【連載小説】「愛の歌を君に」#4 殻を破る者、殻に籠もる者
前回のお話:
10.<麗華>
年の瀬に古い友人と会った。三十年ぶりの対面。彼はいわゆる「仕事の鬼」で長らく孤高の人だったが、再会した彼は「家族」と呼びあう人に囲まれており、終始笑顔。もう、あたしの知る人物ではなくなっていた。
彼の、「鬼」と呼ばれるほどの冷え切った心を温め、感情を取り戻させたのは若い夫婦とその家族。彼に最も近い人物たちでさえ成し得なかったことをいとも簡単に成してしまった若夫婦たちは一見、どこにでもいる普通の家族だった。しかし言葉を交わし、信念を聞いてみて分かった。常識に囚われていないからこそ、彼を変えることが出来たのだと。
歌うことで多くの人を、彼を支えてきたつもりだった。しかし歌の力だけでは彼を笑顔に出来なかったという現実があたしを打ちのめした。ありのままを受け容れなければと思えば思うほど嫉妬心に駆られ、そう感じてしまう自分に絶望した。にこやかに対応しようと努めれば努めるほど胸が押しつぶされ、また遠い人になってしまった彼に近づけば近づくほど空しくなった。
「また会いたいわ」
思ってもいないことを口走り、営業用の笑顔を作って別れたが、背を向けた瞬間にどっと疲れを感じた。直後、駅に向かったあたしはその足で拓海に会いにいった。
*
もともと今晩はライブハウスで歌う仕事が入っているから、時間が来れば彼には会える。しかしその前に、今すぐ話したかった。
先日拓海がしたように、あたしも連絡せずに部屋を訪ねた。中途半端な時間だし、出かけている可能性はあったが、幸いにも彼は在宅していた。しかし、いきなりあたしがやってきたせいか、彼は何度も目を瞬かせていた。
「このあとすぐに会えるってのに。一時間も待てなかったのか?」
「…………」
そうよ、と言いかけたが恥ずかしさが先に立ち、言葉を飲み込んでしまった。結局何も言わなかったのに、拓海は嬉しそうに微笑むと部屋に通してくれた。
「来ると分かってたら片付けたんだけど。散らかってるのは大目に見てくれよな」
拓海はそう言いながら床に散乱する衣類を回収し、部屋の隅に放った。
立ち尽くしていると「座ってくれよ」と言って普段使っているであろう座椅子を提供してくれた。
「ありがとう。でも、ちょっと話したいだけだから」
「ちょっと? いきなり訪ねてきたってのに?」
訝る拓海に顔を覗かれ、思わず目を逸らす。締め付けられるような痛みを感じて胸を抑えると「ほら、座っとけよ」と無理やり座らされた。
「午前中は用事があるって聞いてたけど、もしかしてそれのせいか?」
目の前に腰を下ろした拓海にズバリ言い当てられたあたしは観念するように頷き、ことの詳細と今の心情を語った。一通りの話を聞いた拓海は「ふーむ……」と言って腕を組んだ。
「その男って確か、若い頃、お前が氣に掛けてた人物だったよな?」
「そう、コウちゃん。……って、ちゃん付けするような年齢でもないけどね」
「ああ、そんな名前だった。で、そいつと久々に再会したらもう、心配どころかこっちが羨むような存在になっててショックを受けてる、と」
「ショックってわけじゃ……」
「何言ってんだか。顔にそう書いてあるよ」
拓海は「ったく……」と言って大袈裟にため息を吐いた。
「ショックを受けた理由を教えてやろう。それはお前が歌の力を過大評価しているからだ。万能薬みたいに思ってる。だから自分の望む結果が得られなくてがっかりしてるんだ」
「そ、そんなこと思って……!」
「いんや、思ってる。だからここへ来たんだろ?」
「…………」
「たぶんお前は、自分が特別だからプロデビュー出来たと、心のどこかで思いながら生きてきたんだと思う。だけど昔の友人の変貌ぶりを目の当たりにし、歌の力の限界を知ったお前は困惑してる。俺にはそう見えるよ」
「…………」
「お前の氣持ち、分かるよ。喉の病氣になってみて、俺には歌うことしか出来ないのにそれが出来なくなったらただのオッサンじゃん、ってマジで思うもん」
それを聞いてコウちゃんが言っていた言葉がよみがえる。彼は、自分が若夫婦に心を開けたのは「何者でもない自分を受け容れてくれたからだ」と言った。プロの歌手であらねばと言い聞かせてきたあたしにとって、それは思いも寄らない発言であり、受け容れがたいものだった。
