闘ってきた。業界の人はみんなライバル。ちょっと仲良くなった子がいても、そういう子は優しいから業界の厳しさに耐えきれずに去り、氣付けば心許せる人間はいなくなっていた。

 それでも頑張って来れたのは支えてくれたファンと、陰ながら見守ってくれた「神様」がいたからだが、「シンガーソングライター・レイカ」を卒業した今はもう神様からの言葉や曲は降りてこない。慣れ親しんだ声が聞こえないことに寂しさを感じていたところへメジャー界のいじめが始まったのだから、不安になるなと言う方が無理である。

 うつむくと智くんがしゃがみ込み、あたしの顔を正面から見た。
「レイちゃんは僕らが認めた歌姫だよ? ウイング時代から交流のある人たちに受け容れられないわけがない。大丈夫。みんなホントに氣のいい奴らばかりだ。何も怖がる必要はないよ」

 その目の輝きを見れば彼が真実を語っているのは明白だった。

「……ホントに受け容れてもらえるのかな。元メジャーのあたしが」

 ――受け容れさせるさ。
 拓海も自信たっぷりの表情で手を動かした。

「……分かった。そこまで言うなら会わせて。ちゃんと挨拶がしたいわ」

「もちろん。って言うか、そう言ってくれる日を待ってた。なぁ、拓海?」
 拓海はうんうんと力強く頷くと、あたしの腕を取って立ち上がった。

 ――行こう、今から。

「え、今から……?」

 ――善は急げって言うだろ?

「…………」

「悩んでる暇はないよ、レイちゃん。人生は有限なんだからね」

 智くんの言葉を聞いたあたしは拓海と目を合わせた。不安げに見つめていたからか、拓海は「そんな目で見るな」とでも言うかのようにかぶりを振ってあたしを抱いた。

 拓海の胸から心臓の鼓動が聞こえる。ドク、ドク、ドク……。規則正しく動いてるのを感じていると、智くんが言う。

「……確かに一緒に過ごせる時間は延びた。だけどこの時間はいつまでも続くもんじゃない。……拓海が声を出せるならきっとそう言うだろうし、僕もそう思う」

「そうだね……。拓海の体温を感じられるのって、当たり前じゃないんだよね」
 そうだよ、と言うかのようにその腕があたしを強く抱く。
「ありがとう、拓海。智くん。インディーズ界のこと、いろいろ教えてちょうだい」

「オーケー」
 智くんは嬉しそうに答え、あたしと拓海のギターを渡してくれた。

 ――さすがは智篤。俺の心情を完璧に言語化してくれたお前はもはや心の恋人だぜ。

「ふん……。君の考えは単純だからな。発言のパターンなど知れてる」
 拓海の手話を読み取った智くんはそう返してそっぽを向いたが、嬉しい氣持ちを素直に言えないだけだと言うことは、あたしも拓海も分かっている。

 呆れたようにため息をついた拓海だが、あたしのときよりも嬉しそうに智くんの肩を抱き、玄関に向かったのだった。


5.<拓海>

 夕方。ライブハウスの開店準備中に俺たちは店を訪れた。入るなり、「あ!」と声があがる。

「拓海さん、智さん……ですよね? お久しぶりっす! 今日のライブ、見に来たんっすか?」
 バイトでバンドマンのユージンだった。五年くらい前に知り合い、俺たちを兄のように慕ってくるかわいい男だ。

「今日はメジャー出身のレイちゃんに、インディーズ仲間やここのスタッフを紹介したくてね」
 智篤が来店の理由を説明すると、ユージンは飛び上がってガッツポーズをした。

「じゃあ、オレのことも紹介してもらえますよね! 今日、バイトで良かったー! いつか麗華さんとしゃべりたいって思ってたんですよー! ……オレ、ユージンって言います。ブラックボックスって名前のバンドでエレキ弾いてます。七年前にウイングのライブ見て一目惚れして、絶対ここで一緒にやるんだって仲間を説得して……。そのあとは色々ありましたが、対バンの夢が叶ってからというもの、ずっと仲良くさせてもらってるんですよ」

「ユージンくんって言うのね。あたしはレイ……」

「あーっ! 名乗らなくても……! 麗華さんのことはよーく知ってます。なにせお二人がずっと……ライバル視してた人ですから。まさかその麗華さんとかつてのバンド名で一緒にやるなんてね……。年末のライブで集まったバンド仲間はみんなびっくりしてましたよ。あの日はその話を聞きたかったんだけど、智さんが具合悪そうに店を出て行くのを見た人がいて、みんなで心配してたんです。それきり姿も見なくなったし……」

「ああ……。そいつは悪かったな……。おかげさまでこの通り、若返って戻ってきたぜ」
 智篤はにやりと笑い、俺と肩を組んだ。
「拓海は声が出なくなっちゃったけど、それ以外は超がつくほど元氣だから」

「ええっ!! 拓海さん声なくしちゃったんですか!! 病氣か何かですか? かすれた声が好きだったのに、残念だなぁ……。もしかしてしばらくここに顔を見せなかったのってそのせい?」

「まぁ、そういうことになるかな……」

「そっかぁ……」
 ユージンは本当に残念そうにため息をついた。期待に応えられないのは俺も辛いが、声を代償しになければ死んでいたし、そうなっていた場合、声はおろかこうして会うことも出来なかったのだから仕方がない。

 ――心配するな。俺が歌えなくても智篤が歌ってくれるし、俺はその分ギター演奏でみんなを楽しませるから。

 手話で話すと、智篤が読み取ってユージンに伝えてくれた。彼は「ホントに声が出ないんだ……」とつぶやいたが「じゃあ、ここへ来たついでに次のライブの予約もしていって下さいよ。オーナー呼んできますから」と言って店の奥に向かいかけた。

「その必要はない」
 いつからいたのか、呼びに行くまでもなくオーナーはすぐ近くに立っていた。

「あ、オーナー。サザンクロスさんがきて……」

「ユージン。いつまでしゃべっている? 開店の準備を進めろ」

「ひぃっ……! 分かりましたぁ……」
 強面ですごまれたユージンは肩をすぼませると、いそいそと仕事に戻っていった。

「さて……」
 オーナーは俺たちに向き直ると、長い前髪を掻き上げた。その仕草は悪い話が始まる前兆。俺も智篤も身構える。

「単刀直入に言おう。残念だが今後、サザンクロスには出入りを遠慮してもらう。理由は分かるな? 正直、心苦しいよ。だけど、私はここのオーナーだからね。他のバンドを守るためにもそうするより仕方がないんだ。分かってくれ」

「…………!」

 俺たちは顔を見合わせた。まさかオーナーから「出禁」を告げられるとは……。なぜこんなことになったのか想像するのは容易だったが、正直な話「嘘だろ?!」って感じだ。俺の思っていることを代弁するかのように智篤が息巻く。

「はぁっ?! なんでだよ。最初期からここで歌ってきた僕たちを排除しようってのか?! ずっと味方だと思ってたのに……!!」

「だから、心苦しいと言ったじゃないか。もちろん、個人的には味方でいるつもりだし、これからも応援していきたい氣持ちはある。ただ、ここでは歌わせられないって話だ」

「それは……あたしが所属していた音楽事務所の指示ですか?」
 麗華の問いにオーナーは「想像に任せる」とひと言だけ呟いた。

「……がっかりだよ。オーナーだけはどんな事があってもメジャーと闘ってくれると信じていたのに」

「それは若い頃の話だ。これだけ多くのバンドマンが出入りする店になった今となっては、いちバンドの野望より店の方が何倍も大事なんだ」

 ライブハウスの創設と時を同じくして結成した俺らとオーナーとは同年代。付き合いが長いこともあり、最も心許せる人物のひとりだった。そのオーナーから言い渡された、ライブハウス出入り禁止令……。この胸の痛みと怒り、憎しみにも似た感情は、麗華に裏切られたときに感じたものと同じだった。

 智篤はなおも睨み付けながら言う。
「……僕らを見捨てるってのか」

「生き残れるよう手は尽くす。その代わり、ここへは足を踏み入れるな。……ほとぼりが冷めるまでは」

「くっ……。おい、拓海も何か言ったらどうなんだ……?」

 ――言いたいことはお前が全部言ってくれた……。それと……手話じゃ俺の怒りは十分の一も伝わらねえから……。
 
 俺だって出来るものなら反論したい。だけどこの感情をうまく手話で表せそうになかった。

 そう、俺たちは激怒している。が、麗華の方はどうだろう。おそらくこんなことになってしまった責任を感じているはず。その証拠に麗華はさっきからうつむきっぱなしだ。

 ――お前のせいじゃねえよ。大丈夫。若い頃、こういうことは日常茶飯事だった。でも、なんだかんだ言ってなんとかしてきた。だから今度もきっとなんとかなる。

「……ごめん」
 俺たちが頼りないからだろうか、麗華はぽつりと謝った。

「最後の挨拶だけは許そう。だが、開店前には出て行ってくれよ」
 オーナーはそう言い置くと、近くにいた一人の男に何やら耳打ちをしてから去っていった。


6.<智篤>

 とても最後の挨拶などする氣分じゃなかった僕らはすぐに店を出た。

「ごめん、レイちゃん……」
 僕は本来の目的が果たせなかったことを詫びた。もちろんレイちゃんがそんなことを氣にするはずもないが、彼女に責任を感じて欲しくなかったから先手を打った。
「なんかモヤモヤするから、この足で歌っていきたいな……」

「そうね……。あたしも歌いたい」

 ――じゃあ、地元に帰ったら弾くか。本音を言えばすぐに弾きたいところけど、都内は取り締まりのお巡り、、、が多いからな……。

「まったく、面倒な世の中になったものだ……」

 僕らが学生の時分には路上で自由に弾き語りが出来たのに、最近は使用許可を取らないとおおっぴらに活動出来なくなった。地方はそこまで厳しくないが、都内では夜ごと警察官がうろうろし、たむろする若者に声をかけまくっている。それが犯罪防止に役立っているならいいが、ミュージシャンの側にしてみれば年を追うごとに「表現の自由」が奪われ、生きづらさも増していると感じる。

 そうやって湧き上がる想いや感情に蓋をするから余計に不満が溜まるのに、それが分からない連中がいる。僕を含め、今やこの国の大多数が噴火寸前だ。もし僕らの不満が一斉に噴出したらおそらく誰も止めることはできないだろう。

 僕らの使命はこの、不満を抱く人たちをこちら側に引き込み、一緒になって自由を奪う奴らに「NO」を突きつけること。そのためには従順な家畜でいることをやめ、どうすれば生きやすい国になるか自分たちの頭で考え、行動していかなければならない。

 言われたとおりに動くだけ、というのは確かに楽ちんだ。しかしその代償として自由な発言を奪われ、競争心をあおられ、時間に追われるよう仕向けられ、心身共に病氣にさせられる。そこに幸せはあるのか? 僕の答えは「NO」だ。

(こちとらぁ、歌で死にかけの男を救ったんだ。僕らに出来ないことなどないってことを証明してやる……!)

 駅前でしゃがみ込んでダベる若者に声をかける警察官を横目で見る。
「……ちっ。外で自由にしゃべることすら許されねえのかよ。腐ってんな、この世の中は」

 ――おいおい、ちょっと前までのお前が顔を出しかけてるぜ? 氣持ちは分からんでもないが、間違ってもツバなんか吐き捨てるなよ?

 憎々しげに言ったからか、拓海は身体を張って僕の行く手を阻んだ。
「まさか。僕の武器は歌とギターだぜ? ♪つまんねえ人生いまにツバを吐けー、つまんねえ世界いまを終わらせろー……」

 本当にツバを吐く代わりに、僕は警察官に聞こえる声量で「オールド&ニューワールド」のサビを歌った。


7.<麗華>

 その日のモヤモヤは歌うことで晴れたものの、活動場所が制限されたという現実に変わりはなく、翌朝の目覚めは良くなかった。

「目の前でそんな顔をされたんじゃ、こっちも食事が喉を通らないなぁ……」
 無気力のまま流れ作業で用意したブランチはおいしくなかったに違いない。智くんがため息をつくように言った。

「昨日のことを引きずりたくなるのは分かるよ。だけど、氣持ちを切り替えなくちゃ」

 ――そうだぜ。贔屓ひいきにしてるライブハウスがダメになったってだけで、他の方法がダメになったわけじゃない。駆けずり回ることにはなるだろうが、協力者は必ず見つかる。っつーか、金で繋がってない俺たちはこういう時こそ強い……はず!

 拓海の方は空腹が勝るらしく、沈むあたしの顔を見ながら平然とハムエッグを口に放り込んでいる。

 ――コネ無し、実力無し、知名度無し……。俺たち二人はそんなところからここまで頑張ってきてるんだぜ? コネがあって、仲間がいて、実力と知名度もそれなりの今だったら絶対なんとかなると思わねえか?

 自信に満ちあふれた彼の姿は頼もしかった。
「そんな顔で言われたらなんとかなるような氣がしてきたわ。……一年くらい前にバンドを再結成して欲しいって頼んできた時には死相が漂っていたのに、まるで別人ね」

 ――そりゃあ、今じゃ誰よりも歌の力を……とりわけ二人の想いが生み出すパワーを信じてるからなぁ。死の淵からよみがえった俺は無敵だよ。

 隣で聞いている智くんも、うんうんと力強く頷いた。

 どんなに困難な状況でもとにかく歌う。歌だけは絶対に裏切らないから……。それが二人の考え方だった。言われてみればすべてが正論。なのにあたしはそんな基本的なことでさえ忘れてしまっていた。

 ――メジャーで長く活動するためには魂を売るしかなかったんだろう? 今は売っちまった魂の回収期間と思ってゆっくり充電すりゃいいさ。

 バンドの結成以前は、そんなふうにしてお金をもらっていたあたしを軽蔑すらしていたであろう拓海から同情めいた言葉をかけられる。すべてを赦す広い心を手に入れた彼の優しさに涙が出そうになる。

 彼の想いに応えるためには心を込めて歌うしかない。メジャーだとかインディーズだとかそういうのは一切関係無しに、誰もが魂からの声を、想いを、歌える日が来るようにあたしがその架け橋にならなければ……。

「ありがとう、拓海のおかげであたしが目指すべき世界が見えた。歌を愛するすべての人が、なんのしがらみもなく自由に歌える世界にするためにあたしは歌う。正々堂々と公の場で主張していく」

 ――それでいい。もともと麗華には力があるんだ。やってやれないことはない。

「うん。だからこそ、僕なんかは嫉妬してたわけだしね……」
 拓海が本当に倒れてしまうまであたしを恨み続けていた智くんも今ではあたしの能力を認めてくれている。

「さあて、そういうことなら早速本格始動するか」
 食事を終えてくつろいでいた智くんが椅子から立ち上がった。
「気分転換がてら、道路使用許可を提出してくるよ。大丈夫。僕らの歌と演奏を評価してくれる人は絶対にいる」


8.<拓海>

 路上ライブをするため駅前に来ている。昼のうちに道路使用許可を取っているから今日は遠慮なく弾ける。

 いつものように三人で歌い、弾く。俺たちが思ったとおり、メジャー業界からの締め出しが始まったって道行く人の反応は以前とまったく変わらない。立ち止まってくれる人、無関心に通り過ぎていく人、「下手くそ!」と言ってくるくらいには聴いている人……。みんな、いつも通りだ。

 一時間ほど演奏した頃だろうか。中折れ帽をかぶった三十歳くらいの男が迷うことなくこちらに向かってきて目の前で足を止めた。男は帽子を脱ぎ、一礼する。

「やっぱりここで歌ってましたね。探す手間が省けました」
 音楽プロデューサー、ショータだった。彼とは十年来の付き合いで、ライブイベントの時は必ずと言っていいほど知恵を借りている。

「なんで君がこんなところに?」
 智篤の問いにショータは「そりゃあ三人に協力するためですよ」とにこやかに答えた。

 ――ひょっとしてあの時、オーナーから何か伝令を受けたのか? 俺たちと話し終えたオーナーに耳打ちされてたろう? 俺は見逃さなかったぜ?
 俺の手話を読み取った智篤が代わりに発声し、問いかける。

「ご名答。くしくもサザンクロスさんが来訪する直前にオーナーから詳細を聞きまして、どうプロデュースしたものか考えていたところだったんですよ」

「事前に呼び出されていた……?」

「某音楽事務所の圧力にはオーナーも頭を悩ませているようです。だけど、あなた方なら必ずやこの状況を乗り越えられる……。そう信じているからこそ、表向きはあのような対応をしつつ裏では自分に依頼してきたのだと思ってます」

(そう言えばオーナーは「手を尽くす」と言っていたな。「ほとぼりが冷めるまでは」とも……。)
 
 そうとも知らず、俺たちは怒りの感情をむき出しにしてしまった。今ごろになって申し訳ない氣持ちになるが、おそらくオーナーは俺たちの謝罪など求めてはいないだろう。謝りに来る暇があったら一秒でも早くインディーズの意地を見せつける行動を取れ! と、再び追い返される未来が想像できる。

 ――それで……。尋ねてきたからには何かいい案が浮かんだんだろう?

 俺が手話で問い智篤が通訳すると、ショータは「そう、それそれ!」と人差し指を振りながら言った。

「来店直後から様子を見させてもらってたんですが拓海兄さん、声が出なくなっちゃって手話を使うんですよね? 手話使いのミュージシャンなんて、少なくとも自分は知らない。でも逆にそれがいい。注目されること間違いなし! 短所を長所に変えてしまいましょう」

 俺は文字通り目を丸くした。智篤と麗華も顔を見合わせている。

 ――ちょっと、意味が分からない……。耳は無事だからギターの音なら出せるよ。だけど、発声できないってのはミュージシャンにとっては割と致命的なことだ。

 智篤経由で伝える。が、ショータは「だからいいんですよ」と言って取り合わない。

「ミュージックビデオを作るんです。歌うのは麗華姉さんか智篤兄さん。で、拓海兄さんはそれに合わせて手話を使う、と……」

「確かに新しい試みね」
 麗華が興味深そうに頷いた。

「十五年くらいプロデューサーやってますが、生まれつき耳の聞こえが悪い方や難聴になった方でも熱心な音楽ファンはいるんですよ。そんな人たちからすれば、拓海兄さんはまさに希望の星。ミュージックビデオで格好良く手話を披露することで聴覚障害の方はもちろん、一般の方にも新しい形の音楽を届けられると自分は考えます。そりゃあ拓海兄さんのギターの腕は素晴らしいけどここは一つ、話に乗ってくれませんか?」

(ミュージックビデオ……。)

 胸の内で呟き、腕を組む。若い頃には低予算ながら何度か作成したことがある。しかしいずれも割に合わなかったため、それ以降は作っていない。

 渋い顔をしていると、麗華が心情を読み取ったかのように言う。

「今やミュージックビデオもインターネット配信が主流の時代。昔より低予算でハイクオリティーのものが作れるようになってるから、無名の若い新人があっという間に伸びていくのをあたしも間近で見てきたわ。でも、そういう子が伸びる理由は単純にデジタルツールを使いこなしてるからだとも思う。つまり、プロデュース次第ではあたしたちでも充分にチャンスがあるってこと」

「さっすが! メジャー出身者は違いますね!」
 話が通じたのが嬉しいのか、ショータは目を輝かせた。
「麗華姉さんのおっしゃるとおり、まずはサザンクロスの音楽配信チャンネルを作る計画です。そこで今お話ししたミュージックビデオを配信する。あぁ……。自分の脳内ではすでにバズってるイメージが浮かんでいます……!」

「言わんとすることは理解できるよ。ただ、僕らがライブ中心に活動してきたのはそれだけリアルにこだわってきたからでもある。そこは察して欲しいね」

 智篤の言葉を聞いて俺も思考を巡らせる。ウイング時代は二人の想いをライブで発散していた。ファンもそれを求めていたから問題なく成立していた。だけど今は目的が違う。顔が見えない人にこそ俺たちの音楽を届ける必要があるし、そのためには新しいことにも積極的に挑戦していく姿勢が必須の条件になってくるはずだ。

 ショータはなおも持論を展開する。
「もちろんライブもやります。ただし、ライブは顔の見えないファンが増えてから。最後の最後にやるのが最も効果的です。智篤兄さんだって、小さいお店を満員にするよりアリーナ級のライブ会場を満員にする方がいいでしょう?」

「……どうかな」

「あたしは分かるわ。数千人規模の会場でなら歌ったことがあるから。一度立ってみたら分かるけど、あの感覚は癖になるよ」

 大舞台に立つ。ミュージシャンなら一度は思い描く夢だ。もちろん俺たちの目指すところはバンドが有名になることではなく音楽を通して想いを伝え、智篤の言う世界征服を果たすことだが、一人でも多くの人が一堂に会すればそれだけ一氣に思いを広めることは出来る。俺がプロデューサーならきっとショータと同じことを考えるだろう。だけど、インディーズのミュージシャンである俺の心には今ひとつ響かなかった。多分、智篤の心にも。

 ――納得できない点がある……と。だから首を縦に振らないんだろう?

 腕を組んで怖い顔をする智篤に伝えると、彼はその顔のまま頷いた。

「ああ……。新しいことを取り入れなければ前進出来ない、というのは分かる。それが君の仕事だってことも。だけど、それによってこれまでのファンを失うことになるのだとすれば、君がどんなにいい案を出してこようとも受け容れることは出来ない。現状、ウイングやレイカ時代のファン、つまりは昔から応援してくれている人も多いからね」

「それなら一つ、考えがあります。そろそろ来ると思うんだけど……」

「遅くなってスンマセン!」


9.<智篤>

 駅から走ってやってきたのは、昨日ライブハウスを訪れた際に会ったバンドマンのユージンだった。合流した彼を見たショータは肩を落とした。

「やっぱり説得は失敗に終わったか……」

「だから言ったでしょう、急には無理だって! もう、時間に遅れちゃうから電車に飛び乗ったけど、あのまま説得を続けてたら今日は来れませんでしたよ!」
 二人のやりとりを聞いた僕は、説得できなかったという相手の顔を思い浮かべた。

 ブラックボックスはボーカルの女の子セナと、キーボードの男リオン、そしてエレキギターのユージンで構成される若いバンド。三人はきょうだいで、長子がユージン、セナとリオンは双子の姉弟きょうだいだ。年の差は四つほどだそうだが、なぜかユージンだけ中年である僕らの音楽や生き方みたいなものに惚れ込んでいるため、弟妹きょうだいからは老人扱いされている。数年前に一度だけ対バンした際は、ユージンが無理やり彼らを説得してのコラボだったとあとから聞いた。以降、三人は不仲となり、時々ライブハウスで演奏するほかは、ほとんどリアルでの活動をしていないと聞く。

「そんなに説得したいならショータさんが自分でやって下さいよ。その方が絶対に早いっす」
 ユージンは少し怒ったように言った。

「一体、ブラックボックスに何をやってもらおうとしているんだ……?」

 僕の問いに、拓海とレイちゃんも同意するように頷く。ショータはもったいぶるように僕らを見回したあとで、「ミュージックビデオ作りとグッズ販売の指南をしてもらうことです」と答えた。

 ――よりによって、俺らのことを良く思っていないあの二人に頼むのかよ……? 大丈夫なのか?

「え、何の話?」
 事情を知らないレイちゃんに僕から過去のことを簡単に説明する。彼女は拓海同様、不安げな表情を浮かべたが、そんな僕らを余所よそにショータは自信たっぷりに語る。

「どんなにいい計画があっても、メジャー界の息がかかっている人はおそらく協力してくれないでしょう。となれば、アマチュアの中から探すしかない。そこで目をつけたのがブラックボックスです。彼らは表立っての活動をほとんどしていませんが、自分たちで作成したミュージックビデオをウェブ上で配信していて、それが若者の間で人氣を得ています。また、オリジナルグッズも好評ですから、彼らに倣ってサザンクロスのグッズを販売すれば長年のファン層の心も掴むことが出来る。まさに一石二鳥なのです!」

「うまくやってるのはあいつらだけで、オレは蚊帳の外ですよ。なのに何でオレが説得役を……」

「今度は君が拓海兄さんと智篤兄さんを助けるんじゃなかった?」

「…………」

「助けるって?」
 レイちゃんが問うと、ユージンは困った様子ながらもぽつりぽつりと昔話を始める。

「人生に迷っていたオレを救ってくれたのが二人だったんです。当時高校生だったオレは進学する意欲もなくて、かと言って音楽一筋で生きていく自信もなくて……。そんなときに二人の、ウイングのライブを見たんです。年齢を感じさせない声量、研ぎ澄まされたギターの音、そして魂に響く歌詞……。そのすべてに感動したオレは音楽の道に進もうと決め、今に至ります。親には反対されましたが、双子の妹と弟が一緒にやろうと言ってくれたので、二人の高校卒業を待ってブラックボックスを結成。と、そこまでは良かったんですが……」

「僕らとの対バンを機に関係が悪化した、と」

 ユージンは悔しそうにうつむいた。
「……あいつらは年齢で判断してるから、兄さんたちの音楽をまともに聴いてない。それだけなんっすよ。ちゃんと聴けばいい音楽だって分かるのに……」

「僕らの音楽を買ってくれるのは嬉しいよ。だけど、好みは人それぞれだ。きょうだいだからといって同じアーティストを好きになるとは限らないんじゃないか?」

「……オレはそうは思わないっす。少なくともウイングの音楽はオレの魂を揺さぶった。ファンでもなかったオレの魂を。だから目指したいんです。オレたちの音楽もそこを。みんなが真似したくなる振り付けのミュージックビデオも、まぁ悪くはないですよ? だけど、ファンが増えれば増えるほどなんか違うなって……」

 ウイング時代の音楽を聴いて人生を変えた彼が、自分たちもそんな音楽作りがしたいと言ってくれている。誇らしく思う一方で、いい音楽を作ってきたと胸を張って言えるかどうかは正直、自信がなかった。何しろウイング時代の僕は今よりもずっとひねくれていたから。

 そんなことを考えている僕の前でショータが異論を唱える。
「自分らを売り出すにはとにかく注目を集めなければならない。そういう意味でブラックボックスはうまくやってると思うんだけど? 現に『シェイク!』のダンスは中高生がみんな真似してる。それってすごいことだぜ?」

「オレらはダンサーじゃなくて、あくまでもミュージシャンなんですよ。分かりますか? オレが目指しているのは、目を瞑って聴いてもじーんとくる音楽です。それがホンモノってやつだと思うから」

 若者の見事な反論に感動したらしい拓海が拍手を送った。そして興奮気味に手を動かす。

 ――そう、それ! 俺の中にあったモヤモヤをよくぞ言語化してくれた! 注目されれば、興味を持った人が俺たちの音楽を聴いてくれるのは間違いないだろう。だけど……だけどやっぱり俺は腐ってもミュージシャンだから、そうすることで自分たちを売り込めるのだとしても……。言い方は悪いけどメジャー界のようなやり方で目立つようなことはしたくないってのが本音だ。

「……分かりました、分かりました」
 ショータは諸手を挙げた。

「相変わらず一筋縄ではいかない人たちですね……。だけど、僕にもプロの意地ってのがあります。ミュージックビデオを作る、これは絶対に譲りません。そのかわり、とことん歌や演奏に集中できるような形にするっていうのでどうです?」

「具体的には?」

「ソロステージみたいなイメージですかねぇ。余計なものは一切無し。これなら視覚情報は少ないから耳で楽しめる」

「なるほど」
 今度は話を聞いた瞬間に映像が目に浮かんだ。いや、音楽が聞こえるといった方が正しいかもしれない。

 ショータは続ける。
「兄さんたちのギター演奏と姉さんの歌が最大限映えるよう、編曲もなしで行きましょうか。でもそれだけだと地味すぎるから、手話でやりとりするメイキング映像も入れたいですね。そうすれば拓海兄さんが声を失ってることが伝わりますし、サザンクロス感も出るはずです」

「どうしても手話は入れたいんだな……」

「独自色を出すのは重要ですからね」

「……今の案、拓海はどう思う?」
 彼に問うと数秒の間があった後、悪くないと思うと返ってきた。それを伝えるとショータは満足そうに頷いた。

「サザンクロスの了承が取れたら、あとはリオンとセナの説得だけだな……」
 ユージンを見る目は、兄貴なんだからなんとかしてくれよと言わんばかりだった。

 彼らの不仲の原因は間接的だが僕らにある。なんとかしてやりたかった。

「……一度、うちに来ないか?」
「……三人で我が家に来てみない?」
 ――三人で遊びに来いよ。

 僕らの口から同じような言葉が同時に飛び出した。思わず顔を見合わせる。

「なーんだ。みんな考えることは一緒だな」

「うふふ。意見が一致して嬉しい」

 ――だな。というわけでユージン。一回でいい。自宅のスタジオに三人で来ないか? なんなら歌っていってもいいぜ。

 拓海の手話を代弁すると、ユージンは急に目を輝かせた。
「えっ? 自宅にスタジオがあるんですか?! そいつはすごい! ……実は歌ったり演奏したりする場所の確保が毎度大変で困ってたところなんですよ。結構お金、かかるじゃないですか……」

「なら、決まりだな……。日時はそっちが決めてくれ。僕らはいつでも構わないから。弟妹きょうだいを誘えたらここへ連絡して欲しい」
 僕は電話番号を彼に教えた。

「ホントにいいんですか? 絶対に連れて行きます。ありがとうございます!」

「へぇ、自分が言っても全然説き伏せられなかったユージンを……。やっぱり、何か持ってる、、、、よなぁ、兄さんたちって」
 話が進みそうな様子を見たショータが誰に言うともなく呟いた。


10.<麗華>

 ブラックボックスからの連絡は思いのほか早く来た。互いの予定が合う日の夕刻、彼らはそれぞれが担当する楽器を背負って我が家を訪れた。

 玄関先で簡単な自己紹介を受ける。一番上のお兄さんが先日会ったユージンくん。その下が双子のセナちゃんとリオンくん。緊張気味ではあるが元氣なユージンくんとは対照的に、双子の方は居心地が悪そうに靴を脱いだ。

 まずはリビングに通す。若い子の好みは正直分からないのでとりあえず、愛飲している冷茶とお菓子を用意してみた。

「ハーブティーは飲める? ちょっと癖があるけど喉に効くんだ」

「へぇ! それじゃあいただきます。……おっ、大人味。だけど確かに喉に良さそう。二人も飲んでみろよ」

 ソファに座ったまま固まっていた双子は「毒味」をした兄のすすめを受けて恐る恐るグラスに口を付けた。

「……ねえ、お兄ちゃん。この人たちって本当にあの時コラボしたオジさまなの? どう見たってあたしたちと同年代じゃない。よく似た別人か、オジさまたちの子どもって可能性はない?」
 セナちゃんが疑いの眼差しを向けながら言った。

「オレも最初は、え? って思ったけど、ちゃんと共通の話が出来るし、本人に間違いないよ。演奏を聴けばきっと信じられるんじゃないかな」

「じゃあ早速聴かせてもらおうよ。スタジオで演奏するのは本人たちだと納得できてからだ」
 リオンくんもセナちゃんと同じ考えなのだろう。あたしたちを睨みながら落ち着かない様子でソファから立ち上がった。

「分かった。スタジオはこっちよ」
 手招きをして先に歩く。彼らは無言でついてくる。

 リビングから数メートル歩いただけの場所。一見すると他の部屋と何も変わらないが、ドアを開ければそこは防音仕様の音楽スタジオ。入るよう促すと彼らは急に目を輝かせ「わぁっ……!」と声を上げた。

「普段行ってる音楽スタジオと変わらないじゃん! こんなのが自宅にあるなんてすげえや!」

「って言うか、ここを今から使わせてもらえるの?! タダで?! 信じられない!」

「な? 兄ちゃんの誘いに乗って正解だったろう?」
 ユージンくんの言葉を聞くと、二人はハッと我に返り背筋を伸ばした。

「……あの時と同じ曲がいい。クレイジー・ラブ。まだ弾けるんだろう?」
 リオンくんが恥ずかしさを誤魔化すように言った。智くんと拓海は顔を見合わせる。

「クレイジー・ラブか……。エレキは久しく弾いていないけどまぁ、やってみるよ。それと、歌うのは僕だ。拓海は声を失ってしまったからね……」
 言いながら智くんが目で合図をすると拓海はすぐに頷いた。

「それじゃああたしも聴く側に回るわ。一緒に聴きましょう」

 スタジオの端においてある椅子を彼らに提供し、その脇に立つ。久々に登場したエレキギターの調整に少し時間がかかったが、二人は懐かしさを噛みしめるように、そしてこの場の空氣を楽しむかのように微笑み合い、最初の音を鳴らす。

クレイジー、クレイジー
今すぐお前を追っかけて
飛び込みたいぜ 宇宙そらの海
クレイジー、クレイジー
鏡に映るのは誰?
狂喜乱舞しすぎて
本当の俺、見失ってる
ああ、全部お前のせいだ

##

クレイジー、クレイジー
お前の瞳に吸い込まれて
抗えないぜこの想い
クレイジー、クレイジー
心の奥に隠した秘密
暴かれそうで怖いよ
ああ、全部お前のせいだ

###

クレイジー、クレイジー
お前と一緒に走りたい
どこまでも行こうぜ
クレイジー、クレイジー
夢と現実いまの境界線
越えてしまいそうだ
ああ、全部お前のせいだ

お前のせいなんだ……

 あたしが初めてこの歌を聴いたのは約一年前。もう一度バンドを組みたいと言ってきた彼らがどの程度歌えて弾けるのか、その腕前を披露して欲しいと頼んだときのことだった。あの時は拓海がメインボーカルで、煙草でやられた喉から出るかすれ声がこの曲の雰囲氣によく合っていると感じたが、智くんの通る声も、これはこれで曲のイメージとマッチしていた。個人的にはかつてのようにもう少し恨みがましく歌ってほしかったが、いま若者たちに披露したいのはギターの技巧の方だからあたしのワガママはまた今度聞いてもらうことにしよう。

