若者の青春小説(5)
男は西原といって、同じクラスの、僕の目の前の席の男だった。僕は顔すら覚えていなかったけど西原は僕のことを覚えていた。
「プリント回すときに顔見るじゃん」
僕は後ろの席の奴の顔なんかまともに見たことがない。サッと一瞬振り返っただけじゃマスクが邪魔ではっきり見えないし、第一頭を落とす妄想をするのに顔なんか必要なかったから。
帰り道、並んで自転車を押して歩きながらずっと西原の話をぼんやり聞いていた。今日はクラスメイトの家で3人で勉強会をしていたこと。公園の近くで解散して通りがかったら僕が泣きながら(この時点で既に泣いていたらしい)へたりこんでいて、自転車も倒れていたから大怪我でもしたのかと焦ったこと。西原の家は僕の家から比較的近いがちょうど校区の境目で、小中学は別だったこと。だけど部活の練習試合で僕の中学には何度も訪れていて、親近感があるということ。
その話を聞いてる間も僕は僕の中の怒りだか悲しみだか殺意だか恐怖だか自分でも説明ががつかないドロドロに埋もれっぱなしで出てこれなくて、家の車庫に自転車を置いて出てきたときまだ帰っていなかった西原が僕のドロドロの顔を見て、一瞬逡巡したものの、言った。
「ちゃんときれいに埋めといたから、もう心配すんな」
西原は埋めた。
西原は僕の自転車から猫をすくい上げ、僕が口にすることもできなかったその死を確認し、きれいに埋めて弔った。
僕が頭の中で黒尽くめを殺して捨てている間に。
僕が泣き崩れてなにもできなかったその間に。
僕は当事者になりたかった。なんでもいいから何かの事件の渦中で特別な経験がしたかった。だけど本当に事件が起きたときどうなるのか、僕と周りにどんな影響を及ぼすのか、考えたことがなかった。生き物の本物の命がどういうものなのかなにひとつ知らずに、多分なんとなくどうにかなると思ってたんだ。主人公のもげた腕が不死身の美少女によって再生されるように。
だけど猫が蘇生されることはない。
僕がすべきことは、黒尽くめを殺すことでも、ましてや血の海の教室をクールに闊歩することでもなかった。
僕は僕の自転車の猫を抱き上げてあげたかった。どんな酷い目に遭ったのか、代わってあげることはできないけど少しでも理解して、少しでも労って慈しんで抱きしめて撫でて、少しでも穏やかな最期を迎えさせてあげたかった。
僕にはそれができなかった。
僕のドロドロの正体、それは無力感だ。
つづく