おそらくあたしは「歌手・レイカ」の仮面を外すことが怖いのだ。「歌手・レイカ」には力があるが、「ただの麗華」には何の力もない。そう思い込んでいるから、素の状態で活き活きとしているコウちゃんを直視できなかったのだ。
若夫婦との交流を続ければ、あたしも彼らに感化されて一皮むけるに違いない。でも、分かっているからこそ怖い。だから拓海の部屋に駆け込んだ……。
(そりゃそうよ。丸裸にされて怖くない人間なんていない……)
あたしは再び自分の力の無さを感じてため息を吐いた。
「ひどい話よね。『何者にならなくてもいい』って歌ってるくせに、それを歌うあたし自身がそれを怖がってるなんて」
「それがいわゆる、『神』に書かされた歌詞なんだとしたら、それはお前自身へのメッセージなのかもな……」
「あたしへのメッセージ……」
「お前はどうしたいんだ? 打ちのめされてもなお歌の力を信じる? それとも、そんなものはなかったと観念して、幸せそうに見えた友人のような生き方を目指す?」
問われて数秒、考えた後に答える。
「……あたしは歌手よ。あたしには歌しかない」
「なら、迷うことなんてないじゃん」
「……拓海はどうなのよ?」
「俺は迷ってないよ。だから麗華に接近したし、こうして一緒に活動してる。俺にだって歌しかないから」
即答した拓海が格好良く見えた。
そんな彼は、何かを思いついたのかニヤニヤしながら言う。
「なぁ、麗華。迷いがあるなら一つ、試してみないか?」
「試すって?」
「今日のライブでウイングの曲を歌うんだ」
「え? サザンクロスのライブなのに? なぜ?」
「殻を破れってことだよ。多分お前が歌の力を信じられないのは、これまで歌ってきたのがお前の内側から生まれた歌詞じゃないからだと俺は思う。だから魂の歌を歌えば――つまりは俺たちの歌を歌えば――、お前の中で何かが変わるんじゃねえかと」
「でも、あんたたちの歌を歌って変わるものかしら?」
「だから、お試しだよ」
「自信があるってわけ?」
「んーまぁ、それもあるかな。お前、耳はいい方だろ? 何回か聞けば覚えられるだろ?」
「覚えるのは簡単だけど……」
あたしを恨みながら書いたという歌詞をあたしが歌う……。拓海は善意から言ってくれているのだろうが、これも運命なのかと思うと笑えてくる。しかし直後に、そうすることが智くんを救うことに繋がるならやるべきではないか、という考えが浮かぶ。
智くんはあたしにこう言った。サザンクロスの再結成に同意したのは、自分たちの味わった苦しみをあたしにも味わわせるためだ、と。それが彼の望みなのだと。
彼を救うためなら何でもすると約束したのはあたしだ。今までと同じことをしていたのではきっと、あたし自身も変われない。仲間だって救えない。
ここ数ヶ月模索していた方法がついに見つかった。覚悟が、決まった。
「いいわ。あんたたちの想いが一番詰まってる曲を提供して。それを歌う」
「言ったな? それならやっぱ『オールド&ニューワールド』かな。サザンクロスの再結成宣言をしたライブのあとに智篤が口ずさんだやつ。たぶん、あいつの想いが一番こもってるのはこの曲だと思う」
「あの曲ね……」
あの日はいろいろなことがいっぺんに起きたのでよく覚えている。サビの部分を口ずさむと拓海は「さすがだな……」と言ってうなずいた。
「歌う曲を変更したら智くん、驚くかな?」
「ま、驚かせてやろうぜ。あいつにもカンフル剤は必要だ」
拓海は言ってにやりと笑った。
11.<拓海>
この場に智篤がいたらきっと、ほくそ笑んだことだろう。やっぱりお前の歌に人の心を変える力などなかったのだ、と言って。
だが麗華はそんなことで終わる女じゃなかった。これまでのやり方に限界を感じ、俺たちの「魂の歌」を歌うと決意した。そこに俺は麗華のプロ魂を見た。もちろんそういう信念があればこそ、ここまでやってこれたのだろうが、一度聴いただけの曲を覚えている点も含め、さすがはプロだ、と言わざるを得なかった。
