評価経済社会:情報の神様は全てを見ている
「評価経済社会」について気になって、岡田斗司夫さんの本を何冊か読んでいる。
農業革命→産業革命に続く3つめの革命、情報革命によって、貨幣経済→評価経済に移行するというのだ。
貨幣経済が主流の間は、お金を基準に、ほとんどの価値が決まるのだけれど、これから評価経済社会が進んでいくと、そうじゃなくなっていく。
(ここまでの読解は合っていると思うが、その先は正確に読めていないかもしれない。)
(ここから先、「では何が価値をもってくるのか?」「どんな社会になるのか?」ということについては、自分の都合の良いように解釈しているかもしれない。)
今、急速に広まりつつあって、これからますます加速する評価経済社会において、「その人が良い人であるかどうか」「自分たちが属しているコミュニティに居て欲しい人かどうか」つまり「その人そのもの」が価値を持ってくる。
大昔から宗教なんかでも「隣人に優しくしなさい」「困っている人が居たら助けなさい」と言われて来たけれど、そういったアドバイスは、貨幣経済社会ではあまり有効でなかった。
貨幣経済社会ではむしろ、ずる賢く他の人を出し抜いて、お金を稼いだ人が尊敬された。
しかし、評価経済社会になると、「良い人」であることが、本当に実際的・実利的に、人類史上初めて有効になってくる。
本当に、情報の神様は全てを見ているのだ。
あらゆる人の、あらゆる行動、あらゆる言動が、すべて情報となって、評価されているのだ。
◆地場産業の経営者で地元の名士で自治会長なんかをやっている人よりも、通学路で黄色い旗を持って子ども達を毎日守ってくれている非正規労働者の人の方が、SNSのフォロワー数が多いかもしれない。
◆新しいビジネスモデルを発表したIT企業の社長よりも、自殺しようと橋から飛び降りた人の命を救ったホームレスの人の方が、「いいね」を沢さんもらえるかもしれない。
◆偏差値が高くてスポーツ万能の人の日常生活の動画よりも、いじめられっ子だったニートの人の趣味のマニアックな動画の方が、再生回数が多いかもしれない。
お金をたくさん稼いでいることや、地位や名誉があることが、だんだん評価されなくなっているとしたら、どうなるのだろうか?
すぐに劇的に変わるとは思えないけれど、少しずつだんだんと、相対的に価値観が変わっていっているという実感はある。
この少しずつの変化が数年、数十年続くと、本当に有りうるのかもしれない。
岡田さんは、1日に5つ良いことをしろと言っているが、とりあえず一日一善くらいはやってみようかと思う。
参考文献
『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』仕事について
『フロン』夫婦や家族について
『評価経済社会』革命の歴史について