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【連載小説】「好きが言えない」#10 君とともに

 雲一つない晴天。朝から強い日差しが照り付け、まるで地上を焼き尽くそうとしているかのようだ。
 十月某日。体育祭は予定通りに始まった。リレー、綱引き、騎馬戦にダンス。各クラス、各学年の競技や演目が次々に披露される。
 午後になり体育祭も終盤に差し掛かったころ、クラス対抗リレーは始まった。
 今日、退院したばかりの祐輔がクラス席でリレーを見守っている。一秒も見逃さない、と彼は言った。言葉の通り、その目は私だけを見ている。
 私の走順は五番目。バスケ部の男子からバトンを受け取ることになっている。
 レースは抜きつ抜かれつの大接戦。1年C組は現在二位につけ、一位とは僅差だ。
 バスケ部男子の走者が見えてきた。私はバトンを受け取るために腕を後ろにグイっと伸ばす。
「春山、頼んだぞ!」
 バトンがしっかり手のひらに乗ったのを確認し、私は前を見据えて全力で走り出す。
「詩乃ー! 頑張れー!」
 祐輔の声が耳に届く。彼が見ている。負けられない。絶対に追い越してみせる。祐輔のためにも。
 あの日を境に、練習相手を野上に変更し、短期特訓を積み重ねてきたのだ。大丈夫、絶対にうまくいく。
 インコーナーを走るA組の陸上部女子と並ぶ。しかし、前に出られない。そのままコーナーを曲がり、最後の直線に差しかかる。
「来い、春山! おれに任せろ!」
 野上が吠えている。ラストスパート!
「頼んだよっ!」
 バトンを託す。練習通り。野上は受け取ったそれを握り、力強く走る。
 アンカーが並ぶ。どのクラスも接戦だ。息を弾ませながら勝負の行方を見守る。
「野上ー! いけぇ!」
 力の限り叫ぶ。
 一瞬、野上が前に出る。しかしまた抜き返される。一位と二位の二人が横並びになる。ゴールテープが迫る。野上が、テープを切る……。
 パン、パン!
 ゴールを知らせるピストルが鳴った。野上はヘッドスライディングの状態でゴールに倒れこんだ。一位はどのクラスか……。
「順位を発表します。第一位は……。A組です」
 A組から歓声が上がった。
 負けた……。あんなに競っていたのに、同着ではないのか? 続けて発表がある。
「第二位は……。C組です」
 アナウンスがあったものの、クラスの盛り上がりはいま一つだった。もし祐輔が走っていれば……という空気が漂っていた。
「野上が一番にテープを切ったように見えたんだけど」
 私はまだ息を切らせている彼に声を掛けた。「いや」と彼は首を振り、「A組のアンカーに実力で負けた」とうなだれた。
「おれの足じゃ、あれが限界だ。まぁ、ベストは尽くしたよ」
 クラスの席に戻ると、走者の私たちにささやかな拍手が送られた。すると、
「全力で走ってきたやつらにそんな拍手はねぇだろ。もっと走りを讃えてやろうぜ」
 祐輔が場を盛り上げ、力強く拍手をした。
 自分が一番悔しいはずなのに。祐輔は誰よりも明るい笑顔を振りまいている。それを見て負けじと野上も、
「どうだ、おれたちのデッドヒートは? 手に汗握っただろ? いいレースだっただろ? 二位でも、楽しめたならそれでよし。次、頑張ろうぜ、次!」
 と前向きな発言で返した。思わず口元がほころぶ。
 こんなにも陽気で楽しいやつらのいる野球部に、私は一か月前まで所属していたんだ。
 いろいろあって辞めたけど、チームメイトのことは決して嫌いじゃなかった。
「祐輔の声、よく聞こえたよ。おかげで全力出しきれた。ありがとう。次は私が祐輔を応援するから」
 私は座ったままの彼に告げた。
「おう、詩乃が応援してくれたらおれ、むっちゃ元気になるわぁ」
 そういって笑った。とびきりの笑顔。私はこの笑顔が大好きだ。
 と、そのとき、後ろから肩を叩かれた。野球部の部長だった。
「春山クン、いい走りだったね。感動したよ」
「あ、ありがとうございます」
「その走りがもう間近で見られないなんて、本当に残念だな」
「あはは……。野球は足が速いだけじゃ、プレイできませんから」
「その通り。だけど、君の売りは足の速さだけじゃないはずだ。君だって、気づいているんじゃないのかい?」
 部長は短パンのポケットから紙を取り出した。私が出した、退部届だ。
「部長、それ……」
「これは返しておくよ。君の席はまだちゃんと残ってる。……いつでも、待っているから」
 部長は「退部届」を私に押し付けて、風のように去っていった。
「……知ってた? 部長が退部を認めてないことを」
 そばで話を聞いていたであろう、祐輔たちに問いかけた。二人は顔を見合わせて笑っている。
「もちろん。みんな、待ってるんだぜ、春山のこと」
「そうそう。詩乃がいないと、なんだか野球してる気がしねぇんだ」
 なんだか前にも聞いたような台詞。
「野球馬鹿は語彙力が乏しいんだから」
 そう言い放ち、退部届を無造作にポケットに突っ込んだ。
「次に部活に行ったら部長に伝えて。改めて気持ちを伝えに行くからって」