「……確かにあの時のギターおとだ」
「……って言うか、前より腕上がってない?」
「うん……」

 聴き終えた双子たちもそれぞれに感想をささやき合った。

「僕らがあのとき対バンしたウイングの二人だって認めてくれる?」

「…………」
 しかし、智くんの問いに二人は黙り込んだ。

「おい、セナ・リオ。質問にはちゃんと答えろよ。失礼だろう?」
 お兄さんらしくユージンくんが発言を促すが二人はうつむいたままだ。そんな二人を見て智くんが小さく息を吐く。

「何でもいい、思ったことは言ってくれて構わない。僕らは君たちの本音が聞きたい。年上とか年下とか、そんなのミュージシャンには関係ないんだから。……実を言うと僕もレイちゃんとはまともに話せない時期があった。でも、嫉妬してることを素直に伝えて一緒に生活するうちにようやく今みたいに話せるようになったんだ。……ユージンから聞いてないか? 僕らとレイちゃんの関係を」

「……ここに来る途中でちょっとだけ聞いたよ。三十年も連絡とってなかったのに今は同じバンドで活動してるって。そんなことあるかよ、って思ったけどそうか。本音をぶつけ合ってわかり合えたから今一緒にいられるのか」

「ああ」

「だったら聞いてもらおうか」
 リオンくんはそう言うなり智くんの前に進み出た。
「……あのさー。なんであのとき格上感出したの? マジでやりづらかったんだけど。兄ちゃんが『この人たちすごいからとにかく一回コラボしよう』ってしつこいから仕方なくやったけどホント、穴があったら入りたかったよ。……敵うわけないじゃん。三十年もギター弾いてきた人に。あの時は、おれらを潰す氣なんだと本氣で思ったんだぜ?」

「だよねー。人氣も他のバンドよりすごかったし。アタシたちもいつかはこうなりたい、っていうより悔しさの方が強かったな……」
 聞いてくれることが分かったからか、セナちゃんも思いの丈をぶつけ始める。
「ほんっと、嫌な氣分だった。キンチョーしすぎて歌う声はうわずっちゃうし、お客さんには笑われるし……。オジさんたちにはアタシたちの氣持ちなんて分からないでしょうけど」
 弟妹きょうだいの止まらない愚痴に、あたしたちは辛抱強く耳を傾けた。


11.<拓海>

 その後、二人の愚痴は十分ほど続いた。まさかあの盛り上がるステージ上で二人がそんなことを思っていたなんて……。彼らの歌や演奏はまったく他に引けを取ってはいなかったはずだが、なぜそんなにも自分たちが劣っているように感じてしまったのか。話を聞けば聞くほど疑問が湧いた。

 ――なぁ、一つ聞いていい? ブラックボックスの目指す音楽って何? あの時うまくやれなかった原因はもしかしたらそこを理解していなかったことにあるかもしれない。逆に言えば、それが分かれば仲直りできる、とも思う。……ああ、ここは一人ずつ聞こう。案外、それぞれが違う考えを持ってるってこともあるからな。

 智篤経由で俺の想いを伝えると、三人は顔を見合わせたあとで、リオン、セナ、ユージンの順で答える。

「おれは自分の演奏で聴衆を虜にしたい。……要はキーボード演奏で目立ちたいってことだけど、前回はそれが出来なかったから悔しかったってわけ。分かる?」

 俺が何度も頷くと次はセナが発言する。
「アタシもリオンとおんなじ。とにかく自分の歌でみんなをうっとりさせたいんだよね。注目して欲しいって言うか。なのにあの時はオジさんたちが全部いいとこ持ってっちゃった。ホントに悔しかったんだから! だけど、今やってるウェブ投稿ならそういう思いをしなくて済むし、完璧なものを、一度にたくさんの人に届けられる。再生数がぐんぐん伸びていくのを見るのはホントに快感。一度覚えちゃったらもう、やめられないよねー」

「おいおい、それじゃあタダの目立ちたがりじゃん。お前らにはミュージシャンの誇りってもんはないのか? 訴えたい想いってのはないのか? オレにはある。悔しさを味わったり、泣きたかったり、死にたくなったり……。そんな氣持ちの人の心が晴れてもうちょっと生きてみようって、頑張ってみようって思えるような曲をオレは届けたいよ」

「じゃあ兄ちゃんに聞くけどそれ、お金になるの?」

「…………」
 答えないユージンを見てリオンは鼻で笑った。

「分かってるんだったら、さっさと綺麗事を言うのはやめて現実見た方がいいよ。おれらと一緒にダンスミュージックを作ろう。そうすりゃうんと稼げるし、今やってるアルバイトだって辞められる。音楽に専念できるんだ」

「…………」

 真面目でまっすぐ、それでいてロマンチストのユージン。対して弟妹きょうだいは現実主義者。目立つため、売れるための方法を理解し実践もしている。俺はどっちの考え方にも共感できるし、ユージンと双子が別々に活動するなら何も問題はないとも思うが、いま彼らはブラックボックスというバンドを組んでいる。メンバー同士で目指す方向が違うというのはやはり問題があるだろう。どうにかして心を一つにする方法はないだろうか。そして俺らがわかり合うにはどうすれば……。思案しつつ、手を動かす。

 ――目立ちたかったお前たちを差し置いて俺らが出しゃばったことに関しては申し訳なかったよ。だけどあの頃は俺たちも尖ってたからな。お互いのプライドや目立ってやろうという氣持ちがぶつかり合ったとしても仕方がなかった部分はあるよ。若いのに負けるかって氣持ちが少なからずあったのも認める。でも、今はそういう氣持ちは一切ない。今回の件に関してはこっちが依頼する立場って言うのもあるし、そっちの要求や、やり方にも従うつもりだ。ただし。そうするためにはまずブラックボックスの音楽性を統一してもらわなきゃならない。って言うか、それはお前らが音楽を続けるためにも早急に向き合わなきゃいけない課題だと思う。

 俺の考えを一氣に手話で伝えた。通訳してもらうにあたり智篤の考えが多少加わったようにも感じたが、俺たちの考えはほぼ一致しているので大した問題ではなかった。

「……いいんですか。妥協しても。宣伝のためとはいえ、兄さんたちの音楽が今風いまふうのダンスミュージックになるかもしれないんですよ? イメージが損なわれるかもしれないんですよ?」
 俺たちの考えを聞いたユージンが不満を口にした。俺は首を横に振り、再び手を動かす。

「ダンスミュージックにはならないよ。大丈夫。なんとかなる……。って拓海らしいな」
 俺の手話を通訳しながら智篤は笑い、続けてこんなことを言う。
「僕には拓海が何を考えているか分かってしまった。何しろ、君の脳みそは単純だからな……」

 ――なんだよぉ。じゃあ当ててみろよ。
 考えはまとまってなかったけど、悔し紛れにそう返す。

「いいのか、発表しても? 君は彼らに今夜ここへ泊まっていったらどうかと提案するつもりなんじゃないのか? ま、僕は構わないけどね」

 いいアイデアだと思った。俺たち三人が共同生活をする中で心の距離を縮められたように、一晩本音で語り合うことができれば、きょうだいの不仲や俺たちとのわだかまりはかなり解消されるだろう。

 しかし、単純な脳みそとはいえ、まだ言語化できていない段階での俺の思考を言葉にしてみせた智篤には、さすがを通り越して恐怖すら覚えた。俺の「声役」を引き受けるようになったことでシンクロし始めているのだろうか。事実、あいつは常に俺の動きに注目しているが、もしそうだとしたらあまり変なことは考えない方が良さそうだ。

 ――どうだろう? 三人さえよければ今夜は好きなだけここを使ってもらって構わない。納得がいくまで弾いて歌ってしゃべっていけばいい。

「好きなだけ?!」
「それって一晩中でもいいってことだよね?!」
 智篤の通訳に最初に反応したのは双子だった。

 ――ただし、俺たちのことを受け容れるのが条件だけどな。嫌々いられるのはこっちもいい氣分しねえから。

 ひと言付け加えてやると、双子は顔を見合わせたあとで観念したかのようにうなずき合った。

「オジさんたちがあの時の二人だってことは認めるよ。だから……今夜はここで思う存分練習をさせて……ください」

「お願いします……!」
 頭を下げた双子を見たユージンもその脇で一緒に一礼した。

「オッケー。そういうことなら早速、いろいろ準備しないとね。あたし、買い出しに行ってくる!」
 そう言った麗華の声はいつになく弾んでいた。


12.<智篤>

 レイちゃんが買い出しから帰ってきても三人がスタジオから出てくる氣配はなかった。時刻は夜の九時を回っている。

 ――よほど氣に入ったんだろうなぁ。ま、このまま出てこなかったとしても俺は別に構わないけどな。それであいつらの絆が深まるんなら。……それはそうと、腹減った。もう先に食っちまおうぜ。

 しびれを切らした拓海が目の前の料理に手を出しかける。直後、スタジオの扉が開き、三人がリビングに姿を見せた。

「グッドタイミング! あと数秒遅かったら拓海に食べられちゃってたところよ。晩ご飯にしましょ。待ってたんだからー」
 と言いつつもレイちゃんは缶ビールを三本抱えて駆け寄った。
「その前に……。まずは乾杯しましょ。お酒、飲める?」

「えー、空きっ腹にビール? 麗華さんったら冗談きついっすね」
 
「何を甘っちょろいことを。スタジオ貸してあげてんだから、我が家のルールには従ってもらわないと」

「……この人、魔女だ」
 当然断れるはずもなく、ユージンは差し出されたビール缶を渋々受け取った。ビクビクしている彼に僕からそっとアドバイスする。

「……まぁ、最初の一口だけ飲めばとりあえず大丈夫だから無理はしないように。レイちゃんの胃袋は底無しだから真面目に付き合うと死ぬぜ?」

「やっぱりねぇ……。じゃあ智さんの言うとおりにしようっと」

「ちょっとそこ! 何をこそこそ話し合ってるの? 早く始めるわよ!」

 耳打ちをしているとレイちゃんの号令がかかった。すでに一杯、引っかけているかのような張り切りように拓海も呆れている。

 ――今日の麗華は絶好調だな……。この様子じゃ、朝まで付き合わされそうだ。

「だって、初めてできたインディーズ仲間なのよ? そりゃあ嬉しいに決まってるじゃない! さぁ、みんなビールは持った? それじゃあ親睦の意味を込めて……かんぱーい!」

 今日の晩飯つまみはおにぎり、焼き鳥、揚げ豆腐、しめじのガーリックソテーときゅうりの浅漬け、そしてビール。普段よりうんと豪華だ。

 ――どうよ? 我が家のスタジオを使ってみた感想は?

 乾杯を済ませ、少し食事が腹に収まったところで拓海が問うた。僕が通訳してやると三人は互いに顔を見合わせ、ユージンを筆頭に話し始める。

「やー、ほんっと。すごいの一言に尽きるっす。個人宅でここまで装備が揃ってるなんてさすがっすね。……酒の席だから聞いちゃうけど、麗華さんの出資で?」

「まぁ……。ほら、あたしって独り身だし、ダブついてたお金を使ったって感じ? ただ、今後は以前のようにドカンとお金が入ることはないだろうから節約していくつもりだけど。事務所は辞めちゃったからね……」

「やっぱり音楽事務所に属してれば儲かるんだ? おれらもメジャー行きてぇ!」
 リオンがビール缶を持ったままレイちゃんの隣に腰を下ろす。
「ねぇ、メジャーの話聞かせてよ。メッチャ興味ある!」

「いいわよ。ただし真実をありのままに言うから覚悟しなさい」

 レイちゃんはそう言い置いてから、デビュー後の自分に降りかかった様々な試練――分単位でびっしり埋まる仕事をこなすため何日も寝ずに働いたこと、営業活動で全国各地のイベント会場を巡ったこと、雑誌のインタビューでバンド解散の経緯を語ったら嘘のストーリーが書き加えられていて悔しい思いをしたことなど――を語ってくれた。

 今まであえて聞くことを避けていたメジャー界の話を初めて耳にした。皆にちやほやされて良い思いをしているイメージとはほど遠い現実がそこにはあった。

「がっかりさせてちゃったかな。だけどこれが現実よ。とはいえ、向上心と忍耐力さえあれば地位も収入も保証される世界だから、そこに自信があるなら目指してみて損はないはずよ」

「えー、だけど数々の試練があったのに、なんで何十年も頑張って来れたわけ? そこ、氣になる!」

 セナはもっと聞かせてほしいと言わんばかりに身を乗り出した。

「んー。ひとつにはやっぱり、二人に対して負い目を感じていたからかな。一人でメジャー界に入ると決めたのに『辛くて戻ってきました』なんて許される道理がない。だから若い頃は特に、心を無にして走り続けていたわね。もう一つの理由は自分の歌を聴かせたい人がいたからかな。頑張れたのはその人のおかげ。だけど先日、その役目を終えたと分かった瞬間に氣が抜けちゃって……。もしそのときにバンドを再結成していなかったら途方に暮れていたでしょうね。幸いにして彼らに救われたあたしはメジャーとインディーズの架け橋になるという新たな目標を掲げて再び動き始めたってわけ」

 夢と現実の差を突きつけられたからか、三人は黙りこくってしまった。沈んだ空氣を破るように拓海が手を動かし始めたので通訳する。

「……まぁ、麗華はそう言ってるけど、俺たちだってお前らくらいの時には同じことを思っていたさ。何も間違っちゃいないし、ミュージシャンなら誰だってメジャーに憧れるもんだよ。俺たちの場合、麗華が引き抜かれたことで仲違いし、何十年も別々の道を歩んだけど、それぞれの世界を知ったからこそ今一緒にいられるとも思ってる。お前らはまだ若いんだ、メジャーデビューのチャンスがあるなら一度飛び込んでみるのもいいと思う。そこが合わなければ遠慮なくこっちに戻ってくればいい。……拓海はそう言ってるよ」

「メッチャかっけー……。やっぱ深いなぁ、拓海さんの言葉は」
 ユージンは未開封のビール缶に手を伸ばしながら言う。
「いやぁね。さっき三人で話し合ったんっすよ。オレたちが目指すものは何か? 足りないものは? 今一番に取り組むべき課題は何だろうか? って」

 相づちを打って続きを促す。

「確かに振り付きのミュージックビデオは目立つし、人氣が出れば嬉しい。それはオレも認めるところです。が……! さっきお二人の歌と演奏を見聞きして思ったんっす。一発当てて短命で終わるより、いつまでも長く音楽に携わりたいって。それを話したら双子こいつらとも意見が一致しまして。で、最終的に……」

 彼はそこでビールを口にし、間を置いてから続きを話す。

「まずは楽器や歌の技術磨こうぜって結論になったんです。やっぱりオレたちミュージシャンだし、拓海さんたちに嫉妬した理由も自分たちの技術が未熟だったせいだし。もっと言うとミュージックビデオで曲に振りを付けたのはそれを誤魔化すためだったりするし……」

「うん」

「実は……。悪いと思いつつも、スタジオを貸してもらったときにいろいろ見させてもらったんです。そしたら皆さんがどれだけ練習してきたかが分かっちゃって自分らに絶望ですよ……。そりゃあ、バイトしながら安アパートの一室で遠慮しいしい、毎日一時間程度の練習しか出来てないオレらが敵う訳ないよなって。でも、この状況は絶対になんとかしたいよなって。だから……もし迷惑でなかったらしばらくの間ここで……練習させてもらえたら嬉しいなって。ダメっすかねぇ?」

 ――いいじゃん!
「あら、いいじゃない!」
「構わないよ」

 三人して頷くと、彼は「よかったぁ……!」と言ってソファにもたれた。
「もちろん、相応のお礼はします。オレたちにできることなら何でもしますんで」

「あー。それで思い出したけど、ミュージックビデオの件でいいアイデアがあるんだ」
 緊張が解けたのか、リオンは僕と拓海の間に座り、両腕を広げて肩を組んだ。

「兄ちゃん経由で聞いたプロデューサーのショータさんが推してるイメージ――ソロステージっぽくするってやつ――を再現するにはどうしたらいいかって考えたとき、背景色はやっぱり黒がいいなって思ったんだけど、ただ黒背景に三人がぽつんといるってのは絵的につまらない。そこで思いついたのが星空の下での撮影。撮り方には工夫が必要だけど、夜空撮る用のカメラは持ってるし、編集テクもあるからなんとかなるかなって。どうよ?」

「それなら実家の山での撮影がいいんじゃない?」

「おっ、さすがは双子の姉。まさにそれを考えてたところだよ」

「実家の山……?」
 レイちゃんが首をかしげると、すかさずユージンが補足する。

「あー……。オレらの実家はK市から下ったO町の山の上にあるんっすよ。何もなくて不便な場所ですが、その代わり空だけは綺麗で。流星群が見える期間にはアマチュア天文家がカメラを担いでやってくることもあるほどです」

「へぇ、それは素敵ね。だけど、ご実家の近くじゃ迷惑にならない?」

「それは大丈夫っす。周辺に他の家はないし、ギターや歌の練習はいつもそこでしてたんで、ミュージックビデオの撮影だったらまったく問題ないと思います。……星空をバックに弾き語りする三人、か……。やー、絶対かっこいいっしょ。これはオレの想像だけど、それが世に出たら多分、ブラックボックスの上を行くでしょうね。コラボの依頼もくるだろうなぁ。そしたらきっと忙しくなりますよ?」

「ねぇねぇ! もしそれで一躍有名になってメジャーの会社から声がかかったらどうするの? その可能性ってあるよね?」

 まさかすでに誘いを受け、即刻断っているなど思いもしないセナの発言に思わず笑う。いや、常識に照らせば彼女は正しい。ひねくれているのは僕らのほうだ。笑われてふくれ面をするセナに謝りつつくだんの話をした僕は、続けて自分の考えを示す。

「あっちから何度誘われたって答えは同じ、NOだ。僕らの音楽を届けるには、たとえいばらの道と分かっていても身内だけでやっていく。今までも、これからも」

「ふーっ! 真顔でそんなこと言えちゃうの、すげー……。そこまではっきり言われたら逆に尊敬ソンケーするわー。何だ、最初は嫌みなオジさんたちだと思ってたけど、ちゃんと話したら面白いじゃん、氣に入ったよ。これを機におれも兄ちゃんみたいに名前で呼んでいいかな?」

「あ、アタシもアタシも!」
 双子は揃って挙手をした。

「もちろん、いいとも。そうだ、このあとセッションするのはどうだろう? 今度は君たち主導で」

 ――おっ、それいいな。俺、今日はエレキの氣分。一緒にやろうぜ。
 僕の提案に賛同した拓海がユージンと肩を組む。

「いいっすね! やりましょ、やりましょ」
 二人は足をもつれさせながらスタジオに向かった。

「うふふ。長い夜になりそうね。さぁ、あたしたちも行きましょー!」
 レイちゃんがビールを持ったまま歩き出したので、慌てて取り上げる。

「スタジオ内は飲酒禁止だよ。飲むなら立ち入り禁止」

「……分かったわよぉ。でも、残ってる分は飲ませて。氣が抜けちゃったらおいしくないから」

 僕が取り上げた缶を奪い返して一氣飲みする姿を見た若者たちは口を揃えて「……酒豪」と呟いた。


13.<麗華>

 ブラックボックスと今日初めて顔を合わせたあたしは、彼らの音楽も初めて聴いた。いざこざの要因ともなった彼らの演奏技術はちっとも劣ってなどおらず、むしろ若者らしい元氣さがあって好感が持てた。中でも一番人氣だという「シェイク!」は振り付きで披露してもらい、レクチャーまで受けることになった。実際に踊るうち酔いも手伝って楽しくなった。あたし自身はほとんどパフォーマンス無しの歌い方だったから馴染みが薄かったけど、ダンスミュージックというジャンルもこれはこれで有りだな、と思えた。それもこれも、ひとえに彼らのおかげだろう。

◇◇◇

 お酒とダンスの力で心から打ち解けたあたしたちは後日、彼らの実家があるという山に赴き、ミュージックビデオ用の映像を撮影することになった。

 都会の明るさにすっかり慣れきったあたしは見上げた空に浮かぶ星の多さに驚いた。同時に、ここからさほど遠くない田舎にあるあたしの実家の近くでも、夜が更けるとこんな風にたくさんの星が瞬いていたな、と懐かしくなる。

 感動していたら、若い子たちに不思議がられた。
「レイ様ったら、熱心に空を見つめて。そんなに星が珍しいの?」

「ううん。ただ星の美しさに目を奪われていただけよ」

「わお、詩的だな、麗華さんは。さすが、歌手歴が長い人は違う」

「そしてそんなことを呟きながら夜空を見上げる姿がメッチャ、絵になる! こりゃあ、いい動画が撮れそうだ」
 リオンはそう言って手をフレームの形にすると、それ越しにあたしを覗いた。

 今日は「LOVE LETTERラブレター」のミュージックビデオを撮る予定になっている。曲のイメージに合うよう、服もチョイスしてきた。ワクワクもしていた。しかしこの星空を見てしまったら「LOVE LETTERラブレター」を歌う氣分ではなくなってしまった。いや、はっきり言おう。創作意欲がむくむくと湧いてきて止まらないのだ。

「ごめん、撮影は延期してもらえる?」

「ええーっ?!」
 ブラックボックスの三人は、発声と同時に大袈裟に両手を挙げた。

「なんでなんでなんでぇ?! 何が氣に食わなかったのぉっ?! アタシたち、何か余計なことを言った?!」

「そうじゃないのよ、セナ。いま、新しい曲のイメージが降りてきそうなの。それにこの空を見ていたら曲にも『星』のワードを入れたくなってね。つまり、ミュージックビデオは新曲でいきたい、ってこと」

「確かに、名案だな」
 智くんの声と拓海の手話が同じことを言った。

 ――俺も何だかひらめきそうな感覚がある。麗華が曲を作りたいってんなら、今日は撮影は無しで曲作りに時間を当てるのが良さそうだ。

「うん、僕もそう思う。……撮影機材を用意してもらったのに申し訳ないけど、レイちゃんのことだ。きっと最高にいいものを出してくれると思うよ。なるべく早く、と言うことならもちろん僕らも一緒に作る。……どうだろうか?」

 智くんが丁寧に詫びるとユージンは小さく息を吐いた。
「……分かりました。毎日のようにスタジオを貸してもらってるオレたちにその提案を拒む権利はありません。それに、ミュージシャンは直感がすべてですからね。イメージが消えないうちにどうぞ自由に創作してください。……って言っても、終電には乗りたいんでタイムリミットは設けたいところですが」

「もちろん、それまでにはある程度、形にするわ」

「さすがですね、お願いします。……あー」
 ユージンはそこまで言うと双子をちらりと見、腕を取った。
「その間、オレたちは実家に顔出しときます。実は帰るの、久しぶりなんで。ほら、行くぞ」

「えーっ!」
 双子は声を上げたが、反発も空しくユージンに無理やり連れて行かれてしまった。お兄さんらしく、あたしたちに配慮してくれたのだろう。気遣いがありがたかった。
 
 三人が見えなくなったあとで再び空を見上げたら拓海に尋ねられる。
 ――形にする、なんて言ったけど、今の今、作詞作曲するつもりはないんだろう?

「ええ、今はこうしたい氣分なの……。ねぇ、二人も一緒に……」
 あたしは両脇に二人を誘い、草の上で寝そべった。

 遮るものと言えば、元氣に伸びた木々の枝ぐらい。目を凝らさずとも数え切れないほどの星が濃紺の空で瞬いている。

「懐かしいな。子どもの頃は夜な夜な野球の練習をする弟に付き合って外に出ては、夜空を眺めていたっけ。なのにいつの頃からか、天ではなく前だけを……先を行くライバルだけを見るようになっていた……」

「僕も夜には思い出が詰まってる。楽しかったことも、嫌な思いをしたことも。……奇しくも楽しい思い出と星空はセットで、それ以外の時は当時の感情しか記憶にない」

「嫌な思い出ってのは、あたしとのことでしょう?」
 半分、冗談で言ったつもりが当たってしまったようだ。

「まぁ、和解した今だからこそ笑って言える訳なんだけどね……」
 彼はそう言って本当に小さく笑った。

 寝そべったまま会話をするあたしと智くんの隣で拓海は一人、静かに天を見つめていた。手話を使うときは必ず相手が目の前にいなければならない。手や口の動きが見せられない状態では、会話に加わりたくてもだんまりを貫くしかないのだろう。

 いたたまれなくなり、そっと彼の手を握る。と、拓海はあたしの手のひらを返し、その上に指で文字を書き始めた。心の中で、手のひらの文字を読む。

(あ・り・が・と・う。い・ま・は、ふ・た・り・の・は・な・し・を、し・ず・か・に・き・く・こ・と・に・す・る・よ……)

 分かっているのだ、彼は。こういう時、手話が役に立たないことを。だけど、知ってもいるのだ。伝える方法はいくらでも残されていることを……。

 その時、曲のイメージと、歌詞の断片が降りてきた。

 慌てて飛び起き、すぐにメモを取る。その様子に驚いたのか、二人も身体を起こすのが目の端に映った。

「……何か伝えたのか?」
 智くんが拓海に問いかけたが、紙に向かっているあたしには拓海がどんな返答をしたのかが分からなかった。しかし智くんの反応から察するに、事実とは異なる、冗談めいたことを伝えたのだろう。その証拠に智くんは鼻を鳴らし、あたしと背中合わせに座った。

「……今なら、この星空の下でなら言えるよ。僕の、いまの素直な氣持ちを」

 背中越しに、彼の熱い体温を感じる。少し身体を起こしてもたれると、彼も寄りかかってきた。

「……僕はちょっぴり優越に浸っていたんだ。拓海は声が出せないというハンデを負ったが僕は、出せる。歌も歌える。つまりはレイちゃんに自分の声で想いを伝えられる、とね。だけどその考えは間違っていた。僕は声に頼りすぎていることに今の今、氣付かされたよ。悔しいけど、拓海はこれからもっと進化するだろう。声が出なくても、歌えなくても、内なる想いを見事に形にするだろう」

 ――智篤。それは違うよ。

 黙って聞いていた拓海があたしたちの脇にやってきて腰を下ろした。

 ――そうやって自分を下げるな。羨ましいのは俺の方だってのに……。あのな、俺だってホントは声を出したいよ。歌いたいよ。ガラガラ声だったとしても麗華に愛を伝えたいよ。でも、出来ないから目に見えない想いをなんとかして表に出してるんじゃないか。それを『進化』と表現するのは勝手だよ。だけどお前も『進化』できるはずなんだ。だっていい声が出せるんだから。今みたいに愚痴るんじゃなくて、歌でその思いを昇華させてみろよ。それこそ、喉が嗄れるまで。な? お前なら出来るだろう?

「ふん……。歌え、喉をらして、声が出なくなるまで、か……」

「待って、それ。歌詞に使える!」
 智くんの言葉を書き取ると、それを機にあたしの脳内でも再び言葉が溢れ始めた。横から拓海がのっそりと、あたしが書き殴るノートの文字を凝視している。しばらく見ていた彼だが、急に立ち上がったかと思うと慌ててギターを取りだし、メロディーを奏で始めた。

 それはまるで、星のきらめきのようだった。歌詞を詰めながらあたしと智くんとで歌っていく。

「あぁ……。夜空の下でこうやって三人で曲作りをしていると思い出すな。切ない氣持ちを抱きながらも、希望に満ちあふれていたあの頃を……」

 呟いた智くんの言葉を、あたしはそっとノートに書き取った。


14.<拓海>

 ミュージシャンを志すようになってからと言うもの、夜は俺の友だちだった。路上でもライブハウスでも歌うのは、夜。ひとしきり氣持ちよく歌ったあとの夜空は格別、美しかったのを覚えている。今宵の空はその時のことを思い起こさせた。

 智篤の鬱屈した想いは俺の想いでもあったからよく分かる。とかく、人は自分にないものを羨む傾向にある。本当は自分にも唯一無二の宝物があるのに、目は他人に向いているせいか、なかなか氣づけない。そういう風に出来ている。

 だけど、少なくとも俺は、声という大きな宝物を失ったことで自分の持てる財産を探し出てやろうと内側に目を向けた。無くしたものに囚われるんじゃなくて、あるものを駆使する作戦だ。そんな最中さなか、とっさに麗華の手に平仮名を書いたのだが、多分うまく伝わったと思う。これは俺の中では大きな収穫だ。

 声を失ってでも生きたいと思わせてくれたこいつらと一緒に、インディーズのミュージシャンをしていて良かった、と改めて思う。こんな経験、ひとりではきっと出来なかった。

 ブラックボックスの三人が戻ってきたときにはなんだかんだ言って宣言通り、新曲の骨格が出来上がっていた。彼らは「ようやく親の長話から解放された」と胸をなで下ろし、俺たちの進捗を聞いて一層満足そうに笑った。

「それじゃあ、次回こそは撮影しましょう。実はさっき、ショータさんから電話が入って、一週間後には、仮でもいいからミュージックビデオを提出するように、と」

(一週間後……。)

 おそらくショータは伝えてあるスケジュールの通り、今夜撮影が行われる前提で締め切り日を連絡してきたのだろう。だが俺たちが予定を狂わせた。

 過去の経験から、こちらの言い分でショータがスケジュールを変えてくれるとは考えにくい。あいつもいくつか仕事を抱えている中で急遽、俺たちの面倒を見るよう言われているはず。言ったとおりに出来ないのなら他を当たってくれ、と言われるのがオチだろう。

「いけますかね? 一応、ミュージックビデオは新曲で行くらしいと伝えたんですが、『分かった、それでも一週間後ね』って。冗談キツいっすよね、ショータさんって」

 語るユージンの困り顔をみて、かなり粘ってくれたのだと想像する。

 ――間に入ってくれてありがとう、ユージン。一週間はかなり短いが、それでもやるよ。インディーズの意地を見せてやる。

 手話で伝え、智篤が通訳すると、彼らは複雑な表情を浮かべた。

「……ホントに大丈夫っすか?」
「って言うか、おれらの編集が間に合うかどうか……」
「そうそう、そっちが問題だよねー」

「わがままを言ったのは僕らの方だからな。こうなったからには徹夜してでも作り上げてみせるさ。……はじめからそういう心づもりでいるだろう、レイちゃん? まさか、夜更かしはお肌の大敵だ、なんて言わないよな?」

「もちろん。そもそもの原因を作ったのはあたしだし。仲間のためなら睡眠時間を削るのなんて惜しくもなんともないわ」

「……だそうだ。よし、そうと決まれば善は急げ、だ。今夜はここでお開きにして、僕らは自宅で曲作りの続きをするとしよう。大丈夫、ノってくればすぐに完成するさ」

 智篤が力強く言うと、勇氣づけられたのか若い三人は表情を和らげた。

「では、その言葉を信じてオレらも今日は自分らの部屋に戻ります。でも……なるべく早く連絡くださいね? ショータさんにどやされるのは嫌ですから……」

 顔の前で両手を合わせるユージンの健氣な姿を見た俺は、何としてでも一両日中に新曲を完成させる! と意氣込んだ。

◇◇◇

 それからすぐ電車に飛び乗った俺たちは、帰宅するなりスタジオに籠もった。ここへ越してから温存してきたエネルギーを一氣に放出する勢いで、眠氣も感じないまま一晩を曲作りに当てた。

 一眠りして軽食を取り、頭がすっきりしたところで出来上がった曲を聴く。何度か手直しをし、完璧だと全員が満足する仕上がりになった頃には太陽が西に傾いていた。

 ひらめきから完成までちょうど一日。病魔に蝕まれ、死を覚悟したときに作った「サンライズ」もあり得ないスピードで完成形に持って行ったが、期限が目前に迫ると人は、持てる力を最大限発揮できるものなんだなと改めて思う。

「ああ……。すごく素敵な曲だ……。夕べ見た星空の下で歌ったらどれだけ氣持ちがいいことか」
 歌詞を口ずさむ智篤はご機嫌な様子だ。しかしそれを見た麗華の方はなぜか不満そうである。

「あら、あたしもすっごく氣に入ってるのよ。これはあたしが歌う。ううん、歌わせてちょうだい」

 どうやら、どちらも自分が歌う前提で曲作りをしていたらしい。まぁ、これは今に始まったことではないのでしばらく様子を窺うことにする。

「え、だけど歌詞は男の語り口調だよ? ここはやっぱり僕が……」

「なによぉ。そんなこと言ったら『覚醒』なんて思いっきり男口調じゃない。あたしにだって力強い歌は歌えるわ」

「いや、あれだって本当は僕が歌うべきだったけど、君が歌いたいって言うから譲ったんだろう?」

「譲ったぁ? 何を、偉そうに……!」

 二人はにらみ合い、額を付き合わせた。どちらも真剣だからこそ主張がぶつかり合うのは分かるし、普段だったら好きにしてくれ、とも思うのだが、今は一分一秒が惜しい。静かに苛立ちを覚えた俺は、これ以上見ていられなくなって立ち上がる。

 ――喧嘩はよせ! 揉めるくらいなら俺が、歌う! それでいいだろっ!

「え……?」
 さすがに争いは止んだ。が、思考も停止してしまったようだ。その後二人は「何を言ってるんだ?」と言わんばかりに苦笑した。

「歌うって……。そもそも君が声を失ってしまったから僕が代わりに歌っているんじゃないか」

「そうよ。拓海にも伝えたい想いがあるのは分かる。だけど声が出ない以上、それは不可能……」

 ――俺には手話これがある……!
 目の前でオーバーアクションを取ってみせる。
 ――手話これが俺の「声」だっ……!
 無意識のうちに手が動いていた。二人は再び驚き、静かに頷いた。


15.<智篤>

 まさか、声を失った拓海から「俺が歌う」と異議申し立てられるなんて思ってもみなかった。それは僕らの口論を止めるために放った、笑えないジョークと捉えることも出来よう。しかし昨晩語り合ったように、「喉を震わせて出す声」以外の方法で想いを伝えようとするときの拓海には、それこそ言葉で表すことの出来ない力強さがあった。少なくとも僕はその氣迫に声を失った。

 たった今出来上がったばかりの曲「星空の誓い」で訴えたい想い。歌詞をなぞってみれば確かに、僕でもレイちゃんでもなく拓海が手話で表現した方が説得力が増すかもしれない。映像を通してどれだけ伝わるかは分からない。しかし試してみる価値はあると思った。

「わかった。そこまで言うなら試しにカメラを回してみよう。僕とレイちゃんの歌の有りと、歌無しでそれぞれ一度ずつ。それをブラックボックスの三人にも見てもらって、どれで撮るか決めるってのでどうかな、レイちゃん?」

「いいわ。……争っている時間はないものね。すぐに始めましょう」
 小さく息を吐いた彼女は拓海のそばに寄り、「ありがとう、おかげで我に返ったわ」と呟いた。

 スタジオ用のカメラとマイクをオンにし、レイちゃん、僕、拓海の順で撮っていく。
 まずは一番目。自分が歌うにふさわしいと主張しただけあって、レイちゃんの歌声はスタジオのみならず僕の心をも震わせた。やはり彼女には敵わないのかと心が折れかけたが、こっちにも意地がある。マイクの前に立った僕は全神経を集中し、昨晩見た星空を思い浮かべながら歌う。

星の数ほどいるってのに
届かないのか、平和の祈り
争い、ののしり、奪いあい……
こんな時代は終わりにしないか?

