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【連載小説】「好きが言えない」#3 すれ違い

# 3


「詩乃、詩乃! おーい、詩乃!」
 三度呼ばれて、ようやく我に返った。祐輔が呼んでいた。
「何ぼんやりしてんだよ。委員会、行くぞ」
「委員会?」
「おい、どんだけ腑抜けてんだ。おれら、体育委員だろ!」
「……あ、そうか」
 部活をやめて二週間。ホームルームのあとはすぐ帰宅する習慣がつきつつあった。
 二学期の委員決めで、私と祐輔は引き続き体育委員を務めることになった。こういうのは、運動部の人が適任という暗黙のルールがある。もう野球部を辞めていたが、クラスの女子の中でも一番運動神経のいい私は、満場一致で体育委員に推薦されたのだった。
「最近、ぼんやりしすぎだろ。ちゃんと寝てんのか?」
 委員会に向かう途中、祐輔が私の顔を覗き込むようにして言った。
「寝てるわよ」
「それにしちゃあ、いつでも上の空じゃねぇか」
「女子には悩み事が多いのよ」
「はぁ……。女子ねぇ……。なぁ、詩乃」
 祐輔はちょっと間をおいてから、言いにくそうに切り出した。
「……野球、嫌いになったのか? なんか、うまく言えないけど……。みんな、詩乃に嫌われたんじゃないかって思うと練習に身が入らなって言うか……」
「……それって、戻ってきてほしいって言うこと? 何度も言わせないで、私は戻らないんだから」
「けど、野球やめてからのお前、なんだか変だよ」
「変って、どこが変なのよ?」
「さっきだって、何度も呼んでやっと気づいたし、授業中も集中してない」
 指摘されて、思わずいらだつ自分がいた。分かってる。私の頭の中は今、おしゃれをすることでいっぱいなのだ。ファッション雑誌を読みあさり、この年になって初めて「女の子の流行」について勉強している最中なのだ。
 浮ついてる、と言われればその通りだろう。でも今は、このふわふわした、なんとも言えない幸福感に浸っていたいときなのだ。そうする中で、野球にささげてきた人生とおさらばしようとしているのだ。
「放っておいて。野球のことはすっぱり忘れたいの」
 それは、自分自身に言い聞かせる意味も含んでいた。
 ふとした瞬間に、私の脳は野球のことを考えている。辞めたあともずっと。忘れようとすればするほど、必死にしがみついてくる。だからこのごろは意識的に、祐輔たち野球部員との接触すら避けていた。
 私の発言や言い方に、やはり祐輔は不満があるらしかった。
「辞めたいって思うほどの出来事があったのは知ってるし、理解もできる。だけど、それで辞めて、おれたちのことまで避けるっていうのはさぁ、納得いかないんだよ、みんな」
「……みんなの顔を見るとつい、野球のことを思い出しちゃうから」
「そんなに忘れたいの、野球。一度のミスで、人生から消し去りたいほど嫌いになったってことなのかよ?」
「……そうよ」
 嘘だった。野球をそこまで否定するつもりはない。けれど、そうでも言わなければこの会話を終えることができないと思ったのだ。
「……ああ、そうか。分かったよ。もうこれ以上は聞かねぇ。つまんねぇこと話したな」
 祐輔は舌打ちをし、ブルドッグみたいに鼻の頭にしわを寄せた。かなり、怒っている。
 委員会の最中、彼は一度も話しかけてこなかった。
 野球から離れたいだけなのに、ただ「女の子」らしくしたかっただけなのに、なぜだろう。心が満たされない。
 ちょっと我慢すれば、それまでの日常は塗り替えられ、新しい自分と向き合えるはず。そう思っているのにその、ちょっとの我慢が苦しかった。
 何より、祐輔を怒らせてしまったことがつらかった。
 野球部で、私のことを誰よりも知っている彼が気にかけてくれたというのに。いや、幼いころからきょうだいのように接してきた彼の親切を、私は踏みにじってしまったのだ。
 唐突に、後悔の念にさいなまれた。野球のことなんてすっぱり忘れたい、と言ってしまったことを。けれどもう、取り返しがつかない。
 それからしばらく、彼は私と会っても無視を決め込むようになった。そのたびに心臓を握りつぶされるような痛みを味わうのだった。

