見出し画像

■イセカイロセカイ赤の章第7話


 時刻は午前零時を回ろうとしている。
あんなに賑やかだった男たちの喧騒も今は鳴りを潜め、辺りはすっかり闇に包まれていた。
それは新入りの少女が住まう屋敷も同様だったが、とある部屋の縁側だけは室内の灯りが漏れ、広い庭の一部を薄く照らしている。
その鮮やかな赤紫色の少女の部屋は、薄茶色の畳が敷かれ三方を襖が囲い、襖の前には重厚な箪笥や長らく使っていなかったであろう鏡台が置かれていた。
そして縁側の障子は思い切り開け放たれていたが、夜風が涼しく少しだけ肌寒かった。
けれど部屋の中央に敷かれた布団の中の彼女は瞳をしっかり閉じ、仰向けのままぐっすりと眠っている。
その姿は一切微動だにせず寝息もとても静かだったため、周囲に座っていた三人の男たちは心配そうに少女の顔を覗き込んでいた。
「なんだか今日は彼女にとって踏んだり蹴ったりですね」
枕元に正座をした葡萄えびが呟く。
「食事が口に合わなかったのか?」
枕を挟んで反対側に胡坐をかいていたクリムスンが尋ねた。
「いえ、恐らく湯あたりが効いたのだと思います」
「無理して僕らと食べようとしたから……」
父親の隣で正座をしているコチニールも付け加える。
大男がふと息子に視線を向けた。
すると彼の瞼は半分以上閉じかかっている。
「コチニール、おまえはもう寝なさい。明日は学校だろう?」
「え、でも……」
「学業は大事ですよ。あとは私たちが見ていますから、早くお休みなさい」
葡萄も頭首を援護した。
しかしコチニールは名残惜しそうにマゼンタの顔を見る。
新しく姉、ではなく〝妹〟となった彼女は相変わらず身動きせずに熟睡していた。
「コチニール」
クリムスンが念を押す。
「……うん、わかった。じゃあ先に寝るね」

コチニールがおやすみの挨拶をして縁側の廊下へ去ると、残された二人はまた少女に視線を戻した。
「長旅の疲れもあったのだろうな。それに精神的なものも」
「そうかもしれません」
「この子は現地でも移動中もほとんど何も口にしなかった。むしろ気絶していたか眠っていたかのどっちかだったよ」
「体と心が休息を必要としているのでしょうね」
「ああ」
「でもきっと大丈夫です。少しずつ慣れていけばだんだんと元気になりますよ」
クリムスンは目の前に座った葡萄に視線を留めた。
それに気づいた彼は、
「なんですか?」
「この子がこの家に入ることをおまえが一番反対していたように思うが」
「それは……!」
眼鏡の彼は咄嗟に顔を背けて、
「あ、あまりに手がかかるのでかえって愛着が湧きそうなんですっ」
「ほお」
大男は内心驚いた。あんなに理性的な判断を下すこいつからそんな言葉が出るとは。
葡萄はそれを感じ取ったのか、
「う、嘘じゃないですよっ」
慌てて答える。
「誰も噓とは言っていない」
クリムスンは冷静だった。
だが心の中で少し面白がっていたことは否めない。
眼鏡の彼は頭首の脳内を考察してたじろぎながらも、
「と、とにかく、手のかかるのがまた一人増えてしまったってことですっ」
何とか押し切った。
だが頭首は全て理解したように、
「そうだな」と、微笑んだ。
葡萄は堪らずにうつむく。
クリムスンは微笑み続ける。
そんな二人のやり取りの最中も、マゼンタは身動き一つせず眠っていた。

真っ暗な闇の中。
ここにはもう何度も来たことがある。
何も見えず何も聞こえない。
何も触れず何も匂わない。
でもそう、これはいつも覚めるんだ。
ほら、今回も同じ、何か聞こえてきた。
何も見えなくても、何か音は伝わってくる。
今日はなんだ?
それは何かと何かがぶつかり合う音。
カンカン……カンカン……
言葉で表すとそんな感じだろうか。
ぶつかり合う音はだんだん近づいてきて……

マゼンタがぱちりと目を開ける。
視界に入ってきた木目の天井は外からの光を浴びてツヤツヤと輝いていた。
(私……ここは……)
彼女は上半身を起こす。
自分の体の上には分厚い布の塊が掛けられ、尻の下にはそれと同じような四角い敷物が敷かれていた。
少女は周囲を見回す。
何だかつい最近見たことがあるような造りの部屋だ。でもここに来たのは初めて?
そんなことを考えていると、またあの音が聞こえてきた。
カンカン……カンカン……カンカン……カンカン……
音はどうやら庭のほうから伝わってくる。
(いったいなんの音だ……?)

