「まち」と「政治」を変える共通点は、前例を作り続けること
入居者さんと、不動産オーナーである僕たちがダイレクトにつながる。コミュニケーションを重ねることで循環が作られ、それがまちを変えていく原動力になるーー。
そんな話をした前回は、2018年に新築した賃貸マンション「ba apartment(以下、ba03)」を例に、住まいを起点にしたまちづくりについての僕の考えを書きました。
今回は、「まちを変える」ための方法について。まちづくりに正解はありませんが、僕たちがしてきたことならお伝えできます。
まちを変えようとするには、行政や地域との協力が不可欠ですが、その際によく起こるのが、「変えたい人」と「変えたくない人」とのぶつかり合いです。変化を良しとしない、前例のないことを認めない方たちと、どのように向き合えばいいのでしょうか。
実は、「まちづくり」は、自民党総裁選が今まさに決着を迎え、今後が注目される「政治」と、とてもよく似ているんです。
まちづくりにおける「地元の意見」=長老
僕たちが実践してきたまちの変え方は、もしかしたら、変わらないと言われて久しい政治や既存システムを、僕たち現役世代で変えていくヒントにもなるかもしれません。
政治もまちも、そこに関わる人のなかには「変えたい」と「変えたくない」の両者がずっとせめぎ合っています。
政治で「変えたくない人」の側といえば、自民党政権で長きに渡り強い発言力を持ち続ける70代、80代の長老たちが思い浮かびます。
同じようにまちにも、商店街や町会の方々を中心に「〇〇協議会」といった団体が組織されており、こうした団体の声が「地元の意見」として反映されることが多いように思います。
そうするとどうしても、これからの日本を担っていくべき現役世代が希望するまちのあり方とは離れたものになりがちです。
まちに古くからある組織から多様な意見が出ることそれ自体は、何ら悪いことではありません。問題は、多方面の意見を取りまとめて、まちをディレクションするプロデューサー的存在がいないことにあります。
監督不在では映画作品はできないように、ディレクションやブランディングなしに、いろんな「こうしたほうがいい」をただ盛り込んでしまっては、まちに独自性や統一感は生まれません。
ディレクター的な役目を担えるはずの不動産ディベロッパーも大組織ですから、「地元の意見」に反するようなドラスティックなことはやりづらいでしょうし、意欲的な担当者がいたとしても、人事異動があればそのまちとの関わりは途中で絶たれ、長期的な関係性を保つのは難しくなります。
結果的に、せっかく再開発をしても、一つの作品としてはまとまりのない、どこかで見たようなまちができ上がることになります。不思議なことが起こりますよね。
政治の世界は良く分かりませんが、ハタから見ていると、この不思議さは政治にも通じているように思えます。
主権者は国民で、国民の声を聞くために小選挙区が何十区もあり、投票で選ばれた議員は代表であるはずなのに、僕たちのリアルな声が政策に反映されていない、と感じることが多々あります。
まちや政治がなかなか変わらないと言われる理由とは、経験を有する一方で価値観が現代にアップデートされていない長老たちの発言力が大きすぎること、そして僕たち現役世代は、そんな状況を打開することを諦めてしまっている人が多いことではないかと考えています。
「前例を作る」ことを愚直に続ける
長老たちの声が大きく、政治やまちづくりに現役世代のリアルな声が反映されない。
そんな状況を、僕たちはどこから切り崩せるのでしょうか。
その方法には様々なアプローチがあると思いますが、僕たちは、まちの誰よりも早く前例を作ることに力を注ぎました。
行政と手を組んでプロジェクトを始めようとするとき、「前例がありません」「ルールですから」と断られることがよくあります。
ルールとは、もともと人が作ったもの。人がよりよく生きるためにあるのが、ルールです。
そのルールが現状にフィットしていないなら、変えていいし変えられる。にもかかわらず、「ルールは不変」と思い込みがちなのですよね。
現状打開のためには、そんな思い込みを捨てて、既存のルールを凌駕するような前例を作ってしまえばいいのです。
有言実行で叶えられた、駅前広場の大規模リニューアル
殺風景だった大塚駅北口ロータリーのリニューアルは、10年程前から豊島区の計画にはあったものの、もともとはここまで大がかりなプロジェクトではありませんでした。
それが現在の形となった最初のきっかけは2016年頃、僕たち山口不動産が新築するビルに星野リゾートを誘致する計画を、豊島区に持ち込んだことでした。