涙を越えて 見える世界もあるだろう
だけど笑っていたいんだ
君と生きる未来だから

雨上がりの夜空の下で僕ら
変わらないと、嘆くんじゃなくて
歌うんだ、喉をからして 声が出なくなるまで

##

気がつきゃ、何だか息苦しくて
正直者ではいられないんだ
自己否定、こもって、ひとりきり
風よ、早く迎えに来てくれ

星がまたたく夜空の下で僕ら
変わりたいと、願うんじゃなくて
叫ぶんだ、喉をからして 声が出なくなるまで

星が流れる夜空の下で僕ら
思い出すんだ、ここに生まれた理由わけ
遠い宇宙ほしに目を向けて
魂に刻まれた奇跡の言葉を……その言葉を……

「さぁ、最後は拓海だ。僕らはギターの演奏に徹する。カメラの前で思う存分、手話を披露してくれ」
 歌い終わった僕はそのままマイクを持って移動し、カメラの前を広く開けた。

 ――智篤、主旋律は頼んだぜ。キーはそのままで。俺はそれに合わせて手を動かすから。

「オーケー」
 返事をすると、やや緊張の面持ちの拓海がカメラの正面に立った。深呼吸をしたあと目で合図がある。僕とレイちゃんは呼吸を合わせて音を鳴らし始める。

 演奏に徹するといった僕だが、拓海の手話が始まった途端、目を奪われた。まるで一人舞台を見ているかのようだった。たとえ手話を知らない人でも、彼の表情と手の動きを見れば想いを受け取ることが出来るに違いない。そんなことを思いながら手話を見ているうち、拓海の「失われた声」が聞こえてきたような氣がして息を呑む。演奏の手が止まりそうになり氣を引き締め直すも、やはり空耳などではなく、僕の鼓膜は確かに拓海の声を捉え、震えた。

 演奏を終えても、僕とレイちゃんはすぐにカメラを止めに行かなかった。いや、感動のあまり足が動かなかった。見かねた拓海が自ら録画を止めにいく。

 ――なになに? そんなに良かった? 俺の手話うたが。

「良かったも何も……。なぁ?」
「ええ。あたし、感動しちゃった……。だって拓海の声がこの耳に届いたんだもの」
「そうか、レイちゃんにも聞こえたのか……」
「じゃあ、智くんにも?」
「ああ……。確かに、聴いたよ。懐かしい声を」
 その目にうっすら涙まで浮かべるレイちゃんの前で、無自覚らしい本人は肩をすくめた。

 ――声を出したつもりは無かったんだけどなぁ。まぁ、ちょっと大袈裟にやったのは確かだよ。ともかく、想いが伝わって良かった。

 これだったらショータの言っていた、手話のミュージックビデオもありかもしれないと思っている僕がいた。早速、寝不足特有の妙なテンションでユージンに電話をかけ、すぐにスタジオに来るよう指示する。ユージンは「バイトを休んでばっかりだとクビになっちゃうかも……」と言いつつ弟妹きょうだいを引き連れて我が家にやってきてくれた。

「さすがっすねぇ。まさかホントに一日で作っちゃうなんて」

「いやいや、問題は曲の質でしょ。こっちも時間が限られてるから早く動画を確認しよう。イマイチだったら作り直してもらわなきゃなんないし」

 べた褒めするユージンとは対照的に、リオンはあくまでも事務的に話を進めようとした。言われるがまま、さっき撮ったばかりの動画を再生する。

 ユージンは目をつぶって僕とレイちゃんの歌を聴き、セナとリオンは画面を凝視しながら新曲をチェックする。最後に撮った、拓海の手話がメインの動画だけは三人とも画面を見ながら聴いていたが、動画の再生が終わった瞬間に全員がため息を漏らした。

「拓海兄さま、やるじゃない! すごく素敵だったよ!」
「うん、おれも拓海兄さんのがいいと思う」
「二人も? 実はオレもそう思ったんだよ」

 僕らが感動したように、彼らもまた拓海の手話による「歌」を推した。意見が一致したのを受けてユージンが総括する。

「お二人の歌ももちろん素敵でしたが、拓海さんの手話には、言葉では表現しがたい感動がありました。これ、新しいですよ。夜空のイメージにも合う。ぜひ取り入れましょう」

「三人がそう結論づけたなら早速その方向で動こう。残り時間は限られている」

「ですね。幸いにして今夜もいい天氣になりそうですから」

◇◇◇

 撮影は滞りなく済んだ。そして彼らの頑張りの甲斐あってミュージックビデオは期日に間に合い、ショータからもお墨付きをもらうことが出来たのだった。

『手話付きの映像を送ってくると信じてましたよ』

 電話口で、ショータは感想を述べる前にひと言、そう言った。その口ぶりはまるでこうなる未来を想定していたかのようだった。はじめは、敏腕のプロデューサーだから僕らの取りそうな行動を予測できたのだろうと思ったが、ふと、ライブハウスのオーナーの顔が脳裏をよぎってハッとする。僕らの性格を知り尽くしているオーナーならばあるいはこの結果を予想し、ショータに助言したかもしれない、と。いずれにしても僕らが彼(あるいは彼ら)の思い通りに動いているのは間違いなさそうだ。

 その先に正解があるかどうかなんて誰にも分からない。しかしそれでも今はとりあえず何でもやってみるしかない。

 ショータは続けて言う。

『皆さんが曲作りをしている間にミュージックビデオ配信用のウェブチャンネル開設もブラックボックスに依頼しておきました。ビデオは今週末の夜に投稿予定で、その後は週一でサザンクロスの曲をアップしていこうと考えています。なので、音源は彼らに渡しておいて下さい。良いように仕上げてくれるはずです』

「わかった」

『まぁ、何も心配することはありません。……題して、声なきミュージシャンと愉快な仲間たちの逆襲。第二部の始まり始まりー』

 まるで舞台の語りのような言い方にショータの揺るぎない自信が感じられた。


16.<麗華>

 ミュージックビデオの出来には携わった全員が満足していた。これなら音楽事務所に属していなくても、また大きな後ろ盾がなくても通用する。そのくらい、自信があった。

「ライブハウスに出入りしてる人全員に宣伝してますよ! オレたちにとっても自信作ですからね。ああ、明日の公開が待ち遠しいなぁ」
 我が家のスタジオにやってきたユージンは、バイトのあとでも疲れ一つ見せず嬉しそうに語る。
「その後の配信を予定している音楽の方は今、セナ・リオが一生懸命動画を作ってるみたいです。バイトの前にちょっと見たけど、なかなかかっこいい感じに仕上がりそうですので、楽しみにしといてください!」

 あたしたちの後援だというのに、その語り口からは動画制作を楽しんでいるのが伝わってきた。先にスタジオで練習を始めている弟妹きょうだいと合流するユージンを見送ったあたしは眠氣を堪えながら、彼ら用の布団を整えるため向かいの部屋に入った。

 本来、自分たちの音楽作りに当てられるであろう時間を、あたしたちのために使ってくれる彼らにはどれだけ感謝してもしきれない。寝床と食事が等価になるはずもないが、これくらいしか提供できないのが辛いところ。こうなったら一人でも多くの人にミュージックビデオを見てもらわなければ、との思いを強くする。

 彼ら用のベッドメイキングと自分の寝る支度を済ませ、そっと寝室に向かう。が、もう寝ているはずの二人はまだ起きていた。時刻は深夜一時を回っている。

「寝ていて良かったのに」

「いや、どうも寝付けなくてね……」

「ミュージックビデオのことで?」

「うん。何せ、初めての試みだからね。そりゃあ緊張もするさ」
 智くんの発言を受けて拓海も力強く頷く。

 ――俺だってそうだよ。今までは目の前ですぐ反応が見られたし、CDも、俺たちの歌や演奏が良いと思った人がその場で買ってくれていたから顔が見える安心感ってのがあった。だけど今回は違う。俺たちのことをまったく知らない人が視聴する。それは楽しみでもあり、怖くもある。

「そうね……。顔の見えないファンは、リアルを重視してきた二人にとってはちょっと遠い存在かもしれない。でも、こういう時代だもの。応援の仕方も多様になってきているし、ショータさんの依頼を受けると決めた時点で時代の流れを取り入れるのは必然だったはず。心配や緊張も分かるけど、ここはでんと構えてその瞬間を見守りましょう」

「レイちゃんは怖いもの知らずなんだな……。いや、僕らが臆病なだけなのか……」

「あたしだってはじめは何をするにも怖かったわ。だけどそんなことを言っていられない世界だったからね。何でもやるうちに怖がるって感覚が薄れちゃった。……さぁ、今日はもう寝ましょう。多分、明日の方が眠れないでしょうからね!」

 そう言って消灯する。

 それが今の自分の全力をぶつけた作品なら堂々としていなさい、結果は自ずとついてくるから、というのが音楽事務所社長の口癖だった。バンド活動をするにあたり事務所は辞めることになったが、その助言は正しかったと思う。インディーズいじめについては容認できないけれど、社長その人が悪いと言うより業界のあり方に問題があると思っているので、今回の試みであたしは音楽業界の構造を変えるつもりでいる。

◇◇◇

 星空をバックにアコギ演奏をするあたしと智くん、そして手話で「歌う」拓海の映像のみという、いたってシンプルなミュージックビデオ。これ自体には何ら不満はないし、むしろよく撮れているとも思うが、目の肥えた動画の視聴者は物足りなさを感じる可能性が高い。そこで「今時イマドキ」を考えるショータさんから一つの提案を受けた。それが、オープニングミュージックの挿入だった。

 十秒のカウントダウン画面に拓海の即興曲をつけ、まずは耳から惹きつける作戦。カウントダウン中の映像は、もちろんソロ演奏する拓海。これをセナとリオンが、本人も自画自賛するほどかっこよく編集してくれた。

 いよいよ公開時間になり、まずは一視聴者として動画を再生、その後は視聴者数の伸びを見守る。ユージンが宣伝してくれた効果か再生数はどんどん上がり、コメントも次々投稿されていく。

 公開から三十分ほど経過した頃、一度引き上げたブラックボックスの三人がプロデューサーのショータさんと共に我が家にやってきた。

「どうですか、再生数は?」
 ショータさんは、リビングのノートパソコンで視聴していたあたしたちの後ろから画面をのぞき込み、一通り観察したあとで腕を組んだ。
「うーん、想定していたよりも伸びが緩やかだなぁ……。やっぱり、出来は良くても知名度の低さがあだとなったか……」

「だけどオレ、頑張って宣伝しましたよ?」
 ユージンが不満を漏らすと、ショータさんは首を横に振る。

「ライブハウスに出入りする人だけじゃなぁ。しかし、おおっぴらに宣伝して悪目立ちしたくもなかったし……。よし、次の作戦に移ろう」
 ショータさんはそう言うとブラックボックスの三人の肩に手を置いた。
「これを真似して動画配信してくれ。そうすれば確実にバズる」

『えーっ?!』
 


17.<拓海>
 

 ショータの提案に驚いたのは若い三人だけではなかった。俺たちもまた驚き、顔を見合わせた。

(こいつ、一体何手まで先を考えているんだ……?)

 以前プロデュースしてもらったときもここまで考えていたのだろうか。戸惑う三人にショータは殺し文句を加える。

「ちょっと考えてみてくれよ。もし、今提案した動画がバズったら、って。サザンクロスが評価されるのは当然として、その動画を作った君たちも再評価されるのは必至。そうなればあとは勝手に過去動画の再生数も伸びるし、メジャーからお声がかかる可能性もぐんと高まるはずだ」

「おれ、やります……!」
 真っ先に口説き落とされたのはリオンだった。

「単純ー」

「そうは言うけどさ、セナ。これはおれらにとってもチャンスだと思うんだ。目立てば注目される。注目されれば金になる。ましてやメジャーデビューとなれば……」

「はいはい、それがリオンの夢だもんね。そういうことならアタシも手伝うよ。お兄ちゃんは?」

「オレは……」
 迷っているユージンと目が合う。

 ――ならさ、こういうのはどうだろう。演じるのは双子。弾くのはユージン。ただしユージンは持てるギター技術のすべてを出し切るつもりで弾く。これならお互いにやりたいことをしつつも一つの作品を完成させられるし、俺たちも恩恵を受けられる。

 智篤を介して伝えた。ユージンは「それなら出来るかも……」と言ってうなずきかけたが「だけど」と続ける。

「ショータさんに聞きたいんですが、何でそんなに振り付けアリにこだわるんです? 双子こいつらが言うなら分かります。だけどショータさんが、ってなると理解できない……」

 ショータは鼻で笑い、持論を語り始める。

「分からないなら教えてやろう。自分が成そうとしているのはみんなを一つにすること。ジェスチャーはそのためのツールなんだよ。人は太古の昔から、お祭りのときも神に祈るときも身振り手振りを用いては想いを増幅させてきた。そう、それらには言葉の壁を越えて人々を一丸にさせる力がある。そこに、優れた音楽が合わさったらどうなると思う? ユージン。ギターの演奏や歌の技術を追求するのはもちろん素晴らしいことだ。でも、双子がやっているダンスミュージックを軽視すべきじゃない。君たちにはこれまで以上に協力しあってもらわなきゃいけない。優れたもの同士の融合が実現すれば、君たちが望もうと望むまいと必ず高みにいける。世界だってきっと、変えられる」

 それはユージンに向けての言葉だったかもしれない。だが、俺の心にもガツンと響いた。

(言葉の壁を越える……。そういうことか……)


18.<智篤>

 ショータの語ったことはまさに僕が『星空の誓い』のミュージックビデオ制作に際して感じたことだった。歌詞は確かに僕らの想いを伝えてくれるもの。だけど今回僕らは歌詞に込めた想いを別の形に変換し、より多くの人に届けなければならない。それが出来て初めて真に世界を変えられるのだ、と教えられた氣がした。

 僕らだけだったら「なんとかなる」で何の策もなく行動し、今ごろは絶望していたに違いない。しかし、僕らの性格を知り尽くしているライブハウスのオーナーが先手を打ってくれたおかげで、これまで以上に自分たちの世界観を世に広められそうなところまで来ている。

(恩に着るよ、オーナー。託された想いは必ず形にする……!)

 期待されていると分かったら自信がみなぎってきた。新しいことをするのを怖がっているようでは世界征服など成し得ない。ならばここは、敏腕プロデューサーの考えに乗っかってやれることは全部やってやろうじゃないか。

「ユージン。僕からも頼むよ。若い子らに僕らの存在を知ってもらうには、同年代の君らの後押しが必要なんだ、きっと。……ユージンは僕らの音楽に惚れ込んでいるから、雰囲氣を残しつつも若者の心に響くような映像作品が作れると僕は確信している」

「そうよ、智くん。その通り!」
 昨晩、臆病風を吹かせていた僕がそんなことを言ったからだろう。レイちゃんは手を叩いて喜んだ。

「……分かりました。オレもいっぱしのミュージシャンです、進化するための試練と思ってなんとかやってみます!」

「ありがとう。……ほら、そんなことを話していたら動画の再生数も伸びてきたんじゃないか?」

 氣付けば先ほどの倍近く再生され、コメントもかなりの数になっていた。「手話は分からないのになぜか感動した」とか「聾唖ろうあの友人にも教えたい」とか「他の曲も手話で表現して欲しい」という前向きな文言が大半だった。「まるでこの人が歌っているみたいだ」というコメントもあった。

 ――分かる人には分かるんだなぁ。素直に嬉しいぜ。
 拓海は手話でそう伝えるなり、鼻の下をこすった。
 ――ほら、これ見てみろよ。この動画を編集した人のセンスが素晴らしい、ってさ。褒められてるぜ?

 よく見てみると、僕らへの評価だけでなく編集テクについての言及もちらほらあった。
「よしよし。次回からは君らが編集していることも公開しよう。加えて再現動画とコラボ動画をアップすればサザンクロスの認知度は一氣に上がること間違い無しだ」

『コラボ動画?!』

「ああ。もちろん、サザンクロスがブラックボックスのチャンネルにゲストとして出る。ミュージシャンとしての活動歴はサザンクロスの方が長いが、ネットの世界では新参者だからね」
 ショータは一人、楽しそうに笑った。

◇◇◇

 それからショータの計画通りに事を進めていくと、僕らの知名度は日毎ひごと増していき、一ヶ月が経つ頃には音楽部門の急上昇ランキングで一位を獲得するまでになった。その効果か、路上ライブをしていても『星空の誓い』を弾き始めると多くの人が反応する。明らかに認知度が高まっているのが分かった。

 とはいえ好意的なのはやはり若い世代で、僕らと同じかそれより上の世代の多くは相変わらず迷惑そうな顔をして通り過ぎていく。頭が硬くなっている世代にこそ聞いてほしいのに、ネットを介して、あるいはここで歌うだけでは想いが届かない……。

 もっと違うアプローチをした方がいいのではないか。そう思っていたところへショータがふらりと現れたので、ちょうど良い機会だと、僕の考えを素直に問うてみる。

「インターネットから情報を得ていない人たちにはまったくアピールできてないと感じるんだが、良いのか? 本当に今のやり方のままで」

「大丈夫。今のところ計画通りですから」
 疑問を投げかけてもショータは余裕の表情を浮かべていた。
「っていうか、ウイングの認知度はインディーズ界ではそれなりにあったけど、メジャーで活躍するレイカには到底及ばなかったのと同じですよ。今回、インターネットという、ある意味閉じた世界で活動しているわけですから、そこにいない人たちが認知していなくても何ら不思議ではありません」

「……と言うことはやはり、テレビの影響力は未だ強いと言うことか」

「今はそうかもしれません。しかし、悲観する必要はありません。これからですよ」

「随分と余裕だな」

「まぁ、この計画が失敗に終わっても自分はそこまでダメージを負いませんから。他にも山ほど仕事を抱えているのでね」

「ちっ……。それが本音かよ」

「……冗談ですよ。そんなに怖い顔をしないで下さい」

 しかし、どこまで冗談なのか表情からは読み取ることが出来なかった。更に睨み付けるとショータは「まぁまぁ……」と僕をなだめつつ、こう続ける。

「自分の頭の中ではあらゆる可能性を考えています。今は想定通りに事が進んでる、だから余裕があるという話です。しかしこの先、分岐点から悪いパターンに入る恐れは充分にあります。それだけは素直にお伝えしておきます」

「あたし、何だか嫌な予感がする……」
 レイちゃんがぽつりと言い、ショータも静かに頷く。

「おそらくは麗華姉さんが考えていることと自分の考えてることは一致するんじゃないかと思います。自分の中では最悪的に悪いシナリオです。これが実際に起きると結構厄介ですよね……。打開策はもちろん用意していますが」

 ――え、え? 最悪のシナリオって何だよ……?

 拓海がレイちゃんとショータを交互に見ながら手を動かした。通訳しようとした時、駅の方からこちらに向かって走って来る人影があった。ユージンとセナだ。いつものように手を挙げて挨拶したが、様子がおかしい。

「どうしたのよ、二人とも。そんなに慌てちゃって。……って、今日は二人? リオンは?」
 レイちゃんの問いに、ユージンは息も絶え絶え発言する。

「……あいつ、裏切り、やがったんだ。ひとりで……ひとりでメジャー契約を……」

「えーっ!?」


中編(約36700字):

19.<麗華>

 あたしと智くんは声を上げ、拓海は目を丸くした。ショータさんだけは「悪いシナリオが発動しちゃったか。こりゃあ参ったなぁ……」と、口では言いながらも驚いてはいない様子。先ほど聞いたとおり、これは彼の中では想定しうる出来事だったのだろう。

 いや、あたしもその可能性が頭をよぎってはいた。でもまさかね、と思っていたところにそんな話が飛び込んできたもんだから動揺しているのだ。

 仲間を裏切って一人でメジャー契約をした……。まるで若いころのあたしを再現したかのような話に胸が痛くなる。そしてひどく憤るユージンとセナをみてもっと苦しくなる。三十数年前の拓海と智くんもきっとこんなふうにしてあたしへの怒りを爆発させていたに違いないからだ。

「カネ、カネ言ってたけど、まさかホントに金に釣られて単独行動するなんて頭がいっちゃってるとしか思えない! 皆さんもそう思うでしょう!?」

「それも、詳しい話すらせずに『ちょっと夢、見てくるわ』って、それだけ言い捨てて出てっちゃったんだよ?! もー、信じらんない!! アタシたち、三人で活動してるのに!! 見捨てられた氣分!! サイアク!!」

 ――分かるよ、分かる。お前らの氣持ちはよーくわかる。俺たちもまったく同じ目に遭ってるからな……。

 拓海の手話を、智くんが感情を込めて伝える。

 それは兄妹きょうだいにとっては慰めの言葉だったかもしれない。が、あたしにとっては嫌みにしか聞こえなかった。もちろん今は、拓海も智くんも当時の感情を清算しているとは思う。しかし彼らがそういう体験をしたのは事実だし、思い出そうとすればきっと当時の怒りや憎しみはすぐにでも思い出せるはず。何しろ人生の半分近く持ち続けたそれらの感情を手放したのはつい最近のことだから。

 その証拠に、智くんは目を三角にする二人にこう告げる。
いかりの感情を閉じ込める必要はない。おこりたければとことん怒ればいい。音楽作りの糧になるからな。……ウイング結成当初に作った曲は特にそうだった。今、改めて思い返すと本当に怒り狂ってたのがよく分かる」
 
「そんな話聞いたら、エレキかき鳴らして叫びたくなるじゃないっすかっ!」

「なら、そうすればいい。とりあえず、うちへおいで」
 落ち着いて見える智くんはしかし、何度も深呼吸をして冷静になろうと努めているようだった。きっと頭の中では様々な感情や思考が渦巻いているに違いない。
「……みんなで対策を練ろう。ショータも一緒に来てくれるな? って言うか、こうなったからには、そして最悪のシナリオを脱する策を持っているなら聞かせてくれないと困る」

「もちろん、そのつもりですよ。……はぁ、今日も徹夜仕事かぁ」
 ショータさんは深くため息をついたかと思うと、胸ポケットから煙草を取り出して吸い始めた。

 ――おい、イライラするからって吸い過ぎるなよ。俺みたいになるぜ?

 すっかり禁煙家になってしまった拓海が忠告した。しかしショータさんは聞く耳を持たず、むしろおいしそうに煙を吸い、長く吐き出した。

「ご心配なく。自分は歌手じゃありませんから声を失っても仕事は出来ます。多分ね……」
 

 駅から二十分ほど歩き自宅に到着する。家に上がったあたしはまず、若い二人をスタジオに通す。

「氣の済むまで弾いたり歌ったりするといいわ。あたしたちはリビングにいるから」

「ありがとうございます。それじゃあお言葉に甘えて……」

 落ち着きを取り戻しているように見えた二人は丁寧にお辞儀をしてスタジオに入ったが、直後に大声を上げた。防音ドア越しでも漏れ聞こえるほどの声量。相当に鬱憤が溜まっているようだ。

「こりゃあ、しばらくは出てこないだろうな……」
 智くんと拓海は二人を見送ったあとでリビングのソファに並んで腰掛けた。リラックスしたのか、そこでようやく彼らが口を開き始める。

 ――さっきから一度も発言してないけど、麗華はこの一件、どう思う? 意見を聞かせてくれないか?

「ああ、僕もそれを聞こうと思ってた。さっきは彼らをなだめるのに必死だったから先送りしちゃったけど、レイちゃんが何も考えていないはずはないからね。何しろ……」

「……若いころのあたしたちと同じだから、でしょ?」
 智くんの言葉を奪うように言うと、二人はなんとも言えない表情で頷いた。

「思うところがありすぎてさっきから胸が痛いわ……。だけど、もし正直に言わせてもらえるのなら……」
 一度言葉を句切り、反応を見る。二人が黙って頷いたので続ける。
「これは実体験から推測して言うことだけど、リオンはお金で動いたんじゃなくて、単純にメジャーへの憧れや腕試しのつもりで話を受けたんだとあたしは思う」

「……つまり、リオンには何の非もない、と?」

「いいえ……。彼らの話によれば、リオンはおそらく相談も無しに決めてしまったはず。それについては愚かなことをしたとあたしも思う。自戒の念も込めてね……。だけど変だと思わない? あたしたちの解散の経緯は一から話してるのに同じようなことをするかしら? バンドとしてうまくいってるなら尚のこと。あたしは、何か考えがあっての行動だと思いたい」

「ふーむ……。麗華姉さんがリオンを守りたい氣持ちは分かります。自分もそうであって欲しいと本氣で思う。だけどここでは一応、リオンが裏切った最悪のシナリオから大逆転のシナリオに持って行くストーリーを話し合いましょう。それが最も建設的です」

「そうね……」
 仕事として話しに来ているショータさんは冷静に告げた。この場に感情論は不要だと言うことなのだろう。そういう意味においては若い二人をスタジオに誘導したのは賢明だったと言える。

 ショータさんは「さて……」と言い置いてから話し始める。
「まずは自分の考えをお話ししましょう。最悪のシナリオ……つまりこうなってしまったあとの選択肢は一応三つ用意しています。ひとつは裏切り者を切り捨てる。二つ目は説得の上で連れ戻す。三つ目は違う協力者を募る、です」

「ふん……。そのうち二つはブラックボックスを切る作戦か。冷徹だな」

「そうは言いますがね。智篤兄さんたちだって同じことをしたわけでしょう? この世界で成功するためにはそれも仕方のないことだと知っているはずです」

「あの頃はまだ……」

「若かった、とでも? 若かろうが年寄りだろうが同じことです。利用できるものは利用する。いい話があったら逃さず掴む。そうしなければ大きく花開くことは出来ません。言っちゃあ悪いですが、ウイングとレイカの差はそこにあります」

「……てめぇ、もういっぺん言ってみろ!!」
 カッとなった智くんがショータさんに突っかかった。

 ――確かに、いくら何でも言い方ってもんがある。今のは俺もカチンときた。
 続けて拓海までもが苛立ちを顕わにし始める。

(このままではあたしたちの仲まで悪くなってしまう。せっかくかつての仲を取り戻したのに、また振り出しに戻ってしまう……。)

 危機感が思考をフル回転させる。そう言えばさっき、ショータさんは二つ目の案として説得の上で連れ戻す、と言っていたっけ……。

「智くん、落ち着いて。あたしに考えがある」
 ショータさんに詰め寄る智くんを引き剥がし、ソファに座らせる。

「……何だよ、考えって」

 まだ興奮している彼はあたしに対しても苛立ちを向けた。そんな彼の目を見て言い放つ。
「あたしがリオンを説得する。これはメジャーにいたあたしにしか出来ない」


20.<拓海>

 麗華の言葉を聞いた俺は、驚きつつも名案だ、と思った。話し合えば更に溝は深まるかもしれないが、互いの考えを知ることは出来る。かつての俺たちが、それをしなかったためにより溝を深め、何十年もいがみ合ったことを思えば、結果はどうあれ、ここはリオンの考えを聞くのが正解だろう。

 ――智篤。ここは一旦、落ち着こう。
 麗華の言葉を聞いてソファから立ち上がったあいつをもう一度座らせる。

「ふん……。その言葉、そっくりそのまま返してやる」
 ぶっきらぼうな返しだったが、ソファに背を預けたところを見る限り、一応、話を聞く体勢にはなったようだ。それを見てショータが呆れたようにため息をついた。

「よくそんな性格でここまでやってきましたね。おっと、またしても失言を……。今のは忘れて下さい。で、話を戻しますが、麗華姉さんは説得する案に乗ろうと……。そういうわけですね?」

「ええ。ショータさんの提案の中で唯一、成功すれば全員が救われる案だもの。他に案が出ないならそれに賭けるしかないでしょう」

「しかし一番苦労を伴う案です」

「そんなのは百も承知よ」
 
 そこへちょうど、若い二人がスタジオから姿を現した。ひとしきり発散したのか、先ほどよりは落ち着いて見える。しかし、俺たちと目があった途端、今にも愚痴をこぼしそうな表情に変わる。また感情論が始まる前にと思ったか、麗華がすかさず質問をする。

「単刀直入で悪いけど、リオンがメジャー契約を交わしたところってどこか知ってる? 近日中にもあたしがリオンを説得しに乗り込もうと思っているんだけど」

「説得ぅ?! そんなことが出来るとは思えないけど!」
 やはりセナはまだ怒りの種が残っているようで激しく反論した。一方のユージンは大人の対応を見せる。

「確か……麗華さんが所属してた事務所だったかと」

「そう……。手口からしてそうじゃないかと思ったけど、インディーズいじめのことではいろいろと言いたいと思ってたところだからちょうどいいわ。教えてくれてありがとう」

 ――なぁ。麗華にしか出来ないって言うけど、まさか一人で乗り込むつもりじゃないだろうな?

 心配になって問うと、案の定「そうだけど?」と返ってきた。

 ――そうだけど? じゃねえよ。いくなら俺も行く。言ってやりたいことがあるのは同じだからな。

「いいえ……。リオンとは一対一で話さないと意味がないから」

 ――だけど……!

「確かに……。もしここで僕らが三人で、あるいはきょうだいも込みで乗り込んだ場合、余計に反発される氣はするな。力尽くで連れ戻しに来たのか、ってね」

「そういうこと」
 智篤の発言に麗華は頷いた。

「拓海は心配なのさ。レイちゃんが再びあちら側になびいてしまうんじゃないかって」

 ――おい……! 俺は、そんなこと……!

