【連載小説】「さくら、舞う」 #4 生演奏を聴きながら……
前回のお話:
7.<ユージン>
年始の音楽イベントにいくつか出演し、久しぶりにゆうび奏社を訪れたオレたちは、早速社長に、新年会で話題になった「さくらさんの絵を次のアルバムのジャケットに」という提案をすることにした。社長を説得するためさくらさんにも同席を依頼し、自信作の絵をいくつか持参してもらっている。
「新曲も発表していないのに、もうアルバムの話? 随分と氣が早いのねぇ。まぁ、話を進めておくのは構わないけれど、そんな暇があるなら曲作りをしなさいと言いたいわね」
応接室のソファに腰掛けた社長は、煙草を吹かしながら言った。もっともな指摘に誰もが言葉を失う。なぜなら、社長自らが既にピアニストとして自社からアルバムを出しているからだ。
「……もちろん、曲作りはします。ですが……。あたしのこだわりが強いというのもあるでしょうが、これまでの経験からアルバムのジャケット決めが最も時間を要します。曲のイメージに応えてくれるデザイナーやイラストレーターを探すのが大変だと言うことは社長もご存じでしょう? 今回はそれを見越して先に絵を決めたい、という話です」
一番付き合いの長い麗華さんが説得を始める。そしてさくらさんに持参した絵を見せるよう指示する。さくらさんはオドオドしながら、二十センチ四方の額に収められた絵を三枚、テーブル上に並べた。
いずれもどこかの風景を描いたもののようだ。それはまるで写真のように精密で、非の打ち所のない美しさだった。しかし社長の反応はイマイチだ。
「……こういう絵をジャケットにしたいと望んでいるの? だったら写真でいいと思うけど。それに、あなたたちのイメージとも違うわね」
「…………」
バッサリと切り捨てられ、さくらさんは完全に頭を垂れた。すかさず麗華さんがフォローする。
「彼女は……子供の頃から絵ばっかり描いてきたような子です。頼めばきっと、どんな絵でも描いてくれるはず。あたしは伯母として彼女を応援したいんです」
「麗華。姪っ子に肩入れする氣持ちは分かるわ。でもね、それだけじゃうまくいかないのがこの世の中よ。……その子のことは一切知らないけれど、長年いろいろな子を採用してきた私に言わせれば、姪っ子ちゃんは絵で成功していないわね? 私の前で自信なさげに座っている子が、麗華の助力で今回絵を表に出したところで後が続くとは思えない。他を当たった方が賢明よ」
「……社長の言ってることは正しいとおれも思う」
リオンが擁護するように言った。
「おい。お前はどっちの味方なんだよ!」
「そうは言うけどさ、兄ちゃん。おれ、ちょっとだけメジャーの世界を覗いてきて分かったことがあるんだよ。それは、プロの世界ってのは、なんだかんだ言って根性がないと生き残れない場所だってこと。少なくとも、おれ含む社長のお眼鏡に適った新人アーティストの中にさくらさんのような人は一人もいなかった。みんな、自分の歌や楽器、ダンスの技術に自信があったし、ライバルを蹴落としてでも生き残ってやるって奴ばっかりだった。そのレースから降りちゃったおれがとやかく言う資格はないのかもしれないけど、こういう場で堂々としていられない人に、自社のアーティストが出すアルバムの顔を任せるのはどうかな、っておれが社長の立場だったら思うね」
現在、ゆうび奏社の社長である西森有理沙氏は当時、メジャー界でも上位に位置する音楽事務所、ハイスカイ・ミュージックのトップだった。彼女が自分たちの言いなりにならないサザンクロスを潰すため、彼らと親しくしていたブラックボックスからリオンだけを引き抜いて仲違いさせようとしたのは今から半年ほど前のことだ。あとから聞いた話では、社長自身も上からの指示で仕方なくそのような行動に出たとのことだが、そんなことは知るよしもないオレたちは一時、本当にリオンを恨んだし、下手をすれば解散していた可能性すらあったのだった。
そんなリオンが、メジャー界のことを知っているかのような口ぶりで話したので腹が立った。
「自分だって利用されてたってのに、よくもそんなことが言えるな。麗華さんのように、さくらさんの実力を信じてあげられないのか、お前は」
「いや……。信じるも何も、さくらさんの絵をそもそもそんなに知らないし……」
「だったら……。だったら今ここで……オレらの音楽を聴いて湧いてきたイメージを絵にしてもらえばいい。そうしたらお前だって納得するだろう?」
「ちょっと、ユージンさん……!! それって、ライブペイントってことですよね? だめですよ、そんなの。だって、一度もしたことないんですよ?」
さくらさんが動揺した。しかしオレは引かない。
「そうは言うけど、この前オレらの似顔絵を描いてくれた時がまさに『ライブペイント』って奴じゃないんですか? あれを見て全員がさくらさんの絵を評価した。だったら同じ状況下で一枚描いてもらうのが一番ですよ」
