![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33491729/rectangle_large_type_2_03231247687ce03d1b9e11e7da923261.jpeg?width=1200)
【連載小説】「好きが言えない 2」#12 降板
4回裏
一発を浴びたダメージが、彼から自信を奪ってしまった。野上は決して失投したわけじゃない。ただ大津クンの技が勝っていただけのこと。それでも、打たれた事実に変わりはない。
タイムを取った部長の声が私の耳にも届く。
「ずいぶんひどい顔をしているじゃないか。厳しいことを言うようだけど、ここですぐに冷静さを取り戻せなければ、再び安打を許すことになるよ」
「はい。分かってます……」
「今の君は緊張しているせいか、普段の力の半分も出せていないようだ」
「…………」
「もし降りるというなら、ゲームはここでおわりにしよう。あいにく、交代要員はいないのだからね」
「……もう少しだけ、頑張らせてください」
野上の、震えるような声がかすかに聞こえた。
「分かった。君の意思を尊重しよう。ただし、無理はするな」
「はい……」
気を取り直していこう。部長のかけ声に、私もみんなも応える。
しかし肝心の野上は、なかなか気持ちを切り替えることが出来なかった。続くバッターにも次々とヒットを許し、結局もう一人、ランナーをホームに返してしまった。運良く打ち損じてくれたバッターからようやくアウトを取り、チェンジになったときにはかなりの疲労が見て取れた。
野上の落ち込みようと言ったらなかった。その表情はチームの士気を一気に下げた。部長が何か話しているようだが、はっきりとは聞こえない。いや、聞いてはいけないような気がして意識的に注意をそちらには向けなかった。
二回裏。四番から始まるこちらの攻撃は、相変わらず祐輔の好投に抑え込まれていいところがない。五番バッターも凡打に終わり、ツーアウトになったところで私はバッターボックスに向かった。
奇しくも祐輔と同じ六番。しかし私に祐輔の球が打てるだろうか。
こんなふうに互いにユニフォーム姿で、ピッチャーとバッターという形で向き合うのは実に新鮮であった。
彼は余裕の表情を浮かべている。野上の狼狽ぶりを見た後だからそう感じるのだろうか。
違う。祐輔はずっとこうだった。私の知る彼はいつも、自信に満ちた顔でマウンド上にいた。そんな彼だからこそ惹かれたのだ。
「今日の本郷センパイ、かっこいいでしょ。春山センパイにいいとこ見せるって張り切ってますよ」
キャッチャーの大津クンがささやいてきた。祐輔に見とれていたのを見られてしまったのだろうか。それともこれは、彼らバッテリーの陽動作戦か?
いずれにしてもこの場で心を動かされている場合じゃない。私は私の仕事をしないと。
バットを握りしめ祐輔の球が来るのを待つ。
祐輔が小さくうなずく。次の瞬間、球が一気に目の前に迫る。バットを出しかけたが、そのときには球はすでにミットの中。完全に振り遅れていた。
私の予想を遙かに超える速球。これが今の祐輔の実力……。
やるじゃないの、祐輔。
全く手が出なかったというのに、私は祐輔の投球に喜んでいた。
そうよ、祐輔。この球よ。これでこそこっちも攻略のしがいがあるというものよ。
胸の内で密かに喜ぶ私とは対照的に、祐輔はバッターを打ち取ろうとする鋭い目でこちらを見ていた。恐怖すら感じる。
結局、祐輔の完璧なピッチングに手も足も出ず、三球とも見逃しの三振に終わった。
相手が祐輔だったからって、この結果は正直恥ずかしかった。彼はこんなにも素晴らしい球を投げるまでに復活を遂げてるというのに、私ときたら、彼を揺さぶるだけ揺さぶってちっとも打てない。自分の力不足を痛感する。
肩を落としてベンチに戻る。次の回に投げるはずの野上は、私が戻ってくるのを待つかのように立ち尽くしていた。
何か言わなければ、と思うのに声にならなかった。私も、そんな彼をただ見つめることしか出来なかった。
とても長い時間に感じられたが、程なくして彼は意を決したように一度だけうなずき、部長の前へ歩み寄った。
「部長。己の実力を思い知らされました。いい経験になりました。これ以上、チームに迷惑をかけないためにも、おれはここで降板します」
「潔くて結構。ゲームはまだ始まったばかりだが、ピッチャーの君が自ら身を引くと決めたならこれまでにしよう。残りの時間はこのゲームについての反省会に当てればいい」
部長はそういうなり、決定事項を素早く全体に伝えた。
皆が部室に集まる中、私の胸は苦しさで押しつぶされそうになっていた。野上の、憔悴しきった顔が脳裏に焼き付いて離れないせいだ。
私のわがままを喜んで聞き入れ朝練に付き合ってくれた彼に対し、私は「得点」という形で恩返しが出来なかった。もっと出来たはず、と思う気持ちと、やはり自分はここまでか、という悔しさとが入り交じっていた。
胸の中で渦巻く思いを、私は破ったノートに書いた。ただ一言、「ごめんなさい」と。それが、私に出来るたった一つの行動だった。
中身を読んだ彼はしばらく文字を眺めていた。そして小さくうなずくと「気にすんな。大丈夫だから」と言った。
「……気にかけてくれるだけでもおれは嬉しいよ。春山のそういうとこが、おれは好きだ」
「野上……」
「さぁ、ミーティングが始まるぞ。今日の失敗を繰り返さないためにも、メモだ、メモ!」
彼は私から目をそらし、持ってもいないメモ帳を探し出そうとバッグの中に手を突っ込んだ。私は彼の心中を察してもう一枚ノートを破り、手渡した。
いいなと思ったら応援しよう!
![いろうた@「今、ここを生きる」を描く小説家](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/71432728/profile_6ef19f3083a160a6153878f347684fbf.jpg?width=600&crop=1:1,smart)