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【連載】チェスの神様 第二章 #5 ナイト
#5 ナイト
駅に着くと、エリーは昨日と同じ場所で空をぼんやり見あげ、立っていた。まるで心をどこかに置いてきたかのように、遠くを見ている。どう声を掛けたらいいものか一瞬ためらったが、これ以上長く待たせるのも悪いと思い、そっと声をかける。
「エリー。エリー」
目の前で手を振ると、目に生気が戻り、焦点があった。
「待たせてごめん」
「ううん、平気。こっちこそごめんね。朝早くに呼び出した上にサボらせて。なかなか来ないから、先生に叱られてるんじゃないかって思ってたとこ」
「先生って、いけこまに? まぁ、なんとなく当たってるけど、大したことないから心配ご無用」
「ほんとに……?」
「あのさ、エリー。呼びつけておいてサボらせたことを悔やむような発言はやめてほしいな」
「ごめん……」
「……とにかく、まだ早いからどこかで朝ご飯にでもしようよ。腹ペコなんだ」
「そうだよね……。この時間はスタバしか空いてないから、そこでいいかな?」
「座って食べれるならどこでも」
改札わきのスタバはこんな時間にもかかわらず、通勤前の社会人たちがレジに列をなしていた。テーブル席は空いていたので、それぞれ注文した後で一番奥の席に腰掛けた。
「食べながらでいいから聞いてくれる……?」
座ると、さっそくエリーが口を開いた。エリーの言葉に甘える形で僕はサンドイッチをほおばり、耳を傾ける。
「悠にも電話したんだ。でも出てくれなかったの」
鈴宮の名を聞いて、いやな気持ちになる。僕はすぐ口の中のサンドイッチをアイスコーヒーで流し込んだ。
「まぁ、朝の六時じゃねぇ。僕だって寝てたよ」
「でも電話に出てくれたし、こうして来てもくれたじゃない。恋人でもないのに」
そこまで言って突然、エリーがわっと泣き始めた。えっ、なんで?
「エ、エリー?」
何か悪いことを言ってしまっただろうか。それとも「恋人でもない」僕が来てはいけなかったのだろうか?
激しく泣きじゃくるエリーの顔はぐちゃぐちゃだったが、ぬぐう気配はない。無意識にポケットに手を突っ込むと、幸いなことにティッシュとハンカチが入っていた。おそらく兄貴が気を利かせてくれたのだろう。ありがたい。
「これ、使って」
「……ありがとう」
エリーはようやく鼻をかみ、涙を拭いた。出ていたものを拭い去った後の表情は、いくらかすっきりして見えた。
「泣くなんて、どうかしてるよね。別れたいって思ってるのに、来てくれないからって泣くなんて馬鹿よね」
「……やっぱり、僕じゃダメだった?」
「ううん、うれしいよ。アキに会えて。それにその服装……」
「ああ、これ? 兄貴の」
「だと思った。……私に会うために選んでくれたの?」
「選んだのは兄貴だけどね」
「似合ってる。とっても」
「あれ? 今日は『案外』って言わないんだ?」
「あはは、意地悪い言葉も思いつかないや」
「やけに素直じゃん」
「アキこそ、やけに格好つけちゃって」
「……昨日の出来事のせいかな」
「……そうだね」
エリーもまた、昨日の兄貴たちの影響を強く受けたらしい。パーティーに出る前と後でこんなにも考え方や行動が変化するとは、僕自身も想像していなかったけれど。
「私、幸せになれるかな?」
エリーはぽつりと言った。
「幸せになりたい。不純な気持ちで行ったパーティーだったけど、昨日の二人を見ていてあんなふうに――たくさんの人に祝福されて、それに満面の笑みで応えられるような人間に――なりたいって思ったの。そのためには今のままじゃダメだって気づいたわ」
「うん」
「……アキはさ、このごろ変わってきたよね。ずっと変わらないと思っていたのに」
「そう?」
「お兄さんたちが結婚して家に戻ってきてから、アキは変わった。何も考えてなかった人から、ずっと考え込んでる人になってる」
「エリーにまで何も考えてないって言われるとへこむなぁ」
残ったサンドイッチをほおばり、飲み下してから僕は話を続ける。
「同居が始まってからいろいろ考えるようになったのは確か。価値観の違う人間が二人も増えたからね。そりゃあ、これまで何も考えてこなかった僕だって、どうやったらうまく付き合っていけるかとか、口うるさい兄貴に何て言ってやろうかとか考えるけど、そこまで変わったつもりはないよ」
「ううん、私との接し方も変わったわ。まず、今日の服装が違う」
「あー、それは……」
答えに窮す。兄貴との会話同様、気の利いた回答が思いつかない。
「あんまりひどい服しかなかったからさ」
「それから、早起きは苦手っていつも言ってる人が、私の個人的な悩みのために朝早くから来てくれたことも」
「それも……友達だから」
「友達って……。普通はね、女友達のためにここまでする奴いないよ?」
エリーはあきれたように言った。そして、ふぅっと息を吐いてから、
「私、舞い上がってただけなんだろうな」
と言って視線を落とした。
「今まで誰にも『好き』だなんて言われたことなかったから。……親から愛情もらえなかったから愛に飢えてたっていうか。悠に告白されて、すごくうれしかったの。あぁ、やさしくしてあげたらこんなにハッピーなことが起きるんだ! しかも、学年一のイケメンって言われてる鈴宮悠斗! 一緒にいるだけで、周りの女の子が羨ましがってるのが分かったから、しばらくの間は優越に浸ってたわ」