日が真上に差しかかる頃、屋敷の庭ではコチニールとカーマイン兄弟がそれぞれ長細い木刀を持ち相手の元へと走っていた。
彼らは威勢のいい掛け声を上げながら向かっていく。
髪を振り乱し、汗を吹き出し、布を体の前で重ね合わせたような服は土埃でもう汚れていた。
でも二人は諦めない。これでもかというほどに木刀を振るう。
それもそのはず。
相手というのは彼らにとっての兄や弟ではなく父親だったからだ。
頭首クリムスンは片手で木刀を持ち、息子たちの攻撃を全て受け止めている。
その音がカンカンと鳴り響いていたのだ。
「いいぞ、だいぶ上手くなったな」
大男は微笑みながら軽々と受け止める。
「やああああああっ!」
二人の少年の声が庭中に響いた。
コチニールは真剣な表情で木刀を振るい、カーマインはもはや必死に何度も振るいまくっている。
その光景を鮮やかな赤紫色の少女が縁側に立ってじっと眺めていた。
彼らが何をしているのか、理解しているのかさえわからない無表情で。
息子たちの木刀を受け止めていたクリムスンは、ふと彼女の姿に気づく。
「マゼンタ」
頭首は動きを止めた。
それに合わせてコチニールとカーマインも息を切らしながら少女を振り返る。
赤紫色の瞳は無表情のまま三人をじっと見ていた。
「やっと目が覚めたんだね……!」
コチニールは妹のいる縁側へ近づく。
「体調はどう?もう大丈夫?」
マゼンタは兄が持っている木刀に視線を落とす。
「それ……」
「え、ああこれ?」
コチニールは木刀を両手の平に乗せると彼女に見せる。
「木刀だよ。父上に稽古をつけてもらっていたんだ」
少女は木刀に注目した。
その瞳は長い木の棒に注がれ、なぜか微塵たりとも動かない。
クリムスンはそんな彼女の姿を冷静に観察していた。
「父上、続き……!」
カーマインが堪らずに促す。しかし、
「ちょっと待て」
大男はコチニールのほうへ向かった。
その間もマゼンタは木刀からずっと目を放さない。
コチニールは首を傾げ、
「マゼンタ、どうかした?」
そこへクリムスンがコチニールのすぐ側にやってきて、
「木刀に興味があるのか?」
少女に問いかける。
だがマゼンタは木刀をじっと見続けたままだ。
「コチニール」
「ん?」彼は父親を振り返る。
「マゼンタにそれを渡しなさい」
「えっ?」
「は?」カーマインも思わず声が漏れる。
「興味があるなら触ってみるといい」
「でも……」
「いいから」
そう言われたコチニールは、戸惑ったように自分の木刀を彼女に差し出す。
それまでじっと木刀を見つめていた少女は手を伸ばすと、つかを左手で握った。
これが、木刀の感触……
「こっちへおいで、そこでは狭いだろう」
クリムスンが庭の中央へといざなう。
マゼンタは裸足のまま庭へ下りた。
そして大男と少し距離を取るように開けた場所へ移動していく。
コチニールはというと困惑した顔のまま妹の姿を目で追い、カーマインはというとすっかり呆れて、
「マジかよ」と呟くしかなかった。
頭首クリムスンと養女マゼンタが、庭の真ん中で向かい合う。
「好きなように振ってごらん」大男が促す。
カーマインは、
「冗談だろ」と、手持ち無沙汰になってしまった木刀を自分の右肩に乗せた。
少女は手の中の木刀を見下ろす。
よく磨かれた細い木の棒……そうとしか言いようがない。
彼女は顔を上げた。
クリムスンが少女を静かに眺めている。
次の瞬間、鮮やかな赤紫色が大男の目の前に移動していた。
彼は思わず息を吞む。
木刀が眼前に迫っていた。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?