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煽り運転について考えてみた話


GWは事故が多い。
子どもの小学校の日程上、長期の連休が取れなかったため、北関東の近場に遊びに行った。

その帰り道、東北道の佐野藤岡ICあたりから事故渋滞。
抜けるのに90分ほどかかるらしい。
さすがにキツいし、自動運転でスイスイ帰りたいので北関東道経由に迂回することに。

そうするとまもなく北関東道でも事故発生。
僕らを先回りして「事故起こしておきましたんで!ヘヘッ」と嫌がらせをしている人がいるんじゃないか?
結局、6時間ほどかけて自宅に到着した。

なぜ煽り運転をしてしまうのか?


事故も多いが、煽り運転も非常に多い。
だいたいベンツかBMWあたりの外車が追い越し車線で煽ってることが多く、煽ってる車をさらに煽る車もいる。世の中の縮図だなぁ。

ただ、あまりにそういう運転をする人が多いので、なぜ煽り運転をしてしまうのか?ずーっと考えていた。

煽るという行為は自分を強く見せるための行為

である。
前を走っている車が遅いからムカつく、俺の車の方が高級なんだからどいてほしいとか、おそらくそういう考えなのだろう。。

ではなぜ強く見せたいのか?
それは強く見せずにはいられないからだ。強く見せていないと自分を保てない。裏を返して言えば、自分の弱い部分を補うために強く見せている、とも言える。
ということは、

自分の弱みを穴埋めするために煽り運転をしている

のではないか?

車以外にももっと身近な例がある。ファッションだ。
アウトレットモールでなぜか常に不機嫌そうな顔をしている人が高級ブランドショップで買い物をしている。
弱みを持つことの不満が顔に現れており、それをブランド物に補ってもらおうとしているのが分かる。
ちなみに、ブランド物の買い物袋をぶら下げ、通行人を避けずに我が物顔で歩く人が多いので、アウトレットモールの治安はとても悪い。

他人に攻撃的な態度をとる人は、自分にコンプレックス(弱み)を持つことを自覚していて、でも、それを受け入れたくないという葛藤が行動に出てしまっているのだ。
煽る車に外車が多いのも納得できる。

ブランドで自信を増幅させる「即席完全無敵システム」


ちょっと疑問に思ったことがある。

外車を運転してたり、ブランド物を身に着けたりすると、どうして「自分は完全に無敵!」という意識になってしまうのか、ということだ。
それらはお金をかければ誰でも持てる。即席完全無敵システムだ。

なぜ、物を手に入れたり身に着けることでしか自分に自信を持てないのか。

おそらくそういう人たちにも自分の強み、アイデンティティ自体はあるのだ。ただその強みが世間的には弱すぎるという思い込みにより、ブランド物で自信を増幅することでしか自分を保てなくなってしまったのではないか。

煽り運転のマインドは幼少期に形成されている?


小学校時代にさかのぼってみる。
僕が子どもの頃は、足が速いだけでヒーローになれた。
今思えば、足が速いことなんて、数ある憧れの一要素でしかないのに当時は足が速ければ神であるとみんなが信じて疑わなかった。
運動会でリレーのアンカーとして走ることが、どれだけみんなの憧れだっただろうか。

あの子は勉強ができて成績優秀。
別の子は美術の作品作りが上手でいろんな賞をもらっている。
また別の子はみんなのアイドル的存在でいつも誰かと楽しそうにしている。
何か一つでも優れたところがあれば、それが絶対的な自信、アイデンティティとなり、毎日楽しく過ごせていた。

だが、中学校、高校と進むにつれ、自分が絶対的な自信にしていたものを超えてくる人が現れる。
もっと足が速い人が出てきた。自分より模試の成績が良い人が出てきた。天才的な美術作品を作る人が出てきた。
自分よりコミュ強で、まだ中学入って1ヶ月なのに別の小学校だった子とも仲良くなっている。などなど。

ただ、自分としてはそれまで培ってきたアイデンティティを手放すわけにはいかない。他に得意なものを無理やりつくって、トータルで人より優れていよう。そうすれば自分を保てる。

大人になって、"他に得意なもの"をつくったとしても、ネットですぐに自分より凄い人が見つかってしまう。いつまでも誰も越えられない。
ならせめて、ブランド物を身に着けることで自分を保とう。自分を慰めよう。お金がすべてだ。

…というストーリー。

煽り運転をしてしまうのは、幼少期の体験のせいでもあるのではないか。
中途半端な優等生は、過去に挫折し、その経験から自信(自身、自分)探しをしていて葛藤を抱えている。その気持ちの表れの一つが煽り運転。

他人と比べることをやめるには?


人より強くあることで自信を保とうとするのは終わりがない戦いだ。
であれば、どうやって自分を保つのか。

それは人から必要とされる存在であること。そういう存在であることを自分が自覚すること。
これしかないんじゃないかと思っている。

自信と表現するのが適切か分からないが、そんな自分でいることで充実はするはずだ。充実すれば心の余裕もうまれる。
煽り運転もしないだろうし、アウトレットモールを肩で風を切って歩くこともなくなるだろう。

外車やブランド物を見せびらかしたり、年収競争をしている暇があったら、自分が社会的に必要とされる存在になること。

身にまとうものよりも、意識を変えることが大事なんじゃないかと思うのだ。

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