 祐輔は宣言通り一か月で快復を遂げ、医師を驚かせた。そして許可が出るなり毎日のランニングと投球練習を重ね、冬には以前と変わらぬピッチングができるまでになった。
 その祐輔が登板した春の県大会で、K高野球部はベスト16入り。これは部始まって以来のことだった。
「はい、水筒。しっかり水分補給してね」
「おっ、サンキュー」
「いいなぁ、祐輔だけ春山から手渡しかよ? おれらは自分で取りに行くってのに」
「いいじゃないか、野上クン。二人が仲良く交際しているおかげで、本郷クンのピッチャーとしての成績は上々。弱小だったK高野球部が連戦連勝しているんだから」
「まぁ、そうっすね……」
「野上クンだって、春山クンが戻ってきてから絶好調だしね。やはり我が部には彼女がいてくれないと」
「なんだかんだ言って、部長が一番うれしいんでしょ? ずっと『退部届』は受理しないって言ってましたもんね」
「それがみんなの意見だったんじゃないのかい? 僕は部長としての責務を全うしたまでだよ」
 談笑は続く。
 私は結局、野球部に戻った。ただしプレイヤーではなく、マネージャーとして。
 ここに、祐輔がいる。いつも一緒にいられる。私はそれだけで幸せなのだと知ったから。
 皮肉にも、恋を自覚するようになってから肌つやが良くなった。何も、化粧で覆い隠すことはない。私はそのままの肌に自信が持てるようになっていた。
 でも、化粧の練習は継続中。奈々ちゃんと二人でデートするときだけは思い切り「女子」になって街を歩くのだ。もちろん、祐輔には内緒だけれど。

 大会でいい成績を残したので「ご褒美」と称して、三日間の『春休み』をもらえることになった。普段なら長期休暇中も毎日のように部活がある。
 祐輔と付き合い始めてからも私たちは毎日部活に明け暮れていたから、二人きりで日中を過ごすのは実ははじめてだった。
 デートの前というのはみんな同じなのだろうか。奈々ちゃんが言っていたように、私も鏡の前であれやこれやと着ていく服を悩んだ。けれど結局、祐輔に見てほしいのは服じゃなくて私自身だと思い直し、無難な服装に落ち着いた。
 いつも会っている、きょうだいみたいな存在。なのにきょうは、朝から心臓が痛いくらいバクバク音を立てている。
「よっ、いくか」
 会えば祐輔もいつも通り声を掛けてくる。けれどいつもと違うのは、ここから手をつないでいくこと。思い切って私から左手を取ると、祐輔は力強く握り返してくれた。

 歩くたびに袖がひらひらと揺れる。「例」のふんわり袖のブラウス、それにジーパンを合わせた格好だ。靴はおろしたてのスニーカー。いきなり「走ろう」って言われても大丈夫なように。ちなみに、化粧は無しだ。
 一方の祐輔は空色のYシャツに、やはりジーパンとスニーカーを履いている。そういえばこのところ、普段着の祐輔を見ていなかった。こんな服を着るんだっけ? 見慣れないいで立ちというだけで、またしても私の心臓は走っているときのように激しく動いている。

 手のぬくもりを感じながら、川越の街をゆっくり歩く。向かった先は氷川神社近くの桜並木だ。三月下旬。見ごろには少し早かったけれど、花を写真におさめようとカメラを向ける人が多くみられる。
「おれ、こんなふうに花見するの、生まれてはじめてかも。ずっと野球してたから」
「そうだね。私もはじめて」
 気の早い桜の花びらが時折、はらはらと落ちてくる。私はその一枚を両手でそっと受け止めた。
 美しい花も、いつかは散ってしまう。どんな生き物にも終わりの時は訪れる。私たちにも……。
「祐輔」
「うん?」
「毎年、見に来ようね、ここの桜。絶対絶対、一緒に見ようね」
「ああ、おれたちはずっと一緒だ」
「死ぬまで、一緒にいてね」
「ったく、まーたせっかちなこと言ってらぁ」
 祐輔は笑いながら言った。
「おれら、まだ16だぜ? もう死ぬときの話? いくらなんでも気が早い……」
「あのとき、一歩間違えたら死ぬところだったじゃない! 全然、冗談なんかじゃないんだから!」
 事故の時のことを思い出したら、つい感情的になってしまった。けれど、こうして二人でいられるのは当たり前のことではないのだと、あの日、痛感したのだ。だから、いられる限り、一緒にいたかった。
「心配すんな。おれはお前より先には死なねぇって決めてるんだから」
 そういって祐輔は力強く私を抱きしめた。
「もう、あんなふうに泣かせたくない。だからおれは、めっさ長生きしてやるんだ。詩乃がばあさんになって先に死んだら、おれも死ぬ。な、それでいいだろ?」
「……うん」
「だーかーらー! この話はここまでにしようぜ。ほら、せっかくの桜が台無しだ」
「そうだね。本当に」
「あっ、詩乃。顔に花びら……」
 祐輔の大きな手と顔が近づく。じっとしていると、ふいに唇が重なった。初めてのキス。一瞬、息ができなくなる。
「……あーあ。花びら、取り損なっちまった」
 祐輔は何事もなかったかのように空を仰いだ。
 私たちって、本当に不器用。そして素直じゃない。
 せっかちな私と、のんびりの祐輔。だからこそ、うまくいっているのかもしれない。
「えーと。なんだ。……なんか、腹減らねぇ? 一番街通りに戻ってさ、さつまいもソフト食おうよ」
 ぎくしゃくした間を埋めるように祐輔が提案した。私は小さくうなずく。
「私はまだそんなにおなか空いてないから、一つ買って二人で分けよう」
「そうだな……。じゃあ、そうするか。……その前に」
 祐輔はおもむろにスマホを取り出すと、左腕で私を抱き寄せ、桜をバックに写真を撮った。
「今日という日を忘れないために」
「……忘れないよ、絶対に」
 その顔をじっと見つめる。「眼」というカメラのレンズに彼の笑顔をしっかりと焼き付けたかった。
 自然と、互いに顔を寄せる。しばらくの間、私たちは重なった唇のぬくもりを確かめ合った。


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