俺たちと麗華の違いが柔軟性の有無だとすれば、こだわりの強い俺たちはやはりメジャーで活動するのには向いてないんだろう。メジャーの世界は大衆に受けるか受けないか、またスポンサーの意向に添えるかどうかが最重要だと聞く。麗華の過去の活動は追っていないから分からないが、おそらく多岐にわたって仕事を受けてきたはずだ。サザンクロスとして活動を開始し始めた頃の麗華の忙しさを思い返してみても俺の推測は外れてないと思う。
最近になって氣付いたことがある。それは世の中に溢れる音楽、とりわけテレビやラジオ、店内で流れる曲の歌詞があまりにも薄っぺらいことだ。自分が病氣になったことやサザンクロスの再結成を機に自分と向き合う時間が出来たことで、今までは聞こうともしてこなかった音楽に注意が向くようになったのは皮肉な話だが、そのとき俺は本氣で思ったのだ。メジャーの世界に足を突っ込まなくてよかったと。
本来歌うって行為は、身体の内側から湧き上がる想いを表現したものであったはずだ。そこには魂の歓びや悲しみ、怒りが歌われていたはずだ。だけど残念なことに、今や歌も「ビジネスの一ツール」と化してしまっている。
少なくとも俺と智篤は生活のために歌ってるわけじゃない。湧いてくる想い、伝えたい言葉があり、それを曲に乗せて歌ってるという自覚がある。智篤が麗華の歌詞を――良いことしか言っていないように聞こえる歌詞を――受け容れられない理由の一つにはそういうところもあるだろう。
どちらかが優れていて、どちらかが劣っているなどと言うつもりはない。ただ、バンドを再結成した以上、違う世界に属してきた俺たちがわかり合うためには、どちらかが考えを変え、歩み寄る必要があるとは思っていた。そんな折、麗華がその役を買って出てくれた。
最大の動機は自分自身のためかもしれない。だが、麗華の行動がひいてはサザンクロスの結束を高め、また仲間の智篤の心に平穏を取り戻すためにもなると俺は信じている。
*
それから程なくして二人で部屋を出、ライブハウスに行った。智篤はすでに到着しており、談笑する俺らの姿を見て眉をひそめた。
「まるで恋人みたいだ」
「俺たち? どの辺が?」
「すぐそこでばったり出くわしたようには思えない雰囲氣と二人の距離感、かな」
「勘のいいやつだ。ああ、そうだよ。麗華が部屋にやってきたからここまで一緒に来た。だけど、それだけのことだ」
「へぇ……」
智篤は俺らを信用していない様子だった。俺は不快に感じているであろう智篤に先ほど二人で決めたことを話す。
「ああ、そうそう。今日の一発目の曲だけど、『マイライフ』から『オールド&ニューワールド』に差し替えたいんだ。文句は受け付けない。これはリーダー命令だ。よろしく」
「……今日はウイングのライブじゃないだろ? なぜその曲を歌うことに?」
「ま、いろいろあってな」
「いろいろって……。そもそも急な変更でレイちゃん、歌えるの?」
「大丈夫。さっき拓海に歌ってもらって頭にたたき込んだから」
「だけど、『オールド&ニューワールド』だよ? 恨みがましく歌ってもらわなきゃ困るんだけど」
「あたしだって、やるときゃやるわよ」
眼力を飛ばした麗華を智篤は睨むように見つめ返した。
「なるほど。よく分からないが、何かしら心情の変化があったようだね。ならばこっちもそのつもりでやるよ。レイちゃんがどんなふうに歌い上げるのか、楽しみにしてるよ」
12.<智篤>
二人の間で何が話し合われたのか、僕には分からない。が、すでに決まっていた曲を変えてでも「オールド&ニューワールド」を歌いたいというからにはきっと、相応の想いがあるのだろう。
(プロの本領を発揮する、とでも言いたいんだろうか。まぁ、いい。今年最後のライブだ、思う存分歌って弾いて憂さを晴らしてやる。)
――ほう、ずいぶんやる氣があるじゃないか。
最後の調律に取りかかると早速、内なる僕が話しかけてきた。ちょっとばかり氣分が良かったので応じる。
(そりゃあ、「マイライフ」より「オールド&ニューワールド」の方がずっといいからな。)
――彼女が歌っても?
(問題はそこだな。あの澄んだ声でどこまで歌えるのか……)
――ワクワクしているように感じるんだけど?
