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昭和バブルのきおく

もう、ずいぶん前になるけれど、20世紀、日本には、バブル期というものがあった。

当時、バブルを生きていると知らなかったけれど、それは、私が高校生の頃だった。その後、東京の大学在学中も、同じ文化の中にいたと思う。けれど、卒業間近には、完全にはじけ散った。

バブルと言って、思い出すことは、いくつかある。一つは、高校を卒業した春休みに短期間バイトした喫茶店のことだ。

当時、『カフェ』という言葉は、まだ、私の周辺では、まず使われていず、お茶やコーヒ、軽食を出す店は、『喫茶店』と呼ばれていた。

その店は、関西の住宅街の、大きな車道に面した、ガラス張りの新しいビルに入っていた。バブル期に、コンクリ打ちっぱなしや、ガラス張りのビルが、建てられ始めたと記憶している。それらは、『オシャレ』で、『良い』ものと、一般的にされていて、私もそう考えていた。

この喫茶店、おしゃれなビルの2階に、新しくオープンしたところで、確か、コーヒー、紅茶と、ケーキ程度しかメニューがなかった。そして、お客さんというのは、一日一組来たら良い方の、ヒマなお店だった。

私の仕事は、黒いワンピースの制服を着て、何時間か、ただそこに居ることだった。

そして、お昼に、木箱に入った本格的な仕出し弁当が出た。ウェイトレス二人に、店長で、三人分。従業員の昼ご飯が、売上を何倍も上回ってるのは明らかだった。

さらに、店のお皿は、コペンハーゲンやらの高級皿ばかりで、私は、たまのお客さんに、高価なカップやお皿を運んで、コーヒーやらケーキを出していた。

「高そうだから、割らないように。」と、真面目に考えていたけれど、実は、割っても問題なかったと思う。

私は、それ以前に、別の喫茶店で働いたことがあり、そちらは、常に忙しく、お皿は汎用品で、お昼にはキッチンで作った賄いが出ていた。

こちらのお店は、私の考える喫茶店ビジネスとは、とても違っていたので、不思議に思っていたところ、店長の若い男性が、「ここは、税金対策のお店だから。」と教えてくれた。

他での儲けを、オフセットするためのお店なので、客が来る必要もなく、経費は、どんどん使って良い。お皿も高いのを置いて、ケーキがなくなると、店長が、どっかのお店に買いに行っていた。定価で買ったものを、並べていたのだろう。

もちろん、お客さんが来れば、ちゃんと対応していたけれど、主に、お金使うための店だった。

私にとっては、バブルの象徴する経験で、どういうわけか、最近、突如、思い出して、書くことにした。


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ともこ   (絵・コラージュ・詩)
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