「まぁまぁ……。ここで争うのはやめましょう」
 再び嫌なムードになりかけたところでショータがタイミング良く間を取り持った。そしてこう続ける。
「しかし、自分の提示した案の一つを採用する前にブラックボックスの意見も聞いておきましょう。君たちは裏切り者のリオンに戻ってきて欲しいと思う? そこが一番重要なポイントだ」

 二人は顔を見合わせた。言いたいことは山ほどあるぞ、と言いたげな表情。しばらくしてユージンが重い口を開く。

「正直な話、まだ氣持ちの整理が出来ていません。本当に数時間前に起きた出来事ですので……。ただ……このまま仲違いした場合の未来は見えてるから、オレとしてはその未来が避けられるなら避けたいと思う」

 彼の目が俺と智篤を交互に見た。

 ――よく言った、ユージン。そうだ。俺たちと同じ決断を下した場合……残念ながら明るい未来は待ってない。たとえ食うに困らないミュージシャンになれたとしても、心はずっと満たされないからな……。

「セナの方は?」
 ショータが尋ねる。

「実を言うと、隣にリオンがいないまま過ごせる自信がないんだよねぇ。だってアタシたち、生まれたときからずうっと一緒だったんだもん。そりゃあ、戻ってきてくれるならそれが一番いいよ。もちろん、同じ方を向いてることが大前提だけど」

「まとめると、ブラックボックスの二人もリオンには戻ってきて欲しい、と言うことだな?」
 二人は頷いた。

「オーケー。それじゃあ麗華姉さんには交渉の席についてもらうことにして……。その次のシナリオについて話し合いましょう。リオンの態度が友好的かそうでないかによって、次の行動が変わってきますからね」

 こうして話し合いは深夜まで続いた。

21.<智篤>

 結局、来訪の三人は我が家で一泊することとなった。話し合いが終わったころには皆へろへろで帰宅する氣力すらなかったからだ。

 僕自身もひどく疲れている。今すぐにでも寝てしまいたい。なのにベッドに横たわった僕は、目の前で数十年前と同じ出来事が繰り返されたことの意味について考え始めてしまう。

 若かったあの頃。人生、こんなに楽しくていいのかと思っていた矢先、僕と拓海は天から見放され、崖下がけしたへ突き落とされた。なぜ今のまま最高の人生を続けさせてくれないのか、と天の神をも恨んだ。しかし、長い年月を、赦すことを知った今、改めて振り返ってみると違う感想を持つ。

 楽しい日々は実に甘美だ。それゆえ誘惑的であり、人を怠惰にも傲慢にもさせる。当人にその自覚がなくても、天から見て調子に乗っていると判断されれば灸を据えられる。きっと、そう言うことなのだろう、と今は思う。もちろん、過去のことだから如何様にも解釈できるわけだが、とりわけ若いころは自分視点でしか考えられなかったことが解散劇に繋がったのは間違いない。

 灸を据えられた僕は拓海の生還を機に、抱き続けてきた負の念や後悔のすべてを手放したつもりだった。それでも未だ「やり直せたら……」と思うことはある。いま、新たに立ち現れたブラックボックスの分裂危機が、その思いが形になったものだと考えるのは、少々、突飛すぎるだろうか。しかしそう考えた方が僕としてはしっくりくる。彼らと共にこの危機を乗り越えたとき、傷ついた「あの頃の僕ら」は完全に癒やされ、いよいよ高みに向かうことが出来る。そんなふうにさえ思う。

 寝返りを打ち、拓海が寝ているベッドの方に身体を向ける。と、彼も起きているらしく目があった。拓海が起き上がって何か言いたげに手招きしたので、僕も身体を起こし、彼の隣に腰掛けた。

『むかしのことを、かんがえてんだろう?』

 拓海は手を使わず、ゆっくりと口だけを動かした。半年間、それも四六時中、彼の口の動きを読んできた僕は、落ち着いた環境であれば、手話がなくても言っていることがだいたい分かるようになっていた。それどころか、昔みたいに声帯を震わせてしゃべっているかのようにさえ感じる。

 僕はもう一つのベッドに目をやり、レイちゃんが眠っているのを確認してから小声で話す。

「ああ、昔のことを、考えていた」

『だと思った。まぁ、リオンの行動を思えば嫌でも考えちまうのは分かるけど』

「……そういう拓海はどうなんだよ?」

『俺は今後の流れについて改めて考えを巡らせてたとこだよ。一応、麗華に任せるってことにはなったけど、一人で古巣に殴り込みに行かせるのはやっぱり不安があるからな。だって、新たな人生を歩もうとする麗華の道をあえて塞ぎに来るような組織だぜ? 話し合ってどうにかなるわけがない。お前だって薄々そう思ってるだろう?』

「そうだな……。話し合ったとおりに事が進むのを祈るばかりだが、何せこちらは権力も金もないインディーズバンド。相手にそれらを振りかざされたら勝ち目はないだろう。それでも立ち向かわなきゃいけないわけだけど」

『世界征服を成し遂げるためにも?』
 問われて、小さく頷く。

「おそらく相手も僕らの動きくらい読んでいるだろう。そして大したことは出来ないと舐めてかかってくるだろう。……なぁ、拓海」
 名を呼んでから耳打ちをする。
「僕らだけで、誰も予想できないような手を一つ、用意しておかないか? ショータも思いつかないような奥の手を」

 これまでの僕らは何も考えてこなかった。ライブハウスのオーナーにもその性格を見抜かれてショータをあてがわれたほどだ。しかし、いつまでもそう思われっぱなしと言うのは面白くない。

『いいじゃん、その提案に乗るよ』
 拓海はにやりと笑った。
『そうそう。一つ、考えてたことがあるんだ。実はさ……』

 拓海の口の動きを読みとった僕は、自分と同じ考えだったことに満足した。

「さすがは拓海。僕もそう言おうと思ってたんだ」

『何だ。それじゃあ話は早い。……実行日は、麗華が事務所に乗り込みに行く日がいいだろうな』

「ああ……。泥臭く動き回って、僕たちの意地を見せつけてやろう」

 拓海は大きく頷いた。今こそ、横の繋がりの力を発揮するとき。大きな組織に属さなくても僕らの歌声を届けられるって事を証明してやる。

 自分たちでも動くと決めた途端、安心したのか急に眠氣が襲ってきた。
「ありがとう、拓海。やっぱり君は僕にとってなくてはならない相棒だ」

『お互い様だよ。さぁ、もう寝よう。おやすみ……』

「おやすみ……」
 再びベッドに潜り込む。今度は一分も経たないうちに眠りに落ちた。


22.<麗華>

 社長があたしの話を真面目に聞いてくれる保証はどこにもなかった。むしろ面会を断られる可能性すらあった。しかし社長は、あたしが連絡すると三日後にリオンを含めた三人で会う時間を作ってくれた。

「お久しぶりね、麗華。インディーズでもうまくやっているみたいじゃなーい?」

 通された応接室で待っていると、社長はあたしより七つも上とは思えない、真っ赤なスーツに真っ赤なヒールという出で立ちでリオンと共に現れた。そしてあたしに向かってわざとらしく煙草の煙を吐き出した。

「ええ、リオンたちの協力の甲斐あって、サザンクロスの知名度は上がってきています。……そのリオンを、社長が引き抜いたわけですが」

「まるで私があなたたちの邪魔をするために彼を引き抜いたと言いたげね。まぁ、どう思おうがあなた方の勝手だけど、私の誘いに、彼は喜んで乗ってくれた。それが真実よ」

「本当に……?」
 リオンの顔を見る。彼は顎を引いてあたしをキッと睨んだ。

「麗華姉さんだって同じだったでしょう? メジャーデビューするのが夢だった。そのおれに、ついに声がかかった。だから誘いに乗った。何もおかしなことはないでしょう?」

「おかしいとは一言もいっていないわ。ただ、疑問が残るのよ。なぜ、あたしたちと同じ道をたどろうとしているのか。あたしはそれが知りたいだけなの」

「おれが麗華姉さんと同じ行動を取ったからって、同じ結末になるとは限らないっしょ」

「ユージンもセナも怒ってたわ。若いころの拓海と智くんみたいに。同じにならないと考える方が難しい……」

「だったらどうだってんだよ! さっさと帰ってくれ!」

「…………」

「麗華。何を言っても無駄よ。彼の決意は固いわ」
 あたしの声が届かないと分かったからか、社長はほくそ笑んだ。

「……諦めません。あたしは必ず彼を連れて帰ります。仲間とも約束してるんです」

「約束……? 笑ってしまうわね。そんなのでお腹いっぱいになるとでも言うの? 麗華は仲間の元に戻ってすっかり毒されてしまったようね。忘れてしまったならもう一度教えてあげる。いいこと? ビジネスの場においては成果がすべてなの。稼いだもの勝ち。競り負けたライバルがどうなろうがこっちには関係ない。情なんて必要ないのよ」

「……あたしたちミュージシャンがお金を運んでくればあとはどうでもいい……。そういう発想ですか」

「そうよ。あなたたちはただ、作られた流行に沿って言われたとおりに動けばいいの。それでお金がもらえるんだからいいと思わない? ミュージシャンは、余計なことは考えないでただカメラの前で笑顔を作っていればいいの。そうすればあなたたちは楽に稼げるし、こちらにもお金が入る。ファンも喜ぶ。みんなハッピーになれる。それでいいじゃないの」

「……いつからあなたの目の奥の輝きが失われてしまったんでしょう? あたしと出会ったころの社長はまだ夢を語っていたのに」

 社長は鼻で笑い、ゆっくりと首を横に振った。

「……夢だけあってもダメなのよ。そこに、ドラマとお金が加わって初めて音楽で生きていけるの。麗華、あなたなら分かるでしょう? 大切な友や愛する家族のため、仲間を裏切ってでもプロシンガーになる、と言うストーリーが『レイカ』のキャラクターを確立させたことくらい。だから長きにわたってその地位を維持できたと知っているはずよ。リオンも同じ。ダンスミュージックで人々の目を楽しませる、笑顔にする。そういう使命を負ってデビューするから意味があるの。いいこと? 聴衆は自分たちを喜ばせてくれるミュージシャンが、『し』がそこにいればいいの。彼らがどんな想いを胸に抱いてデビューしたかなんてどうでもいいの。だから私たち音楽事務所の人間はそのニーズに応える形でミュージシャンをデザインする。それですべてがうまく回る」

「……しかしそれではミュージシャンが不幸になってしまう」

「どうして? たくさん稼げるというのに? シンガーソングライター・レイカは不幸だったというの?」

「当時は不幸などとは思っていませんでした。しかし、素のあたしが殺されてきたことに氣付いてからはもう、音楽業界の常識を受け容れられなくなってしまった。業界の常識は、世間の非常識です。社長。もう少しミュージシャンに寄り添った仕事の進め方は出来ないのでしょうか。それをお約束していただけるなら、リオンの説得も諦めます。あたしだってメジャーで活躍したいという彼の夢を奪うようなことはしたくありませんから」

「分かってないのは麗華の方よ。……私はもう後には引けないの。多くの繋がりを持ちすぎてしまったわ。この世界はお金で出来ている。メディアにお金を貢げなくなったら最後、その会社は潰れるしかない。そう言う仕組みになってるの。そしてその仕組みに異を唱えるミュージシャンの存在は目障りだから、どんなに小さくてもすべて潰す」

「……本当にそれが社長のお氣持ちなのですか? あたしにはそうは思えないんです。昔のように、また夢を語ってくださいよ」

「……社長たる私に求められるのは経営力。自分の感情はとうの昔に捨てたわ。だからいくら情に訴えかけても無駄よ」

「なら、伺います。夢を語って口説いたんじゃないとしたら、リオンに一体いくら渡したんですか。どのくらい、稼げと命じているんですか」

「あら。まだお金は渡していないわよ。期待を込めて、居住費込みで百万、取引料としてもう百万って提示したんだけど、それじゃあ不十分だって言われててね。これから伸びるであろうサザンクロスとブラックボックスの活動を制限させるんだからもっとくれなきゃ困るって言うの。若いのにわがままで困っているわ。口説き甲斐はあるけれどね」

 今の話から、やはりリオンはメジャーデビューの夢を叶えたいと言う理由だけで話に乗ったわけではなかったと知る。

「社長。姉さんの前でその話はして欲しくなかったんですが……」

「だけど、話したところで麗華には何も出来ないんだから問題はないでしょう?」

「それはそうかもしれませんが……」

「この件に関しては、あなたは黙っていればいいのよ。私があなたに求めているのはそのルックスとダンスの技術だけなのだから」

「…………」

「……社長。そんな言葉を聞かされて、リオンが言うとおりにするとでもお思いですか?」

「するわよ。あなたたちを人質にしているうちは」

 まさか手の内を堂々とこちらに伝えてくるとは思っていなかった。よほど口説き落とせる自信があるようだ。つまりはあたしたちが舐められている、ということ……。

 もう一度リオンの目を見る。社長と違ってその目は力強く、闘志に溢れていた。

(ごめんね、リオン……。あたしたちが不甲斐ないばっかりに……。)

 あたしたちからすれば人質になっているのはリオンの方だ。立場を守るためとは言え、今の社長のやり方は全うではない。言うことを聞く従順な人間だけを可愛がり、かみついてくる輩は排除する。もはや実力の有無すらどうでもいいのかもしれない。

 社長は闘志むき出しのリオンを見ても相変わらず余裕の笑みを浮かべている。

「サザンクロスとブラックボックスを守りたいというリオンの氣持ちは分かるわ。だけどさっきも言ったとおり、簡単にオーケーするわけにはいかないのよ。……そうだ。いっそ、双子のお姉さんと二人でデビューするのはどう? それだったらあなたの心配事も少しは減るんじゃない?」

 社長の新たな提案にも驚くことなく、リオンは静かに問う。
「……なぜ兄は外れるんですか」

「ウェブであなたたち三人がおしゃべりしている動画を見たわ。お兄さん、とっても純粋な子でしょう? 目を見れば分かるわ。だからダメ。ああいう純朴な青年は私とは合わない」

「……セナに聞いてみます」

「ちょっと、リオン……!」
 彼の目から輝きが消えたような氣がして焦る。事前の打ち合わせを思い出し、すぐさま次なる手を打つ。

「社長。彼と二人で話す時間を下さい。どうしても確かめたいことがあるんです。五分で構いません。お願いします」

「自分の都合でやめたあなたに、そんなことが許されると思って? そうでなくても、こうして会う時間を作ってあげたんだから感謝してもらいたいわね」

 社長はあたしの目も見ずに、天井に向かって煙草の煙を吐き出した。ショータさんはあらゆる事態を想定し案を出してくれたが、話し合いに持ち込めない今の状況では出せる手が限りなく少ない。

(もはや、最後の一手しか残っていない……。これに賭けるしか……。)
「もう充分でしょう? 諦めて帰りなさい」

 応接室のドアを開け放つ社長。しかしあたしは退室せず、リオンの正面に立って「最後の一手」を告げる。

「社長の話によれば、あたしたちの活動を制限させるために提示された金額は百万だったわね? それでも足りない、とリオンは思ってると。ええ、百万程度で活動をやめるようなあたしたちじゃないわ。リオンがそう思ってくれてると分かったからには、どんな困難な状況下でもそれ以上を稼いでみせる。人々を振り向かせてみせる。あらゆる手を駆使して、メジャーのミュージシャンにも匹敵する知名度を獲得してみせる。だからリオン。あたしたちのために自分を犠牲にしないで。メジャーにいなくても有名にはなれる。大舞台にだって立てる。あなたの夢、みんなで叶えましょう」

 右手を差し出した。今すぐ、彼がこの手を取ってくれるとは思わない。だけど、この手はあたしの、あたしたちの想いのすべて。リオンを待つ人がここにいると言うことをどうしても伝えたかった。

 リオンの右手が動いた。だが、その手はあたしの手を振り払った。

「……セナに伝えて欲しい。一緒にデビューする氣があるならおれに連絡してくれって。……だから、姉さんはもう、帰ってくれ」

「……分かった。今日のところは引き上げる。でも、次に来るときはセナも一緒だと思っておくことね。もちろん、あなたを連れ戻すために」

「……帰って」
 開け放たれたドアの向こうを指さされる。もうこれ以上は何も話したくないと言いたげな顔。あたしには迷いがあるように見えた。


23.<拓海>

 リオンの説得を麗華に任せた俺たちは、とあることを企てようとしている。思いのほかその日は早く訪れたが、互いの頭の中ではすでに思い描いていたことだから根詰めて話し合わなくても問題はなかった。

 いつも通りギターを引っ提げ、ふらりと家を出た俺たちが向かった先は近所の喫茶店。そこのオーナーとは、麗華の友人を介して少し前に知り合った。本業は喫茶店だが、宴会や会議室としての利用も出来ると聞いた。オーナー曰く、「面倒事」を持ってくるのはいつも同じ知人らしいが、文句を言いながらも受け容れていたところをみると、寛大な心の持ち主なのだろう。その、広い心で俺たちの話にも耳を傾けてもらえたら……との思いで足を向ける。

 朝食をスキップしているのでメチャクチャ腹が減っている。麗華が早くに家を出てしまったせいだ。朝とも昼とも言えない中途半端な時間。店のドアを開けると案の定、人影はほとんどなかった。オーナーに用がある俺たちにとっては好都合だ。

「いらっしゃーい。……って、今日はお二人様、ですか?」
 オーナーは俺たちを見た途端、珍しい組み合わせの客が来たぞ、というような顔をした。

「ああ、構わないだろう?」

 智篤が、もはや常連客であるかのように答えた。俺も受け答えはしたいところだが、何せ喉を震わせることが出来ないので交渉事は智篤に一任している。どうしても、の時は手話を使う予定だが、今のところ俺の出番はないと思っている。

「も、もちろんです! めぐっち、接客を」

「はい。空いている席にどうぞ。今、お冷やをお持ちしますね」

 かわいらしい店員さんが、カウンター席に着いた俺たちに微笑みかけた。水を運んできた彼女にコーヒーとサンドイッチのモーニングセットを二つ頼んだ智篤は、その流れで早速オーナーに依頼事をする。

「実は頼み事があってきたんだ」

「え? 頼み事?」

「ああ。突拍子もない話に聞こえるかもしれないが、僕らの音楽をここで流してほしいんだ。ゆくゆくはここでのライブも考えている。出来ればウェブで中継しながら」

「はぁ。ライブ配信、ってやつですか?」

「そう、それ。先日もここで弾かせてもらってるし、どうだろうか?」

「そりゃあ別に構いませんけどね。なんだって急にうちなんかでやろうと?」
 当然、そういう話になるだろう。智篤も、想定していた質問が飛んできたとばかりに持論を話し出す。

「簡単に言うならこれは、活動場所を奪われつつある僕らの抵抗だよ。金と権力がすべてじゃないって、想いの方が強いんだぞって事を示すためのね」

「あっ、分かりました! この間の動画で言ってた『歌の力』ってやつですね?」
 女の子が手を叩いて応答した。
「わたし、見ましたよ。サザンクロスとブラックボックスのコラボ動画。歌ってる皆さんが普段どんなことを考えているかが分かって、とてもいい動画でした」

 コラボ動画あれは一日で十万回再生された人氣動画だ。目の前の彼女も見たと聞き、智篤も嬉しそうだ。

「若い子の方が理解が早いな。そう、僕らは歌の力で世界を変えたい。ここを、その足がかりにしたいんだ」

「いいじゃないですか、素敵です! 歌の方も主人と一緒に聴いたんですが、智篤さんの声も麗華さんに負けず劣らず素敵でした。わたしも惚れちゃいそうです」

「へぇ。若いのにもう伴侶がいるのか」

「それどころか、めぐっちは一児の母ですよ。見えないでしょう?」
 オーナーが合いの手を入れ、女の子がはにかんだ。

「若い子がファンになってくれるのは嬉しいよ。だけど、一番聞いてほしいのはオーナー世代なんだよな。そういうわけで、どうかな。野球中継を流すのもいいけど、店で僕らの音楽を流すって言うのは?」
 誰が見ているわけでもないテレビを指さす。

「うーん……。日を決めてやるのはまぁ、ありかもしれませんが、うちは基本、シーズン中は野球中継を流すって決めてるんです。何せおれが元球児だし、それに……」

「そこを、なんとか頼むよ……!」

 智篤が頼み込むが、オーナーは唸ったきり押し黙ってしまった。一旦話は途切れ、その間に頼んだモーニングセットが提供される。サンドイッチを頬張っていると、ようやくオーナーがさっきの続きを話し始める。

「おふたりに伺いますが、音楽をうちで流してどうするんです? ただ曲を知ってもらいたいだけならぶっちゃけ、ウェブ配信でもいいわけでしょう? もしくは路上で歌うとか」

「いや。これまでのやり方では届かない人に聞いてもらうのが狙いなんだ。この意味が分かるか?」

「つまり、自分から情報をとりに行かない人にも聞かせたい、と」

「ああ」

「それだったら……」
 オーナーはそこで一旦言葉を切った。
「おれ、いいこと思いついちゃったんですけど、聞いてもらえます?」

「もちろん」

「店で曲流すってのも悪くはありませんが、後にライブもやるとなった場合、ここはあまりにも狭い。人を集めてのライブ、それも想いを伝えるのが目的なのだとしたらもっと広い場所、それこそ球場とかでライブを開催した方がいいと思うんっすよ」

「球場……?」

「理人さん、それ、最高です! 水沢さんに頼むんでしょう?」

「さすがはめぐっち。大正解」

「水沢……。もしかしてレイちゃんの弟?」

「そうです。実は水沢みずさわセンパイは少年野球クラブを主宰してましてね、球場とは縁があるんですよ。元プロ野球選手の永江センパイとも懇意ですから、広い場所の確保という意味では何も困ることはありません」

 今の提案を聞いて、さすがの俺も黙りこくっているわけにはいかなくなった。

 ――智篤。球場を借りるなんて考えもしなかったけど、いいんじゃねえか? ただ音楽を流してもらうより、俺らにはライブそっちの方が性に合ってる。

「そうだな、確かにその方がずっとやりやすい」
 智篤も頷いた。

「球場でライブとなったら、その様子をうちのテレビで流すことは出来ると思います。そしたらここのお客さんも聴ける。テレビにネットを繋げばいいんでしょ、そっちの方がうちとしても楽だし」

「レイちゃんの弟とはすぐに連絡取れるのか?」

「ええ、もちろん。って言うか、うちの常連でもありますからね。そのうちに来るんじゃないですか? ほーらね……」

 話し込んでいると、店のドアが開いて二人の男性が入店した。
「わぁ、これは好都合。永江センパイも一緒だー!」

「……どうやら僕たちのうわさ話をしていたようだね」

「ですです。だけどいい話ですよ。こちらのお二人から折り入って頼みたいことがあるそうで」

「二人……?」
 永江と呼ばれた眼鏡の男性がこちらを見た。

「あぁ、サザンクロスの……。今日は麗華さんは一緒じゃないんですね?」
 彼とは面識があるが、その発言から俺らはいつでも三人で行動するもんだと思われているようだ。

「……この店ではレイちゃん込みじゃないと歓迎されないのか?」

 ――だなぁ……。もっと二人の名前を売り出さないと……。

「すんません、相方が余計なことを……」

 俺たちがぼやいていると、もう一人の男性――麗華の弟――がびを入れてきた。普段から鍛えているであろう屈強な肉体を持つ彼はしかし、俺たちを前にしてへこへこ頭を下げた。

「あのー。それで、俺たちに頼み事って言うのは? お二人で来たってことはもしかして、姉貴には聞かれたくないことでしょうか?」

「勘がいいな」

「やっぱり……。なんか嫌な予感がしたんです……」

 麗華の弟はあからさまに嫌そうな顔をした。姉弟きょうだいの力関係を思えば当然の反応だが、まだ何も頼まないうちから拒まれるのは困る。

 ――頼む。どうか俺たちを助けてくれ。弟である君の力がどうしても必要なんだ。

 手話を智篤に通訳してもらったあと、三つ指をついて頼み込む。智篤も俺の横で深々と頭を下げた。

「えーっ……。そんな、土下座なんてやめて下さいよ……。っていうか、そんなにピンチなんっすか……? もしかしてまた解散、とか……?」

「そうじゃないんだ。……あー、時間はあるかな。食事をしながらで構わない。もし良かったらここまでの経緯を聞いてくれないか?」

「分かりました。伺いましょう」
 智篤から事情を説明したい旨を申し出ると、永江くんの方が空氣を読んで応答してくれた。


24.<智篤>

 レイちゃんが事務所を離れてから今日こんにちに至るまでの出来事をざっくりと話した。弟の庸平くんは怒りの感情を顕わにしたが、眼鏡の永江くんは元プロ野球選手だったこともあり、「いかにもありそうな話ですね」と僕らの話を冷静に受け止めた。

「僕は野球しか能がなかったから、野球界で生き残る戦略の一つとして、言われるがままスポンサー企業の顔になったりCMに出たりしましたが、そう言った仕事に口を出す男は嫌われていましたね。素直じゃないと言われて。試合でどれだけ活躍しても、企業が求めるイメージ通りの仕事が出来ないやつは本業ですら干される。……音楽業界も同じなのでしょう」

「ったく、夢のない話だな……」

「彼らの言う『夢』は僕らの思っているのとは違う。彼らにとっての夢は金を稼ぎ続けること。決してその職業に就けたり長く働けたりすることじゃあない」

「ますます夢がねえじゃん!」

「それが現実さ」

「お前、よくもそんな冷静に言えるな」

「そりゃあ、もう引退して久しいし、野球から離れた男が何を言おうが構わないと思っているからね。最近では開き直ってすらいるよ。これまで培ってきた実績というものを利用してもいいんじゃないか、とね。まぁ、僕も頑張ったんだ、ご褒美をもらったって罰は当たらないだろう。……というわけで話を元に戻しますが」

 永江くんは一呼吸おき、
「市営球場くらいでしたら僕の一声でなんとでもなると思います。もちろん、日頃から庸平が世話になっているから出来ることでもありますが」
 と続けた。
「ただし、夏場いまは高校野球の予選で埋まっています。無理を言えば予備日をおさえることは出来るでしょうが、予選の中日なかびにライブ会場の設置と片付けを行うというのは現実的ではないでしょう。準備や人員確保を考えれば秋以降が妥当と考えます」

「なるほど……。ちなみに、考えてる市営球場の収容人数は?」

「確か、一万人ほどだったかと。費用は曜日や時間帯によって変わります」

「一万人……」
 球場、と聞いたときから数千人の前で歌うことになるんだろうとは思っていたが、そうか、一万、か……。

 ――そんな大人数の前でやったこと、ないよな。

「ああ……」
 数の多さにビビっているのは拓海も同じらしい。

 ショータの計画では、ライブは見えないファンが増えたあと。最後の最後という話だった。現状、ブラックボックスの力添えもあってネット上のファンは急増した。今ならそれなりの人数を集められるとは思う。それでも一万人収容できる会場を一杯に出来るかと言われると自信はないし、ましてやネットにアクセスしない人を呼び込めるかと問われたら尚更、疑問符がつく。

 ――ああ、この場にショータがいたらいい案出してくれるだろうけどなぁ。

 しかし、いくら拓海がぼやいてもショータは現れない。今日は僕らだけで計画外のことをしようというのだから、ない知恵を絞って問題を解決していくしかない。

 尻込みしている僕らを見てか、オーナーたちからいくつかの提案が成される。

「じゃあ、こういうのはどうです? 最初に話していたとおり、秋まではうちでサザンクロスさんの曲を流す。加えてライブ日の告知を多方面にしていく。まぁ、人海戦術にはなりますが、これで上手くいった前例があるのでなんとかなるんじゃないっすかねぇ」

「前例……?」

「あー、実は、永江や俺がそれぞれに主宰しているクラブの会員の大半は足で集めたんですよ。チラシを直接手で配るっていう古典的なやり方でしたが、案外うまくいきまして。俺ら世代の人間を集めたいなら、顔が見えるこのやり方が合うかもしれません」
 庸平くんが補足説明してくれた。

 ――チラシの手配りだってさ。懐かしいよな。
 拓海が僕にだけ分かるよう、手と口を動かした。僕は頷きながらウイング結成当初を思い出す。駆け出しのころは本当に無名だったから、それこそ手書きのチラシをコピーしてはライブの勧誘をしていた。出演しない日でも、ライブハウスの前で勝手に自分たちの曲を弾き語り、アピールしたこともあった。

「なるほど。原点回帰はありかもしれない」
 呟いてから、今回の企みは「泥臭く」やろうと決めたことを思い出す。

「では、僕らの体操クラブでもチラシを配布しましょう。孫と一緒に入会されている方を中心に渡してみます」

 永江くんの言葉を受けて、庸平くんが頷きながら自身の考えを付け加える。

「いっそのこと、直接クラブに足を運んでもらって生歌を披露してもらうってのはどうでしょう? それだったらサザンクロスさんの曲のイメージもわかってもらえるし、年配者にも受け容れられやすいかと」

「ああ、それがいい。招いてくれればどこでも行くよ。っていうか、若いころの僕らはそうやって生きていたんだから慣れたもんさ。なぁ?」

 ――ああ。俺は声を出せないけどその代わり、持ち曲全部弾いてやる、くらいの氣持ちで弾くよ。

「よかった、じゃあそれでいきましょう」
 庸平くんがホッとしたように息をついた。
「しかし、お二人はともかく姉貴はどう思うでしょうね? 賛同してくれるでしょうか」

 僕はとっさに店内の時計を見た。今ごろは事務所に着いていて交渉しているころだろうか。うまくいっていると信じたいが、正直な話、リオンを説き伏せられるとは思っていない。断言は出来ないけれど、見たところあの子も僕と似てプライドが高そうだから、一度こうと決めた意見を簡単に変えるようなことはしないだろうと思っている。

「賛同してくれるかどうかは交渉結果次第だろうが、万が一交渉が決裂した場合、僕らのプロデューサーは今度こそ裏切り者を切る、と断言している。そうなれば内部分裂は避けられないだろう。僕らのやろうとしていることはそれを避けるための策でもある。……僕らは自分たちの力のなさを痛感している。だけど、どうしても達成したいことがある。そのためには多くの人の協力が不可欠なんだ。……みんなで成し得たい。みんなで同じ景色が見たい。そのためなら何でもする。たとえ畑違いと分かっていても、力になってくれる人がいれば頼み込むつもりでいる。君たちにしているように」

「うっわ……。暑苦しいのは野球人だけかと思ったけど、ミュージシャンも同じくらい暑苦しいんすねぇ。あ、勘違いしないで下さい。これは褒めてるんっすよ?」
 僕の言葉を聞いたオーナーは、そういうなりカウンターの内側から出てきて手を差し出した。

「おれ、こうみえてそう言うの、嫌いじゃないんですよ。おれ自身が、不器用でまっすぐで暑苦しい、とある、、、センパイの言葉に救われてますからね。あなた方の強い想いが届けばきっと、過去のおれみたいな人間を救える氣がします。なので、微力ながらお手伝いさせて下さい。……ホントにちょっとだけですけど」

「いや、頼んでいるのはこちらの方だ。力になると言ってくれてありがとう。必ず期待に応えてみせるよ」

 手を握り返す。彼は反対側の手も重ねて力強く頷いた。
 直後、僕のスマホが鳴った。ショータからだ。嫌な予感を抱きつつ、通話ボタンを押す。

『麗華姉さんから報告がありました。交渉は失敗に終わったそうです。つきましては、大至急ライブハウス「グレートワールド」まで来て下さい。次の作戦をお伝えします』

「……了解した。拓海と一緒に急行する」

『お待ちしてます』

 電話を切り、聞いた内容を拓海に伝えると、彼はすぐさま財布を取り出して店を出る支度を始めた。

「すまない、プロデューサーから呼び出されてしまった。今し方していた内容の詳細については後日、改めて話し合おう」

「……いい話じゃなさそうでしたが、大丈夫です?」

「想定の範囲内さ。必ず、いい報告を持ってここに戻る。それじゃあまた。ごちそうさま」

 会計を済ませて店を出た僕らは足早に駅を目指す。電話口のショータの声は実に落ち着いて聞こえた。おそらくはこうなる可能性が高いとみていたのだろう。事前に話していた最悪のシナリオに近い道を進んではいるが、まったく不安はない。なぜなら……。

 ――これで、俺たちの企ても活きてきそうだな……。
 拓海の言葉に、にやりと笑い返す。

「ああ。無事に協力者も得たからな。たとえ何か問題が発生してもその都度みんなで知恵を出し合えばいいだけの話さ」

 もう以前のように、何もかもがうまくいかないと嘆いたりはしない。歌の力、祈りの力で死にかけた拓海を救った僕は、想いが現実を作ることを知っているから。

「さぁ、声なきミュージシャンとひねくれ者たちの逆襲。第三部の始まりだ」


25.<麗華>

 ライブハウス「グレートワールド」は以前、拓海たちが連れてきてくれた場所。ブラックボックスのユージンとの出会いもここだった。その彼はあたしより先に店の前に着いていて、顔を合わせるなり睨んできた。あたしが説得しきれなかったから怒っているに違いなかった。

「ごめん。連れ戻せなくて……」

「あ、いや……。麗華さんに怒ってるわけじゃなくて……」
 しゃがみ込んでいるユージンに謝ると、彼は我に返ったように表情を和らげた。
「麗華さんの言葉を聞いても考えを変えなかったあいつに憤ってるんです」

「それなんだけど……」
 リオンが置かれている状況を説明する前に拓海たちが合流する。

 ――交渉、お疲れさん。一発でうまくいかなくて残念だったな……。まぁ、予想通りだけど。

 拓海はそう伝えてきたが、言うほど残念がっていないように見えた。智くんの表情も穏やかだ。ショータさんが招集の連絡をした際、あたしには言わなかった秘密の計画でも伝えたのだろうか。

「セナもそろそろ来るかしら……」

「あー、あいつはバイトだから来れないって。まぁ、悪い報告を受けたらいい氣分はしないですよね。バイトを休んでまで話し合いに参加するなんてあり得ない! そう伝えて! とのことでした……」
 ユージンはあたしの問いに答え、咳き込みながら煙草を吸った。

「マズそうに吸うなぁ……。普段は吸わないのに、今日はどうした?」

「吸わなきゃ、やってらんないっすよ……。智さんも、たまにはどうです?」

「いや……遠慮する。こうはなりたくないんでね……」
 煙草を勧められた智くんは拓海を指さした。

「まぁ、それもそうか……」
 説得力があったのか、ユージンはもう一口だけ吸うと「やっぱ、マズっ……」と言いながらもみ消した。

 その時、店のドアが開き、ショータさんが顔を出す。
「時間です。オーナーには店内で話し合う許可を得ています。入って下さい」

 営業時間外の店内は薄暗かった。全員が入ったところで内から鍵がかけられ、店の奥の応接室に通される。そこにはブルーアッシュグレーに染めた長い前髪が印象的な男性が、ソファで足を組み座っていた。

「お連れしました」

「……ったく。ショータから話してくれりゃあいいものを、何だってオーナーであるこの私が、直々にこいつらに言ってやらなきゃなんねえんだ?」

「それは、先ほども申し上げましたが、オーナーと元ウイングの彼らとは旧知の仲。直接言っていただいた方が受け容れてもらいやすいのです」

「だとしても面倒だな……。まぁ、しゃーない……」
 オーナーはぶつぶつ文句を言いながらも「立ってないで、全員そこへ座れ」と数の少ない椅子に座るよう指示した。

「……拓海。智篤。お前らの活躍はこの耳にも届いている。ここで歌わなくてもちゃんと大勢の人に歌を聴いてもらえてるみたいだな。それについては私も感心しているよ。それから、ユージン。こんなどうしようもないオジさん二人の力になってくれて感謝する。これからも支えてやって欲しい」

 てっきり苦言を呈されるのかと思っていただけにその場にいた全員が驚いた。智くんにいたっては椅子から立ち上がったほどだ。

「……オーナー。あの時は突っかかって悪かったよ。ショータを派遣してくれたおかげでなんとかここまで来ることが出来た。あの日のオーナーの言葉は本当だった。ありがとう、ございます……」

 智くんが頭を下げるのを見て、拓海とあたしも同じようにした。オーナーはしかし「ふんっ……」と鼻を鳴らしただけですぐに本題に入る。

「……さて。今日したいのはその話じゃない。ブラックボックスからリオンが引き抜かれたことはショータから聞いている。あのババアのやり口、今も昔も氣に入らん。この間は店を守るため、泣く泣くお前らの出入りを禁じたが、これ以上好き放題されるのは我慢がならない。そろそろ反撃させてもらおうと思う」

「反撃……?」

「拓海、智篤」
 オーナーは名前を呼び、二人に顔を近づける。

「店の前で歌え。昔みたいに。あの頃は見向きもされなかったかもしれない。だが今は、歌えば必ず集客できるレベルになってる。人だかりが出来れば無関心な人も耳を傾ける。さらに興味を持ってもらえれば口コミで広まることも期待できる」

「オーナー……」

「向こうが金にものを言わせるというなら、こっちは夢を語ってやれ。……あの女だって、若いころは大層な夢を抱いていたんだ。こっちが本氣で語れば思い出すかもしれん」

「その夢って……」
 あたしが呟くと、オーナーは長い前髪を掻き上げながら天井を見た。

「……起業してからは、世界一の歌手を排出するのがあの女の夢だったはずだ」

 あたしでも聞いたことのない、社長が過去に抱いていた夢……。
「なぜ、そんなことまでご存じなのですか……?」

「野暮なことは聞くな。世の中には、知らなくてもいいことってのがあるんだよ。……もういいだろう、ショータ。後はお前に任せる」
 オーナーはそう言って立ち上がると部屋から出て行った。

「……と言うわけで、今のが次の作戦です」
 ショータさんがオーナーの後を引き継いだ。
「リオンの説得に失敗したのですから、これ以上そちらに時間をかけるのはもったいない。こちらはこちらで今すぐ出来ることをしていこうという話です」

「それが、店の前で歌うってことか?」

「ええ。何かご不満が?」

「それについては何の異論もない」

 ――異論があるのはリオンの方。俺らは誰一人、あいつを見捨ててないから。……だろう?