有名ホテルの新業態が大塚にオープンするとなれば、メディアにも取り上げられ大きな話題となることが予想されましたから、豊島区も駅前再開発により前向きになってもらえたのではないかと思います。
そして、僕たちは、ファイナンスのピンチや親族内裁判を乗り越えつつ、念願叶って星野リゾートの誘致に成功しました。星野リゾートが入るビル「ba01」の1階には、大塚にはこれまでなかった開放的なカフェ「eightdays dining(エイトデイズダイニング)」、グルメが集う場所としての「東京大塚のれん街」も同時にオープンさせました。
そういった目に見える実績を出せるよう、着実に努めてきました。
トライ&エラーの中で結果を出していたら、前述の駅前再開発計画はいつの間にか、「光のファンタジー」という大きなモニュメントが作られる、区長肝煎りのビッグプロジェクトとなりました。
区長も一緒に大塚を変えようとしてくれるようになったのです。
そして山口不動産は、この駅前広場のネーミングライツ(命名権)を取得して、2021年3月に「ironowa hiro ba」と命名。豊島区は、支払われた命名権料を広場の維持管理に充てる、という仕組みを生み出しました。
行政に対しても、まちの長老に対しても、いきなり「こんなまちを作りたいから協力してください」と真正面から頼んだところで、信じてもらえないのは当たり前です。
まずは、誰の目にも明らかな前例をつくることによって、自分たちのまちへの想いと実行力を証明してみせること。これが、まち全体を変えていくのに欠かせない第一歩だと考えています。
前例がないことに取り組むことは面倒だし、時間がかかるしリスクを取りたくない不安な気持ちは、僕にもあります。
でも現状を本気で変えたいなら、周囲と違うことをいとわない。そんな覚悟とエネルギーが必要です。
世間で当たり前とされていることに疑問を持ち、「こうしたほうが面白いのでは?」と、信じることを愚直にやり続けるしかないのだと思います。何か壁にぶつかった時も、「本当にできないのか?」「他にやり方はないか?」と視座やアプローチを変えて、あの手この手で試行錯誤をしています。
小さなまちの不動産会社でも変えられる!山口不動産が前例になる
山手線なのに地味でパッとしないまち。
そう言われ続けていた大塚のまちの変革が、ほかのまちにも伝播したらいいなと思ったりもしています。
山口不動産は、社員7人の小さな不動産会社です。先祖から受け継いだ決して多くはない不動産を資本に、まちを変えるプロジェクトを進めています。大手デベロッパーのような資本力のない僕たちでも変えられるのだから、だったら自分たちもできる!と。
六本木のまちを唯一無二の存在にした森ビルや、立川一帯を盛り上げる立飛のような莫大な資本や、森ビルの故森稔さん・立飛の村山正道さんという偉大な経営者がいなくても、僕たちはここ大塚で、知恵やアイデアを絞り、いろんな人たちの力を借りながら、想いを少しずつ形にできています。
日本全国にある、まちの不動産会社や不動産オーナーのみなさんへ。
所有している土地建物を、自分だけのために使うのも悪くないけれど、まちに関わる人たちと分かち合うと喜びは何倍にもなります。
管理や仲介に任せきりにせず、入居者さん、テナントさんの声に耳を傾けてみませんか?リアルな声を管理・運営に反映することで、その不動産の価値、エリアの価値をより高められるかもしれません。
そして、そのまちに一個人として暮らすみなさんへ。
たったひとりが行動したところで、声を上げたところで、どうせ何も変わらない。日々の暮らしの中で、そんな気持ちになることもあると思います。
そんな気持ちを一旦リセットして、「まちがこうだったらいいな」を実現するために、小さなことから始めてみませんか?
地域の清掃活動に参加してみたり、まちの小さな商店で買い物をして、お店のひととちょっと言葉を交わしてみるだけでもいいんです。
平日週2回行っている清掃活動「#CleanUpOtsuka」。まちの企業・商店・住民の方、たくさんの皆さまにご参加頂いています。
行動を少し変えてみるだけで、たまたま暮らした「まち」が「自分たちのまち」になっていく。
そんなふうに一緒に、まちから変えてきませんか。
メインストリームじゃない周辺にいるからこそ、できることがあると僕は思っています。
次回は、ironowa ba projectに加わってくれたパートナーとの対談企画第2弾。焼鳥の名店「鳥しき」で修業し独立、この夏大塚に「やきとり結火」をオープンされた、阿部友彦氏とお話しします。
大塚のまちをカラフルに、ユニークに
大塚が変わるプロジェクト「ironowa ba project(いろのわ・ビーエー・プロジェクト)とは?(▼)
編集協力/コルクラボギルド(文・平山ゆりの、編集・頼母木俊輔)