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私はようやく痛みという感覚を手に入れた

晩ご飯の支度でかぼちゃを切る時に勢い余って擦り切れた親指の傷口が痛いわけではない
話したいのは心の痛みのこと

さて、この心の痛み
痛みという表現は今までの私の辞書にはなくて、話の流れで相手から出てきた言葉なんだけど、これはなんだか私の悩みを解き明かすキーになりそうだと感じたのです
というか悩みとは痛みなのかもしれない
痛みがあるから悩んでるんだろな

で、悩みというのは言わずもがなこれといった解決策のないわが子の発達のことだから、兎にも角にも私の心の内を、虫眼鏡でじっくーりと隅々まで観察していくしかない苦しくもめちゃくちゃ面白い作業なわけです

しかしこれがまあ見事に進まない!
見つめるばかりで、何にも分からない
否、”分かりたくない”に近いかもしれない
どれだけ観察しても、ぼんやりとした観察止まりで、仮説を立てられない
なので検証もできない

なぜ進まないのか
これは私の予想だけど
痛みを感じているからこそ
その痛みを真正面から見つめられないんだと思う

あまりにひどい傷口はまじまじと見たくないように
虫眼鏡をかざしながらも、私はそれを細かく観察出来ない

傷は痛いけど、見たらもっと痛くなりそうだから
もういいや、このままで
そんな感じで痛みの度合いすら分からなくなっている気がしてきたんです

むむむ、これは危ないぞ
心がどんどん痛みに鈍くなるんじゃないか?
喜びや快でさえも感じにくくなってないか??

これは何としてでも阻止しなくては!

せっかく手に入れた痛みという感覚を、しっかりと自分のものとして大切に扱わなきゃね

ぬらぬらと開き続けている傷口を、大丈夫だよ治るよとあたたかな眼差しで見つめよう

痛みを痛みとして感じている今のうちに!

みんなどうやって向き合ってるんだろうな〜





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