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苦しみからの決断。パティシエになるまで

2018年
大学を2年目の夏頃に辞めた。
卒業後の多額になる奨学金の返済への不安や、
見合わない授業スタイルにもうんざりしていた。
こんな授業に高額な学費で受けるくらいなら
自分でテキストを買って90分独学したほうが身に付くだろうと思った。
時間の無駄とお金の無駄を痛感した。

ある朝、髪をといていたら
前髪の部分に円形脱毛ができていた。
耳にしたことがある【円形脱毛】
まさか自分がなるとは。
冷や汗がぶわっと出た。
その時、想像を越えるストレスを自分は
かかえてたのだと気づいた。
また1週間後、もう一つ円形脱毛が増えた。
私の精神的ストレスもピークで
身体はなんて正直なんだろうと思った。
このままでは、まるっハゲになるんじゃないか、
また死んでしまうような気がした。

【決断】

この円形脱毛症が私の中で決定的な決断の元なった。

このストレスから逃げ出そう。
ストレスで死にそうになるなら
他の人がどう言おうと
大学を辞めるのがベストな直感がした。
辞めてからの人生はどうなるか分からない。
右か左かだ。良くなるのか悪くなるのか
分からない。ある意味かけでもあった。
でも死んだように生きるよりはマシな選択で間違いないと思った。
自分を信じてみよう。
そう自分に言い聞かせた。

円形脱毛ができたことは親には言わず、
反対を押し切り自ら大学生活に終始を打った。

【一旦、気晴らしへ。】

その後、大学時から働いていたクレープ屋でコツコツ貯めていたお金で韓国へ半年間、ワーホリで過ごした。
海外で過ごしてみたいという夢の一つでもあり、溜まったストレスの気晴らしもかねて割と思い切りな行動だった。
この韓国生活での期間はとても素晴らしく精神状態もみるみる回復して行った。
日本語の話せる韓国人彼氏もできて、つたない韓国語もいっきに上達した。

韓国生活では、パンとお菓子作り、コーヒーを習い勉強した。バリスタの資格もこの時に取得した。

【帰国後の行き先】

ちょうどコロナが流行りだす直前12月にタイミング良く日本へ戻り、3日後にはアルバイトを探した。
目に止まった2つのうち、直感でアフタヌーンティーのお店へ応募した。
すぐに面接日程を取り、その面接の時、
「明日からでも働けます。
専門学校へ行くお金を貯めたいのです。」
と思い切って伝えた。

【夢のきっかけ】

大学生の頃から、
いつか自分のお店(カフェ)を持ちたいと思っていたし友達や家族にもよく話していた。

お店を持ちたいと思い始めたきっかけは
きっとクレープのアルバイトである。

クレープ屋での仕事は大学生活よりも楽しくて
週に5.6回は出勤して、オープンから締め作業、レジ閉め、そのお店の一通りの仕事ができるようになるとともに、お店を回す楽しさを知った。
私のしたい仕事はお菓子に関係することだ。と
ピンときた。経営をしてみたいと思い始めた。


お店を開くためには何が必要か今後の人生について考えながら過ごしていた。

話は戻り。
親には「大学を辞めたら、その後のお金は一切払わない」と言われていた。

身勝手な決断をしたのだからそう言われるのも
仕方ないと思った。
もはやこれからの人生は自分で決めて行くしかない。這い上がってやるしかない。
逆に燃えた。
もはや、きっと大学を続けていたほうが死んでる身だったかもしれないんだ、
辞めたからこそ生かされたんだと自分では思った。なんだか大学へ行くことがすべてじゃないんだと見返したかった気持ちも少々あった。
同時にパティシエになろうと方向転換先に目処をつけていた。
私の将来への理想と夢見てる自分のお店はインテリアなど、空間だけではなく味もおいしい真のお店。
だからひとまずは味を研究しないと。
見習いパティシエ?
専門学校から?

だが、大学を辞めてからは
製菓専門学校へ行ける自信はなかった。
多額な学費を払える自信がなかったがゆえに、
行けるわけないと思っていた。

だが不思議なことに言霊はあるものだ。

帰国後の新しい会社の面接時に、
学費を貯めたいと言ってしまったことが
きっかけに、社員さん達が
毎月毎月、「学費は貯まってきた?」
「オープンキャンパスいつ行くの?」と期待をしているキラキラした眼差しで聞いてくるのだ。

私は「やばい。これは有言実行しないと。」と自然に圧がかかった。
そこで私は次こそは学校選びに失敗しまいと、
大阪に存在するすべての製菓専門学校を見て周り、すべてのオープンキャンパスへ行った。

そんなこんなで約2年間、社員のように
毎日毎日フルでアルバイトとして働いた。
懸命だった。服も一着も買わず、できるかぎりのすべてのお給料を貯金に回した。
大学を辞めて学歴も失い、今後の行く先もどうなるのか分からぬまま
ひとまず、がむしゃらだった。
後戻りはできないし後は自分の行動次第だと常に心に思っていた。
社員さんのお仕事も教えてもらい、製造もさせてもらえることもあった。
社長はとても良い方で、アルバイトの私にさえいつも応援の言葉をかけて下さった。
この時のアルバイトでの経験は今にも繋がっている。
私はここで働いた経験とお店に、社長に、出会った社員さんにとてもとても感謝している。

2年目で無事に200万円を貯めることができた。
遊ぶことも抑えて物欲も抑え貯金尽くしだった。
1ヶ月最小10万は貯金していた。
お金もそうだけどお金じゃない部分も得た
成長できた2年間だった。

日本へ帰ってきてから2年後の4月に、学費が貯まって入学することができた。
あと1ヶ月分の給料が遅ければその年の入学はできなかった。ぎりぎりだった。
学費は一括で払った。もう奨学金だったり
【借り】という状況を作るのが嫌だった。
ただでさえ、1年半分の大学の奨学金が残っているので。。

学校では自分で払ったお金の重みからか
毎日毎日精を尽くして過ごした。
お菓子だけじゃなく、コーヒーも必死に学んだ。
充実した最後の学生生活だった。
パティシエになるかバリスタになるのか迷った。

私はパティシエとなる道を選び、今は
パティシエ3年目を迎えている。
まだまだしたいことはたくさんある。
密かに私の内に秘めている心の声を綴っていこうと思ってる。

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