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心のまま、ありのまま

いつも過去を振り返って、絶対同じような失敗はしないと決めていると、逆に身動きが取れないことがある。同じ失敗はしないということは、危機を回避するために必要な能力でもあるが、逆にいうと失敗を恐れて何もチャレンジできなくなってしまう。

その心のブレーキを外さない限り、自分にとっての未知の世界は開かれないわけだ。その「失敗するかもしれない」という恐怖の克服は、他の人はどのようにやっているのだろうか。

自分にとって、本当に得たい何かがあっても、恐れで何も動けない時、心はブレーキをかけてるのに、体だけ動かすことは難しい。

今現在もスランプ継続中なわけで、何も直感らしい直感も降りて来ず、作曲に向き合えない期間がもう1ヶ月以上経とうとしている。ちょこちょこは作っているのだけれど、何か他のことに気がとられてしまい毎日が過ぎている。

気分転換に友人とランチでも! というのにはまだ早い気がする。緊急事態宣言が解除されたのはいいが、またどうなるかわからない状況の中、子どもがいる友人と外でランチに行こうと誘うのも、タイミング的に難しい。

私のこのモヤモヤした気持ちを聞いて欲しいとも思うけれど、そんなの聞かされたところで、友人も嫌だろう。会うのであれば、楽しい話がしたい。私もそう思ってはいるのだけど、なんせ気持ちが乗らないのだ。

まだまだ梅雨は続くのだろうか? 今日は比較的涼しく、外も曇り、晴れを繰り返す陽気だった。やはり、雨よりも晴れていた方が精神的にも前向きになるような気がする。

私は感覚が鋭いとかあまり感じていた方ではないが、勘はあたる方ではあった。その直感を信じて生きてみたいと思ったこともあり、今の自由な時間を選択したわけだが、湯水のごとくお金もあるわけではないし、子どものために残しておきたい。

昼間働いていた時期は、働いて働いて、何のためにこれだけ働いているのだろうかと、本当に苦痛だった。貯金するために働くだけでは、何も人生の楽しみは味わえない。ただ働くために生きているというのだったら、いっそのこと働かなくていいとさえ思う。

心は休みたがっているのに、それを気持ちを押し殺して仕事をしていると、いつかはバランスを崩す。だから、うつ病になってしまう人も多いのだと思う。労働者は、辞めるという選択だけは自分で決められる。だから、その見極めぐらい心に従っていいのではないだろうか。

そんなことを自由人になった私は過去を振り返って考えていた。過去ばかりではなく、未来に繋がる今が大切なことはわかっているが、私のやる気スイッチは未だ見つかっていないのだ。

どうしたものか、ダイニングテーブルに座っては、ぼーっとして、作曲に手をつけてみようかと思った途端に、他のことに手が伸びる。どうして怠け者なんだ私は…と心の中でうなだれつつも、心の中で折り合いのつかない気持ちがあることに気づいてはいる。

それと向き合わない限り、私はいつまでも、このような状態が続いてしまうようで、だんだん焦ってきてしまう。心のままに感じて生きることができている今だから、じっくり考えられるだけ考えて、飽きたら動き出そうと思う。

それでいいと自分に許可してみることにした。



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