「…………」
「名案だわ、ユージン。さくらちゃん、それ、やってみなさいよ。社長を説得するにはそれしかないわ」
「……でも、ここには紙も絵の具もないですよ」
「今からでも用意したらいいじゃないか。確か近くに画材店があったはず」
智さんも話に乗ってきた。
「……そうやって言い訳するな。何のためにここまで来たんだ? 自分を売り込むためだろう? 一度断られたくらいで怖じ氣づくな」
小声で言ったのは、先日、智さんがオレに対して言ったのと同じものだった。
「そうだよ、さくらさん。もしやる氣が湧いてこないのなら、一杯引っかけてから描いたっていいじゃん? 何なら、アタシも付き合うよ?」
セナの提案はあまりにもぶっ飛んでいたが、さくらさんのような人が人前で自己表現するならそのくらいのカンフル剤が必要かもしれない。
「まさか、酔っ払った状態で絵を披露しようというの……?」
社長は手のひらを天に向けたが、少しして考えが変わったのか、呆れたように笑った。
「……つかみ所がないところがあなたたちらしいわね。ほんっと、やりづらいったらありゃしない。だけど、ゆうび奏社はそんなあなたたちのための会社。私も、これまでの常識を捨てなければいけないと言うことなのかもしれないわね」
分かったわ、と言って社長は煙草を灰皿に押し当ててもみ消し、立ち上がった。
「事務の子と一緒に画材屋に行って、必要な材料を買ってきなさい。お金は我が社が負担するわ。その代わり、私を満足させてちょうだい。いいわね?」
8.<さくら>
さて、困ったことになった。話をもらってから二週間あまり。その間はやってやるぞ、という氣持ちで一杯だったのだが、ゆうび奏社の社長に面と向かってあんなことを言われては、そのやる氣も萎むというものだ。
なのに、私を推してくれた彼らは落ち込む時間を与えてはくれなかった。逃げ道すら塞いできた。
(社長の台詞じゃないけど、お酒を飲んでパフォーマンスをするなんて正氣じゃないでしょ、どう考えても……。)
しかし、しらふの私が社長の注目を浴びながら下書き無しで描けるとは思えなかった。絶対に緊張で手が震えるし、胃も痛くなってまともに立つことすら難しいだろう。このチャンスを活かすには、私の内側のストッパーを外す――つまり、理性を麻痺させる――しかない。三十二歳にもなれば、嫌でも分かる。
そうこうしている間に画材店に到着し、必要なものを買い物カゴに入れるよう指示される。もはや、買わないという選択肢はない。
絵を描く時に必要な最低限のアイテムをピックアップしていく。それをみんなで手分けして持ち帰る。
「事務所の一つ上、最上階が音楽スタジオになってるの。社長が、ピアノを弾く時は美しい夜景を見ながらがいい、って特別に作ったスタジオでね……。音響も素晴らしくてあたしも氣に入ってるの。ここでだったら、さくらちゃんもいい絵が描けるんじゃないかな」
そのスタジオに向かうエレベーターの中で麗華ちゃんが言った。最上階に着き、エレベーターのドアが開く。
「わぁ……!」
そこは、何かのドラマで見たような全面ガラス張りのフロアだった。そこに、ピアノやギター、ドラム、電子鍵盤が置かれている。今は昼だから眼前に見えるのは夜景ではないが、いい眺めであることに変わりはない。
「ね? すごくいいでしょう?」
麗華ちゃんは自慢げに言った直後になぜか、持っていた缶チューハイを渡してきた。
「あたしたちは演奏の準備をするから、さくらちゃんはその間に、これでも飲みながら絵を描く準備を進めておいて」
「飲みながらって……」
緊張を取るためには飲んだ方がいいのは分かってる。しかし、実際にこうしてお酒を手渡されると常識的な頭が働いてしまい、プルタブを開ける氣になれなかった。
とりあえず、描く準備を始める。私が普段使うのは水彩絵の具。水彩紙を水張りし、乾いてから作業に入るため少し時間がかかる。乾き待ちの間、どんなふうに描こうかと思考を巡らす。先日の飲み会で感じたサザンクロスとブラックボックスのカラーはまったく相容れない。聴かせてもらう曲にもよるだろうが、真反対とも言えるイメージカラーをどのように組み合わせるべきか……。
「ねぇ、ねぇ、さくらさん。どの曲がいい? 好きなのをいくつかチョイスして欲しいんだけどさ」
腕を組んで悩んでいるところへセナちゃんがやってきた。その手には既に蓋の開いた缶チューハイが握られている。
「あれ? まだ飲んでないの? ほら、開けちゃいなよー。アタシと一緒に飲もうよー」
セナちゃんは私が飲まずに置いておいた缶チューハイのプルタブを勝手に開け、渡してきた。
「それじゃ、カンパーイ!」
「…………」
乾杯までさせられてはもう飲まないわけにはいかなかった。
(……えいっ、もうどうにでもなれっ!)