「ああ。僕らはリオンを見捨てたくはない」
 しかし二人の反論を聞いてもショータさんは引かない。

「なぜ彼にこだわるんです? 麗華姉さんの交渉術が劣っていたとは思えない。だとすれば、彼は強い意志でもってメジャー行きを決めた。そう考えるのが普通でしょう?」

「待って、ショータさん。それは誤解よ」

「えっ?」

「みんな、聞いてちょうだい。実はリオンは……」

 これ以上誤解されないうちにと、急いで真実を告げる。一同は目を丸くしながらあたしの話を最後まで黙って聞いた。

「まさかそんな……。じゃああいつがオレたちに嘘をついて……?」

「ええ。それも優しい嘘をね」

「マジですか……。こりゃあ、早くセナにも教えてやらないと」
 話を聞き終えたユージンは頭を抱え込んでしまった。彼だけじゃない。拓海も智くんも複雑な表情を浮かべたままうつむいている。

 そんな中で一人、ショータさんだけは薄ら笑いを浮かべている。何かよからぬことを考えついた、と言った顔だ。

「何を企んでいるの?」
 問いかけると彼はくっくと笑いながら言う。

「今の話、もう手遅れかもしれないなと思ったらおかしくって」

「手遅れって……。どういうことっすか、ショータさん」
 ユージンが詰め寄る。

「もしこうしている間にリオンが、生まれたときから一緒にいるセナに自分の考えや置かれている立場を話していたら、セナはリオンになびくだろうなと思って。なんだかんだ言って、やっぱり双子は考え方が似ているからね」

「…………! じゃあオレたち、どうすればっ……!」

「まぁまぁ、落ち着こうじゃないか」

 ショータさんは、すぐにでも話を聞きたいこちらを焦らすようにユージンの胸ポケットから煙草とライターを抜き取ると、ゆっくり火を付け優雅に吸い始めた。

「ちょっ……! オレのなけなしの金で買った煙草を……!」

「一本もらったくらいで騒ぐなよ。これから話す計画が成功すれば、一本どころか何ダースも買えるようになるんだぜ?」

「ど、どういうことっすか……?」

 息と共に煙が吐き出される。室内に充満した煙が消えかけたころ、ようやく計画が発表される。

「皆さんの、リオンへの執着心には正直呆れています。ですが、互いの意見が平行線をたどったまま前進しないのが一番時間の無駄です。ここは自分が譲歩することにしましょう。連れ戻せたあとのご褒美にと思って温存していた案を出します。姉さんには交渉の材料に使ってもいいとお伝えしましたが、リオンの氣を引くにはもうこれしかない。それは、彼だけの舞台を用意してやること。つまり、キーボードのソロ弾き曲を提供し、こちら側になびかせる、この一択だけです」

26.<拓海>

 交渉に失敗したらリオンを切る、と断言していたショータの口からそんな案が飛び出すとは思っていなかった。意地でも考えを曲げない男だと思っていたが、どうやら俺たちの粘り勝ちらしい。ただ、百パーセント納得しているわけではないと言わんばかりに「ただし」と続ける。

「この計画を成功させるための条件はピアノ曲を用意することです。それも、リオンが弾きたくなる曲を。この中でピアノが弾ける方は?」
 誰も手を挙げなかった。

「いるとすればセナだけど、現状では頼むのは難しいだろうな……」
 ユージンは腕を組み、唸った。

「まぁ、そうでしょうね」
 ショータは提案しておきながらこうなることをも読んでいたとしか思えない、なんとも不敵な笑みを浮かべた。

 悔しい。思い通りにならないことが。所詮俺たちはしがないミュージシャンで、大きな組織や金持ちの言い分を聞き入れることしか出来ないのか……。

「ったく……。任せるとは言ったが、もてあそんでいいとは言わなかったぞ」
 唇を噛んでいると退室したオーナーが戻ってきた。ショータが身体をビクつかせる。

「一任したならなぜ戻ってきたんです? それ以前に、どこから話を聞いてたんですか?」

「馬鹿野郎が。お前らの声がデカすぎて店のどこにいても話が丸聞こえなんだよ。……ところで、ピアノが弾ける人間が必要だと言ったな? それならここにいる」

「……ここって、オーナーご自身が?」

「そうだ。こう見えても、若いころはいくつものコンクールで入賞した実績があるんだぜ? 作曲も出来る。持ち曲もある。私なら曲を提供できる。……どうだ? これでリオンを切る案を不採用にしてくれるか? まさかお前ほどの切れ者がこうなることを予想していなかったはずはあるまい?」

「……さすがにオーナーが手を挙げるところまでは想定していませんでしたが、凄腕すごうでピアニストの協力が得られるシナリオは考えていましたので問題ありません。……やれやれ、リオンを切るのが一番手っ取り早いんだけど、皆さん、頑固ですね」

「ふん……。お前のことは頼りにしているが、無感情に仲間を切り捨てるところだけは受け容れがたくてな」

「……まぁまぁ」
 ショータはオーナーをなだめるようにいい、吸わないうちに短くなった煙草を灰皿に捨てた。

「このシナリオで完走できればかなりいい結果が得られますし、困難だからこそ得るものも大きいですからやって損はないと思います。ただし、この方向で進めるにあたりもう一つだけクリアしなければならない問題があります。リオンのための舞台ステージを用意できるかどうか、です」

「なるほど……」
 オーナーはつぶやき、顎に手をやった。
「ここ同様、どこかの会場を借りようにもあちらが圧力をかけてくる、と。そういうことだな?」

「おっしゃるとおりです」

「それなら……」
 ――そういうことなら……。

 俺と智篤は同時に動いた。目を合わせ、うなずき合う。

「……会場なら僕らにアテがある」

27.<智篤>

 直後、ショータが呆れた顔をした。お前らに何が出来る? と思っている顔だ。常識的に考えて、僕ら二人だけだったら彼の推測は正しい。が、僕らはもうウイングではない。レイちゃんを含めた三人組バンド、サザンクロスの人脈をあなどってもらっては困る。

「アテがあるって言いますけど、自分が想定しているのは千人規模の会場ですよ。別に見下すつもりはありませんが、あなた方二人がそのような場所をおさえられるとは到底……」

「千人どころか、一万人を収容できる場所だと言ったら?」

「い、一万……? 馬鹿な……。どこです、そこは……?」

「……野球場だ」

「…………!!」
 ショータは目をぱちくりしたまましばらく声を失った。が、レイちゃんはピンときたらしく、僕らの周りを飛び跳ねた。

「もしかして庸平に頼んだの? ねえ、そうなんでしょう?」

「正確には、喫茶ワライバのオーナー経由で、だけどね。まぁ、詳細はあとで話すよ」

「やっぱり! やるじゃないの、二人とも! そっか、さっきから落ち着いてた理由はこれだったのね?」

「ま、待って下さい……!」
 ショータは珍しく動揺している。
「仮にいまおっしゃった野球場がおさえられたとして、一万人も集められるんですか……? さすがにそれは無理でしょう……?」

「無理かどうかはやってみないと分からないじゃないですか。オレが手伝えば……客引きのために店の前で『シェイク!』を踊れば多分、かなりの人を集められる。背に腹はかえられません。兄さんたちのためなら、やります」

「よく言った、ユージン。ならばしばらくの間、ユージンにはサザンクロスの面倒を見る仕事をしてもらおう。もちろん、バイト代は出す」

「ヤッホー! オーナー、最高っす!」

 盛り上がる僕らの横でショータだけがふくれ面をしていた。
「……どうしたらそんな妄想が実現できると思えるんですか? うまくいく保証だってないのになぜ……?」

「ここをどこだと思ってる?」
 オーナーがショータの肩に手を置く。
「ここは夢を語れる場所。インディーズバンドが集う『グレートワールド』だぜ? デカい夢を、妄想を語って何が悪い?」

 にやりと笑うオーナーが頼もしく、また格好良く映った。それを見て、さすがにショータも笑った。

「ははっ……。こりゃあ参ったなぁ……。インディーズバンドのプロデューサーとして十五年やってきたけど、いまだに夢を語る人間が、それもこんなに身近にいたとはなぁ……」

「ショータは忘れてるだけで本当は知ってたはずだ。インディーズがメジャーに挑戦しようとするときの情熱を。あいつらに負けるかと立ち向かっていく様を」

「ええ、知っていましたとも……。ですがいつの間にか、最短で効率よく人氣が出る人材の輩出を目指すようになってしまった。どうやら自分は、それで稼げることにちょっとばかり天狗になっていたようです」

「それに氣づけたならまだ取り返せるはずだ。……改めて問う。協力してくれるか?」

「……ユージンの言うとおり、やってもいないのに出来ないと決めつけるべきではありませんよね。一万人収容の球場を一杯にする。夢があっていいじゃありませんか。やりましょう……!」

 ショータはオーナーとがっちり握手を交わした。

「それでは新しい作戦に移りましょう。オーナーにはピアノ楽曲の提供をお願いします。それと、兄さんたちには会場の件で繋がっている人と自分とを会わせてもらいたいですね。野球場を提案してくるってことはどうせ、野球のことしか知らない人なんでしょう? きちんとこちらの状況や思惑をプロデューサーの自分から話しておく必要があります」

「確かに野球馬鹿だけどねぇ……。あたしからもお礼が言いたいから、面談の日程調整はあたしがするわ」

「お願いします。それから最後に……」
 ショータは言ってユージンを見た。

「セナがバイトから戻ったら自分に連絡するよう伝えてくれないか。このシナリオで走ると決めたからにはセナにも協力してもらわなきゃならない。こちらがリオンを取り戻す手立てはそれしかないんだから」

「……そういうことなら、ショータさんにはオレらの部屋まで来てもらった方がいいかも。あいつに逃げ道を作っちゃいけない氣がする」

「……こっちも忙しいんだけど?」

「そこをなんとか……!」
 ユージンが手を合わせて頼み込むと、ショータが右手を差し出した。

「それじゃあ、煙草をもう一本。それから、次にここへ来たときにカクテルを一杯おごってくれ。そうしたら他の仕事を調整してセナに会ってやってもいい」

「…………! わ、分かりましたよぉ」
 ユージンは渋々煙草を差し出した。ショータは満足そうに火を付け、吸い始める。

「……やっぱり面白いな、兄さんたちと仕事するのは。思い通りにならないからこそやりがいがある。実を言うとね、すべて自分の言ったとおりに動くだけの人間は、指示がないと動けないから一度のプロデュースで終わっちゃうことが多いんです。そういう仕事はやっぱりつまらない。少々面倒には思いますが、こうしてあーだこーだ意見をぶつけ合って、時にはサプライズもあって……の方が達成感も大きい。いま、改めてそれを実感しています。だから……」

 ショータは一度煙草を吹かし、僕らに右手を差し出した。

「どうせやるなら最高のラストを迎えましょう。自分のプロデュースで、あなた方の言う世界征服とやらを実現させてみせましょう」

 僕も拓海もレイちゃんも、同時に彼の手を取る。ここを訪れたときには不満顔だったユージンも僕らの上に手を重ね、やる氣に満ちた表情で頷いた。


28.<麗華>

 ライブ日は奇しくも一年前に、サザンクロスを再結成すると宣言した祝日に決まった。それもこれも弟たちがうまく話を付けてくれたおかげ。本当に感謝の言葉しかない。

 特別に球場内に入れてもらい、広さを体感する。ショータさんは観客席を見回しながら「これだけの人数、集められるかなぁ?」と不安を吐露したが、その隣であたしは自分が球場の真ん中に立って歌うイメージをする。ステージに立つ前にはいつもこうしてイメージトレーニングを行う。これまでは一人きりだったが、今回は三人。こんなに心強いことはない。

 脳内のあたしたちは満面の笑みを浮かべている。全方位を埋め尽くすお客さんに見つめられ、一つになっているのを想像するだけでワクワクしてくる。

「大丈夫よ、ショータさん。今日は拓海たちが売り込みをしてくれてるんだもの。認知度が上がれば必ずここを満員に出来る。あたしはそう信じてる。……ショータさんが最終的に目指していたのもそのイメージでしょう?」

「……確かに、アリーナ級の会場でライブをするのが目標だと言ったのは自分ですが、わずか数ヶ月でその舞台に立つなんて。さすがに想定外です」

 ショータさんの発言を聞いた弟が「ちっちっ」と指を振る。
「一点ビハインド。九回裏でツーアウト。塁に一人いる状況で打席には九番バッター。誰もがこのまま試合終了だと思うような場面で、そいつがホームランを打ってサヨナラ勝ち、みたいな奇跡が起こりうるから人生、面白いんじゃねえか」

「……音楽と野球を同列に扱わないで下さい」

「いやいや、おんなじだって。なぁ、孝太郎?」

「まぁ、そういう面白い試合があることは否定しないが、それは奇跡ではなくバッターの強い想いがホームランという結果を生むのだと僕は思う。だから、麗華さんがここを満員にすると強く願い、そのための行動を取れば実現するんじゃないかな」

 いかにも元プロ野球選手らしい、それでいて実体験に基づいた発言にはさすがのショータさんも納得したようだ。頷いて話を続ける。

「集客のための作戦は動いているので今はおいておきましょう。会場を押さえても問題はまだあります。準備の人手が足りないことです。ライブの演出をするスタッフ――カメラマン、音響担当、ライティングなど――の目処めどはついているのですが、ステージの設営やチケットの販売、管理をする人員が圧倒的に足りない」

「それなら心配はいらないよ。俺らの方で人を集められる。無論、どんな手伝いをするかにもよるが、元野球部の男をかき集めりゃ、そこそこ役には立つはずだ」

「それって、高校時代の……?」

 庸平は頷く。
「それだけじゃ足りないから、長年勤めた社会人野球部の元部員にも協力をお願いしてみるよ。……どういうわけか、レイカのファンだって言うやつが多くてさ。俺が弟だと知って会いたがる人も多かったから、サインでも書いてやれば喜んで手伝ってくれると思う」

「サインだけじゃ申し訳ないわ。もしその方々に協力を仰げるなら、あたしが自腹を切ってでもチケットを買ってお渡しするわ」

「おおっ、それなら絶対手伝ってくれるよ。何十人かは確保できるはず。近々、連絡とってみるよ」

「ありがとう、庸平」

「……まさか、姉さんの過去の偉業がこんな形で光るとは」
 ショータさんはこの状況を面白がっているようだった。

「人員の目処が立ったところで早速ライブの構成についても話を進めたいんだけど、今回のライブでは新旧のファン、それぞれが満足するようなものにしたいと思っているの」

 提案するとショータさんは意味ありげに笑いながら言う。
「智篤兄さんが言っていた、昔からのファンを大切にしながらも新しいファンを取り込む、と言うやつですね? それについては考えがあります。ちょっとリスクのある話ですが」

「今更、何を言われても驚かないわ。聞かせて」

「それではお耳を拝借」
 ショータさんはほくそ笑み、耳打ちする。
「……レイカ時代の歌を歌って下さい。そうすればいま話に出てきたような、昔からのファンを喜ばせることが出来ます」

「昔の歌を歌う……。それがリスクになる、ってことはもしかして……」
 脳裏に社長の顔が浮かんでは消えた。ショータさんは「ご想像の通りです」と言い置いて続ける。

「契約書を見たわけではありませんが、おそらくレイカの作った曲は今も事務所に帰属しているはず。それを、退所した姉さんが歌うとなれば向こうは当然、指摘してくるでしょう。歌ったのが本人であろうとも」

「……相手の出方が分かっているのに歌うの?」

「メジャーとインディーズの架け橋になりたいんでしょう? だったら危険な橋を渡る覚悟をしてもらわないと。生半可な氣持ちではリオンも取り戻せないと思っています。……出来ますか?」

 彼は腕を組むと、あたしを試すようにじっと見つめた。

 活動場所を制限されたとて、その範囲内でも細々と音楽をやることは可能だ。また、力のある者に従っていれば命まで取られることはないと、不自由を甘んじて受け容れる道もある。にもかかわらず反発するのはなぜか問われれば、理由は一つ。自分の人生は自分の足で歩きたいからだ。流されて生きたくはないからだ。

 振り返ってみれば、大きな力に抱き込まれていたあたしは、与えられた仕事を淡々とこなすだけのロボットだった。事務所がデザインした「シンガーソングライター・レイカ」を演じ続けたし、CDアルバムに時折、神様のギフトである曲を収録することは出来たがその数は少なく、大半は販促用の曲。そこにあたしの意思はほとんどなかった。

 再び仲間と一緒に活動する日々は昔を思い出せて楽しい。多分二人も同じ氣持ちなのだと思う。だが、残された人生で成し遂げたいことがあるならいつまでものんびりしているわけにはいかない。拓海がそうであったように、いつ病に倒れ、死に瀕するか分からないのだから。

「歌うのは簡単。だけど、歌うことであちら側にライブを中断させられるのは困るわ。もし対策があるなら聞かせてもらえるかしら。もう頭の中にあるんでしょう?」

 あたしは覚悟を胸に抱き、問い返した。

「もちろんです」
 彼は嬉しそうにうなずき、話し始める。

「地方の球場とはいえ、一万人を収容できる施設を一日貸し切ってのライブです。告知もしているし、向こうが動かないはずはない。当然のことながら視察……いや、最悪の場合、邪魔をして来ることも考えられるでしょう。レイカ時代の歌を歌えば尚更です。しかし我々には心強い味方がいます。会場に集まった一万人のファンと、ウェブ上でライブを鑑賞する何万という視聴者の目がある中で彼らがどれだけ動けるでしょう? 仮に、ライブを中断するような事態になればファンは黙っていません」

「なるほど。こっちは数で勝負、って訳ね」

「ええ……。それでも権力を乱用してくる恐れはありますが、少なくともライブが失敗に終わることはないと思っています。ただし先ほども言ったように、ここをファンで一杯にするのが大前提ではありますが」

「埋め尽くしてみせるわ。そして必ずやあたしがメジャーとインディーズの架け橋になってリオンを振り向かせる」

「自信がおありなのですね? いいでしょう、ならばもう一つ。せっかく一日貸しきれるのですから、それを利用しない手はありません。自分は二部構成でいこうと考えているのですが、どうでしょう?」

「たとえば午前と午後に分けるってこと?」

「ええ。前半はサザンクロスメインで、後半はレイカとウイングメインにすれば、新旧どちらのファンも楽しめるライブになります。欲を言えば、曲のかぶりがない方がいいですね。そうすれば、通しでチケットを買ってくれるファンも出てくるでしょうし、前半と後半でお客さんが入れ替わる場合でも累計客数は何割か増すはずです」

「サザンクロスの曲はそんなに多くないけど……」

「だったら今からでも、何曲か足して下さい。未発表曲なら食いつきもいいでしょう」

「……無茶言うわねぇ。まぁ、いいわ。考えておきましょう」

 経験上、ライブでなら即興に近い曲を弾いてもお客さんは喜ぶ。日常を歌った曲の方がウケる場合もある。今回は三人でステージに立てるのだからトークで繋いだっていいし、拓海の手話を取り入れたっていい。

「昼と夜で、イメージを変えるのもいいわね。ああ、今から楽しみだわ」

 ソロでのライブ前はいつも緊張していたが、今回は大規模会場にもかかわらずそれがない。それだけ二人が心の支えになっているのだろう。多分あたしはもう、一人には戻れない。

(どうか、たくさんの人にあたしたちの想いが届きますように……。)


29.<拓海>

 店の前で弾き語っていたのは三十年以上も前のこと。暮らすのがやっとの貧乏ミュージシャンだった俺たちは、それでも店のステージに立ちたい一心でありとあらゆる仕事――バー、パーティー会場、商店街のイベントなど――に手を出し、資金を貯めた。休む間もなく動き続けられたのは間違いなく、恨みと怒りの力。解散は最悪的な出来事だったが、俺たち二人のギタースキルと経験値を上げるという意味では必然だったのかもしれないと、今では思う。

 今日、麗華はショータと共にライブ日の擦り合わせに行っていて不在だが、代わりにユージンとセナが来てくれている。セナは自らリオンに電話をかけて本心を聞き、その上でこちら側からリオンを助ける道を選んでくれたのだった。

「ただし、今日来たのは兄さまたちの本氣度を確かめるためよ。情熱が感じられなかったら協力しない。場合によってはリオン側につくかも。それだけは最初に言っておくね」

 双子の間でどのような会話が成されたのかは分からない。だが、俺たちが中途半端な覚悟で臨めばセナはこっちを見限るつもりのようだ。発言だけでなく、腕を組んで少し距離を置く様子からもセナの覚悟が分かる。

「セナ。そうやって兄さんたちを挑発するなよ。これはオレたちにとっても新しい試みなんだ。一緒に成長するつもりでやろうって言っただろう?」
 ユージンの言葉にセナは更にかみつく。

「それはそれ。これはアタシにとっては人生の分かれ道なの。リオンとこの先も一緒に生きるか、それとも別れるか……。どちらに転ぶかは兄さまたちの腕にかかってると言っても過言ではないんだから。お兄ちゃんには分からないよ、双子の氣持ちは」

「…………」
 セナの、リオンに対する想いが今の言葉に詰まっていた。

 ――双子の氣持ちは分からないが、セナの想いには最大限応えるつもりでやるよ。大丈夫、俺たちならやれる、きっと。

 智篤に通訳してもらうと、セナはちょっとだけ表情を和らげた。

「……ほんっと、呆れちゃうよね。兄さまたちの前向きさには。ま、お手並み拝見ね」

 ライブハウスが開店する一時間前。沈みかけた西日を浴びながら俺たちは演奏を開始した。東京という街で人々の耳を奪うのは難しい。大抵がイヤホンをし、自分の世界に籠もっているからだ。それがライブハウスの前であっても、人々の関心は現実世界ではなく自分の興味関心ある世界……。

 ――嫌でも聴かせてやるよ、俺たちのギターと歌を……!

 道行く人が知っている曲はおそらく「星空の誓い」とブラックボックスの「シェイク!」だけだろう。だからといって、そればかりを繰り返すのでは能がない。俺たちはこれまでに作り、歌ってきた曲から一つずつ披露していく。

「おっ、兄さんたち、なんか面白いことやってるじゃん!」

「オレたちも混ぜてくれよ!」

 しばらくすると、今日の出演者であろうインディーズ仲間たちが声をかけてきた。そうだ、道行く人は知らなくても、古くから付き合いのある仲間たちは俺たちの曲を知っている。

「オーナーから話は聞いてるよ。メジャーに対抗するんだってな。そういうことならオレたちも手伝うぜ!」

「若いのには手伝わせて、付き合いの長いオレたちには声をかけないなんて水くさいじゃねえか」
 そう言って、頼んでもいないのに彼らは勝手にバックで演奏し始めたのだった。

 過去に何度も同日にライブをしているからイントロが流れればどの曲か分かるし、演奏も出来るのがインディーズ仲間というもの。歌詞だって、サビくらいは分かると言わんばかりに智篤と歌声を響かせている。氣付けばちょっとしたイベント会場並みに人が集まっていた。

「……勝手に仲間が集まるなんて、兄さまたち、やるじゃないの。アタシたちも負けてられない。お兄ちゃん、次はアタシたちの番よ!」

 セナはそう言ってユージンと目を合わせ、自分たちの持ち曲「シェイク!」の演奏を始めた。

 インディーズ仲間の飛び入り参加で注目が集まっていたところに、ちまたでも人氣の「シェイク!」をナマで、しかもパフォーマンスつきで見聞きできた通行人はさすがに拍手を送った。

 ――この勢いに乗って「星空の誓い」をやろう。
 手話で伝える。

「オーケー。だけど君は弾かずに手話で歌ってくれ。演奏は僕がする」

 ――了解。でも智篤も歌ってくれよ。道行く人に歌詞をアピールしたい。

「分かった。それじゃあ遠慮なく歌うよ」
 俺たちは鳴り止まない拍手を割るように「星空の誓い」を歌い、、始めた。


30.<智篤>

 「星空の誓い」の歌詞を、僕は喉を震わせて歌い、拓海は手話で歌う。今までこんな表現をしたことはなかったから新鮮だった。それは聴衆にとっても同じらしく「シェイク!」の時とはまったく異なる姿勢で僕らの「パフォーマンス」を観ていた。サビの部分にさしかかると、セナがアドリブでハモり始め、ユージンも再現動画の撮影時に覚えた手話を披露する。もはやここがライブステージと言っても過言ではなかった。誰もが息を呑み、僕らを見守っている。

 歌い終わると同時に歓声が上がり、求めたわけでもないのに投げ銭をする人が続出する。

「ありがとう。僕ら、普段は元シンガーソングライターのレイカと三人でサザンクロスって言うバンドを組んでるんだ。秋以降にはライブもする予定。よかったら聞きに来てくれ。これからも応援よろしく!」

 皆が注目しているこのタイミングで自己紹介とライブの告知を挟む。僕らが何者かを知って「あー、やっぱり!」と合点がいった人、「へぇ、氣にしとこう」と興味を持った人。反応は様々だったが、かなり多くの人に顔と名前を覚えてもらえたと思う。

 店内でも仲間がライブ中であることを伝え、一旦休憩に入る。

「ありがとう、助かったよ。お前らのライブ、あとで観てくから、ってさ」
 拓海が手話を使ったので、このあとステージでライブをする仲間に僕を介して伝える。

「よろしく頼むぜ。じゃ、またあとで」
 仲間たちはいいウォーミングアップが出来たと喜びながら楽屋に向かった。

 ――いい感じだな。今日は麗華がいないけど、セナがそこをカバーしてくれた。
 拓海の感想を通訳すると、セナは小さく笑った。

「……別に、レイさまの代わりをしようと思ったわけじゃないよ。兄さまたちが楽しんでたから自然とハモっちゃっただけ。……うん、すごく楽しかった。バイトがない日にはまた応援に駆けつけるよ。これだけの人前で歌い続けたら、アタシも度胸がつきそうだし」

「……ってことは、僕らと一緒にリオンを救出する作戦に乗ってくれるのか?」

「……うん。兄さまたちとなら出来るって、今一緒にやってみてはっきり分かったから」
 僕らを見るセナの目は力強かった。
「……キーボードを弾きたいリオンはすごく悩んでる。だから、ショータさんがアタシにしかできないって言ってたこと。オーナー作のピアノ曲をアタシが弾いて聴かせるって作戦を実行すればリオンは必ず戻ってくる。アタシはそう信じてる」

 聞けば作戦会議のあとでセナはショータから、「こんなピアノ曲を用意している」と言ってリオンにピアノ曲を聞かせてやってほしいと依頼されたそうだ。双子のセナが弾くことで彼の感情を揺さぶることが出来る、というのがショータの考えらしい。

「……リオンの反応は?」

「口では、氣が向いたらって言ってたけど、双子の勘では絶対に聴いてくれると思う。それが自分のために用意されたオリジナル曲だと知ったら誰だって一度は聴いてみたいし、氣に入ったら自分で弾きたいと思うのがミュージシャンじゃない?」

「リオンは目立ちたがりだからなぁ……」
 ユージンがしみじみ言うと、店内からオーナーが現れた。仲間から僕らのことを聞いて様子を見に来たのだろう。

「客引きご苦労。おかげで普段より盛況だよ」

「そいつはよかった。……それはそうとオーナー、例の作曲は順調に進んでるのか?」

「こっちはメインの仕事の合間を縫って曲作りをするんだ、専業のお前らのようにはいかないよ。だが、必ずいいものを作ると約束しよう」

「ショータの発案で、リオンのために一度セナが弾いて聴かせることになってるらしいが」
 
「ほう……?」
 話を聞いたオーナーはあごひげを撫でた。
「それ聞いて一つ、いい考えが浮かんだよ。素晴らしい曲が出来そうだ。楽しみに待ってろ」
 オーナーは一人でニヤニヤしながら店内に戻っていった。

 その顔からは自信のほどがうかがえた。しかし、オーナーの良曲でリオンを取り戻す作戦がうまく言っても、僕らの技術や知名度の低さが原因で会場に人を集められなかった、となればあまりにも申し訳ない。リオンの見せ場を用意するためにも、またライブを成功させるためにも僕ら自身がもっと頑張らねば。

「……よし、もう少し休んだら再開しよう。持ち曲はまだまだたくさんある」
 僕は全楽譜を広げた。

 ――おいおい、それ、全部歌うつもりか? 適当にしとけよ?

 拓海は僕から楽譜を奪うと、素早く五曲分選んで突っ返してきた。反論しようとしたが、渋い顔で喉を指し『リーダー命令!』と手を動かすので、それ以上は何も言えなかった。


31.<麗華>

 ライブハウス前での生演奏と歌の披露に加え、喫茶「ワライバ」であたしたちの曲を流してもらう作戦が功を奏し、サザンクロスの存在を知らなかった層にも少しずつ浸透しているのを肌で感じるようになった。

 意外な効果を上げているのが球場内に貼ったチラシ。旧友、永江孝太郎コウちゃんの提案で、高校野球の観戦に訪れる人が目にする場所を占拠するようにポスターを貼ったら、チケットが目に見えて売れ始めた。満席は難しいかもしれないが生配信もあるし、何より三人で大舞台に立ち、歌声を響かせることに意味がある。

 これはあたしたちの「歌の力」がホンモノであることを示す絶好の機会なのだ。聴衆のみならず、メジャー界に属するすべての人の目を覚まさせるためにも、このライブは絶対に成功させなければならない。

 ライブハウス「グレートワールド」のオーナーはあたしに言った。アーティストを金儲けの道具としか考えていないメジャー界の連中をぎゃふんと言わせてやれ。もう、人々を思考停止にさせるような音楽を聞かされるのはうんざりだ、と。

 その期待に応えるためにもあたしたちは日々自分たちの音楽を磨き、最高の状態で当日を迎えなければならない。


32.<拓海>

 立秋を過ぎたというのに秋の氣配は微塵も感じられず、それどころか最高氣温を更新する日々が続いている。日が落ちても三十度を下回らないので、店の前での演奏は夜遅くなってから。人通りの多い時間帯を選んだほうが宣伝に向いているのは百も承知だが、こうも暑くては倒れてしまう。当日に最高のパフォーマンスができるよう、氣力と体力を温存しておくことも必要だ。

 お氣に入りのフレーズを弾いていると、今日のライブを終えた旧知のバンドメンバーが裏口から出てきた。こちらを見るなり微笑み、手を挙げる。
「あ、姉さん。お先に失礼しまーす。お疲れさまー」

「お疲れさま。おやすみなさい」

「うわぁ、おやすみなさい、だってー! こりゃあよく眠れそうだー!」
 麗華に挨拶されたバンド仲間は上機嫌で帰っていった。

 ――ここで歌い続けて半月はんつき。すっかり仲間に受け容れられたな。

 メジャー出身である麗華はインディーズの人間と仲良くやれるか心配していたが、メジャーとインディーズの架け橋になりたいという想いを聞けば誰だって応援したくなる。加えて持ち前の美声を響かせれば大抵の男はイチコロだ。女の場合、麗華のさっぱりとした性格が好印象らしく、何人かの妹分が出来たようだ。
 
 ――さて、と。俺たちもそろそろ引き上げるか。

 仲間の背中を見送った俺はギターを片付けようと立ち上がった。すると、仲間と入れ替わるように誰かがこちらへやってきた。

「……セナ? こんな時間にどうしたの?」
 麗華が声をかけ、近寄る。

「どうしたも何も……。オーナーから聞いてないの?」

「いいえ、何も」
 三人揃って首をかしげているとライブハウスの看板がライトオフした。時計を見ると普段の閉店時刻より早い。今日はもう店じまいのようだ。そのうちにバイト中のユージンが出てきて、表に出ている立て看板を片付け始める。

「お疲れさまです。……ああ、セナも来たのか。よし。それなら皆さんも入って下さい。もう準備は出来てますから」

「だから、いったい何が始まるんだよ?」

「何って……。オーナーがセナを呼びつけた時点で氣付きませんか? ピアノ曲が完成したに決まってるじゃないですか」
 智篤の問いにユージンが答えた。
「立ち話をしてたら怒られます。早く中へ」

 急いでギターをケースにしまい、店内に入る。ホールスタッフが店内の片付けにいそしむ姿を横目で見ながらステージに歩み寄る。

 ステージ上のピアノの前にはすでにオーナーが座っていた。普段の厳つい顔からは想像も出来ない、優美な演奏姿に思わず息を呑む。オーナーは俺たちに氣がつくと演奏をやめた。

「よう、お前らも聴いてけ。終電を逃したらタクシーを手配してやる。今日は特別だ」
 余程、機嫌がいいと見える。オーナーは笑顔のまま手招きし、セナをステージに上げた。

「隣に座れ」

「隣に……? 弾いているところを間近で見ろってこと?」

「いいや。私と一緒に弾くんだよ」
 セナは目を丸くした。

「……連弾、ってことですか?」

「そうだ」

33.<智篤>

 連弾、とは一台のピアノを二人で演奏するものだ。先日オーナーは「いい考えが浮かんだ」と言っていたが、まさか連弾とは思いもしなかった。

「楽譜だ。見ながらだったら弾けるだろう?」
 譜面台のそれをオーナーが指し示し、セナが確認する。

「……多分。って言うか、何で連弾にしようと? 確かに子どものころは良くリオンと二人で弾いていたけど、そのことは誰にも話したことがないよ。もしかして、お兄ちゃんから聞いたとか?」

「何も聞いてはいない。ただ、二人が弾くイメージが浮かんだからそれ用に作曲してみただけだよ。とにかく一度、通しで弾いてみよう。絶対に氣に入るはずだ」

「はい。アタシは鍵盤の左側を担当すればいいですか?」

「ああ。セナのサポートで、目立ちたがり屋のリオンがちゃんと目立てるように作ってある。ペダルは、今日は私が担当しよう」

「分かりました。それじゃあ、お願いします」
 セナの合図のすぐあとでオーナーが鍵盤の上に手を置き、弾き始める。

 ジャズのような格好良さと、クラシックのような静かさと、ポップスのような明るさが、まるで壮大な物語のように流れていく。はじめは遠慮がちに弾いていたセナも、次第にオーナーと息が合ってきたのか音のずれが減り、最後の盛り上がるところでは完全に一体となった。