(ワクワク? ……そうだな、レイちゃんに恥をかかせられるかもしれないという意味では、ワクワクしてるね。)
――素直じゃないね、相変わらず。
(僕が素直だったことがあるか?)
――……まぁ、いいさ。またライブのあとにでも感想を聞こう。
内なる僕はこの状況を楽しむかのように鼻で笑い、消え去った。
*
いよいよライブの時間が始まる。僕らは三番目の出演だが、一つ前は最近出てきた若い子らで構成された人氣バンド。大いに盛り上がっているのをステージ脇で感じながら心地よい緊張を味わう。
彼らを注視していると拓海に声を掛けられる。
「怖い顔してるぜ。もっと肩の力を抜けよ」
「何言ってんだか。僕は出演を心待ちにしてるだけだよ。何しろ、一曲目はお氣に入りの『オールド&ニューワールド』だからね」
「俺たち以外の人間が歌うのは初めてだな」
「ああ」
「俺は麗華の歌に期待してる。きっと最高の夜になるって信じてる」
「…………」
「……さぁ、そろそろ出番だ。いつも通り頼むぜ」
拓海は僕の肩を叩き、今度はレイちゃんに歩み寄っていった。
(僕だって期待してるさ、彼女の失態をな……。)
少し離れたところに立つ二人の姿を遠巻きに眺めながら心の中で毒づいた。
*
前のバンドがステージを降りた。最高潮に盛り上がる観客席。その、歓声が響き渡るステージ上に飛び込む。マイクを握った拓海がかすれた声でアナウンスする。
「今日はサザンクロスとしての出演だけど、一発目はウイング時代の曲でいくぜっ! これまでの俺たちの終わりと新しい俺たちの始まりにふさわしいこの曲『オールド&ニューワールド』!」
出演時間の都合上、ギターを持ち替える時間がないため、本来はエレキギターで弾くところをアコギで弾く。これは初めての試みだった。
拓海が最初のリズムを刻むのを待つ。しかし聞こえてきたのはいつもよりゆっくりとしたリズムだった。思わず拓海を睨む。が、彼は「このリズムに、麗華に合わせろ」と言わんばかりに顎で前方のレイちゃんを指した。
(ここでも『リーダー命令』、か……。)
ステージ上でごねるつもりはない。急な変更でも対応できなければミュージシャンは名乗れない。僕は拓海の刻んだリズムに合わせてギターを弾き始めた。それに安心したのか、レイちゃんは僕らをそれぞれ見て頷いたあとで歌い始める。
#
嘘がホントでホントが嘘で
なにが真実? 悪こそが正義の世界さ
ピュアハートでは生きてけない
黒く染まったもん勝ちで
ホントの俺はもういない
いちゃいけねぇんだ、old world
つまんねえ人生にツバを吐け
つまんねえ世界を終わらせろ
ホントの俺がいる、new world
自由の風が吹いたなら
善も悪もない すべてが one world……
#
(なんなんだ、これは……。)
のっけから鳥肌が立った。やさしい音色のアコギに持ち替えたせいもあるだろう。だけど、それにしたってこれが「オールド&ニューワールド」……? これじゃまるで……まるで癒やしの曲だ……。
困惑しているうちに二番が始まる。
#
それが夢の中だけならばと
現在はなんて 残酷非道な世の中だ……
スピリット 叫び続けてる
黒と白の、狭間でずっと
ホントの俺は見つからない……!
逃げ出せねぇんだ、no world……!
つまんねえ人生に問いかけろ
つまんねえまんま終わるのか?
探したいんだ、my world
自分の道を進んだら
善も悪も超え すべてを change the world……!!
