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憧れを行動に移す旅
東京から広島まで、鈍行電車とバスだけで往復したことがある。憧れのつまった、夢を叶えた旅立だった。
高校生の時、ひとり旅をしたいと言って親から許可が下りなかったことがある。説得など全くできずに、結局、新幹線だけひとりで乗って到着駅には親戚のお迎えがあった。できる小学生のひとり旅みたいな過保護さで軽い絶望感が得られた記憶だった。
社会人になり、転職をした。
次の仕事は決まっていたが、無理矢理インターバルを作った。
大人の秋休みに実現したことの一つがひとり旅だった。
安い宿をはさみつつ、友達の家をはしごする。移動は特急電車を使わない。ゆっくりと。のんびりと。
別にそんなに予定も決めない。宿の近くを散策でもすればいいや。
そんな無計画な計画が心地よかった。
前から気になっていたお店の順番待ちも時間があるから苦にならなかった。電車のつり広告で見つけた美術館に寄り道もできる。
自由時間がたくさんあって、ゆっくりと流れていくのが胸にしみた。年月はかかったけど、したかったことを叶えられて、遠くに運んでくれる電車が愛おしかった。
ただある晩、のんびり駅前に着いたら見事迷子になった。宿のチェックインに間に合わなかった時はパニック。しびれを切らした宿のスタッフさんが、私を迎えに来る事態に陥った。
暗い中、分かりやすい建物の前に待機していたおっちょこちょいなお客は半泣きだったらしい。情けなくて恥ずかしくて、自己嫌悪した。
二度とやりたくないし、詳細に話したこともないけれど、すぎれば笑い話でもある。
最終目的地の京都で友人と遊んだ時、こぼした言葉があった。「広島に行ったことがなくて行ってみたいんだ。」
応えは「行っちゃえ!」だった。
京都は最終目的地ではなくなった。
急いでバスを探して、広島に着いた。
朝からやっているお店は少なくて、土地勘もない。早朝から開いていたブックカフェでなんとか座ったことを妙にハッキリと覚えている。確か、その日の宿と東京行きのバスは、ガラス張り建物内で外を眺めながら決めたんだ。
行き当たりばったりでソワソワしたけど、憧れの土地に来られた喜びは大きかった。
1日目の日中は原爆ドームや広島平和記念資料館を見た。
1キロ・2キロ先まで甚大な被害をもたらす原爆の破壊力は想像を越えていた。理解しようと努力はすれど、私の空想なんて甘っちょろいものなんだろう。
でも来たかった。ある友人の「日本人なら一度は行ってみるべき」という言葉が、何年経っても忘れられなかったのだ。公園で、折り鶴をリサイクルしたという便箋と封筒を買った。
夜は広島城で紅葉のライトアップがあるというので寄ってみる。静岡で再会した元旅人の友人に写真を送ってみた所、うらやましがられた。せっかくなので広島焼きと牡蠣も食べた。
2日目は宮島・厳島神社へ。神社も美しかったが、大鳥居が大きい。
ちょうど潮が引く時間帯で、少しずつ人が近づいていた。あの時間帯で一番初めに鳥居をくぐったのは自分だったと今でも信じている。嬉しくて、思わず口角が上がっていた。
どんどん潮が引き歩ける砂地が増えていく様を飽きずにずっと見ていた。ああいう時間の使い方は、同伴者がいるとなかなかできない。ひとり旅の醍醐味を、憧れの土地で味わえた。
東京へ向かう戻りのバスは所要時間10時間だった。体への負担に戦々恐々としていたが、思ったより遥かに楽でホッとする。
戻るまで10時間もかかる場所へ、ふらりふらりと旅行した満足感が堪らなかった。
ぶらり広島までひとり旅。すべてがいい方向にゆっくりだった。
自由を満喫できる穏やかな非日常。今でもひとに自慢したくなる、贅沢ないっときだ。
あとは自慢のついでに、ひとにすすめたくなる。
鈍行電車でなくてもいい。友人宅も泊まらなくていい。なんならひとりじゃなくていい。
あの感覚を体験してほしい。
これを書いて、広島へ行っちゃえ!と背中を押してくれた京都の友人のように、誰かさんの後押しをできたら。
いや、むしろ、ひとり旅欲がくすぶっている自分に一歩踏み出させた方が良いか。
どちらにせよ、贅沢な旅の記憶と満足感がこの世に増えたらちょっと嬉しい。