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僥倖

あたたかい風に吹かれて桜の花びらが散る。地名の由来にもなった土手沿いに広がる桜の木の下で、多くの家族連れが花見をしている。楽しそうな笑い声や子どもたちがはしゃぐ姿を見て、自然と涙が浮かんだ。

大学2年の春まで、私はありふれた普通の人間だった。公務員の堅実な両親のもとに生まれ、普通に育てられた。特別お金持ちでも頭が良いわけでもなかったけど、なんとか大学に合格してひとり暮らしさせてもらえた。スポーツは苦手だったけど、大きな怪我や病気もなく今まで健康に過ごせた。

本当にどこにでもいる、平凡な大学生のひとりだった。

夏を彩るような、そんな周りを明るくするような女の子になりますように。両親が名前に込めた願いはわりとその通りになり、ちょっと抜けてるくらい明るく前向きな性格だった。

しかし、3年生に進級するタイミングで隣の国でビールのような名前の病気が流行り出し状況が一変。自粛要請という矛盾したような言葉が喧伝され始めた。

 もっと大変な人たちがいるんだから。
 大学生は家でじっとしてればいいだけの話なんだから。
 家にいることがだれかの大切な人を守ることに繋がるんです。

全くその通りだ。でも、じっとしているうちに何にも興味が無くなって、そのうち外へ出るのが怖くなった。「私は何もできない、こんな心が弱くてダメな人間なんだ、生きていてごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・」

オリンピックが行われるはずだった夏は、そんなことばかり考えていた。

肌寒さを感じるようになった秋、noteでエッセイを連載されている「きなこ」さんを知った。きなこさんの末娘は先天性心疾患をもって生まれてきて、他の兄弟のに夕飯に唐揚げを作る日常と末娘が心停止するという非日常が同居している。

「お子さんをオリンピック選手にはできないけど、20歳まで生きられるように尽力します」

きなこさんの末娘の主治医の言葉だ。人生の目標は人それぞれあるけれど「成人すること」に多くの大人が心血を注ぐという現実が存在していることを初めて知った。成人式の前日に母と喧嘩したことを後悔した。

今まで普通のことを普通だと思えていたことこそが「僥倖」だった。「賢者は歴史に学び、愚者は過去に学ぶ」というが、冬の時代を経験して初めて自らの幸運を知った私は間違いなく後者だ。

こんなに時間がゆっくり流れたのは、コロナのおかげかもしれない。地元の桜がこんなに美しいことを初めて知った。「僥倖」とはまさにこういう景色をいうのかもしれないとさえ思った。

 春が、新しい季節がやってきた。


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