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【連載小説】「愛のカタチ」#8 斗和の想い

前回のお話(#7)はこちら
注文できていなかったエプロンをどうやって用意するか。その話し合いの場で、斗和が鶴見を糾弾し始める。その様子を見ていられなくなった凜は、手芸部にエプロンを作ってもらってはどうかと提案し、鶴見にも協力してほしいと打診する。擁護された鶴見は少しずつ心を開き、自分は完璧であろうと努力してきた人間なのだと告白する。しかし凜との対話の中で自分も自己主張してもいいのだと気づき、凜や周囲にも理解を示せるようになる。

斗和

 17年の人生で、こんなにも怒りの感情を引きずったことはなかった。姉、凜、鶴見……。どの女の発言もおれの神経を逆撫でるものに感じられ、思い出してはイライラがこみ上げてくるのだった。

 実際には、おれがそう感じているだけで、彼女らは普段と何ら変わらないに違いない。問題はたぶんおれ側にある。そうと分かっていても、この怒りは簡単に収まりそうになかった。

 おれは橋本を呼び出した。一人ではどうにも感情のコントロールが難しかった。彼は夏休みの夜にもかかわらず二つ返事で家の前までやってきた。

「深刻な声で電話なんかしてきて。どうしたん?」

「ランニングに付き合ってくれ。それでもダメならバッティング。それでもダメならウサギ跳び。それでもダメなら……」

「ちょ、ちょっと待った! ダメなら、ダメなら……って。そんなに頭を空っぽにしたいの、高野は」

「ああ、何も考えたくない」

 とにかく、走るぞ。おれはすぐにでも思考を停止したくて走り出した。

「珍しいなあ、高野でも考え事で頭がいっぱいになること、あるんだな」

 ランニングを始めると、案の定、橋本が話し始めた。一人でいたら余計なことを考えてしまうが、会話する相手がいれば、聞かれたことに答えればいいので思考が飛躍しすぎることはない。特に相手が橋本なら安心だ。

 走りながら、何も考えずに返答する。

「軽い気持ちで受けた文化祭実行委員だけど、とりまとめ役ってのはやっぱり重責あるよなあ。おれ、実は向いてなかったかも。と言うのも、気持ちがれてるやつの扱いが分からなくてさ」

「ああ、なんとなく見えてきたぞ?」

 さすがは頭の切れる橋本。すぐにおれの考えを理解したようだ。

「高野は気負いすぎだよ、うん。野球やってる時みたいにさ、楽しんでやったら何でも上手くいくと思うけどなあ。今の高野は、正直に言うと怖い。おれから見てもそう思うんだ、高野が『目の敵にしてる相手』はもっとそう感じてると思うよ」

 指摘されてドキリとする。自分の「怖い」顔を想像し、ぞっとする。そんな顔で睨まれたら、確かに誰でも心を閉ざすに違いない。

「やっぱ、おれらしくなかったよなあ、あの対応は。どうしたんだろう、おれ自身も分からないよ」

「うーん、高野はたぶん、相手に期待しすぎてたんじゃないかな。あの人ならこのくらいやってくれるはず。あるいはこう返事をくれるはず、って。なのに、思った通りにしてくれなかった。だから、いらついてる」

「そうかもしれない……。なあ、橋本だったらどうする?」

「おれだったら? そうだなあ……」

 橋本は少しの間空を見上げていたが、

「とにかく自然体でいることかな。中庸って言うか、真ん中に立つ。そこから俯瞰してみると、自分がどうすればいいか、何をしなくていいかが見えてくるんだ。

今回の場合で言うと、高野は明らかに自分が楽しむことを忘れてる。だからいったん、真ん中に戻ってみることをおすすめするね。そうすれば自ずと次の行動も決まってくるはずだよ」

「真ん中に立つ……」

 言われてみれば確かにおれは、凜の思い出作りのために文化祭実行委員に立候補している。だからこそ、絶対に成功させなきゃいけないと意気込んでいたし、そこには自分やほかの人たちと楽しむ気持ちはなかった。鶴見の反発や失敗も取り返しのつかない出来事であるかのようにさえ感じていた。 

「結果にこだわりすぎてたのか、おれは」

 凜を喜ばせたいあまり、盲目的になっていたことに気づく。本来のおれは、凜と一緒にいれば満足できちゃうような、今が楽しけりゃいいじゃんって頭の人間なのに。

 もちろん、計画通りに行けば嬉しい。けど、今回みたいなトラブルが起きることもある。そこで腹を立てるのではなく、トラブル自体も楽しむ余裕がおれには必要だったのだ。それも含めて文化祭。それも含めて凜との思い出になる、と。

 とたんに、いらついてたこと自体が馬鹿らしく思えた。委員の仕事をしていた時も、姉の話を聞いていた時も凜は目の前にいた。なのに、おれときたら、違うところにエネルギーを割いていたんだからどうしようもない。