「エリーがそんなふうに思ってたなんて、ちょっとショックだなぁ」
「……アキはきっと、こんな私が嫌いでしょうね」
エリーはあっさり認めた。
鈴宮が前の彼女と別れた時、慰めてあげたのがきっかけで付き合うことになったという話は、以前聞いたことがあった。美人やかわいい子が好みと公言していた彼だが、次の彼女にエリーを選ぶとはだれも予想していなかったから、一時大ニュースになったほどだ。
「でもね……」
エリーは続ける。
「結局、愛し方も愛され方もわからなかった。自然にわかるものだと思っていたけど、違うのね。……自分をさらけ出せば、受け入れられたのかな。でも、どうしてもできなくて。この体に自信がないの。そのうえ、本当のことを知るのも怖いから、ずっと何もしてこなかった。
そのうちに……悠のどこが好きなのかもわからなくなっちゃった。考えれば考えるほど、こんな自分に嫌気がさした。好きだって言ってくれる人を受け入れられない自分も、変われない自分も」
「変わるのは怖いよ。僕もチェス以外の世界で生きてく勇気が持てなくて、目の前のチェスに没頭していた。でも……やっぱり変わらなきゃって、思い始めてる」
「私も同じ。『一生このままなの?』って思ったらものすごく惨めな気持ちになった。……そう、変わり始めてるアキを見て、アキならきっと、私の背中を押してくれる。そんな気がして。ごめんね、男のアキに、女の体のことで助けを求めたりして」
「ううん。エリーの体のことはずっと前から聞いていたし、心配もしていたんだ。病院に行くって聞いて、正直ほっとしてる」
「ホント? 実はね、待っている間にずっと思ってたの。やっぱり同性に相談すべきだったかなって。お世辞でもそう言ってくれたら気が楽になるわ」
「お世辞なんかじゃないよ……」
エリーは僕を頼っていながらも迷惑をかけていると思っている。それがすごく嫌だった。
もっと素直に頼ってほしい。
そんな気持ちが沸き上がる。でも、それを言葉にするにはどうしたらいいだろうか。ありふれた言葉じゃ伝わらない。もっと、僕らしい言葉で伝えなきゃだめだ。
僕らしい言葉……。それなら、これしかない。僕は少し前のめりになって言う。
「……エリー。仲間同士、助け合うのがチェスだよね? チェスではクイーンだけが女性だけど、クイーンがピンチの時はナイトが犠牲になっても守る。僕らの関係も同じじゃないかな?」
「ふふふ……! あっははは……!」
真面目に言ったつもりなのに笑われる。いや、笑ってくれたのだからいいのか? エリーは笑いながら謝罪する。
「ごめん……。アキがナイトかぁって思ったら、笑いがこみあげてきちゃって……」
「そんなに変なこと言ったかなぁ?」
「ううん、変じゃなくってね、すごくアキらしい台詞だなぁって思って。クイーンを守るナイトかぁ。ふふふふ……」
「だからさ、何で笑うの」
エリーはしばらくの間、おそらくは僕の台詞を思い出して笑っていた。
ようやく笑いが引いた頃、エリーはすっかり氷の解けたアイスティーを一口飲んだ。
「ねぇ、アキ。もう一度聞くけど、一緒に病院に行ってくれる?」
「うん」
「そうしたらきっと、変な目で見られると思うけど、それでもいいの?」
「今更気にしないよ。慣れてるから」
「そっか……」
「っていうかさ、変な目で見られたくないのは、エリーのほうでしょ?」
僕は何度目ともわからない問いに、少々うんざりし始めていた。
「エリーは人の目を気にしすぎだ。隣を歩く人は鈴宮みたいにかっこいい人がいい、恋人でもない異性と病院に行ったら子供を堕ろしに来ただらしないカップルに見られるかもしれない……」
「私はそこまで……」
「思ってるよ! 口に出さなくてもわかる」
つい、口調が荒くなる。こんなふうに言ったのははじめてだが、僕は思いの丈を一気にぶちまける。
「でもさ、それって全部エリーの妄想じゃない? 誰もがみんな、エリーを見てそんなふうに思ってなんかいないし、下手すると、見てすらいないことだってあると思う」
「妄想……」
「ごめん。僕は語彙力ないから遠回しに言えないけど、エリーはもっと、ありのままの自分を出してもいいと思う」
「ありのままって……?」
「さっきみたいに、ぐちゃぐちゃの顔になるまで泣いたりすること……かな」
「えー? 忘れてよぉ……」
エリーは恥ずかしそうに顔を覆った。
「もっとさ、自信を持ちなよ、エリー。自分の悪いところばっかり見ないでさ、いいところを見ようよ。……鈴宮もきっと、エリーのいいところを見つけて好きになったんだと思うしさ」
「アキ……」
なぜ、嫌いなはずの鈴宮を持ち上げるようなことを言ったのか分からなかった。でもこの際、そんなことはどうでもよかった。エリーにはもっと、自分自身のいいところを認めてほしかった。
「ありがとう。やっぱり、アキと一緒に行きたい。ううん、アキじゃなきゃダメ。……どうか、お願いします」
エリーは顔を赤らめ、深々と頭を下げた。
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