 二学期最初のメインイベントは体育祭だ。それを取り仕切るのが体育委員の役目でもあるのだが、私たちがこんな調子なので話はなかなかまとまらなかった。担任の先生が気を利かせて、自分の持っている教科をホームルームに変更してくれたが、それでも決まらなかった。三日後にはリレーなど、各競技に出る人を確定させ、生徒会に提出しなければならない。
「しゃーねぇなぁ!」
 声を大にして、場を仕切り始めたのは野上だった。
「春山、ちょっと来い。めっさ大事な話がある。強制参加。拒否禁止な」
 帰りのホームルームが終わるや否や、野上は私をひっつかみ、半ば拘束した。言葉通り、拒否できる雰囲気ではなかった。
「あれ、私だけ?」
 てっきり、祐輔も交えて説教でもされるのかと思ったが、そうではないらしい。
「お前らが顔合わせたっていがみ合うだけだろうが」
「そうかもしれない」
 とにかく、ついてこい。野上は私の腕をつかんだまま歩き始めた。私はおとなしくついていくしかない。
 連れていかれたのは、学校のすぐわきにある川沿いの公園だった。土手の一部はサイクリングロードや芝生広場になっている。放課後の時間帯は、元気な老人たちが散歩を楽しんでいた。
「ほれ、始めるべ」
 野上はかばんからおもむろにグローブを二つ取り出すと、一つを投げてよこした。思わず手が伸び、落とさずキャッチする。野上はにやりと笑った。
「まだ、反射神経は衰えてねぇな」
「始めるって、キャッチボールでもする気?」
「おう。おれのウォーミングアップに付き合ってくれよ。なぁ?」
「私は……」
 言い訳をする暇もなく、野上はボールをこっちに投げてきた。またしても私は、反射的にグローブをはめ、ボールを受け止めた。パシッと、いい音がした。
「おーい、こっちこっち」
 反対側で野上が手を振っている。何でこうなってしまったのか。私は仕方なく投げ返す。
 投げ方を忘れるはずがなかった。ボールはまっすぐ野上のグローブに飛んでいき、きれいに収まった。野上は大きくうなずいた。
 そこからしばらくの間、キャッチボールが続く。
「祐輔を怒らせるなんて、さすが、春山だな」
「だって、祐輔がしつこいから」
「……野球のこと、忘れたいって言ったんだって?」
「そうよ」
「おれ、嘘だと思うなぁ。本気で忘れたいなら、おれがグローブ投げた時、受け止めたりしないよ。何より、送球が本心を教えてくれる。忘れたいだなんて、嘘だ、絶対に」
「何よ、それ。野球評論家にでもなったつもり?」
 冗談めかして言ったが、野上は笑わなかった。
「……晴山は優しいから、甲子園に行けなかったのは自分のせいだって、思い込んでるかもしれないけど、んなことないから。それに、甲子園に行くことだけが、高校で野球してる理由でもねぇから」
「本当に? それじゃあ野上は、どうして野球をしてるの?」
「好きだからに決まってるだろ。好きなことして、何が悪い?」
 わかりきった回答に、こちらが笑いそうになった。
 好きだからやる。男子ならそれでもいいだろう。けれど、私は女なのだ。これまで野球をしてきたから、これからもやるという単純な動機だけでは続けられないのだ。少女は脱皮し、美しい蝶にならなければいけない。今はその時なのだ。
「ごめん、野上。やっぱり私……」
 投げる手が自然と止まった。せっかく忘れようとしていたのに、キャッチボールをしていたら再び思い出してしまう。引き戻されてしまう。
 野上が私のすぐそばまでやってきた。
「おれが野球をやる理由はもう一つある」
「……なに?」
「おれにとって野球は、野球部は居場所なんだ。ここにいてもいいんだって、安心できる場所なんだ。いや、これはきっと後付けの理由だけど、それでもいいとおれは思う。その理由に、自分が納得できりゃそれでいいんじゃねぇかっておれは思う。たとえそれが醜い自己承認だとしてもさ」
「野上……」
「なぁ。もうちょっと考えてみてほしいんだ。野球や、おれらのことまで嫌いにならないでほしんだ。それってすんごく、寂しいからさ。仲間を失った空しさっていうのかな。ああ、心に穴が開くってこういうことなんだなって、おれたち今、感じてるんだ。
 女子には女子の悩みがあるんだろうけど、おれたちデリカシーないかもしんないけど、春山と一緒にプレイしたい。勝ちにこだわるんじゃなくて、純粋に野球を楽しみたいって今は思ってる。だからさ、できれば戻ってきてほしいんだ」
「…………」
「それから、祐輔の気持ちも考えてやってほしい。あいつは一番、春山のこと心配してるから」
「祐輔が?」
 今日も一日中、ふくれっ面をしていた彼を思い出す。喧嘩の前ならともかく、今でもそんなふうに思ってくれているはずがない。私は首を振った。
「じれったいやつらだなぁ、もう……。まぁ、いいや。おれはやれるだけのことはしたぞ」
 野上は独り言をいい、私からグローブを取り上げた。
「無理やり付き合わせて悪かったな。さっき言ったこと、少しは考えてみてくれ。んで、気が変わったらいつでも戻ってこい」
「考えて、気を変えるつもりはないけれど」
「それでも! それと、祐輔とは仲直りしてくれよ。でなきゃ、おれが体育祭の選手決め、仕切るぜ?」
 三日以内に祐輔と仲直りできる気がしなかったが、このままの状態で二学期以降を過ごすのも嫌だった。
「……まぁ、努力はしてみるよ」
 そもそも、彼を怒らせたのは私だ。そのことでクラスにも迷惑をかけているなら、いい加減何らかの策を講じなければならない。
 野上はにんまりと笑うと、学校へ戻っていった。


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