3人の鯉登音之進と面倒なオタク。
誰かの未来に期待して「今日も仕事がんばろ!」と思うことが出来ることが、なんて幸せで尊いか。
自分の未来に期待して「今日も仕事がんばろ!」と思う人がいる職業が、なんて素晴らしく、もの凄いか。
それと同時に、そこから湧いてくるモヤモヤとしたジェラシーに掻き立てられ、今これを書いてる。
悔しい〜‼️
鯉登音之進役が中川大志さんに決まりましたが。
私も鯉登は中川大志さんにしてほしいって思ってたけど、悔しい〜!
何が悔しいって、自分のプロフィールを好きなキャラがキランと輝かせてくれること!
あの気高くわがままで尊大で、とってもまっすぐな鯉登音之進という男が中川大志さんのプロフィールをキラキラと輝かせていることが。
中川大志さんが鯉登活動に支障のない範囲で何をしてくれたって、どうだっていい。
どうぞ、どこの誰とでも付き合っててくれ。
高級マンション、リゾートホテル、海外旅行、自由に遊んでくれ。
でも、彼のプロフィールの上で鯉登音之進の名が輝いていること、それはこの世で彼と小西克幸氏と野田サトル氏にしか与えられない栄誉であり、名誉なのだ‼️
極め付けはこのコメント。
『僕は鯉登音之進という男を誰よりも愛しています。
だからこそプレッシャーもありましたが、今の自分に出せる全てを凝縮して演じました。
鯉登の役は他の誰にも渡したくない、自分にしか出来ない、と自負しています。』
野田サトル氏から生み出された鯉登音之進という男を理解するために全力を使い、自分の経験や努力をすべて使って彼と向き合ってくれたのは、この世に二人しかいないのだから。
そんなこと言われちゃったら、言われちゃったら、私なんて、私なんて、何にも勝てるとこないッ‼️😭
勝つつもりもないけど。
だから、ちょっと泣いた。
鯉登音之進という役を『自分にしかできない』と言える自信を生み出せるまでに、絶対、たくさんの犠牲や忍耐、血の滲むような努力、楽しいことばかりではなかったと思う。
でも、そんな確固たる自信で自分のキャリアに責任を持てる彼が強くて。
その強さに、今まで蓋をしていたはずだった、私の「何も無さ」を浮き彫りにされてしまったので、心の中でぼーっと立ち尽くして、打ちひしがれた。
心なしか、CMの高杉くんが私に向かってほくそ笑んでいるような気がする。心なしか、Xで流れてくる中川大志氏の写真が私に向かってほくそ笑んでいるような気がする。
ああ…。
私がどれだけ鯉登音之進を愛していようが、考えていようが、彼の名が輝くのは、野田サトル、小西克幸、中川大志のプロフィールの上なんだから…!
作品の名前が大きくなっていくと同時に、色々な人の名前が付与されて、どんどん鯉登音之進が誰かの鯉登音之進になっていく。(もともと、野田サトルの鯉登音之進なのだけど…)
この謂れのない寂しさというかジェラシーというか、そういうものを感じて初めて、「ああ、私はここまで鯉登音之進が好きだったのか。」と気づいた。そして、私がどこまで傲慢なのかも。
ゴールデンカムイという漫画に出てくる登場人物は全員旨みがあって好きだったけど、鯉登に関しては「えー!こんな好きだったの!?」と自分で自分にびっくりしたり。
(因みに、私がゴールデンカムイで一番好きなのは牛山、白石、アシリパと決まっている。なぜなら、最初から最後までずっとブレないキャラだったから。)
キャスト発表があってから、あー嬉しいけど、嬉しいけど…とモヤモヤしながら。
でも、あー!ゴールデンカムイのドラマ楽しみ!って仕事頑張れたり。
ウキウキして、仕事のパソコンのカレンダーに非表示で『WOWOW 1話』とか入れちゃったり。それで、たまに日付を早めてそれを眺めたり。
何回もティザー見て、初登場の「ちんちんぬきなっもしたなぁ」スローを見てはキャッキャはしゃいだり。
未来を待ってる生活はこんなにも楽しいのかと。
自分の未来に期待して「今日も仕事がんばろ!」と思う人がいる職業の素晴らしさ、もの凄さを感じた。
そして、誰かの未来に期待して「今日も仕事がんばろ!」と思うことが出来ることがなんて幸せで尊いのか、と。
作品自体を作ってくださったのはもちろん、先生ご自身や、ゴールデンカムイという作品、その作品の未来のために一緒に仕事をする人々を吟味された野田サトル氏にも感謝で。
監督を初めとする、実写映画『ゴールデンカムイ』に携わってくださった多くの方々に感謝だと思います。
ここまでくると、キャストやスタッフの多大なプレッシャーを和らげたり、キャストやスタッフそのものが存在するために必要だった様々な物や人、食べ物、音楽、娯楽…そんなすべてに感謝を思うのです。
私は幸せ者だと思います。
だからこそ、『自分の未来に期待して「今日も仕事がんばろ!」と思う人がいる』ということがない私の人生にどこか虚しさを感じて、少し、ほんの少しだけ絶望した。なんとなく、何もかも遅くて、何もかも間に合わないような気がしてしまった。
また私の傲慢さが出たのだ。
世の中には私と年齢が差して変わらないのに、鯉登音之進の名を輝かせられる人がいて、その未来に期待して何かに頑張る人が何万人もいる。凄いな〜。凄いな〜で終わればいいんだけど、私は傲慢で欲しがりだから、私も、私の未来に期待して「今日もがんばろ!」と思ってもらえる何かを成し遂げたい!
そう思った。
自分の価値に対して、やけにBIGな夢だとも思う。
まず、私の未来に期待している人なんて、最低でも親くらいだと思うが(親もどうだか…)、こうやって文章を描いていると、次はどんなことを書こうかとか、どうやって書こうかとか考えるようになる。
そうした時、私は私の未来に、今、期待している。
自分で何かを生み出すという行為は、自分の未来に、自分自身が期待をする行為なんだと。
私はまずは、取り止めもない自分の日常をダラダラと気の向いた時に書いていく。それで、明日は何書こうとか、いいこと起きるといいなー、話の種ができるといいなーと、自分が自分の未来に期待してやればいっか。
あー、腹の底を見せ始めた月島や鶴見に翻弄される中川大志氏の鯉登音之進が早く見たいのです。
そして、その後も。
ずっと応援しています。
映画も、アニメも、漫画も。