私は半分ほどを一氣に飲み下した。十秒も経たないうちに頭がクラクラし始める。
「……あれっ、この前のと感じが違う……?」
「あー、だってこれ、アルコール度数が八パーセントだもの。この間飲んだやつの倍、入ってるから酔うんだよねー」
「えっ、そうなの……??」
そうとも知らず、呷るように飲んでしまった私の頭はもう使い物にならなくなっている。
「麗華ちゃんにやられた……!」
少し離れたところで既に準備を終えている彼女が吹き出したのがわかった。しかし、アルコールを摂取したあとでは何を言っても手遅れ。そして三十を過ぎてもお酒の飲み方すら知らない自分を恥じた。
「で、改めて聞くけど、どの曲にする?」
セナちゃんに再度問われ、やけっぱちの私は「この間の球場ライブで歌った曲全部!」と答えた。
「だってさ、レイさまー。いける?」
「もちろんよ。休みなく歌って一時間くらいかな? 全曲歌い終わる頃にはきっと立派な絵が描き上がっているでしょう。そうよね、さくらちゃん?」
早速筆を持った私はうんうん、と頷いた。
「じゃあ、氣合い入れていくわよー。まずはこの曲から。マイライフ!」
かけ声と同時に、サザン×BBバージョンにアレンジされたピアノの前奏が始まった。
*
特別に作られたと言うだけのことはある。ひとたび演奏が始まると、そこはまるでコンサートホールのように音が響き渡った。
(今、ここにいる観客は私だけ……。なんて贅沢なんだろう……。)
思わずうっとりしてしまうが、今は目の前の真っ白な紙を彩ることを考えなければ。
(ううん、考えるんじゃない。感じるのよ……。)
そもそも、アルコールのせいで思考能力は低下しているし、こういうのは考えて出てくるものでもない。
目を閉じ、彼らの音楽に集中する。「マイライフ」を歌う麗華ちゃんの声は実にはつらつとしていて楽しそうだ。バックで流れるギターや電子鍵盤の音も弾んで聞こえる。
全員が楽しんでいる、そのエネルギーを感じた時、パッと明るいピンク色が目に浮かんだ。彼らは風にそよぐ花。その上には澄みきったブルーの空と温かいオレンジ色の太陽。
(優しい色合いはサザンクロスのイメージ……。)
すぐに筆を濡らし、絵の具を取る。いつもなら丁寧に筆を動かすが今日は大胆に、画面一杯に色を広げる。
一曲終わるたび、間髪を入れずに始まる曲のおかげでイメージが次々湧いてくる。ブラックボックスの演奏から感じるのは力強さ。それを表現するためスパッタリングで絵の具を散らしたり、ドライブラシで荒々しい線を描いたりしてみる。
そうやって無我夢中で描いているうち、彼らがライブで披露した曲も残りわずかとなっていた。全体を見渡し、あと少しだけ色を足そうかと思っていた時、優しいピアノ曲が耳に届く。
(これは、「グレートワールド」……。)
双子のセナちゃんとリオンくんが織りなすピアノの音。ライブで初めて聴いた時よりもこうして間近で聴いている今の方が断然心に響く。
頭の中がすっきりとし始めた時、絵のタイトルが降りてくる。そう、彼らの音楽から感じるのはまさに「グレートワールド」。混沌とした社会の中にあっても自分たちの色を失わない。むしろ、自分たちのカラーで染めていこうとさえする。サザン×BBの音楽に感化された人たちで作る世界はきっと素晴らしいものになるだろう。
ピアノ曲が終わり、最後の「サンライズ」を聴きながら絵の隅にサインを入れた。そして演奏終了と同時に拍手を送る。
「最高! 本当に素晴らしかったです!」
「それはよかった。で、そっちの絵はどう?」
麗華ちゃんはギターを下ろし、すぐにこちらへやってきた。他のみんなも絵の周りに集まって来る。私は恥ずかしさを感じながら絵の前に立った。