 僕はピアノの世界を知らない。そんな僕でも二人の演奏が始まった瞬間から鳥肌が立ち、言葉では言い表せない感動を味わっている。

 オーナーは無名のピアニストだが、プロより劣っているのかと言えばまったくそんなことはない。こうして素晴らしい曲を作ることができ、僕の心を震わせられるのだから。もしスポンサーがいるかどうかで奏者の良し悪しを判断する人がいるなら、今すぐやめろと僕は言いたい。ピアノに限らず、歌とギターの世界においても同様だ。

 レイちゃんが、メジャーとインディーズの架け橋になると宣言しているように、オーナーもまたメジャーとインディーズの境界をなくそうとしているに違いなかった。でなければ僕らに期待を寄せ、曲まで提供してくれるはずがない。

 二人が弾き終え、拍手を送る。ホールに残っていたスタッフからも大きな拍手が響く。

「まさか、無料でこんなに素晴らしいピアノ演奏が聴けるとは思ってなかったよ。感動した。ありがとう、オーナー、セナ」

 正直な感想を伝えると、オーナーは満足そうにほほえみ、セナは恥ずかしそうに顔の前で手を振った。

「アタシは全然だよ……。感動したのはオーナーのテクニックが優れていたから。でも……」
 セナは楽譜を手に取る。
「オーナー。もし良かったらこの曲を、サザンクロスのライブで一緒に弾いてくれませんか? アタシ、一万人の前で弾いても恥ずかしくないように一生懸命練習しますから」

「うん? その大舞台でリオンと弾くんじゃないのか?」

「今、一緒に弾いてみてメッチャ鳥肌が立ったんです。アタシ、大舞台でまずはオーナーと弾きたい。お兄ちゃんが言ってたけど、コンクールで何度も入賞した経験があるんでしょう? オーナーも久々に人前で格好いいとこ、見せましょうよ!」

「……まさかセナからラブコールを受けるとはな。お前らはどう思う? 私が弾いてしまったら、おいしいところを全部持って行ってしまうかもしれんが」

 その可能性も否定できないくらい素晴らしい演奏ではあったが、それで慌てふためく僕らではない。

「仮にそうなったとしても、次の演奏でまた僕らがおいしいところを持って行くさ。空氣をがらりと変える曲ならいくらでもある」
 僕の発言を受けて二人も頷いた。

「まぁ、お前らがいいというなら遠慮なく弾かせてもらおうか。……さて、リオンはどんな感想を持つかな」

「ねぇ、こういうのはどう? ライブは二部構成にすることに決まったから、まずは前半で二人の連弾を披露して、リオンとは後半で弾くの」

「アタシも同じことを考えた」
 レイちゃんの提案にセナが同意する。
「今日のことはアタシからリオンに伝える。もちろん、興奮しながらね。そうすれば絶対にライブ中継を見るはずだし、こんなに素敵な曲が弾けると分かったら、自分の演奏で魅了してサザンクロスのライブをブラックボックスが乗っ取ってやろう! って言うと思うんだよね」

 ――それもありじゃねえか? 一応、俺たちのライブって銘打ってるけど、スペシャルゲストでブラックボックスが来てることにすりゃあ盛り上がるし、これまでの恩返しが共演って形でできるならこっちも嬉しいからな。

 拓海の手話を通訳しながら頷く。
「前半でブラックボックスの出演を知ったファンが、後半の当日券を買い求めて会場に足を運ぶってことも考えられる。僕らにとってもメリットが大きい」

「え、嘘?! アタシ、冗談で言ったんだけど?! って言うか、本氣? 言っちゃ悪いけど、アタシたちの方が知名度、上だよ?」

「ギターの腕は僕らの方が上だ……と言いたいところだけど、前回の対バンの件があるからね。ここは互いに尊敬し合って、最高のライブを作り上げようじゃないか」

「ふっ……。智篤が和協わきょうするとは。ちょっとは大人になったな」
 まるで親が子の成長を喜ぶような言い方だったが、支援者であるオーナーからすれば僕らは子どもみたいなもの。異議を唱える必要はなかった。

 ここで拓海が咳払いをし、リーダーらしく音頭を取る。
 ――一旦いったん、話をまとめるぜ。二部構成のライブのうち、前半戦でオーナーとセナの連弾とブラックボックスとの共演を挿入。そこでの反応を見て、後半戦ではブラックボックスの出番を増やすかどうかを決め、リオンが合流した場合は、最高の形で目立てるよう演出する……と。もし、異論がなければこの案をショータにも伝えておこうと思う。あいつなら更にいい案を出してくれるかもしれないからな。

 僕が通訳するとオーナーが、
「ショータには私から伝えよう。ピアノ曲も聴かせたいしな」
 と言った。

 僕の腕時計がピッと鳴り、日付が変わったことを知らせた。都内から出るK市行きの最終列車は二十三時台。最終便それを逃すと本当に帰る足がない。時計を見た僕はため息をついた。

「約束だ。こいつを使え」
 オーナーは内ポケットから一枚の紙を取りだすと僕に手渡した。タクシー券だった。

 礼を言い、店を出ようとしたところでセナがオーナーに言う。
「明日から毎日通います。お忙しいとは思うんですが、練習に付き合ってもらえませんか?」

「もちろんそのつもりだ。しかし、私の指導は厳しいぞ」

「構いません」

「よし。それなら、ライブまでみっちり指導してやるから今のバイトはすぐに辞めてうちに来い。店が開いてる時間はバーフロアのピアニストとしてピアノを弾き、閉店後からは私が指導すれば今よりずっとマシになるはずだ。本番ではリオンが嫉妬するくらい、二人で息のあった演奏をしよう」

「は、はい! ありがとうございます!」

「と言うわけだから、お前らも精進しろよ」
 オーナーは、店をあとにする僕らの背中に向かって言葉を投げた。

 ――俺らも負けてらんねぇ。明日からは一日中、自宅のスタジオでみっちり練習しようぜ。オーナーをぎゃふんと言わせてやるんだ。

 闘志に燃える拓海とがっちり握手を交わす。
「もちろんさ。何しろ、僕らが主役のライブなんだからね。おいしいところは持って行かせない。だろう、レイちゃん?」

「ええ。一万人を、この声で魅了してみせるわ」

「うっわ、三人ともやる気満々だぁ……。あのぉ、足手まといにはなりたくないんで、オレも練習に加えてもらってもいいですか……?」

「もちろん! 一緒にやろうぜ!」

「良かった……。それじゃ、また明日」
 ユージンはホッとしたように言い、セナと一緒に帰っていった。



後編(約39500字):

34.<麗華>

「音楽性の不一致からブラックボックスは解散し、リオンだけがソロデビューすることになったと事務所から公式発表がありました」

 ある程度心づもりはしていたが、ショータさんから報告を受けたあたしたちは耳を疑った。それは一週間ぶりにライブハウスを訪れたときのこと。開店前に特別にステージを借り、三人でライブの予行演習をしたあとの出来事だった。
 
 加えて、未だ、、ブラックボックスを名乗るユージンとセナに対しては、即刻活動を停止せよとの警告文も出ているという。

「あたしたちに言うならともかく、ブラックボックスを標的にするなんて……」

「まぁ、逆に考えれば、サザンクロスとブラックボックスがタッグを組むことで一万人集められると思っているから先方も潰しにかかってくるのでしょう。ネット上では、シークレットゲストはブラックボックスだろうと予想する人が大半ですからね。そういう情報を流すことでチケット購入者を混乱させる狙いもあるかと」

 ブラックボックスを名指しした警告文書が出たと言うことは、おそらくリオンはまだ取引料を受け取っていない。受け取っていれば、その金は活動停止料として速やかにこちら側へ届けられるはずだからだ。これは突飛な考えかもしれないが、ユージンとセナがこの文書を受けて活動を停止しなければ、リオンはプロのダンスミュージシャンという名の奴隷と化す。それでもいいのかと脅してきているようにも思える。

「……どうして社長は、バンドから一人だけ引き抜いてメンバーと対立させるようなことをするのかしら? あたしの時もそうだったけど」

「三人寄れば文殊の知恵と言いますからね。事務所はそれを恐れているのだと思います。対して、若者一人ならコントロールしやすい」

「…………」
 今の自分たちの実力が高く評価されているのはいいことだが、その裏で起きているであろうことを淡々と説明されて氣が滅入った。

 ライブ日まで一ヶ月あまり。チケットもかなり売れている状況でこの発表はかなりの痛手。なぜなら、ブラックボックスゲスト出演すると見越してライブに来るファンが多いことは分かっているからだ。今後、事務所が大々的に報じれば不信感を持ったファンがキャンセルを申し出ることも充分考えられる。

 しかし、ネガティブになっているあたしの隣でショータさんは余裕の表情を浮かべている。

「この出来事は最悪のシナリオではない、って顔ね」

「こうならないに越したことはありませんでしたが、想定の範囲内、というやつですね。こっちも秘密裏に手を打っているので焦りはまったくありません」

「一体どんな手を……?」

「それは秘密です」
 彼は唇の前で人差し指を立てた。

「実は、バッドニュースがもう一つある」
 と続けたのはオーナーだ。

「サザンクロスのライブ日と時を同じくして、市営球場に隣接するアリーナで事務所主催の音楽フェスを急遽、行うことになったと聞いた。そこで、リオンを含む新人アーティストを発表するのだと」

「急遽ってどういうことだよ? 祝日のアリーナがそう都合よく空いてるはずがない」
 智くんが詰め寄った。

「無論、お前らのライブを台無しにするために決まってる。どうやらカネの力で先客のイベントを別日に移動させたようだ」

 ――「聞いた」とか、「ようだ」とか……。いったい、オーナーは誰から聞いたんだよ?

 拓海の手話を智くんが通訳すると、オーナーは「音楽フェスの主催者本人に、だよ」と答えた。

「主催者って、社長のことですよね? やはり社長とオーナーは何か因縁が……?」
 あたしの問いに小さく頷く。

「……私とあいつは同じ音大のピアノ科でな。成績を競い合った間柄なんだ。互いに夢を語り合ったこともあったが、ピアニストとしてやっていける人間はほんの一握り。ピアニストの道から外れてしまった私たちが選んだのが、ミュージシャンの輩出だった。はじめはあいつも私と同じ、夢を語るミュージシャンを探していたんだが、それでは成功できないと思ったのだろう。大手メディアと蜜月を交わし、メディアの意に沿ったミュージシャンを世に出す方に舵を切り今に至っている。

 ……あいつは確かに成功した。事務所を大きくし、たくさんのミュージシャンを世に出しても来た。だが、その代償として夢を売った。だから許せないんだろう、嫌いなのだろう。自分が諦めた夢を語るミュージシャンのことが。……いや、本当に許せないのは私一人なのだと思うが、あいつも耄碌もうろくしてきたのかもしれん。でなければ、いちバンドのライブを潰すためにそこまでするはずがない」

「……なぜ社長とコンタクトを?」

「脅しの連絡が入ったのでな。その対応をしたまでだ」

「脅し……」

「反社会的な歌を歌うサザンクロスおよび協力者のブラックボックスは害悪そのもの。彼らの支援を続けるなら次こそ店を潰す。それが嫌なら、直ちに支援をやめてこれまで通り小さな店でお遊戯会をやってろ、と。……無論、要求は突っぱねたがな」

「反社会主義者だってことは認めるが、ここでのライブをお遊戯会だと言われるのは心外だな」

「それだけ歌の力を恐れているのさ。本物ホンモノのシンガーが想いを込めて歌うことで聴衆の意識が変わり、洗脳から目覚めることを知っている。だからお前らのライブを、果ては私の店を潰そうとしているのだよ」

 オーナーの智くんに対する返答を聞き、あたしは先日、社長に会ったときのことを思い返した。

 あたしやリオンが何を言おうとも、社長は一切耳を貸そうとしなかった。自分のしていることはまっとうなのだと言わんばかりに。しかし時折、何かに迷っているかのように表情が曇ったのをあたしは見逃さなかった。

 社長は成功のために夢を売った、とオーナーは言ったが、それはここ数年の話だと思う。あたしが「ファミリー」のような、情に訴える歌でデビューしているのだから、当時の社長はまだ音楽業界に夢や希望を抱いていたし、家族愛を歌うことにも理解があったはず。

「もし、あたしたちの歌に社長が恐れているような力があるなら、あたしは誰よりもまず社長のために歌う。そして必ずや救ってみせる。あたしには、社長が完全に夢を捨てたとはどうしても思えないから」

 あたしの訴えを聞いた拓海がクスッと笑った。

 ――すげえな……。瀕死の人間や心を病んでる奴がいれば、たとえそれが敵であっても真顔で「歌で救う」と言う。これぞ、ホンモノのシンガー。……そうか。だからあっちは麗華を手放すことになって焦りを感じているんだな?

「なるほど。表向きはわかりやすく、反社会主義のインディーズバンドを排除すると言っているが、本当のところは非科学的な力、すなわち歌の力を信じ恐れているから活動を禁じてくる、というわけか」

 社長がそこまであたしの能力を高く評価しているかは分からないが、二人の発言を聞いて妙に納得してしまった。

「オーナーも言いましたよね? 社長を救って欲しいと。あたしには歌しかない。だから歌で救います」

「今のやり方や考え方を改めさせろ、とは言ったよ。まぁ、お嬢が本氣で歌えばあの女の心に何かしらの変化を起こせるかもしれん。そいつを期待するとしよう。何しろ、死にかけたこいつ、、、を三途の川岸から引き返させたんだから。なぁ、拓海?」

 ――俺は三途の川は見てねえってば!

 拓海は反論したが、あたしも智くんも笑ってしまって通訳しなかったのでねてしまった。それを見たショータさんは「まぁまぁ」と彼をなだめ、話を進める。

「歌に力があるかどうかはおいといて、今は情報を鵜呑みにしたチケット購入者が離れていかないようにするのが最優先だと考えます。一つ考えているのは、告知用のウェブ広告の制作・配信と広告チラシの再配布です。こうなった以上、シークレットだったゲストがブラックボックスであることを正式に発表し、ライブ会場に三人、、が集うことを公約するしかありません」

「え、三人?!」
 あたしたちは揃って目を丸くした。

 ――ショータはリオンが合流すると確証してるのか?

「いいえ。本当に彼が駆けつけるかどうかは正直、分かりません。しかしこのくらいの大博打おおばくちを打たなければ愚かな民衆の心は動かせない。……そう、我々が思っている以上に民衆は権威という大きな声に流されるものなのです」

「民衆が愚かだというなら、僕らの小さな歌声で洗脳から解き放ってやる。大きな声こそが嘘っぱちであることを暴いてやる」

「さすがは智篤兄さん。言うことがデカいなぁ。しかし、一歩やり方を間違えれば営業妨害で訴えられかねない。発言は慎重におこなってもらわないと」

「心配するな。ライブができなくなるようなことは言わないし、ライブ中は、拓海に代わって盛り上げ役に徹するつもりでいる。今回はブラックボックスもいるし、背負っているものも大きいと自覚してるからな。口は慎むさ」

「お願いしますよ。……さて。ユージンとセナが合流したところで次の作戦会議と行きましょうか」
 彼はそう言いながら煙草を一本取りだして火を付けた。


35.<拓海>

 ショータの次なる作戦として、ブラックボックスの二人には、ライブ当日まで動画投稿も含めて目立つような活動はしないと言う指示が、持ち曲の少ない俺たちにはラブソングを何曲か書き下ろせ、と言う指示が出た。智篤はラブソングという言葉に難色を示したが、「人々を目覚めさせたあとに築き上げるべきは愛ある世界なのだから、『サンライズ』のような曲も用意しておくべきだ」と指摘され渋々受け容れたのだった。

 ショータが、俺が声を失う直前に作詞作曲した「サンライズ」を愛ある歌の例としてあげたのには驚いた。少し前にプレスしたミニアルバムには収録したものの、公の場で生歌を披露したことのないレア曲だからだ。

(もう一度、声が出せたら……。)

 しかしそれはこの命が尽きるまで叶わない願いだ。……いや、心を込めて「手話うた」えばあるいはかつての声が届くかもしれない。「星空の誓い」を手話で歌ったとき智篤と麗華が俺の声を聴いた、、、ように。

 今回のライブでは、当然のことながら智篤と麗華が主で歌うことが決まっているが、みんなの氣持ちが一つになった頃に俺の声の入った「サンライズ」を流し、手話を披露すればより一層、盛り上がるのではないか。同日に大手事務所の音楽フェスが催されるなら、それに対抗しうるような曲に差し替えることも必要だろう。

(せっかくのライブなんだ、俺のいいところも見せてやる……!)

 今は智篤に歌ってもらっているが、俺が作った曲の中には俺にしか歌えない歌もある。「サンライズ」はその一つだと思っている。

 リビングのソファで思い巡らせていた俺だが、じっとしていられなくなってすぐにショータにメールを送った。数分後、俺らの自宅近くの駅前で仕事をしているから、そのあとだったら話を聞くと返事が来たので了承した。

 その時、タイミング良く智篤が自室から出てきたので手招きする。

 ――ちょうどいいところに。これからショータとライブの曲について相談に行くんだが、一緒に来てくれないか。

「あー、悪い。これから出かけるんだ。……筆談ならなんとかなるだろう? 僕にも氣晴らしは必要だ」

 ――えー……? じゃあ、麗華に頼むか。

「……レイちゃんも忙しいんじゃないかな?」
 智篤は言葉少なにその場をあとにした。

 *

 結局麗華にも振られた俺は一人、ショータと会うため喫茶「ワライバ」を訪れた。約束通り、テレビの代わりに俺たちの曲がスピーカーから流れているのを確認して満足する。

「あ、どーも。ちゃんと宣伝してますよ」
 店主が俺たちを見るなりそう言った。
「チケットも売れてますね。ただ、このペースでは一万人分さばけるかどうか……。何か他に手伝えることがあればいいんだけど、うちは喫茶店だから……」

「いえいえ、充分助かってますよ。……さて、と。それじゃあ座りますか」

 ショータは、サザンクロスの曲をかけるのにふさわしい喫茶店かどうかをチェックするために一度ここを訪れていると聞く。ただ、スポーツ中継を流しっぱなしの喫茶店に音質のいいスピーカーなどあるはずはなく、それだけは無理を言って最高級のものを用意してもらったそうだ。おかげで、俺たちの生歌にも引けを取らない歌声とギターの音色が裏路地の小さな喫茶店でも聴ける。

「ええと、ライブで歌う曲を変更したいんでしたね?」
 席に着くなりショータが問うた。俺は持参したノートを取り出して、あらかじめ書き記したメモを見せる。ショータはそれを受け取ると、文字を指でなぞりながら読んだ。

「なるほど。ラストに『サンライズ』を入れたい、と。手話を使って『歌う』んですね?」

 ――その通り。だけど会場が一つになった状態でなら、マジで地声も届くと思ってる。

 筆談ノートにそう書くと、「へぇ!」と驚かれた。
「兄さんの声、奇跡の復活! ですか。……自分を呼び出したくらいですから、当然本氣で言ってるんですよね?」

 俺は力強く頷いた。
「いいでしょう。そういう夢のある話を聞くとワクワクします。では、ここのトークを削って、オーナーたちのピアノ演奏のあとに『サンライズ』を挿入しましょう。……おいしいところは兄さんが持ってく感じになりますね」

 もう一度頷き、ノートに思いを綴る。
 ――みんなには悪いけど、「星空の誓い」で俺も「歌える」ことが分かっちゃったからな。ライブでも「歌わせて」もらうよ。言っとくけど、大手事務所のアーティストには出来ない技だぜ?

「対抗という意味ではふさわしい一曲だと自分も思います。ではこの方向で再編を……」

 言いかけたところでショータの電話が鳴った。彼は一度俺をちらりと見たが「ちょっと失礼」と言って店の外に出、話し始めた。

 手持ち無沙汰になってしまったので、店内の音楽に耳を傾ける。ちょうど「覚醒」が流れ始めたところだった。

 これは初めて三人で作った曲。新生サザンクロスとして本格始動することを路上で宣言した思い入れのある曲だ。「覚醒」を聴いて麗華が所属していた事務所の社長がメジャーデビューの話を持ちかけてきたのはなんとも皮肉なことだが、俺たちはこの歌を引っ提げて人々を覚醒させるつもりでいる。そしてラストに歌う、、のが「サンライズ」……。想像するだけでゾクゾクする。

 聞き終える頃にショータが戻ってきた。彼は席に着かず、すぐに手荷物をまとめた。

「次の仕事が入りましたので、今日はこの辺で失礼します。最終の曲順をまとめ次第、追って連絡します」

(はぁっ? お、おいっ……!)
 引き留めたくて声を出そうとしたが、喉からはかすれた息しか出なかった。


36.<智篤>

 愚かな民衆が目覚めたあとに築き上げるべきは愛ある世界。人々の救世主になりたいならその先のことも考え、完璧に準備しておかなければならない。これまでお前は世を憂う曲ばかり作ってきたが、これからはラブソングを作れ。それがお前のためだ……。

 ショータにそのようなことを言われた僕は頭を抱えた。ラブソングが作れないからではない。先々のことまで考えるショータと、相変わらず現状を嘆くしか能のない僕との差を見せつけられたからだ。

 ラブソングならぬラブレターらしきものを書いたのは今から八ヶ月ほど前。当時、まだレイちゃんを恨んでいた僕が書いた恋文はまさに愛憎に満ちており、とてもじゃないが純愛を語ったとは言えないものだった(故に、それを「ラブレター」という歌に仕上げたレイちゃんのことは尊敬している)。その後、拓海が生還し、今の家で共同生活をするようになってからは、彼女に恋心を抱きつつもあえてそれを口にすることはなかった。正式な恋人が拓海だというのもあるが、僕としては三人での穏やかな暮らしがあればそれで充分、と言うのが本音だ。

(ラブソング、か……。今ならもっとマシな歌詞を紡げるだろうか……。)

 いつだったか、二人の前で語ったことがある。僕は征服を成し遂げたあとの世界で生きたい、そのために歌うのだと。僕が想像しているのは今のようにギスギスしていない、争いや差別のない世界だが、ショータに言わせればそれが「愛ある世界」なのだろう。

 恋愛、異性愛、家族愛、人類愛……。このすべてをひっくるめて愛と呼ぶなら、僕らが目指す「愛ある世界」は「人類愛」に当たるだろうか。

(笑ってしまうな……。この世を恨み尽くした僕が人類愛をテーマに曲を作るなんて……。)

 とてもじゃないが、一人で書ける氣がしなかった。
(協力を仰ごう……。)
 僕は椅子から立ち上がり、身支度を調えてから部屋を出た。

◇◇◇

「二人だけで出かけるのはいつぶりかしら?」

「ひょっとすると、拓海が復活する前まで遡るかもしれないね」

「ってことは、半年以上前かぁ。……拓海の通訳をしなくていいってのも、たまにはいいね」

 そう言ってレイちゃんは僕の腕を取った。

 三人で暮らすのが当たり前になっているから、こんなことは久しくしていなかった。拓海に引き留められたときにはどうなることかと思ったが、彼はリーダーとしてライブの打ち合わせを、僕はショータから言い渡された課題をこなすためにレイちゃんとデートする。たまにはこういう日があったっていいだろう。

 真夏のデート。……と言っても海や山へ出かけるほど若くはないし、屋外は溶けてもおかしくないくらい暑いので、屋内デートスポットのひとつである都内の水族館に足を向ける。

 夏休み中と言うこともあり、館内は子連れ客が多かった。冷房は効いているのだろうが、生ぬるく感じるのは通路がすし詰め状態だからだろうか。一方で、水中の魚たちは涼しげに泳いでいる。引っ付きながら汗ばむ僕らをあざ笑うかのように悠々と。

 いや、よくよく観察してみると魚たちはぶつかりそうになりながら泳いでいることに氣付く。まるで、スクランブル交差点を行き交う人々が辛うじてすれ違う人を避けているかのように見え、どこの世界も同じなのかもしれない、と思い改める。
 
「ここの魚たちも苦労しながら生きているのかな。海と違って、天敵に食われたり餌にありつけず餓死したりする心配はないが、管理された水槽の中では自由などない。常に監視され、場合によっては夜までライトアップされて眠ることも許されない。……海の方がマシ、まであるかもしれない」

「智くんは自由を愛する男だもんね、そういう感想を持つのは当然のことだと思う。まぁ、長年組織に属していたあたしにはグサリと刺さる言葉だったりするんだけど」

「ああ……。ごめん、そんなつもりはまったくなかった。って言うか、デートしようって誘ったくせに愚痴っぽくてダメだな、僕は」
 反省する僕の横でレイちゃんは首を振った。

「……そういうことなら、水族館エリアを出て展望室に行こうよ。開けた景色が見られる。きっと智くんはそっちの方が好みなんじゃないかな?」

「だけど、それじゃあレイちゃんが楽しめない」

「あたしは大丈夫。ね、行こう?」
 そっと背中を押す彼女が無理をしているようには見えなかった。いくら容姿が若くなっても、やはり僕らは成熟した大人なのだと思い知らされる。

「ありがとう、レイちゃん」
 彼女の手を取り、そっと握り返した。

 展望室を利用する人は水族館ほど多くなかった。一面ガラス張りで開放感があるだけで息苦しさから解き放たれる。

 眼下には東京のビル群が広がっていた。どこまでも建物で埋め尽くされる景色を見て先ほどの話がよみがえる。また愚痴っぽくなりそうだったが、その前にレイちゃんが言葉を発する。

「この街で暮らす人たちの多くは、毎日同じ電車に乗り、規則に従い、決められたスケジュールに即して動いているかもしれない。だけど、そんな人たちをほっとさせられるのが音楽だと思うの。今回のライブでは、そんな人たちを歌の力で一つにしてあげられたらなって思う」

「僕らの歌が、彼らの意識を変えるキーになればいいんだけど」

「もちろん、あたしたちはきっかけを与えるに過ぎないわ。本当に人生を変えたいならその人自身が動かなきゃ。あたしが事務所を辞めたみたいにね」

 彼女の言葉は力強かった。

「レイちゃんが思いきった決断をすることが出来たのはなぜだろう? やっぱり拓海の病氣が大きいのかな?」

「……拓海の人生のしまい方が格好良すぎたからかな。悔いがないように生き切りたいからとはいえ、何十年も恨んできたあたしに連絡してくるなんて、常識に囚われていたら出来ないことよ。いつか氣が向いたらしようって思ってるうちに、拓海のように病に倒れるかもしれない。そうなったらもう、やろうと思っていたことができなくなるかもしれない。あたしも、それは嫌だと思った。だからバンド活動に専念すると決めたの」

「うん」

「これまで慣れ親しんだ環境を離れ、初めての世界に身を投じるのは怖いわ。だけど仲間がいればなんとかなるし、失敗してもそれを許容できるおおらかな心を持つ人たちがたくさんいれば何も怖いことはない」

「そうだな……。勝ち負けや優劣を決めたり、違いを受け容れなかったりするからこの世はいつまでもギスギスしている。統制を目指すからおかしなことになる。僕らがもっと信頼し合えば、許し合えばきっと世界は……」

「愛と平和で満たされる」
 彼女の声が僕の鼓膜を優しく震わせた。
「『世界征服』だなんて言ってるけど、本当は誰よりも智くんが一番平和を望んでるんだよね。あたし、知ってるよ。だって智くんは優しい人だから」

「レイちゃん……」

「一緒に作ろう、愛の歌を。大丈夫、智くんがあたしに書いてくれたラブレター、とっても素敵だったからこそ歌詞にできたんだよ。また智くんの素直な氣持ちを言葉にして。そうしたらあたしが歌詞にするから」
 
「心強いな。なら、君が歌う姿を思い描きながら書こう。愛する君と共に生きる未来を想像しながら書こう。……そう、僕が再生した世界で生きたいと願うのはそこに君がいるからだ。これからもずっとそばにいて欲しい」
 その目を見つめ、唇にそっとキスをした。

「もちろん。拓海も一緒にね。年始に智くんが言ってたでしょう? 拓海の病氣が完治し、あたしたち三人が若返り、サザンクロスが日本一のバンドになる未来を想像してみるって。それを現実のものにするには、あたしたち三人が力を合わせる必要があるわ」

「ああ、分かってるさ。だけど、愛の歌を作るためには拓海抜きでレイちゃんと過ごす時間も必要だ」

「じゃあ……今日だけね?」
 拓海への後ろめたさがあるのか、彼女は少し躊躇ためらいながら額を寄せた。もう一度唇を重ねようとしたとき、レイちゃんは何かを思いついたように顔を上げた。

「そうだ、ショータさんに連絡して、愛の歌をライブの最後に挿入してもらおうよ。みんなが目覚めたあとで歌えば、会場のみならず視聴者全員の心が一つになって愛ある世界が完成すると思うの」

 キスは出来なかったが、その提案はいいと思った。

「確かに、ライブで歌う曲なんていくらでも変更可能だし、時間的余裕もある。ショータも新たに数曲用意しろと言っていたし、僕らの共作をラストに持ってくることも充分可能だろう。……そういうことなら連絡しておくか」

 僕はさっそくショータに電話をかけた。その時、拓海が同じようなことを話し合っていたとは知らずに……。



37.<麗華>

 ライブ日が近づくにつれ、アリーナで行われる音楽フェスの宣伝が過剰なまでに行われるようになった。特に目を引くのがテレビCM。「来場者全員に、お好きなアーティストのグッズを一つプレゼント!」とうたうだけならまだしも、「同日同エリアで行われるインディーズバンドのライブ会場と間違えないよう、ご注意ください!」と表示するのはさすがにやり過ぎだと思う。

 ただ、心配しているのはあたしだけで、拓海と智くんはむしろ「勝手に宣伝してくれてラッキーじゃん」などと喜んでいる。

 ――あっちは自分たちが「本物プロ」で俺らは「偽物アマ」だと言いたいんだろうが、そう言わなきゃいけないくらい、向こうは焦ってるんじゃねえかな?

「僕もそう思う。言わなきゃ知らなくて済むものを、お金をかけてまで言ってるんだからね。……ほら、また流れた」

 ――……つーても、さすがに見飽きたな。
 流行をチェックするため音楽番組を見るのが習慣であるあたしたちでも、番組よりCMの方が長いんじゃないかと思うくらい頻繁に、それもフェスの宣伝ばかりされたら萎える。

 拓海がチャンネルを変えると、ちょうど一週間の天氣予報が流れていた。それを見てまた一つ、頭を悩ませる。

「台風、来ないといいね」

 南の海上にある熱帯低気圧は数日以内に台風に変わると予想されている。どんなに念入りに準備しても、屋根無し球場でのライブを予定しているあたしたちにとって最も厄介なのは雨。交通機関が麻痺しない限り雨天でも決行する予定だが、客足を考えるとやはり晴れてくれた方がありがたい。

「ま、台風が来たとなれば向こうだって影響は受ける。条件は同じだ。氣にしすぎないことだよ」

 ――なあ、それならいっそ、歌の力で最高の天氣になるよう祈るってのはどうだ?
 同じ楽観的でも拓海の提案は現実離れしていた。しかし、死にかけた彼が今ではこうしてピンピンしていることを思えば、祈りの力で天氣を操ることも不可能ではないのかもしれない。

「そうね。あたしたちの想いが届けばきっといい天氣になるはず。信じましょう」

◇◇◇

 しかし、そんなやりとりも空しく台風は発生し、太平洋側の地域に風雨をもたらしている。幸いにしてここは降らない予報だが、強風による交通機関への影響は出ている。実際、風に弱い路線のいくつかは徐行運転中で、手伝いを頼んでいた弟の元同僚が数名、遅れて現地入りすると聞いている。

 前半のライブ開始は正午だが、たどり着くのが困難な状況で来てくれるファンがどれほどいるのか。それ以前にこちらの準備が間に合うのかも若干怪しい。球場の最寄り駅には、時間前にもかかわらず、あちら側のスタッフらしきベストを着た人が数名立っていて、自分たちのライブに誘導しようとしているとの情報も耳にした。幸先はあまり良くない。

 弟のスマホに、元同僚から「到着までもう少しかかる」というメール連絡が入ったとき、ぞろぞろとダグアウトに入ってくる一団が見えた。年は四十代後半くらいだろうか。いかにもミュージシャンですという格好の男たちは拓海と智くんを見つけるなり手を上げた。


38.<拓海>

 それは、ライブハウス「グレートワールド」に出入りするバンド仲間だった。俺も智篤も、急な出来事に目を丸くする。

「手伝いは頼んでなかったはずだが……」

「兄さんたちの勇姿を間近で見るには手伝いにくるしかないってみんなで話してたんだよ。あわよくばオレたちもバック演奏に加えてもらおうって腹なんだけどさ……。手伝いの人数は多い方がいいだろう?」

「いいも何も……。この強風で予定していた人数が集まっていないんだ。手伝いは大歓迎だよ」

「だと思ったんだ。ライブの準備なら、素人しろうとよりオレらの方が慣れてる。すぐに手伝うよ」

「助かる。ありがとう」

 集まってくれたのは古くから付き合いのある三つのバンド。活動拠点はいずれもこの辺りだったはず。地元だからすぐに駆けつけられたというわけか。本当に有り難い。

 ――……そう言えばショータの姿が見えないが、誰か知ってるか? こんなときこそ秘策を出してきそうなものなのに。

 彼らの背中を見送りながら手話で問いかけるが、智篤も麗華も首を横に振る。

「それが、ひと言『用事がある』とメール連絡があっただけでそれっきり音沙汰がないんだ。あいつのことだから何か考えがあって行動しているとは思うけど……」

「ここにいないショータさんを待っていたらこっちの作業が滞ってしまうわ。やることは決まってるんだし、バンド仲間が来てくれたなら彼らに指揮を執ってもらいましょう」

 ――そうだな……。

 二人の言葉に納得した俺はショータを探すのをあきらめ、ステージの設営を見守ることにした。

 初秋でもまだまだ日差しが暑い時期。予定ではグラウンドに日よけのテントを設けることになっていたが、風であおられる危険があるため設営は無しになった。野外ライブでは良くあることだと、慣れた様子の仲間たちが的確な指示を出していく。その結果、路上ライブに毛が生えた程度の極めてシンプルなステージが出来上がった。

 ――せっかく広い会場を押さえたのに、これじゃあ俺たちが目立たなすぎじゃねえかな? あっちの社長が見たらきっと笑い転げるに違いない。
 満足そうな仲間の姿を尻目に、俺は手話の分かる智篤に愚痴をこぼした。

「仕方がないさ。開催できるだけマシだと思わなきゃ。それに、僕らが目立つ必要はない。ギターの音と歌声が届けばいいんだから」

 ――それはそうなんだけど……。

 歌声を響かせられる智篤はそれができるからいいだろう。だが、俺にはその声が出せない。声を失ったことは後悔していない。だが、せっかくのライブなのだからきらびやかなステージに立って「手話うた」いたかったな、とは思う。一応、カメラで撮影した映像を巨大スクリーンに映すことにはなっているが、スクリーン越しでどれだけ想いが届くかどうか……。

「大丈夫、届くよ。君の想いは」
 まるで心の声を聞いたかのように智篤が言った。以前にもこんな事があったが、慣れていない俺はまたしても恐怖を覚えた。

 ――……俺はまだ何も言ってねえぞ?