 どうやらおれは、自分の思う相手のイメージに固執しすぎていたようだ。

 鶴見は頭がいい。だからおれの意見にも賛同してくれるだろうし、頼んだ仕事も問題なくこなしてくれるだろう、と。

 また、姉ならおれと接する時みたいにダイ兄や家庭のことを大切にするはずだ、と。

 でも、おれが見ているのは彼女らの一面に過ぎなかったと今なら分かる。それはおれも同じで、互いにすべてを見せ合うことも理解することも出来ない。

 おれに出来るのは歩み寄ることだけなのかな、なんて思う。自分から一歩譲ることが出来れば、相手が行動を変えるきっかけになるかもしれないし、そうなったらお互いに嬉しい気持ちになれるんじゃないかな……。だったらもう、おれが次に取るべき行動は決まったようなもんだ。

 おれは走る足を止めた。橋本も止まる。

「おっ、ランニングはおしまい? もしかして、次はバッティング?」

「いいや、もういい。橋本が話聞いてくれたお陰ですっきりした」

「そりゃあ良かった。一緒に走った甲斐があるよ」

「急な呼び出しにもかかわらず、サンキューな。お礼に今度、橋本の好きな菓子焼くよ」

「マジで? めっちゃ嬉しいなあ! そんなことならもう一周してカロリー消費しとこうかな、なんつって」

 橋本は冗談を言い、たるんだ腹をつまんだ。

「高野。おれ、いつでも走るの付き合うから、遠慮すんなよ?」

 橋本の気遣いが妙に嬉しかった。

 数日後から始まる新学期には、スパイスを効かせたクッキーを持って行ってやろう。自転車に乗って帰宅するその背中に向かってそんなことを思った。

   🍀🍪🍀🍪🍀

 この瞬間を味わうために生きているんじゃないか。クッキー生地をこねている時も焼いている時も、おれはいつだってそう思う。加えて今日は、あんなに気を揉んだエプロンの完成品が何枚か手元に届き、それを着ながらの作業だったから余計にそう感じている。

 みんなで考えた、どんな男子が着ても格好よく見えるエプロンは実際、橋本みたいな肉付きのいい男が着てもよく似合って見えた。互いに褒め合い、照れながらも、それを着てクッキーを作っていくのは楽しかった。

 そして何よりも気分を良くしてくれた出来事は、鶴見が終始笑顔で準備を手伝ってくれたことだ。何があったかは知らないが、凜や手芸部の女子たちと打ち解けたらしく、一緒に行動するさまは新鮮だった。

 今この瞬間を思い切り楽しんでいると、ちょっと前まで悩んでいたことなんてすっかり忘れている。そして後で思い出しても、その出来事はもはやどうでもよくなっているから不思議だ。

 試作品のクッキーが焼き上がった。みんなで一口ずつ試食をする。

 この前食べたのと同じ味! やっぱ旨いわあ! 焼き加減もいいね!

 試食班(?!)が次々に高評価をする。褒められたくてやってるわけじゃないけど、おいしいと言ってもらえるのはやっぱり嬉しい。焼き上がったクッキーが冷めたら、次は数個ずつ袋詰めしていく。

 これまで幾度となく焼き、食べてもらったか分からないが、たとえ百円でも販売するのはこれが初めて。自分の手から生まれたものを誰かが買ってくれると思うだけで感慨深かった。

(パティシエ、本気で目指しちゃおうかな……)

 あんまりいい気分だったから、ついそんなことを思う。

 いつか自分の店を持つ。そして隣に凜がいる……。

 ああ、考えただけでニヤニヤしてしまう。

 少し先にいる凜に目をやる。いつの間にか、女子の輪の中に溶け込んでいる凜の姿が新鮮だった。凜にもようやく友だちと呼べる存在が出来たのだと思うとおれも嬉しい。だけどなぜだろう、ちょっぴり寂しさも感じてしまうのは。

 おれの手の届かないところへ行ってしまうんじゃないか。このままおれは忘れられてしまうんじゃないか。不安にも似た気持ちが渦巻き始める。

 それが証拠に、凜は女子だけじゃなく男子とも笑顔で会話をしている。広い世界に一歩出てみれば、自分を受け容れてくれる人間がたくさんいたことに気づいたのだ、きっと。

 今度は急に焦る気持ちが湧いてきた。今すぐにでも凜の気持ちを確かめたい衝動にさえ駆られる。

 ダメだ。告白するタイミングはもう、文化祭を成功させた後って決めてるんだ。

 今まで見つめるだけで良かったはずなのに、おれはもう凜に想いを伝えなければ気が済まなくなってる。姉ちゃんのせいだ、姉ちゃんさえ余計なことを言ってこなければ、おれはいつまでも遠くから見ているだけで幸せを感じられていたはずなのに……。

(頼むぜ、凜。文化祭まであと3日。それまで、誰かに心を奪われるんじゃねえぞ……)

 微笑みを絶やさない凜のそばで、おれは祈ることしか出来なかった。

続きはこちら(#9)から

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