多数派が普通? 少数派が異常? 皆違って、皆良い!
近年になってようやく日本でもLGBTQ+が注目されるようになった。
誰を好きになるかに性別なんて関係ないでしょ?
みんな違って、みんな良いんだから。
同性婚を認めないのは違憲なの?認めると何かよくないことがあるの?
素人学生が「同性婚と憲法」について考えてみたのでシェアしよう。
各々思うところはあるだろうが、研究者ではないただの学生の一つの考えであることを考慮してほしい。
同性婚と憲法
近年、LGBTQ+の人々に対する姿勢を見直すべきであるという主張が、世界中でなされている。日本においても、欧米に習い、法整備を推進しようと、全国でプライドパレードなどが開催されている。様々な媒体でLGBTQ+が注目されるようになり、彼らに対する配慮が進んでいるが、今現在日本では、同性婚の実現はしておらず、実現を求める声が上がっている。このことについて、他国の状況も鑑みつつ、問題点も含め述べていこうと思う。
最初に、日本と諸外国の現状を見ていこう。日本では、参議院が発表したデータ[1]によると、約8%の人々が性的マイノリティにあたるとされており、平成14年頃から本格的に法整備がなされてきた。しかし、性的指向や性同一性障害に関する暴行、差別、強要の相談は少なくなく、依然として配慮が進んでいないと言える。婚姻については、同性婚が認められてはいないものの、地方自治体によっては、パートナーシップ制度を定めている市区町村もある。諸外国では、性的指向に関する差別禁止法が存在する国等は、2016年8月現在で76カ国と85地域に上り、2014年にはオリンピック憲章に性的指向を理由とする差別の禁止が追加された。しかし、およそ76カ国において、個人の同意に基づく同性愛が差別的な法律で犯罪と定められ、少なくとも、5カ国では死刑判決さえ受けかねない状況にある。また、同性婚については、日本以外のG7諸国が、同性婚またはそれに準じた制度を認めている。
次に、日本国憲法と同性婚について考える。日本国憲法第24条第1項には次のように記述されている。
「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」
この項文によると、「両性」「夫婦」と記述されており、制定当初は男女間の婚姻だけしか、考えていなかったことが窺える。現在同性婚が認められている諸外国でも、法改正等で同性婚を認めた国が多く、これは当時としては普通だったのだろう。今現在、日本で同性婚を認めるのであれば、憲法改正とは行かないまでも、「両性」や「夫婦」という言葉を、どう解釈するかを明らかにする必要があるだろう。一方で、日本国憲法第14条第1項には次のように記述されている。
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
この項文から考えると、すべての国民は性別によって差別されないのだから、同性婚が認められていないことは、婚姻ができる異性愛者に対して、差別されていると解釈することもできると考えられないだろうか。憲法第24条に基づいて、同性婚は憲法違反である、あるいは憲法14条に基づいて、同性婚を認めないことは憲法違反である、など様々考えられるが、違憲であるから、同性婚を認めなければいけないという主張は正しくないと考える。もちろん、憲法を考えることも必要不可欠であるが、憲法よりもまずは人を考えるべきだと考える。誰のために同性婚を認めるのか、認めることで何が起こるのか、認めるには憲法をどう解釈すべきであるのか、というように、憲法の上に婚姻があるのではなく、婚姻の上に憲法があると考えるべきではないだろうか。
ここで、同性婚を認めると、どのような問題が起きうるのだろうか。まず、新たな差別が生まれるかもしれないということだ。世界に視点を広げると、宗教的観点から同性愛を認めていない人も居るだろう。同性婚を認めると、このような人が差別されることになる可能性もある。これは信教の自由の侵害にも当たるかもしれない。同性婚を認めることは、新たな差別を生むかもしれないのだ。また、現在、特に日本では、異性婚が当たり前の社会であるため、制度だけでなく社会全体のルールや仕組みを、立て直す必要が出てくるだろう。これには膨大な時間とコストがかかるため、新たな問題が起こる可能性が高い。これらの他にもたくさんの問題点が考えられるだろう。
最近では、同性同士の恋愛を描いた映像作品も多く見かけるようになったが、視聴者はどこか普通の恋愛とは異なるもの、として捉えている印象を受ける。「普通」とはなんであろうか。現在の日本では、多数派が「普通」になっているように思われる。性的指向が異性の人の方が多いから、異性愛が普通の恋愛だとされているように感じるのだ。同性愛者にはカミングアウトという言葉がよく使われるが、なぜ恋愛指向や性的指向を明らかにすることに、勇気を出さなければならないのだろうか。なぜ彼らは言い出しにくいのだろうか。それは、同性愛が少数派であり、「異常」だと捉えられている現状があるからではないだろうか。また、日本では高齢化が進んでおり、性に関して話すことがタブーで、同性愛は良くない、という認識があった時代の人々が大多数を占めていることも、議論が進まない原因の一つと考える。これは、日本の性教育が欧米に比して遅れていることの、理由の一つとも考えられる。この現状の中で議論を推し進めるためには、家族や友人など近い間柄から、今以上にLGBTQ+に関することや、同性婚などについて話し、理解を深めることで、世論を動かしていくことが大切だと考える。
最後に、同性婚を認めるべきかどうかは、現段階では断言できないが、同性婚を望む人がいるということは理解した上で、同性婚を認めた場合に起こりうる様々な問題点も考えながら、そのような人々の声を無視することなく、考えていくことは必要だと断言できる。当事者の気持ちは、当事者にしかわからないのである。当事者の気持ちを予想して、法整備をするのではなく、当事者の声をしっかり聞いて、検討し、法改正や法律の制定を行なっていく事が大切だろう。また、現在ではますます多様化が進んでおり、ジェンダーは数えきれないほどあるという人もいる。こうなると、性的マイノリティと呼ばれている人たちが、果たして少数派であるのか怪しくなってくる。ここでは生物学的性別からこの言葉を用いたが、「同性婚」という言葉も、ジェンダー的観点から見ると正しくないのかもしれない。マイノリティだから、少数派だから、という理由で差別されることなく、多数派であれ、少数派であれ、個々が尊重される世界が実現することを願っている。
参考文献
[1]https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2017pdf/20171109003.pdf