「言わなくたって分かるさ。何しろ……。僕には君の声がちゃんと聞こえているからね」
 驚く俺に小さく笑いかけ、智篤は続ける。

「正確には、聞こえる氣がする、だけどね。ただ、意識を集中させればあの時――『星空の誓い』を収録したとき――のように、本当に君の声が聞こえると確信しているんだ。それを叶えるには多分、このシンプルなステージの方がいい。……僕はもう一度君の声が聴きたい。だからこのライブ、何がなんでも絶対に成功させるつもりだよ。ライバルに勝つためじゃない。僕らのために、だ」

 ――そんなに期待されたんじゃ、聴かせない訳にゃあいかないな。俺の声はお前に預けたつもりだったが、今日ばかりは返してもらうとするか。

「ああ、いつでも返すよ。……さて、僕らもそろそろ準備をしよう。ライブの時間が近い」

 未だ風は強く吹き、揚げられた国旗が力強くはためいている。

 氣付けばライブ開始まであと数分。ダグアウトから空きの多い観客席を見て「こんなもんか」と思いつつも、俺らの人生ではおそらく過去最高の観客数。何千という目がこちらを見ることを想像するだけで武者震いがする。

 適度な緊張感に包まれている俺に対し、智篤はこの空氣に飲まれているようだった。それに氣付いた麗華があいつの手を握る。

「こんなに汗かいてたら、ちゃんと弾けないよ? ……緊張してるの?」

「……正直に言うと、ドキドキしてる」

「あたしもよ。だけど、緊張それすらも楽しまなくちゃ」

「確かに。ファンがいなかったらこの緊張感を味わうこともなかったんだもんな」
 智篤は一度深呼吸をし、落ち着きを取り戻した。

「レイちゃん。今日は二人で作った曲でこの会場を一つにしよう。あの日、拓海の命を救ったときのように」

「ええ。でも、今回は二人じゃない。拓海もいるわ。ね、そうでしょ?」
 麗華は俺がしゃべれなくてもちゃんと会話を聞いていると知っている。問いかけられた俺は鼻を鳴らした。

 ――その前に俺の「サンライズ」でここにいる全員を泣かせちゃうけどな。

 冗談でも何でもなく、俺の「手話うた」を観た者聴いた者はきっと感涙すると確信している。ちなみに前半は「サンライズ」、後半は麗華たちの共作曲がラストを飾り、聴衆を魅了することで決着している。

 そこへ、今回司会進行をお願いしたユージンとセナがやってきて声をかけられる。
「じゃあ、俺らは一足先にステージに上がります。……呼んだらすぐ来て下さいよ?」

「もう! あたしも上がるんだから、そんなにガチガチにならないの! ほら、行くよ!」
 セナに肩を揉みほぐされたユージンは「よし……」とひと言つぶやき、セナと一緒にグラウンドの中央に設置されたステージめがけて飛び出した。


39.<智篤>

 二人の姿が見えるなり大歓声が上がる。ユージン! セナ! と声援も飛ぶ。その人氣は僕ら以上かもしれない。しかし二人は、今日は自分たちがゲストだとわきまえているようで、声援に応えるのは最小限に留め、早速司会の仕事を始める。

「お待たせしました! 皆さん、今日はサザンクロスのライブにお越し下さりありがとうございます! ウェブ中継でご覧の皆さんも、カメラの前での視聴ありがとうございます。本日は二部構成でお届け予定です。長丁場ですが、皆さん最後までついてきて下さいね!」

「感動曲をたくさん用意してるから、ぜーったいに最後まで聴いてってよね? ……ってことで、早速登場してもらいましょうか。サザンクロスの三人、ステージにおいでー!」

 セナに手招きされた僕たちはギターを引っ提げ、ステージに駆け寄る。

 僕らに向けた黄色い声援が耳に届く。空席からも声がしているのではと思うほどに、たくさんの声援が僕らの背中を押す。一人ひとりの顔は見えない。だが、彼らの目は、耳は、こちらに向いているはず。やることは普段のライブと何ら、変わらない。

 ステージ上でギターを素早くアンプに繋ぎ、音が出るのを確かめたのち、レイちゃんがマイクの前に立つ。

「最初から盛り上がっていきましょう! まずはこの曲。『マイライフ』!」

曇り空を抜け あすへと続く道
心の箱に秘密をしまおう
新しい世界へ さあ

きのうの影にさよなら
主役は僕 全力で進め

夢を描こう 最高の未来
僕の世界を作るのは僕
世界は心で作られるから……

 サザンクロス再結成後、初めて拓海が書き下ろした曲。非常に爽やかで、若いころのサザンクロスを思い出させるこの曲はライブのスタートにぴったりだ。

 そう、この歌詞にあるような最高の未来を実現させるために僕らは一年間、活動してきた。そして今まさに僕は、心に描いた通りの、いや、それ以上の世界にいる……。

 一年前、小さなライブイベントで弾いたときにはレイちゃんを恨みながら演奏していた僕が、一年後にこんな舞台に立っているなんて誰が想像しただろう? 死に別れると思っていた拓海が隣にいて、未だこうして一緒にギターをかき鳴らしているなんて、夢でもなけりゃ説明出来ないようなことが今、目の前で起きてもいる……。人生、どう転ぶか分からないものだ。

 あの日は早く終わってほしいと、そればかり考えて弾いていたっていうのに、今はいつまでも続いて欲しいと思う。積極的にバックコーラスを歌ったり、アドリブで弾いたり……。僕は、今この瞬間を存分に楽しんでいる。

 拓海が死を覚悟したとき「もう一度麗華のバック演奏が出来たら死んでもいい」と言った、その氣持ちが分かったような氣がする。この三人で弾けることは、僕にとっても至福の時だ。

 ライブは滞りなく進み、残すは、セナとオーナーのピアノ曲と拓海の「サンライズ」だけだ。最初の予定ではグランドピアノを設置することになっていたが、「こっちの方がリオンの心を打つのでは」というセナの発案により、リオンが残していった電子鍵盤キーボードに変更された。

 僕らがステージから降り、代わりにセナとオーナーが立つ。いきなり現れた年輩の男性を観たファンからはどよめきが起こるが、二人はそれに反応することなく静かに椅子に腰掛ける。座ったのを確認し、司会のユージンが曲紹介をする。

「これからお聴きいただくのは『グレートワールド』。どこかでこれを聴いているであろう弟のために、セナが心を込めて演奏します。では、どうぞ……」

 促された二人は、目を合わせると同時に一つのピアノを弾き始めた。数秒聴いただけで鳥肌が立つほどの迫力。ざわついていた聴衆も一氣に聴くモードに変わり、会場に響くのは二人の演奏だけになる。

 それはまるでそよ風のようであり、川のせせらぎのようでもあり、時に嵐のようでもあった。セナの、リオンに対する想いはきっとこの強風に乗って彼の元に届いていることだろう。

 氣付けば、温かいしずくが頬を流れていた。歌詞ことばがなくても想いは伝わるのだと思い知る。僕は目をつぶり、彼らの想いを耳だけで感じることに専念した。

 四分ほどの演奏はあっという間に終わった。誰もがもっと聴きたいと思ったのだろう、自然とアンコールが送られる。それに応えたのはオーナーで、今の会場の雰囲氣にぴったりな即興曲をさらっと演奏し、再び喝采を浴びた。自分が弾けばおいしいところを持って行ってしまうぞ、というオーナーの言葉がよみがえる。確かにその通り、オーナーは会場の視線を独り占めしてしまったのだった。

 ――くそぉ。オーナー、さすがだなぁ。だけど、最後の最後は俺がおいしいところを持って行くぜ……。

 拓海が意氣込みを新たにし、ステージに飛び出そうとした、まさにその時……。

 突風が吹き、直後に巨大スクリーンの映像が消えた。観客席からはどよめきと悲鳴が同時に聞こえ、辺りは騒然となる。グラウンドには砂塵が舞い、ユージンとセナが慌てて電子鍵盤キーボードの撤去を始める。

「……何が、起きた?」
 突然のことに頭が混乱するが、非常事態が発生したのは間違いない。

「ライブ中継を一旦中止した方が良さそうね」

「ああ……。早くカメラマンに指示をださなければ」
 レイちゃんの言葉に同意し、ステージに駆け寄ろうとしたとき、ダグアウト内にいた彼女の弟のスマホが鳴った。電話に出た彼は何度か頷くと僕に電話を差し出した。

「ショータさんからです」

「ショータ……!」
 奪うように電話を受け取る。
「おい、こんな時にどこをほっつき歩いてる?! こっちは突然巨大スクリーンが消えて大変……」

『こちらの方が悲惨ですよ。すべての電気系統が落ちてアリーナ内は真っ暗闇ですから。どうやらこの一帯で停電が発生しているようです。詳しいことは調査中ですが、おそらく強風の影響で電柱が倒れたか、飛来物等で電線が切断されたのでしょう』

「停電……?! それじゃあライブはどうなる?!」
 慌てふためく僕を尻目にショータはくすくすと笑う。

「……な、なにがおかしい?」

『天はあなた方に味方したようです。自分が思い描いた最高のシナリオを実行する準備がいま、整いました』

「えっ……」

『今からそちらに急行します。……サザンクロスとブラックボックスの共演ライブ、ここからが本番です』

「はぁ……? 一体どういうことだよ……?」
 問いかけたが、通話はすでに切れていた。


40.<麗華>

「ちっ……」
 電話を切った智くんは舌打ちをした。恐る恐る問う。

「今、停電って言ってたけど……。ショータさんはなんて?」

「あいつ今、アリーナにいるらしい。これからこっちに来ると言っていたが、何やらいい考えを持っているようだ。ここからが僕らの本番だ、とも……」

「この状況でこれからが本番……? どういうことかしら?」

「さあな……。しかし、まずは現状をなんとかしなければ。あいつが来るまで何もせずに待っているわけにはいかない」

 智くんの言うとおりだ。この先、ショータさんが奇策を引っ提げてやってくると知ったあたしたちの不安はいくらか和らいだものの、観客は今、不安でいっぱいのはず……。

 その時、ピアノを弾き終えてご満悦のオーナーが拓海に歩み寄った。
「ショータが来るまで間をつなげ。ライブを続けるんだ」

 ――えっ?! 続けるって、マジかよ?!

 智くんの通訳を待たずとも、その顔を見たオーナーは「どのみち地声は必要ないんだ、いけるだろう?」と続けた。

 拓海はオーナーをじっと見つめ返した。
 ――……そうだな。俺の真の力を見せつける絶好のチャンス到来、ってわけだ。

「しかし、ギターの音は……」
 不安を口にする智くんに対してもオーナーは余裕の表情を浮かべる。

「生演奏でいいだろう。スピーカーなど通さなくてもこの風に乗せればきっと客席まで届くはずだ」

「……オーケー、オーナー。ショータが何を持ってくるかは知らないが、到着したあいつがびっくりするような状況を作り出してやるよ」

 ――なぁ、今止めてるカメラはどうする?

「スマホに換えてでも回せ。お前の勇姿を多くの人に見せてやれ」
 オーナーの力強い後押しを受けて拓海は、了解! と口を動かし、敬礼した。

 強風にあおられながら、あたしたちはカメラマンと共にグラウンドに飛び出した。観客たちが一斉にこちらを見て声を上げ、あたしたちを歓迎する。

 ステージに立つ。数秒すると歓声は止み、静けさが訪れた。聞こえるのは風の音だけ。あたしは一度深呼吸をし、二人の手を握る。

「拓海の声を、ここにいるすべての人の心と耳に届けましょう」

 ここにいる人たちが「サンライズ」を聞いたことがなくても、心を込めればきっと、さっきのピアノ演奏のように多くの人の心を打つはず……。

 二人が頷いたのを見届けたあたしは一歩下がった。入れ替わるように拓海が前に出る。彼からのオーケーサインを受け、丁寧にイントロをつま弾く。それに合わせて智くんが弾き語ると、拓海も手を動かし始める。

命芽吹くとき 大地は光り輝く
朝日昇るとき 鳥たちは歌う
手を伸ばそう 夜明けの空に
オレンジに染まる手は 君の温もり

抱きしめたい 光溢れる君の心を
抱きしめたい 愛にあふれるこの世界を
命ある今に 君に出会えた歓びに
ありがとう……

 あたしたちからは拓海の後ろ姿しか見えない。それでも彼がこの歌に込める想いと、手話で伝えようとする氣持ちは背中越しでも伝わってくる。

 いつの間にか、智くんの歌声は聞こえなくなっていた。なのにあたしの耳にはまだ歌声が聞こえている……。これは……。

(拓海の……声……!!)


41.<拓海>

 はじめは智篤の声にリードされながら手と口を動かしていた。当然喉は震えず、俺の声は出ていなかった。ところが、一番が終わる頃から意識が混濁し、喉を震わせているかのような錯覚に陥る。いや、確かに声が出ている……。喉に伝わる振動と、鼓膜を通して俺の声がはっきりと聞こえる……。

命生まれゆく 日の出と共に ああ……
新しい日常ひびが 今日も始まる
手を伸ばそう 未来の空へ
虹色に染まる道は 希望の架け橋

越えていこう 不安も悲しみも 共に
生きとし生ける すべてが笑う世界へ
怖くなんてないさ 君となら
手を繋いで一つに

抱きしめたい 光溢れる君の心を
抱きしめたい 愛にあふれるこの世界を
越えていこう 不安も悲しみも 共に
生きとし生ける すべてが笑う世界へ……

 初めて大勢の前で、しかも自分の声で歌った「サンライズ」に俺自身が感動を覚え、涙した。歌が終わっても客席からは一つの声も聞こえない。静かな拍手のあとは再び静けさが訪れる。

 ショータの姿はまだ見えない。俺は声が出せた喜びそのままに、自分で作ったあの曲も歌おうと思い立つ。

「智篤、麗華。次は『羅針盤コンパス』だ。声が出るうちに歌いたい」

「……オーケー、相棒」

「拓海の歌声が聞けるなら何曲でも弾くわ」

 返事を聞いて確信する。錯覚なんかじゃない。二人にはちゃんと俺の声が聞こえている。嬉しさが込み上げる。

「ラスト一曲! 俺の最後の歌声ざれごとを聴いてくれっ! 『羅針盤コンパス』!」
 声は思いのほか良く通り、響いた。これならいける、と自信を深め、歌い始める。

声をなくした、歌手だけど
未練がましいミュージシャン
俺にはギターがあるからさ
こいつで思い、伝えんだ

曇りきったこの世界
歌とギターで晴らすまで
俺たちゃ歌い続けんだ

みんなが右へならえ、ったって
俺たちゃ絶対向かねえぞ
心の羅針盤はりに従って
自分の道、進むんだ

他人だれかの言葉にゃ価値がないって
気づいたやつから目覚め出す
「ホントの自分」の声、動き出す世界、
名もなき男の戯れ言ざれごとを聞いてくれ

##

声をなくした、歌手だけど
未練がましいミュージシャン
俺には仲間がいるからさ
みんなで思い、伝えんだ

腐りきったこの世界
歌とギターで晴らすまで
俺たちゃ歌い続けんだ

「頑張れ、やれば出来る」ったって
俺たちゃ限界、やれねえぞ
心が折れちまう前に
捨ててしまえ、常識を

あいつの言葉は嘘だらけだって
気づいたやつから目覚め出す
魂からの声、嘘のない世界、
名もなき市民おれら戯れ言ざれごとを聞いてくれ

渡されたコンパス
それってホンモノ?
針さす方にあるものは?
希望か、それとも、ぜ・つ・ぼ・う?
嫌なら言ってやろうぜ!
戯れ言ざれごとを! たわごとを! 真実を!
さぁ!

 今度は歌い終わると同時に大きな拍手と歓声が沸き起こった。アンコールも鳴り響いたが、久々に声を出した喉はもう、痛くて使い物にならない。俺は歓声に応える形で手を挙げるに留め、引き上げる。

「僕はいま興奮しているよ……! 君の歌が二曲も聴けたんだから!」

「あたしも鳥肌が立ったままよ。まだ震えてる……。ああ、拓海。本当に素晴らしかったわ。夢を見ているよう……。でも、夢じゃないのよね。あたしは確かに聞いたわ、あなたの声を……!」

(俺も嬉しいよ、最高の氣分だ……。)

 さっきの続きで声を出そうとしたが、やはり喉はもう震えなかった。俺はただ頷いて二人の想いに応えた。二人には、それだけで俺の状況が伝わった。

「奇跡を、ありがとう……」
 麗華が涙を流しながら言った。

 ダグアウトに戻るとショータがいた。俺たちを拍手で迎える。

「いやぁ、素晴らしい歌声でしたね。在りし日の兄さんを思い出してしまって泣きそうになったほどです」

「ここは素直に、レイちゃんのように泣けばいいものを」 
 智篤の皮肉を聞いてもショータは表情一つ変えず、首を横に振るだけだ。

「いえいえ。涙は最後に取っておくつもりです。後半のライブでは今以上に感動するシーンがある予定ですから」

「後半のライブと言えば、さっき電話で話していた『最高のシナリオ』って奴を教えてくれないか。それを待っていたんだ」
 智篤が本題に誘導すると、ショータはもったいぶるように微笑む。

「その前に、前半のライブを締めましょう。話はそのあとです」

「締める、と言っても予定していた音響は使えないわ……」

「必要ありません。そうですよね、元野球部の皆さん?」

「え?」
 麗華を筆頭に振り向くと、いつの間に着替えたのか、手伝いを頼んでいた元野球部の面々がユニフォーム姿で立っていた。

「姉貴たちの舞台セッティングに協力したんだ。俺たちにもちょっとは格好いいとこ、披露させてくれよな」

「えっ?! ちょっと待ってよ、庸平。何でここで野球人が出しゃばってくるのよ? これはあたしたちのライブ……」

「今はそうかもしれないが、本来ここは野球をするとこだぜ。ってことで、最後は派手にやってやるぜ!」

 麗華の制止を振り切るように、ユニフォーム姿の男たちが球場に散っていく。バッティングでもするのかと思いきや、前転やバック転などのパフォーマンスが始まる。年齢を感じさせない、キレのある動きを見た観客は一瞬にして目を奪われる。

「今日はありがとうございましたー! 後半のライブを観覧される方は、ライブ開始まで今しばらくお待ちくださーい!」

 グラウンドを走りながらそう言って回る声を聴き、観客たちは安心したように談笑したり、荷物をまとめたりし始める。

「なるほど、大声を出すのに慣れている元野球部員にアナウンスさせるとは。考えたな、ショータ。はじめからここまで考えていたのか?」

「自分の計画に抜けはありません。さあ、お三方も、彼らのあとについて最後の挨拶回りをしてきてください。戻ってきたら、例の話を始めましょう」

 ショータは再び笑い、俺らの背中を押した。


42.<智篤>

 停電が発生するという予期せぬ出来事は起きたものの、予定していた曲はすべて歌い終え、大きな混乱もなく前半のライブを終えた。

「さあ、約束だ。話を聞かせてもらおう」
 再びショータの前に立つ。彼はようやく「こちらへ……」と僕らを促した。

 ついていった先は控え室。そこに入った僕らは直後に目を見張った。

「リオン……!」
 その横にはユージンとセナ、オーナーもいる。

「二人には先に会わせました。きょうだいで色々と話すことがあるだろうと思いましてね」
 エンディングで、司会者であるはずの二人の姿がなかった理由、そして代わりに元野球部員たちが出てきた理由がようやく分かった。

「……和解できたのか? いや、ここに戻ったってことはそういうことなんだよな?」
 僕の、疑問とも独り言ともつかないような発言のあとで、リオンが重い口を開く。

「ごめんなさい……。おれが一人で見切り発車したせいで、皆さんには随分と心配や迷惑をかけました。……ちょっとあっちの世界を覗いてみたかっただけなのに、まさかサザンクロスとブラックボックスを潰しに来るとは思ってなくて……。おれが素直に金を受け取っていればここまで大事おおごとにはならなかったのかもしれないけど、姉さんやセナの言葉がずっと引っかかってて、おれ、今日までずっと悩んでたんだ……。

社長は、サザンクロスのライブが終わるまでおれの返事を待つと言ってくれたよ。だけど、そう言いながらも裏でサザンクロスとブラックボックスを完膚なきまでに潰すつもりなんだ。おれが戻る場所を失えばプロの仕事に専念せざるを得ないと分かっているから……。

悔しかった。計画を知っても事務所に反発できない自分に失望もした。おれにできる唯一のことは、セナに一度だけ聞かせてもらったピアノ曲を反芻はんすうすること……。これを弾くためにはアリーナを抜け出してサザンクロスのライブに出るしかない。実際にそんなことが可能なのか……。そんなことを考えていたおれの前に現れたのがショータさんだった。おれにライブ中継を見るよう指示し、停電が起きたタイミングでここに連れてきてくれたわけなんだけど、まるで未来が見えているような動きには正直どん引きしたよ……。この人、実は未来人なんじゃないかって思ってる」

 はじめこそ萎縮いしゅくしていたリオンだが、最後には若者らしい言葉を口にして長い話を終えた。

「リオン、戻ってきてくれてありがとう。これでようやく全員揃ってのライブが出来るわね」

 レイちゃんは責めることも慰めることもせず、ただ彼の帰還を喜んだ。彼女はあちら側の世界を知っている。だから彼の立場も氣持ちもつぶさに理解できるのだろう。しかしリオンはその対応に不満があるようだ。

「……何で怒らないんだよ。おれのせいで随分、振り回されたってのに」

「あら、怒られたいの? ……その顔を見る限り、二人から散々お小言を言われたんじゃない? だったらもう充分。あたしから言うことは何もない。そんなことより、このあとに控えるライブを成功させることを考えましょうよ」

「……優しくされるなんて、聞いてない」
 彼はショータを睨んだ。

「自分ははっきり、兄さんも姉さんもお前が合流するのを待ち望んでると言ったはずだけど? それをリオンが信じなかっただけだ」

「…………」
 リオンは唇を噛み、込み上げる感情を必死に堪えているようだったが、やがて意を決したように顔を上げた。

「……セナ。オーナー。例のピアノ曲を聴かせてくれ。ライブが始まるまでに耳コピする。それと、ショータさんに頼みがある。……『シェイク!』をどこかで演奏させて欲しい。ブラックボックスが健在だってことを知らしめたいんだ」

 一同は目を丸くしながらも、互いに顔を見、微笑み合った。

「もちろんそのつもりだよ。自分が考えてるのはオープニングだ。いの一番に、ブラックボックスがここに揃ったことを宣言してライブをスタートさせれば盛り上がること間違い無し。そして最終盤で、今度はセナとの連弾を聴かせる、と……。ああ、あちら側のくやしがる顔が目に浮かぶよ」

「待て。連弾は予定通り最終盤に持ってくるつもりか? ライブは長いぞ。その間にリオンを連れ戻されたら……」

「それを考慮しての、『シェイク!』ですよ」

「えっ?」
 驚く僕を尻目に、ショータは現状と自身の計画を淡々と説明する。

「今、アリーナは大混乱中です。お金で急遽集められたスタッフ同士の連携は全くと言っていいほど取れておらず、また予備電源の掌握もしていないからいつまでも施設内は暗いまま。不安に駆られたお客さんたちが次々外に出ている状況です。そんな中でウェブ配信が続くサザンクロスのライブを観たお客さんはどう思うでしょう? 既に、拓海兄さんの『サンライズ』と『羅針盤コンパス』を聴いた人々が、当日券を求めてこちらに流れて来ています。そんな彼らの前で『シェイク!』を披露したらどうなるか……」

「……あちら側の信頼は失われ、こちらは超満員となってライブは成功する」

「ええ」
 その顔があまりにも自信に満ちあふれているので、意図的にこの状況を引き起こしたのでは? と勘ぐってしまうが、先に本人が否定する。

「……言っておきますが、自分が停電を起こしたんじゃありませんよ? ……まぁ、ちょっとは細工しましたけど、ほんのちょっとです。ましてや未来人でもありません。それだけは誤解のないように」

「それにしては出来すぎてる……」

「そう仰るなら、ご自身の強運に感謝することですね。……さぁ、善は急げ、です。セナとオーナーはリオンにピアノ曲の指導を。サザンクロスの三人は今のうちに充分休養を取っておいてください。先ほども言いましたが、ここからが本番ですから」

 ショータはそう言うと、胸ポケットから煙草を取りだして美味そうに吸い始めた。


43.<麗華>

 ショータさんの予言、、は見事に当たった。SNSを通してブラックボックスの三人が揃うらしいとの噂を耳にしたアリーナの観客、そして拓海の歌う姿をウェブ上で目の当たりにした人たちが続々と球場に押し寄せ始めたのだ。売れ残っていたチケットは飛ぶように売れ、後半のライブが始まる一時間前には満席になったのだった。

 *

 夕方になり、辺りがどんどん暗くなっていく。通常であればナイター用の照明をつけるところだが、停電の今はそれが出来ない。そんな状況で夜の野外ライブが出来るのか。不安を感じるあたしとは対照的に、ショータさんはいつでも冷静かつ前向きだ。

「『星空の誓い』を歌うのにうってつけの環境じゃないですか。曲順を変えて停電しているうちに歌いましょう」とまぁ、こんな具合である。

「暗くても大丈夫。みなさんの居場所が分かる程度の照明があれば充分です。今、手伝いの方に頼んでポータブルランタンを買って来てもらっています。それを、ステージの周囲に配置する予定です。きっと幻想的なライブになりますよ」

 状況に応じてすぐに変更できるのは、ギターと歌声だけで成り立つ少人数バンドだから。これが大勢のスタッフのもと、大がかりな舞台装置を必要とするライブだとこうはいかない。ショータさんは更に続ける。

「姉さんにはありませんか? 幼い頃、台風の日ほどワクワクした経験が。自分にはあります。そして今まさにその時と同じようなワクワクを感じています」

「……つまり、危機的状況をも楽しめ、ってことね? いいわ、こうなったらとことん楽しんでみせる」

 ショータさんの言葉のあとでランタンがステージに配置された。ちょうど日が落ちようかという頃。確かにそこだけ幻想的な雰囲氣が漂っている。薄暗い中でひっそりと電子鍵盤キーボードが設置され、後半のライブの準備が整う。

 既に満席になったこと、またアリーナサイドの混乱が続いているうちにと、三十分前倒しての開演となる。その時を今か今かと待ちわびるブラックボックスの三人が緊張の面持ちで、しかし嬉しそうに談笑を始める。

「妄想はしてたけど、まさか本当に三人でこんな大舞台に立てるとは思ってなかったよ。オレは夢を見てるんじゃないかな……」

「これは現実よ、お兄ちゃん。あたしは信じてたよ。リオンが戻ってきてくれるって……」

「……裏切り者のおれを信じるなんてどうかしてるよ、セナは」

「なあに言ってんの。双子は離れていても通じてるんだよ。だからリオンが離脱したあとでどれだけ不安を抱えていたか、アタシにはちゃんと分かってた」

「……だからって、『グレートワールド』のオーナーを引っ張り出してくるのは反則」

「引っ張り出したわけじゃないって何度も言ったじゃない。オーナーは純粋にリオンのことを心配してた。それだけのことだよ」

「まぁまぁ、今はそんなこと、どうでもいいじゃないか。一分後、オレたちはブラックボックスとして、三人揃ってステージに立つ。そこで感じること、見えるものを楽しもうぜ」

 兄らしく、最後にユージンが二人の仲を取り持ち、肩を抱いた。

「……お帰り、リオン。またお前のキーボードと共演できることを誇りに思う。そしてセナ、最高の歌声を響かせてくれ。オレはエレキで後押しする」

 二人が力強く頷くと、ちょうど時間になる。
「行こう!」
 三人が一斉にステージに走り出す。

 カメラマンの合図と共に生配信がスタートする。ステージは薄暗く、その顔ははっきりとは見えない。しかしひとたび演奏が始まるとそこにいるのが誰なのか明らかになる。どっと歓声が上がり、ブラックボックスを歓迎するムードに包まれる。

 拓海が歌った停電直後とは違い、ワイヤレス音源が調達できた彼らのライブは、大音量ではないものの、その声も楽器の音もあたしの耳にはしっかり届いている。

「お待たせー! 今日はサザンクロスのライブだけど、一曲目はアタシたちブラックボックスがおいしいとこ持ってくよー! イントロ聴いてピンときてるよね? そう、歌うのは『シェイク!』 みんなで踊って歌って、盛り上がろー!」

 リオンの弾く「シェイク!」のイントロをバックに、セナがアナウンスする。会場が再びわあっと盛り上がったところで歌が始まる。

金平糖さとうみたいな 星くず集めて
海に投げたら きらきらきらり
お散歩してる クジラの親子が what a suprise!!
しおが虹になった

あなたに会いたい 今すぐに
はずむ心 おさえきれない
飛んでいくわ 流れ星に乗って

シェイク! シェイク!
恋するアタシは 一つになりたい あなたと
mix the world!
空も海も 見えるもの全部 
あなただったらいいのに!

##

綿菓子みたいな雲をあつめて 
ヒモを付けたら ふわふわふわり
デートしている カモメのカップル it‘s so cute!
並んで飛んでった

あなたは会いたい? 今すぐに?
胸の中に 飛び込んだなら 
受け止めてよね? 愛しているのなら

シェイク! シェイク!
恋するアタシは 一つになりたい あなたと
around the world!
宇宙までも 見えるもの全部
すべて、あたしだけのもの

 ここでセナが素早くマイクをリオンに向ける。ラップ調のリズムに乗せ、彼はダンスを披露しながら歌う。

☆☆

シェイク、シェイク
全部混ざり合って 
空のかなたまで飛んでいって
すべて破壊しちゃって
だけど、なんもかんも
なくなった世界ここ
オレら、生きてけんの?
「ねぇ、答えてよ……」

☆☆

シェイク! シェイク!
恋するアタシは 一つになりたい あなたと
over the world!
あなたがいれば 他は何もいらないんだ
だからアタシだけを見ていて!

 曲が終わると同時に何度目かの大きな拍手が送られる。セナからマイクを奪い取ったリオンが拍手を割るように声を張る。

「みんな、心配かけてごめん! ブラックボックスは未だ健在だ。これからも三人で活動していく! だから引き続き応援よろしく!」

 会場はさながら、ブラックボックスのライブであるかのようだった。実際、彼ら見たさに集まった人は多いはず。ひょっとしたらあたしたちのファンより多いかもしれないが、それはこちらも想定済みだ。

「このまま一氣に盛り上がっていこうぜ!」
 リオンからマイクをもらったユージンが会場に呼びかけた。次はあたしたちが出ていく番。氣持ちを引き締める。


44.<拓海>

 ブラックボックスの「シェイク!」は最高だった。盛り上がり方も前半の一発目とは比べものにならない。これが人氣の差か……。しかしここで腐っているわけにはいかない。俺らにも意地がある。世界征服という野望もある。

 何度か声を出そうと試みるが、やはり喉は震えそうにない。最初の予定通り、歌は智篤に任せた方が良さそうだ。盛り上がるステージを一瞥し、二人に手話を送る。

 ――俺らも行こう。後半はウイングとレイカの曲中心だ。昔っからのファンを楽しませてやろうぜ!

「ああ。全力で飛ばしていくよ」

「あたしも、誰になんと言われようと自分で作った歌だもの。心を込めて歌うわ」

 ――よっしゃ! サザンクロスのライブ、後半戦のスタートだ!
 ユージンのエレキ演奏が始まる。俺たちは意欲を燃やし、ぼんやりと照らされるステージに躍り出る。

「ウイングとレイカを応援してくれてたみんな、待たせたな! 後半からはいよいよ昔の曲を引っ張り出して歌うぜ!」
 智篤がマイクを手にし、ファンに向けて挨拶をする。
「まずはウイングの代表曲から。『クレイジー・ラブ』!」

 ウイングはアコギではなくエレキを引っ提げてやってたバンド。本来ならばギターを持ち替えるべきだが、今日はユージンがいる。智篤がマイクを持って歌う穴埋めに、ユージンのエレキで本来の「クレイジー・ラブ」に近い音を再現する。

 智篤がいつになく、かつての俺の声に寄せて歌っているように聞こえるのは氣のせいか……? いや、そればかりか俺のアコギの音でさえエレキの音に聞こえ始める……。

 続く「オールド&ニューワールド」も同じだ。俺の耳がおかしくなったのか。それともこの場所の特別な空氣感がそうさせているのだろうか……。

 ウイング時代の二曲を終えたところで智篤にだけ分かるように手話を送る。
 ――今の歌声だけど、俺のかつての声を意識して出した?

「そういうつもりはなかったが、僕も自分のものとは思えない声だと感じたよ。……君の声の復活が近いのか、それとも僕らの脳みそが昔を懐かしんでるだけなのか……。まぁ、そんなのはどうでもいいことさ。……次は『星空の誓い』、君の出番だ。もう一度、奇跡を起こしてくれ。僕は歌わず、演奏に専念する」

 ――期待に応えられるかどうか分からないけど、心を込めて「歌う」よ……。

 会場が一度静かになったタイミングで目で合図を送る。二人のギター演奏が始まると、待ってましたとばかりにどよめきが起こる。

 すうっと息を吸い込む。腹の底から声を出そうと意識しながら歌詞を口ずさむ。

星の数ほどいるってのに
届かないのか 平和の祈り
争い、ののしり、奪い合い……
こんな時代は終わりにしないか?

