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「常識は、私には関係ない」と思った瞬間から、世界が変わる!

コロナ、災害、誰かの殺害など、ニュースは明るい話題をあまり取り上げないのはいつからだろうか。誰かの殺害など知ったところで、暗い気持ちになるだけなのに。自分の住む近所でそのようなことが起こったとしたら警戒する必要はあるのかもしれないが「それを知らされたところで何なの?」と思うようになった。

つい最近まで、ニュースが暗いニュースばかりであることさえ無意識に、見ていたわけだが、最近ではテレビさえ見なくなった。コロナのことを永遠と流しているだけだからだ。

毎日私たちが無意識に目にしているニュースは、ある意味、人の頭を洗脳しようとしているのではないかとすら思えてくる。例えば、広告でもそうだ。

痩せている人は美しい、これができないと酷いことになる、この機会を逃したらあとはない…というように、気持ちを焦らせたり、不安を煽って、商品を買わせようとしたりする手法は昔からあった。

落ち着いて考えてみれば、そんなの自分が判断すればいいことなのだ。究極な話、その人が太っていても、その人自身が自分のことを好きであれば他人と比べる必要はないのだから。

それがいつからか自分の感覚よりも、常識とか、他人と比べて自分の価値基準を計るようになっていた。私は、この社会がおかしいと思っている。お金を稼ぐことは生きていく上で、必要不可欠なことだが、それだけに重きをおいて生活していては、人生の楽しさは一生味わえないと思う。

仕事と生活のバランスをとることが難しいと考えるのか簡単と考えるのかにもよるとは思うが、比重がどちらかに偏りすぎてもうまくいかない。バランスを常に意識して日々過ごしていくことが大切な気がする。

エンパス気質な私によくこう声をかけてくれる人がいた。「他人の言うことは気にするな」と。当時は「それが難しいんだよ〜」と思っていたのだが、本当にそう思う。自分の信じたことが現実になると私は思っている。私の世界は私のもの。私にしかわからないもの。他人の世界の物差しでは測れない。

だから「みんな違って、みんないい」と言う言葉は、意味を噛み砕いて行くとそう言うことだと思う。それぞれ信じていることや、その人の中の常識は違うのが当たり前なのだから、だったら同じ価値観の人と一緒に過ごす方が、ずっとリラックスして物事が進められるはずだ。

現在は、価値観がそれぞれズレている人たちが集まって仕事をしているから、だから衝突が生まれる。でも、その会社に居続けるのは生活のためだからだ。そんな価値観が違う人たちの中にいると、自然と嫌になってくるような事象が起こってくる。

社内イジメや、フラストレーションが溜まって他人に当たってくる人も出てくる。人に仕事を押し付けてくる人も。みんな本当は、こんな仕事したくない、生活のためだと言い聞かせて日々仕事をしている人は多いのではないのだろうか。

それを繰り返していると、自分自身の価値を見いだせなくなって、無価値観を感じてしまう。その悪循環を断つためには自分でその枠の外に出なければいけない。そんな自分が嫌なら行動を起こさなければ何も変わっていかない。

勇気がいることかもしれないけれど、その勇気以上にその先は明るい未来が待っているかもしれない。自分で勇気を持って決断したことなら、うまくいかないことがあっても、他人のせいにはできないからだ。

だから、ある意味ぬるま湯に浸かっている人や、現実を見てみぬフリをしている人は、他人のせい、会社のせいにすることで自分は悪くない、あの人が悪い、会社が悪いと、責任転嫁をして自分を肯定しようとしている人に過ぎない。

そんな人と私は一緒にいたくないし「あんたを正当化するために、私を利用しないでくれ!」とも思う。だから、このようなエネルギーバンパイアがうじゃうじゃいるような環境からは早くオサラバした方がいい。

今の生活をガラッと変えることが難しくても、できることはたくさんあるのだから。少しでも自分を好きになれるような行動を取ること、自分の気持ちにフォーカスすることで、あなたの見る世界は確実に変わっていくと思う。


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