「ど、どうでしょうか……? 皆さんの歌や演奏からこんなふうにイメージしたのですが……」
どんな感想が飛んでくるか……。ドキドキしながら待っていると、部屋の隅から拍手と共に誰かが近づいてきた。
『ショータさん!!』
麗華ちゃんたちが一斉に男性の名を呼んだ。どうやら知り合いらしい。室内にもかかわらずサングラスをかけたままのショータさんは、サングラスをずらしたかと思うと私の絵にぐっと顔を寄せ、にやりと笑った。
「一部始終を拝見していました。西森社長から聞きましたよ、ユージンの発案だと。若いブラックボックスとバンドを組んだのはやはり正解でしたね。とても面白い実験でした」
直後、ショータさんの背後から、今話題に上った社長がすっと現れた。
「しゃ、社長……。もしかしてずっとこちらの様子を……?」
私の問いに社長は頷く。
「ライブペイントでしょう? 当然、最初から最後まで見るわよ。……確かに、さっき見せてもらった絵よりもずっとこっちの方が活き活きしているわね。遠慮がなくていいわ。ショータはどう思う?」
「面白いと思います。採用でいいでしょう」
「名プロデューサーがそう言っているわ。さくらさん、だったかしら? 画家としてのあなたの才能を認めるわ。麗華たちの頼み通り、次のアルバムのジャケットはあなたが描きなさい。……そうねぇ、この絵もどこかで使えるかもしれないから取っておくといいわ」
「…………! あ、ありがとうございます!!」
私は何度も何度も頭を下げた。
*
階下に降りるエレベーターに画材を乗せる手伝いをしてくれたのはサザンクロスの男性陣。絵を評価してもらった私がホッとするのは当然だが、演奏を終えた彼らの表情も穏やかだ。
「あのショータに認めさせるなんて、やるじゃん。って拓海が言ってるよ」
通訳の智篤さんが声を発した。
「僕らでも、あいつを一発で説き伏せるのはなかなか難しいぜ?」
「あのー……。ショータさんとはどのような繋がりがあるんですか?」
「あいつには、ライブたびにプロデュースを依頼してきた。この前の球場ライブが大成功に終わったのもあいつのおかげなんだ。まさか、フリーのプロデューサーだったあいつが、敵対したハイスカイ・ミュージックの元社長の下で働く日が来るとは思いもしなかったがな」
「自分はただ、今後も兄さんたちの手伝いがしたいだけですよ」
いつの間にきたのか、ショータさんが「開」ボタンの押されたエレベーターのドアの脇に立っていた。
「それに、ゆうび奏社に属しているのは兄さんたちも一緒でしょう? メジャーなんかクソくらえだ、って言ってたはずなのに」
「……まぁ、長く生きてりゃ考え方が変わることもあるさ」
智篤さんの言葉を聞いた拓海さんとショータさんはクスクスと笑った。
「……とはいえ、成功しないと判断した場合は容赦なく切り捨てるのが自分のやり方です。今日のようなクオリティー、もしくはそれ以上のレベルで描けなくなったらすぐに去ってもらいます。それだけはご承知置きを」
笑顔が一点、真顔でそんなことを言われたのでこちらも表情を失う。
「……氣負う必要はないさ。次に描く時も一杯引っかけときゃなんとかなるだろ、だそうだ。拓海が、うちのリーダーがそう言ってんだから大丈夫さ」
智篤さんの通訳の後で拓海さんは大きく頷き、右手を差し出した。顔を見ながらその手を取ると、『一緒に頑張ろうぜ』と口が動いた氣がした。
「は、はい……。頑張ります……!」
返事をすると、拓海さんは嬉しそうに微笑んだ。
続きはこちら(第2章#1)から読めます
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