涙を越えて 見える世界もあるだろう
だけど笑っていたいんだ
君と生きる未来だから

雨上がりの夜空の下で僕ら
変わらないと 嘆くんじゃなくて
歌うんだ 喉をからして 声が出なくなるまで

……

 再び自分の声を耳にした。智篤のように澄んではいないし、麗華のように美しくもない。だけど……。だけどこの、しゃがれた声と共に何十年も生きてきたし、この声を武器にミュージシャンを名乗ってもきた。

 俺はこの声がそんなに好きではなかった。人と比べては、あんな声だったらいいのにと何度思ったことか……。だが失ってみて、そして再び発声してみて思う。自分の声も悪くないじゃないか、と。

 やっぱり俺はミュージシャンなのだ、と痛感する。歌えることがこんなにも嬉しい。歌で自己表現できることがこんなにも誇らしい。

##

気がつきゃ 何だか息苦しくて
正直者ではいられないんだ
自己否定、こもって、一人きり
風よ、早く迎えに来てくれ

星がまたたく夜空の下で僕ら
変わりたいと 願うんじゃなくて
叫ぶんだ 喉をからして 声が出なくなるまで

星が流れる夜空の下で僕ら
思い出すんだ ここに生まれた理由わけ
遠い宇宙ほしに目を向けて
魂に刻まれた奇跡の言葉を……その言葉を……

 見上げれば、普段は街の明かりのせいで見ることの出来ない星がたくさんまたたいていた。時折、流れ星も見えた。目に映ったそれはしずくとなって俺の頬を伝い、最後には大地を湿らせた。

 俺からは会場のファンの様子は見えない。だけど感じる。みんな、俺と同じ空を見上げてるって。

「俺たちは今、一つになってる……」
 自然と二人の手を取っていた。
「ありがとう、みんな……。ありがとう……」

 その後、レイカの「ファミリー」やブラックボックスの曲などを披露すると、会場は一層盛り上がった。この薄明かりのステージが、かえって俺らと会場を一つにしているかのようにさえ思える。ファンは視覚を頼りに出来ない。その他の感覚を研ぎ澄まし、音と場の空氣でこのライブを楽しむしかないという氣づきが、ファンを「今、ここ」に集中させているように感じる。

 ライブはあっという間に最終盤を迎えた。俺たちサザンクロスがステージに上がっている合間を縫ってピアノ曲「グレートワールド」を頭にたたき込んだリオンが、セナと共に電子鍵盤キーボードの前に座る。

 オーナーとセナの連弾は練習の時から何度も聞いたが、リオンとセナのペアはどんなふうに演奏するのか。俺たちもいちファンとして二人の演奏に耳を傾ける。

 まるでこれまで何ヶ月にもわたって練習してきたかのようにぴったりと息のあった音が鳴り始める。これが、双子のなせる技か。オーナーの時は自然の情景が目に浮かんだが、リオンの演奏は俺たち聴く側の人間を鼓舞するような力強さを感じる。ここに戻ってきたことをアピールしているかのようにも聞こえる。きっと、電子鍵盤キーボードで聴衆を虜にしたいと言った、その言葉を実行しているのだろう。

「リオンの奴、気持ちよさそうに弾くじゃねえか。おっ、月までもがあいつの演奏を聴きに来ている。本当に、最高の舞台だな」
 オーナーが、まるで息子を自慢するかのような口ぶりで言った。

 さっきまで星しか見えなかった空に十七日月たちまちづきが浮かぶ。青白い光はセナとリオンを照らすように差し、連弾する二人を幻想的に浮かび上がらせる。

「これがあの子の、本来の姿なのね……」
 突如として背後から声が聞こえた。月光のもとに姿を現した人物、それは……。

「社長……! なぜここへ……!?」

 麗華は驚きの声を発すると同時に、女社長の正面に立ち塞がった。実年齢を遙かに下回る見た目で美魔女との異名さえ持つと聞くが、月影つきかげは真実を映し出すのか、女社長の容姿は年齢相応かそれ以上に老け込んで見えた。

「リオンを連れ戻しに来たのですか? それだけは絶対にさせません!」
 麗華が静かに怒りをぶつけた。しかし女社長の目はオーナーに向けられる。

「……この曲、あなたが提供したのね?」

「ああ、そうだ」

「だと思った。あらゆるジャンルをミックスしたようなピアノ曲なんて他では聞いたことがないもの」

「だからいいんじゃねえか。こういう、荒くれ者たちが演奏するには打って付けだろう?」

「そうかもしれない……」
 対峙したら言い合いになると覚悟していたが、どうやらそのつもりはないらしい。

「……もしかして社長は、リオンのピアノを聴きに?」
 怪訝な顔で麗華が問うが返事はなかった。しかしそれが答えなのだと誰もが悟った。

「……おしゃべりしている暇はありませんよ、皆さん。いよいよ最後の曲です。そろそろスタンバイを」

 ショータに促され、現実に引き戻される。ギターを肩から掛けると、さっきまで眉根をひそめていた麗華が堂々たる姿で俺の正面に立った。

「拓海。これから歌うのはみんなのための歌であると同時に、拓海の声を取り戻すための歌でもある。だから、聴いていて……」

 ――もちろん。息継ぎの音さえも逃さずに聴くよ。
 答えると、今度は智篤が俺の肩に手を置いた。

「今日は何もかもが神がかっている。僕は三度目の奇跡を信じるよ。……もし、可能ならばレイちゃんのバックで、一緒にハモろう。僕らが心を込めて作った曲、『LOVE & PEACEラブ ピース』を」
 俺が首を縦に振ると、二人も同じように頷いた。

 リオンたちのピアノ曲が終わり、会場からさざ波のような拍手が起こった。ステージに足を向けたとき、麗華がもう一度女社長と向き合った。

「あたしの歌で社長を救います。どうか最後まで見守っていてください」
 女社長は麗華を見つめ返すだけで何も言葉を発しなかった。

「行こう、レイちゃん、拓海。時間だ」
 智篤に促され、グラウンドへ踏み出す。


45.<智篤>

 ショータが言っていたように、天が僕らに味方をしてくれたとしか思えなかった。一万人のファンで埋め尽くされた球場。僕らは今、その真ん中に立っている……。

 レイちゃんがマイクを握る。
「……いよいよ最後の曲になりました。これから歌うのは『LOVE & PEACE』。このライブのために、あたしと智くんとで書き下ろした最新曲です。このライブを聴いているすべての人に愛と平和が訪れますように……」

 彼女から目で合図を受け、アルペジオを奏でる。歌詞が始まるところで拓海がコードを弾き、美しい声が星空の下に響く。

世界を作るのはイマジネーション
散らばるパズルのピースの中から
どれを選ぶ? あたしはね……

思い描けばクリエーション
みんなばらばら、ピースはカラフル
君は選んだLOVE, LOVE, LOVE

ケンカしたって、違ったって、
いいじゃん、認め合えたなら

友だち以上、恋人以上、
あたしたちはもう、ファミリーなのよ
この歌を歌えばほら、
世界中がひとつになれる
PEACE, PEACE……

##

何をしようか? ニューワールド
みんなの夢をたくさん集めて
君は選んだ? 僕はね……

手を取り合えばクリエーション
どれも素敵で決められないから
全部叶えよう、LOVE & PEACE

ケンカしたって、違ったって、
最後は分かりあえるから

友だち以上、恋人以上、
僕たちはもう、ファミリーなんだ
この歌を歌えばほら、
新世界も一つに繋がる
PEACE, PEACE……

###

たとえ声が出なくても
たとえ病に倒れても
僕らは決して諦めない
命、尽きるまで

黒いきのうを追い越して
輝くあしたを見に行こう
僕らならいける
心は一つに……あぁ……

 あのデートのあと、僕は家に戻って彼女と二人、顔を寄せ合いながら詩を紡いだ。それは特別な時間でありながら、当然あるべき未来の姿だという感覚が常に胸の中で渦巻いていた。その部屋にはいなかった拓海の存在もなぜだかそばに感じた。僕らを取り巻く小さな世界と、もっと大きな世界とを繋ぐ言葉たち。それを今、目の前のレイちゃんが美しい声で歌い上げてくれた。

 そう、この世界は、本当は美しいのだ。争う必要だってないのだ。男女の愛があって生まれ、やがて自身も愛し合って命を生みだし、育み、生を全うする。それだけで成り立つはずの世界。それが真の平和。あるべき世界だと僕は思う。

 この歌にあるような世界が実現したとき僕はもう歌わなくなるだろう。これまで歌ってきたのは僕が生きたい世界を、理想を叫びたかったから。愛で溢れる世界になったとき、込み上げる愛を歌うのはレイちゃんや拓海でいい……。

 歌は、終わった。静かに手拍子がなる。アンコールだ。もう一度「LOVE & PEACE」を歌って欲しい、そんな声がそこかしこから聞こえる。

「……どうする?」
 振り返り、レイちゃんが問うた。

 ――もう一回歌えばいい。って言うか俺も、もう一回聴きたい。

 拓海の手話を読み取って、僕は大きく頷く。
「僕も同じ意見だ。今はつい聞き惚れてしまったからね。二回目はアレンジを加えることにするよ」

「分かったわ。じゃあ、『LOVE & PEACE』で」
 レイちゃんが向き直ったとき、ダグアウトからリオンとセナが歩み寄ってきた。

「アンコールに応えるんだろう? おれたちも演奏に参加させてくれないかな。最後の曲を一緒に盛り上げたいんだ」
 リオンはそういうなり、電子鍵盤キーボードの前に立った。

「アンコール曲にもよるけど、サザンクロスの曲はだいたい頭に入ってるからどれでもいけると思うんだ。だから、おねがーい。一緒に弾かせて!」
 セナも、顔の前で手を合わせてリオンの隣に立つ。

「ありがとう、二人とも。アンコール曲は『LOVE & PEACE』よ。……あ、そうだ。ユージンにも来てもらいましょう。彼のエレキはこの曲に合わないけど、あたしのアコギが空いてる。もし弾けるなら使ってもらって構わないと伝えて」

 レイちゃんの言葉を受けてリオンがすぐに走って伝言する。ユージンは戸惑いながらもアコギを片手にステージに上がった。

「麗華さんのアコギを弾かせてもらえるなんて感激っす。うまく出来るか分かんないけど、邪魔にならないよう頑張ります」

「オーケー。じゃあ、本当にこれで最後……。みんなで心を一つに……」
 六人で円陣を組み、団結する。レイちゃんはマイクを握り、一万人の聴衆をまんべんなく見渡しながらいう。

「ありがとう、みんな。アンコールにお応えして、もう一度『LOVE & PEACE』を歌います。今度はブラックボックスの三人も一緒よ。この、特別な夜をみんなで分かち合いましょう」

 拍手喝采の中、今度はピアノの音からスタートする。原曲とはまた違った雰囲氣。アレンジの方を引き立てるよう、ギターはつま弾く程度に鳴らす。

 と、隣から聞き覚えのある声が聞こえてくる。拓海の声だ……。

(もしかして、歌の力が働くときだけ声が出せるのか……?)

 その事実に氣付いた僕は驚愕した。いや、「三度目の奇跡を信じる」と言ったのは確かに僕だが、三度も起きたらそれはもはや奇跡などではない。歌の力は確かに存在し、何度でも効力を発揮する。拓海がそれを証明してくれた。

 彼を見つめていると、一緒にハモるっていったよな? と言わんばかりに視線を投げられる。うなずき、タイミングを見計らって僕自身も声を発する。

 歌の力に圧倒された僕は込み上げる涙を押し殺すことが出来なかった。いや、止める必要なんてない。これが、これこそが、魂の叫び。心が、むせび泣いている……。

 見れば拓海もレイちゃんも落涙していた。それぞれの想いを胸に、このエンディングを噛みしめているに違いない。

 ありがとう、サザンクロス!
 ありがとう、ブラックボックス!

 客席から聞こえてきたのは僕らに対する感謝の言葉。その声は次第に大きくなり、氣付けば会場中がお礼の言葉で溢れかえっていた。

「ああ……。これだよ、僕が望んでいた世界は。歌が人々の心を癒やしたんだ……」
 感極まる僕の横で、拓海とレイちゃんが頷く。

「俺の心もあったかいよ。なんつーか……生きてるって感じ。目を閉じれば、一人ひとりの想いに触れられそうな氣さえするよ……」

「拓海。その声を通してあなたの想いを聞くことが出来て、あたしは今とっても幸せよ……。これが永遠に続かないことは、直感的に分かる。だからこそ、今この瞬間を噛みしめていたい……」

「……大丈夫さ。俺の声はいつでも聴ける。お前らの歌の力さえあれば、きっと」
 拓海は小さく笑い、僕らの肩を抱いた。
「愛してるよ、麗華。これからもずっと。そして智篤。これからも一緒に歌おう。俺が生きてる限り、歌うのをやめるなんて言わせねえからな?」

「えっ……」
 さっき考えていたことを言い当てられ、動揺する。拓海は勝ち誇ったように笑った。

「世界征服はまだ終わっちゃいねえよ。それに今後、征服した世界で生きるならやっぱり愛の歌を作って歌わなきゃ。『LOVE & PEACE』、本当にいい曲だよ。こんな感じのをもっともっと作ってくれ。次は俺が歌うからさ」

「……分かった。なら次は、君と共に作る世界を歌詞にしよう」

「ああ、たの……」
 急に声が途切れた。彼は喉を押さえ、おしゃべりはまた今度な、と手話で表したのだった。


46.<麗華>

 数曲のアンコールにも応え、ライブは終了した。何もかもが夢のような一日。歌の力が、想いが、あたしたちを全力でサポートしてくれた。そう思わずにはいられなかった。

 ステージから降りると社長があたしたちを出迎えるように立っていた。目が合うと拍手を送られる。

「聴かせてもらったわ、麗華の魂の歌を」
 その表情は、あたしたちが歌う直前に見たものとはまるで違い、すがすがしささえ感じられた。

「素直に負けを認めるわ。……麗華たちの作る世界は優しいところね。愛にあふれてる。麗華が二人のもとに戻った理由が今、はっきりと分かったわ。愛する人のそばで歌えて麗華は幸せね」

 そういうなり彼女は目を伏せた。

「最初から、麗華の言葉には力があると分かっていたわ。言葉と魂が一致したとき、聴いた者の目を覚まさせる力があると言うことも……。今回のライブで見事にそれを成し遂げたあなたのことを尊敬する。私個人としてはね……。だけど社長としての私は、アーティストという商品を売る努力をしなければならない立場。業界のルール、つまりは権力者が思い描く世界を実現させなければならない私が、麗華たちのような人間を容認するわけにはいかなかったのよ……。どんなに実力があっても、業界のルールを無視する人間は一生、表舞台に出られないか、最悪の場合、消されてしまう……。従順な人間しか生き残れないのがこの世界、いいえ、この国なのよ……」

「それが息苦しいって言ってんだよ」
 智くんが突っかかると、社長は彼を睨み返した。

「この国ではなぜ生きづらいのか教えてあげる。自由がないからじゃない。多数派の放つ空氣、、が私たちを苦しめているの。そう、真の支配者は目に見えない『空氣』。権力者はそれを知っているからこそ多数派の意識をコントロールし、自分たちに目を向けさせないようにしてきたの。……だけど、それももう通用しなくなっているのでしょうね、これだけの人が集まったということは。私でさえ、あなたたちならきっとその空氣を変えられると思わずにはいられなかったもの」

「社長……」

「麗華のその歌声をもっと響かせなさい。そうすればこの国の空氣はきっと変わる。人々がそれを望んでいる以上、歌い続けるべきだわ」

「あたしの歌声を買って下さり嬉しく思います。ですが今日、自信を持って歌うことが出来たのはバンド仲間のみならず、あたしたちに協力してくれたすべての人のおかげです。幸い、天氣も味方になってくれました」

「そうね……」

 社長はそう言うと、ステージに置かれたままの電子鍵盤キーボードをポロンと鳴らした。

「一体、誰の仕業だったの? 電氣が復旧したアリーナの巨大スクリーンにこっちの様子が映るよう細工をしたのは? あの瞬間、中に残っていたわずかなファンでさえあなたたちに釘付けになったわ。負けを認めたのはその時。いくらで契約したのか知らないけれど、優秀なスパイを雇ったものね」

「え?」
 そんな細工が出来る人物など一人しかいない。あたしたちが視線を向けると、ショータさんは「一体何のことでしょうか?」としらばっくれた。社長は続ける。

「サザンクロスの歌詞をよくよく聴いてみて分かったわ。あれはあなたたちの魂の叫びであると同時に聴衆の想いでもある、それを代弁してやっているに過ぎないのだと。だからみんなあなたたちの歌を聴きたがるのだと。……ラストに『LOVE & PEACE』を持ってきたのはさすがね。あれで皆の心が一つになったのを肌で感じた。間近で聴けて良かった。素晴らしかったわ」

 ショータさんは大いに顔をニヤつかせたが、あれは自分のプロデュースだとひけらかすようなことはしなかった。

「……それで、リオンの処遇はどうなるのでしょう? 何万というファンがブラックボックスが解散していないと知ってしまっても尚、事務所に属していると言い張るつもりですか?」

 あたしが問うと社長は首を横に振った。

「リオンを含む新人を利用して聴衆をコントロールしようとした事務所の……いえ、ありのままに言えば権力者の計略は失敗に終わった。もちろん、あなたたちの悪あがきによって。これから次々と真実が明るみに出、不当な契約を交わされたアーティストは自由の身になるでしょう。当然ながら私は処分されると思うけど、あなたたちのライブを見届けた今となっては未練も後悔もない。今は、利潤を追求するあまり大きな声の言いなりになっていた自分を恥じている。リオンはもちろん、あなたたちにも酷いことをしたわね。本当に申し訳なかったわ」

「待ってくれ。今の口ぶりから察するに、僕らを潰しに来たのもリオンの引き抜きもあんたの考えじゃなかったってことか? まさか、この期に及んで言い逃れをするつもりじゃ……?」

「あなたが信じられないのも無理はないわ。でも、本当のことよ」
 社長は智くんの言葉を遮って言った。

「あなたたちが見ているのは氷山の一角に過ぎない。さっきも少し触れたけれど、この国は権力者の声が色濃く反映されているの。彼らは、未来のためと言いながら必要以上に金を搾取し、都合のいい情報だけを流し、恐怖を与え、洗脳し、あなたたちを従順なペットにしようとしている。メジャーのミュージシャンや俳優を、その世界で生きる権利と引き換えに利用して私腹を肥やしているの。こんなふうになってしまったのは、数年前に時の権力者が変わってから。今や、メディア業界は完全にコントロールされている。中から変えようという気概のある人間がいない以上、あなたたちのような荒くれ者にすべてを託すしかない……。それが、この国の実情よ」

「そこまでご存じなら、なぜ自らが先陣を切って内から変革しようとしなかったのです?」

「前にも言ったはずよ。私はこの業界で繋がりを持ちすぎたと。今回のライブも上からの圧力によるもの。社長といえども私は階層構造の下位にいる人間、言われたとおりにするしかなかったのよ」

 ――そうやって言い逃れるつもりかよ。これまで散々俺たちの邪魔をしてきたくせによ。
 拓海の手話を智くんが代弁すると、社長は彼らを睨み返した。

「綺麗事を並べるだけでは生き残れない。それがこの世というものだし、あなたたちがどう思おうが、私は私なりにそんな世界でもがきながら今日まで生きてきたことに誇りを持っているわ。とはいえ、ここ数年に限定すれば良心の呵責かしゃくもあった……。ずっと、何かが引っかかっていた、モヤモヤしていた……。そんなとき麗華に、かつてのバンド仲間のもとで活動したいと言われたもんだから、驚くより先に裏切られた氣分だったのよ。若いころからミュージシャンとして成功者であり続けたあなたは、私の理想の姿だったから」

「ミュージシャンになる夢を諦めたあんたとレイちゃんを一緒にしないで欲しいね」

「もちろん、一緒ではないわ。だけど、ピアノを弾く道を諦めずに模索していたら違う未来もあったのではないか、と思ったのは事実……」

「なら、今からでも弾けばいいじゃないですか」
 そう言ったのはリオンだった。社長は目を見開いた。

「とうに夢を捨てた私が……?」

「姉さんのことを羨んでたってことは、ピアノを弾く夢を諦めきれてなかったってことじゃないんですか? でも、今日のライブで目が覚めた。って言うか思い出したんでしょう? だったら、今からもう一度夢を見ればいいじゃないですか」

「リオンの考えに同意するよ」
 オーナーが話に加わる。
「ここでセナと連弾してみて思ったことがある。ピアノはいつ弾いても感動があるし、聴いた人にも感動を与えられるものなのだと。だからもし、今日のライブで何か感じるものがあったのだとしたら、自分のためにピアノを弾いてみたらいいと思う。どうせ何年も弾いていないんだろう?」

「…………」
 電子鍵盤キーボードを指し示された社長は恐る恐る椅子に座ると、ぎこちなく指を動かし始めた。しかしその動きは次第になめらかになり、数分後には勘を取り戻したかのように弾いていた。

「……若いころに作曲したのに、まだ覚えているものね」

「それは身体が夢を追っていた頃のことを忘れまいとしているからだ。……少なくとも私はそうだった。真面目に弾くのは何十年ぶりかだったが、不思議なことに勘を取り戻すことができた」

「夢……。いい年をしてそんなことを……と思っていたけれど、年寄りこそ夢を語るべきかもしれないわね。あなたを見ていたら私もちゃんとピアノを弾きたくなってしまったわ」

「……いいじゃねえか。もう充分利口に振る舞ったんだから、これからは自分の人生を生きればいい」

「それも悪くないかもね」
 会話を聞いて、やはり二人は、かつてはあたしたちのように夢を語る仲間だったのだと深く感じた。社長は今度はあたしたちに向かって言う。

「あなたたちがギターと歌だけでライブを成功させたのを見て、派手な音響や演出は集客と関係ないのだと悟ったわ。中身さえ良ければ、そして思いが強ければ余計なものはいらないのだと……。成功者になることが幸せなのだと教わり、その通りに生きてきた。事実、衣食住に困ることはなかった。けれど心はどこか満たされず、常に将来への漠然とした不安を抱いていた……。そんな私の不安をあなたたちの音楽が取り除いてくれたの。ここ数年、所属アーティストには人々を楽しませる歌を歌わせてきたけれど、改めて聞くとやっぱり昔のレイカの歌がいいわね」

「あ、レイカの歌と言えば事務所に帰属しているんじゃ……」
 慌てたあたしを見て社長は笑った。

「安心して。レイカの歌は麗華のものよ。私がそうなるよう、手続きしてあげる」

「え……?」

「あなたたちの音楽を聴いて決心がついたわ。私、社長の座を退く。今回の責任を取るという形で。そして新しい事業を始めるわ」

「新しいこと? いったい何を……?」

「内緒。でも音楽に関係することよ。この先もお互いに頑張りましょう。さて、そろそろお開きの時間じゃない? ステージを撤収して私たちも家路につきましょう」
 そう言った社長の目はキラキラと輝いていた。


47.<拓海>

 俺たちのライブは噂に噂を呼び、秋が深まるころには社会問題にまで発展していた。新手の宗教だと揶揄されもした。しかし批判的なことをいう人間の多くは、人々に嘘やねじ曲げた情報を流すことで金儲けしている連中。端から俺たちの話など通じない輩だった。しかしそういう人間がこの国を、もっと言えば世界を牛耳っているのは確かな事実。そいつらの考えを変えるか存在を消すかしない限り、真の平和は訪れないだろう。

 とはいえ、悪いことばかりではない。皮肉なことにそうやって取り上げられたが故に俺たちの名はライブを見聞きしなかった人にも知れ渡ることとなった。それがきっかけで興味を持ってファンになってくれる人もたくさん現れた。もっとテレビや音楽専門チャンネルで見聞きしたい。秋が終わる頃にはそんな声も聞こえるようになったが、俺たちは既存のメディアで活躍する氣は一切ない。これまで通りのスタンスでやっていく……。氣持ちを新たにしているところへ、麗華を通じて思わぬ話が飛び込んできた。

「社長が……あー今は元だけど、彼女から新会社を設立する準備が整ったと連絡をもらったの。何の会社だと思う? メジャーとインディーズの架け橋になるべく、その中間に位置する新しいタイプの会社を立ち上げたというの。で、その第一号アーティストにならないかって、あたしたちに声を掛けてきたんだけど、どう思う?」

「はぁっ?! あり得ないだろっ、そんな話! 却下だ、却下!」

 智篤は詳しい話も聞かないうちにそう言った。しかし麗華は最初からそのつもりで打ち明けたのだろう、動じずに説得を試みる。

「落ち着いて聞いて、智くん。彼女はあたしがメジャー時代に作った曲のすべてを自分の会社において守ると言ってくれてるの。つまり、そこに属せばサザンクロスの麗華として、シンガーソングライター・レイカの歌が何の縛りもなく歌えるってこと。それは今後の活動をするに当たってはメリットが大きいと思うの。あんな事があって辞めた彼女だけど、その考えに共感してくれる人は少なからずいるみたい。そういう人たちと力を合わせて、これまでとはまったく違うやり方で音楽を発信していきたいそうよ。……ちなみに、ブラックボックスにも声を掛けてて、あちらは前向きに検討しているって聞いたわ」

「えっ……! あいつらは乗り氣なのか?!」

「そのようね。やっぱり若い子は考え方が柔軟ね。それに比べて……」

「…………!」
 白い目で見られ、智篤は唇を噛みしめた。
「……拓海はどう思ってるんだ? 君の考えを聞きたい」
 自分では決断できないのか、あろうことか俺に意見を求めてきた。

 ――俺はいいと思うけど。
 手話で伝えると案の定、突っかかってくる。

「どの辺がいいってんだ? ちゃんと説明してくれよ」

 ――んー、麗華のやりたいことが出来そうだと思うのがひとつ。それから、俺たちの音楽をもっと広めるためにはやっぱり発信力が必要だ、ってところでその道に精通している人と手を組むのはありなんじゃねえかなってのが二つ目の理由だ。

「手を組むと言っても、相手は過去から現在に至るまで散々僕らを引っかき回してくれた人間だぞ?」

 ――お前が人間不信なのは分かる。あっちにされた仕打ちに憤りを感じるのも分かる。だけどさ……。麗華のことを赦せたんなら、あの人のことも赦してやろうよ。やりたくないこともやらなきゃいけない立場だったみたいだし。

「……どこかに属することで僕らの音楽が出来なくなるのはごめんだ」

「それなんだけど、彼女はあたしたちの自由にしていいと言ってくれてるわ。……嘘を言っていないという証拠は出せないけれど、この話をしてくれた彼女の口調は明らかに以前とは違っていた。丸くなったというか、吹っ切れたというか、柔らかい雰囲氣に変わってた。どうしても不信感が拭えないというなら直接話してみればいいわ。あちらは会いたがっているから」

「…………」
 反論も空しく、直接話せばいいと言われた智篤は黙り込んでしまった。


48.<智篤>

 確かに僕らの野望は道半ばだ。ライブはきっかけに過ぎず、現実世界はほんの少しの膿出しが行われただけで本質は何も変わっていない。そこに僕らが切り込むためにはもっと前に出なければならない。そんなことはこの僕だって分かっている。

 ただ、その協力者が数ヶ月前まで敵だった人、と言うのが納得いかない。僕らの歌を聴いて改心したと言いたいのだろうが、だからといって簡単に信用できるはずがない。

 ――なぁ、俺も一緒に行くからさ。とりあえず話だけでも聞いてみようぜ。決めるのはそのあとでもいいだろう? ほら、俺らのことをいけ好かねえ奴だと決めつけてたセナとリオンも、ちゃんと話したら認めてくれたように、膝を交えて話せばわかり合えるかもしれねえじゃん?

 拓海までもが僕を説得しにかかる。悔しいけれど、彼の言うことは正しい。僕はただ、過去の経験からその人を決めつけているに過ぎない。前に進むには、僕の記憶を更新する以外にない。

「……分かった。ただし会うのは一度だけだ。……あぁ、ブラックボックスにも同席してもらおうか。あいつらの考えも聞いた上で判断したい」
 僕から少しだけ前向きな発言が出たからか、二人は顔を見合わせて微笑んだのだった。

◇◇◇

 秋が過ぎ、急に冬めいてきた頃に僕らは会うこととなった。そこに集まった人間のうち、仏頂面をしているのは僕だけ。居心地の悪さを感じながら面談場所を訪れる。

 そこは既に完成を見た先方のオフィス。非常にこぢんまりとしているが、そこでは協力者と思われるスタッフが忙しそうに働いていた。そこの応接室に通される。席に着くと「新社長」が、相変わらずの派手な格好で現れた。

「わざわざ来てくれてありがとう。話したいと言ってくれて嬉しいわ。……あーら、そんなに怖い顔をしないで。お茶菓子でも食べながら楽しく話しましょう」

 その言葉が聞こえたかのように、スタッフの一人がかごに盛られた菓子とお茶を運んでくる。

「毒なんか入ってないから遠慮なく召し上がって」
 新社長はそう言って自らそれらに手を伸ばした。

「それで……。私のことが信用できないと言っているのはあなただったわね? 用心深いのはいいことよ。こういう世界だもの、簡単に信じないのが基本だと私も思う。もう過ぎたことだから水に流すと言ってあっさり受け容れるのも考え物よねぇ」

 思いがけない言葉に全員が動揺した。新社長はクスリと笑う。

「そんな用心深いあなたに提案なのだけど、まずはうちの会社から先日のライブのDVDを発売するというのはどうかしら? 観たかったけど時間が合わなかった人、あとから存在を知って今からでも観たいと思っている人のために映像を提供することが出来れば、あの日の感動をもっと多くの人と分かち合えると思うの。全国に私の顔が利く販促ルートがある。あなたたち単独では難しいことも、うちに所属することでそれが容易になる。あなたたちにとってもメリットが大きいと思うの。本格的にうちで活動するかどうかはDVDの売れ行きを見てから決めてもらって構わないわ。ただし、その前にブラックボックスが先に活動を開始して人氣を博しちゃうかもしれないけれどね」

「……ブラックボックスはもうOKしてるのか? あんな事があったのになぜそう簡単に赦せる?」

 新社長の話を受けてブラックボックスの三人に疑問を投げた。三人は顔を見合わせ、クスクスと笑った。

「実はこの話をもらった時にピアノの話題になったんだけど、めちゃくちゃ盛り上がっちゃってさ。その時の社長の目が子供みたいにキラキラしてて、ああ、この人本当はこんなにピュアなんだって思った。まぁ、兄さんたちと一緒だよ。音楽のこととなったら一日中でも語れちゃうような人に悪い人はいないよ」

 まずはリオンが経緯を話してくれた。すぐあとでユージンが「ともさんに一つ言いたいことがあるんっすけど」と続ける。

「確かにこだわりを持つことも大事だと思いますよ。だけどそれにしがみつくことで逃すチャンスもあると思うんっすよ。オレ、『シェイク!』に振りをつけて世に出してみて分かったんです。自分のこだわりを貫くだけじゃうまくいかないこともある、仲間の意見を取り入れる方が結果的にチャンスが広がることもあるって……」

「ユージン……」

「これはオレの勝手な提案だけど、なんだったら一緒にやりませんか。六人でオレたちの音楽を届け、理想の世界を作りませんか?」

「……六人で?!」
 思いも寄らない提案に動揺する。
「だけどそれじゃあギタリストが多すぎる。そんな偏ったバンドでうまくいくとは……」

「そう言うと思ってました。じゃあ、オレがドラムに転向するって言ったらどうです? 実はオレ、高校の時に少しだけやってたことがあって、六人でやるとなったらそれもありかなって思ってるんですよ。まぁ、練習は必須ですけどね……」

「おいおい、エレキを極めるんじゃなかったのかよ?」

「そりゃあ、今後もブラックボックスの三人でやってくならそれで合ってますけど、智さんがアコギにこだわるほどには楽器へのこだわり、ないんっすよ。オレはあくまでも心に響く音楽を奏でたいのであって、それが出来るなら楽器はなんでもいいんっすよね」

「……お前、柔軟すぎるだろ」

「あー、よく言われます。だけど、長子ってそういうもんじゃないですかね? 調和を取るためにとりあえず自分が折れる、みたいな。色々やるから器用貧乏なんですけどね。世界平和を目指すなら、妥協することも必要でしょう?」

 その言葉を聞いて、ユージンは僕よりずっと大人で、謎のこだわりを持っていた自分はうんと幼い子供のように思えた。

「……ここへ来て、よりによってユージンに口説かれることになろうとは。参った、完敗だ」

 僕は差し出されたユージンの手を取った。
「分かった。一緒にやろう。……考えてみたら、僕らの人生はもうとっくに折り返し地点を過ぎてるんだった。悩んで立ち止まったり、駄々をこねたりする暇はないんだよな……」

「心が決まったようね。もう一度聞くわ。私の話を受けてくれる?」
 新社長に問われ、頷く。

「言っておくが、あんたに心を許したわけじゃない。あくまでも僕らが成し遂げたいことを成すための手段としてあんたの手を借りるだけだ」

「もちろんそれで構わないわ。だけど、いつの日にか私に感謝する日が来るはずよ」

「それはどうかな……」
 曖昧に返事をした僕に社長が手を差し出す。

「一緒に世界をいい方に変えていきましょう。私たちで力を合わせれば必ず実現するわ」
 そっと握り返すと、仲間たちが次々手を乗せてきた。

「ありがとう。智くんならきっと分かってくれると思ってた」
 レイちゃんは優しく微笑み、その隣で拓海も満足そうに頷く。彼は空いている方の腕を僕の肩に掛けると、お前の歌声を世界中に響かせてくれ、と口を動かしたのだった。


――第二部・完――



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いろうた@「今、ここを生きる」を描く小説家
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