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ヤンキー文化と尾崎豊

うちのダンナさんは、アメリカ在住が長いが、西アフリカ出身だ。音楽好きな人で、ラップ以外は色々聴く。日本の歌謡曲の中では、尾崎豊が好きで、15年以上前、友人がCDをプレゼントした頃から、ずっとプレイリストに入れている。特に、『シェリー』と『僕が僕であるために』がお気に入り。

彼は、日本語わからないので、歌詞の意味には興味がなく、メロディーが良いらしい。

私も、『僕が僕であるために』は、歌詞も含めて、本当に良い曲だと思う。『シェリー』も、良い曲だけど、悲しい内容なので、いつも辛くなってしまう。

若い人は、尾崎豊を知らないのかもしれない。私の世代に人気がある歌手だった。とくに、男性、中でも元ヤンキーの男性に人気だった印象がある。

これも、今の人には、昔ばなしだろうけど、20世紀、ヤンキー文化というものがあった。最盛期は、私が、小学生の頃、80年代前半だったと思う。

私の育った地域の中学は、校内暴力が市内でトップ3に入る有名校、窓ガラスは全部割れてるという噂の学校で、近所でヤンキーを、よく見かけた。

ヤンキーは、パンチパーマだったり、学ランが長かったり、ズボンがボンタンだったり、スカートが長かったりするので、非常にわかりやすい。

あとから知ったのだが、中学校内で、ナンバーワン制度というのがあり、喧嘩で強い人が、上に立ち、下は従うみたいな感じだったらしい。かなり、保守的だ。

ちなみに、私が中学の入る頃には、ヤンキーも、段々カジュアルになり、スカートも短くするするのが、流行りになっていた。

当時、ヤンキーは、『不良』とも呼ばれていた。よく考えれば、『不良』とは、ひどい言いようだ。けれど、パラドックというか、『不良』はカッコ良いという文化もあり、私なども、子供ながらに、「この人たち、大人っぽいなー。」と思ってたもんだ。ヤンキーが真面目にしている若者ではないのを、知ってたけれど、別に怖いとか、気をつけなければと思ったりしたことは、ない。

私は、小学校の入る際、自分では遊びに行ったつもりでいたら、知らない間に受験をしていて、遠くにある付属校に通うことになってしまった。 基本、馴染めなかったので、小学校高学年あたり、中学は、不良だらけの公立校に通いたいと思っていた。別に不良になりたいというより、自由そうで良いと思ってたわけだ。結局、付属校の中学に行くことになったけれど。

私の弟は、校内暴力が盛んだった中学に、しばらくたってから、通った。まだ、古典的なヤンキーは校内にいたし、弟の小学校時代の友達で、学校のナンバー2になった子もいた。それでも、『不良』と呼ばれる子たちは、グループの外にいる生徒に手を出したりは、あまりしていない様子だった。先生たちも、殴られたりは、していなかったと思う。

今回、尾崎豊について、調べたところ、青山学院高等部中退となっていた。私は、東京育ちでないので、青山学院高等部に、ヤンキーがいたか知らない。けれど、私立のエリート校だし、高校から入学するには、中学時代、勉強していないと、入れない印象がある。

なんとなく、自身のことを歌っている印象があるので、彼の曲『15の夜』にあるように、『盗んだバイクで走り出』したり、窓ガラスを割ったりしていたのかと思ってきた。もちろん、そんな感じでありつつ、受験もしっかりする人もいただろうけれど。

どうだったのかなと思ったり。

どちらにしても、今は、昔の話。

昔の曲が、聴こえると、なんとなく、つらつら考える。

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ともこ   (絵・コラージュ・詩)
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