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続・3人の鯉登音之進と面倒なオタク。

さて、鯉登少尉のキャスト発表以来、翻弄される日々を過ごしていますが。
テレビに中川大志氏が映るたびに、

「わ、あ!中川大志だん!」

と、テレビを指差すようになってしまったのである。
まるで子どもじゃないですか。

でも、皆さんもそんな経験はないでしょうか。
朝ドラで半年間の日常の苦楽を共に過ごしてきた主人公を演じた女優、好きな歴史上の人物を好演した俳優、恋愛ドラマで胸キュンをくれたヒーロー役の彼、好きなキャラを演じた声優、たまたま見たバラエティで上手い返しをしたお笑い芸人、好きなドラマに出ていた子役…ほか、様々。

その人本人が実際にどんな生活をしていて、どんな性格で、誰と交流があるのか、そんなこと微塵も知らなければ、何の関わりもない。
ただ、ただ、テレビやインターネットで間接的に一方的にこちらが出会っただけで、相手にとって私たちは知らない人。
一緒に仕事をしたわけでもなく、一緒に過ごしたわけでもないし、大きな天変地異がなければお互いがお互いの人生に特別必要な相手ではない。
なのに、それなのに、どこか家族や友達がテレビや映画に出ているようで、無性に嬉しいのです。

そりゃ、そういう感覚がたまに狂気や危険性を帯びる場合はあるけれど…。

楽しみといわれると少し偶発的だと思うし、毎週や毎日その人の何かをチェックするほどの熱量があるわけでもない。
でも、自分が一目置いてる誰かを媒体で見かけたその瞬間、ほんのちょっとだけ気持ちが明るくなる。そして、身勝手に彼ら彼女らに対して、

「あいつ、元気かなー」
「仕事、頑張ってるな〜!」
「幸せんなれ〜」

とぼんやり、思ってしまう。
自分の幸せさえも追い求められてないのに。
一面でしかない姿しか見ていないのに。
貴方の人生になんの関わりもないのに。
貴方達の幸せをそれはぼんやりと願っている。

因みに、私は中川大志氏を見たら「中川大志だ!」とテレビを指さすけれど、うちの母はゴールデンカムイの実写映画を観て以来、山崎賢人氏を見て「けんと!けんとだ!」とテレビを指さす。
ゴールデンカムイの山崎賢人がかっこよかったので、その後すぐ公開された「陰陽師0」を見に行ったほど。なんか、応援したいらしい。可愛いらしい。
あとは津田健次郎の声には反応する。


こんなふうに、みんなそれぞれ、家族や友人、いや知り合いがテレビの中にいるのです。
それは勝手に。

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