#
所々彼女のアレンジが加わったことで、これはもう僕の歌ではなくなってしまった。
(まさか、本氣を出した彼女がここまですごいとは……。)
僕は彼女を見くびっていた。いや、見下さなければ自分が保てなかったというのが本音だ。僕の自信作であるこの曲を、まるで自分の持ち歌のように高らかに歌い上げてしまった彼女を、これ以上さげすむことが出来なかった。
観客たちも僕同様、彼女の歌声に聴き入り、まさに古い僕ら「ウイング」の終わりと新しい僕ら「サザンクロス」の始まりを実感している様子だった。
今日、用意している曲はあと二つある。拓海が間を置かずに次の曲の出だしを弾き、ライブは途切れることなく続いていく。僕の指は勝手に弦を押さえ演奏するが、心は最後の曲が終わるまでここではないどこかへ行ったきりだった。
「集まってくれたみんな、今日はありがとう! 良いお年を! そしてハッピーニューイヤー!」
拓海が締めくくりの挨拶をすると、ライブハウスが揺れるほどの声援が響く。僕らはその声を浴びながらステージを降りた。
*
「ふーっ、サイコーッ!」
拓海は満面の笑みを浮かべながらギターを肩から降ろした。
「ウイングのライブでもこんなに氣持ちよかったことはないよ。今日はホントに特別、いい氣分だ。二人とも、ありがとう!」
差し出された手を、僕は自然と握っていた。そして彼の目を見つめた。僕の言わんとすることが分かったのか、拓海は深くうなずいた。
そこにレイちゃんも加わり、手が重なる。
「ほんと、今日の一体感はすごかったわ。鳥肌立っちゃったもん。今でもぞわぞわしてるくらい。悩みだって吹き飛んじゃったわ」
「そうだね」と言いかけて、すんでの所で言葉を飲み込む。そして、もう少しで手放しそうだった「恨みの氣持ち」を慌てて掴み直す。
――馬鹿だな、君は。あとちょっとで自由になれたのに……。
内なる僕が呆れるように言うのを無視する。
言われなくても分かってることを、ましてや「自分」に言われたくはなかった。そう。僕は、純粋な幼子が、集めたお菓子の包み紙を「宝物」と称して手放さないでいるようなことを未だにやっている。つまり、時が経てば自然と手放せるもの、この場合は「レイちゃんを恨み続ける行為」そのものに執着している。本当は、分かってる。
現在の彼女が尊敬に値する歌手だと言うことは認めよう。これはもう、素直に脱帽する。だけど、過去の彼女を赦すかどうかは別の話だ。
「智くんの感想を聞かせてよ。あたし、聞きたい」
たったいま尊敬の念を抱いた歌手「レイカ」から僕へ、問いが投げられた。挑戦的にも哀れんでいるようにも見える目を見つめて僕は言葉を選びながら答える。
「レイちゃんのアレンジには正直、驚いた。だけど、メチャクチャ良かった。本当だよ。見てよ。僕だって未だに鳥肌が立ってる。お客さんの反応もすごかったし、ライブのことを思い出したら興奮して今夜は眠れないだろうな」
「実を言うと、勝手にアレンジしちゃって大丈夫だったかなって心配してたんだ。でも、そう言ってもらえて良かった」
「あれは……反則だよ。僕の歌が君の歌になってしまった」
「……怒ってる? 正直に答えて」
「んー、怒りは感じてない。どちらかと言えば嫉妬、かな。うん、僕は君の才能に嫉妬してる」
「智篤……」
心配そうに僕を見る拓海に「大丈夫」と言い置いて続ける。
「レイちゃんの中で何かが死に、何かが生まれた……。だからあんなふうに歌えたんだと思ってる。……何があったかは聞かないことにする。だけど、『オールド&ニューワールド』は僕の……ウイングの曲だ。君が歌うのは今日限りにしてもらいたい」
「……分かったわ。でも一つだけ、お願い事がある」
「何かな?」
「智くんや拓海の歌詞の書き方を参考にさせて欲しいの。……あたし、今後は歌詞の書き方を改める。天の神様からメッセージをもらうのではなく、自分の内側の素直な想いを歌詞にする。多分、それが今のあたしには必要なことだから」
「…………」
「そうか。麗華は智篤の『魂の歌』に心打たれたか……。作戦大成功、だな」
「作戦……?」
「あ、いや、こっちの話」
「拓海、隠すのはやめましょ。このことはやっぱり智くんにも知っておいてもらいたいから」
「えっ、だけど、いいのか?」
「仲間内で隠し事は無しよ」
レイちゃんはそう言って深呼吸をし、ゆっくりと話し出す。
「智くんと拓海がそうであるように、あたしも智くんとは仲間以上の関係に、『家族』になりたいって思ってる。だから年が明けたら……明日になったらいっぱい喧嘩しよう。お互いに本当の自分を見せ合おう」
「なるほど、そうきたか」
事情を知っているらしい拓海はすぐに言葉の裏側の意味を理解したようだ。しかし、何も知らない僕にはちんぷんかんぷんだ。
「家族……? 本当の自分を見せ合う……? 一体何の話だ?」
「これまでのあたしのままじゃ、智くんどころかもう誰も救えないことに氣付いたの。あたしはこれまでずっと『レイカ』の仮面をつけて生きてきた。逆に言えば、本当のあたしはずっと仮面の下で本音を押し殺しながら生きてきたことになる……」
「つまり?」
「いい顔をして生きるのはもうやめる、ってこと。智くんの書いた歌詞をなぞりながら歌ってみて、これはあたしの心の叫びでもあるんじゃないかと思ってね。もしそうなのだとしたら、あたしは心の、魂の声に耳を傾ける必要がある。そして、そうするためには二人と本音で語り合い、それを歌詞にするのが一番だと結論づけた、ってわけ」
「なるほど。ライブの前に拓海としていたのはそういう話か。だから『マイライフ』を『オールド&ニューワールド』に変更し、歌い、いまの心境に至ると。……だけど、何十年もつけてきた仮面を、新年を機に外せるものだろうか?」
「あたしはやると決めたらやる女よ。これまでずっとそうやって生きてきたわ」
まっすぐに見つめる目からは言葉通りの信念を感じた。しかし僕は素直じゃないし、彼女に対しては未だ強い不信感がある。その目を睨みながら毒づく。
「そこまで言うなら教えてくれよ。どんなふうに『家族ごっこ』をするつもりなのかを。それ以前に『家族』でいいの? 『恋愛ごっこ』の間違いじゃなくて?」
「恋愛だと関係が近すぎるし、男一、女一になっちゃうじゃない。あたしは『つまんねえ世界を終わらせ』て、三人で一つの『ニューワールド』を築きたいのよ」
ここであえて『オールド&ニューワールド』の歌詞を出してきた彼女の言葉選びに思わず唸る。
――いい提案じゃないか。乗ってみようよ。
心の声がはしゃぐように言った。
(だけど、簡単には応じられない。何か絶対、裏がある……)
――彼女が嘘を言っているとでも? いつまで心を閉ざしているつもりだ?
(相変わらずうるさいやつだ……。僕のことは放っておいてくれ……)
突き放すと、胸がきゅーっと痛んだ。心の声は鼻で笑う。
――そうもいかないんだよ。このまま心を閉ざされたんじゃ、こっちの命も危ないんでね。君が彼女の申し入れを頑なに拒むつもりなら、こっちもいよいよ本氣を出さなきゃいけない。
(何だよ、本氣って……)
身構える間もなく急に呼吸が苦しくなった。めまいがし、ギターを支えに膝をつく。
「おい、大丈夫か……ってお前、どうしたんだよ……?」
手を出しかけた拓海だったが、目を見開いたかと思うとその手を引っ込めてしまった。レイちゃんも同様に驚き、拓海と僕を交互に見ている。
「拓海にも同じように見えるの……?」
「それじゃあ麗華にも……? 一体どうなってんだ……。俺たちの目がイカれちまったのか、それとも本当に……」
どうやら二人は僕を見て動揺しているらしい。どうなってんだ、と言いたいのはこっちの方だ。僕は倒れそうになりながらも、なんとか立ち上がる。と、出演待ちのアーティスト向けに用意された全身鏡が目に入った。そこに映っているのは僕のはずだが、どうも様子がおかしい……。
「何だよ、これ……」
直視してみて驚愕した。丸まった背中に白髪頭、そして顔には深く刻まれたシワまで……。これが本当に僕の姿……? 狼狽していると、心の声が大笑いをした。
――どうだ、これで僕の力が分かったかな? 君は、肉体を持たない僕を馬鹿にしたが、精力を吸い、老化させるなんてたやすいことなんだよ。
(……彼女の提案を呑めばいいのか? そうすれば元の身体に戻してくれるのか?)
――おやおや? 君らしくない発言だね。さすがに堪えたのかな?
(いいから答えろ……!)
――そうだよ、君の言うとおり。彼女の提案に従った方が身のためだ。文字通りね。
(ちっ……。分かったよ、彼女の言うとおりにする。だから早く元の僕に戻してくれ……)
胸の苦しさを押して懇願する。
――その言葉を待ってたよ。
心の声が勝ち誇ったように言うと、胸の苦しさと全身のだるさが瞬時に消えた。そして鏡に映った姿も数分前の僕に戻っていた。
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※見出し画像は、生成AIで作成したものを一部修正して使用しています。
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