【かみちゅ!】懐かしきリフレイン
その場の空気は、しばしば人の心を変える。
熱狂の大歓声の中では、向こう見ずでポジティブになる。
真っ暗闇にぽつんと独りであれば、臆病で控えめになる。
一九八四年一月四日、ゆりえ様の朝は遅かった。
昨晩、居間のこたつにもぐったまま寝てしまっていた。
両親は墓の掃除でいなかった。
地元の来福神社は、友人祀の実家である。
大晦日から正月三日まで、ゆりえ様はそこで参詣客のために働きづめだった。
彼女は正真正銘の神様だ。
付喪神や貧乏神、もののけのたぐいを見ることができる。
神通力で台風を発生させたり、幸運を呼び寄せたりもできる。
ゆりえ様は、こたつから出たくなかった。
貧乏神の憑いた飼い猫タマに朝食を運んでもらう。
新聞のテレビ欄をながめた後、その番組を観ようとする。
だが、スイッチまで手が届かない。
赤外線のリモコンが付いたものは一九七七年、ほんの七年前の発売だった。
新聞紙を筒状に丸めて、電源のダイヤルを回すことに成功する。
しかし、チャンネルが違う。
けっきょく自身の神術で希望のものにした。
よだれを垂らしながら居眠りをしている間に、両親が帰ってくる。
自分宛の年賀状をたしかめるが、気になる同級生の二宮君からは届いていない。
やがて弟も戻ってくる。
彼は石油ストーブを点火し、机の上のみかんを食べはじめる。
そして思いついたように、ゆりえ様に年賀状を渡す。
それはあの二宮君からのものだった。
夜、ゆりえ様は二宮君への返事を書く。
お返しの重要性をタマに宿った貧乏神に力説する。
そのとき、彼女の使い達が八百万の神々からの大量の年賀状をもってきた。
はがきに埋もれるゆりえ様に、冷ややかにタマが質問する。
アニメは小説ではない。
文だけですべてを伝えることができない。
けれども、第九話「夢色のメッセージ」は大まかにこういった内容だ。
それだけなのか、といってしまえば、それだけである。
この回はこたつから出たくないゆりえ様を描いているから、あえて動きが少ないのかもしれない。
彼女への年賀状の送り主は、これまでかかわった人物達である。
総理大臣、火星人、戦艦大和——とんでもないものが並んでいる。
第二話「神様お願い!」、第三話「そんなつもりじゃなかったのに」、第四話「地球の危機」や第七.五話「野生時代」(テレビ未放映)などは、どれもゆりえ様が神様だからこそ成立する。
予想を裏切るような展開はほとんどない。
それは無難で安定した結末となっている。
夕方に繰り返し放送されていた青春ドラマのようだ。
ところが、本作は面白い。
個人の感想にとどまらず、評価も高い。
なにしろ、第九回にあたる平成一七年度の文化庁メディア芸術祭で、アニメーション部門優秀賞に選ばれている。
受賞が絶対というわけではないが、一つの指標にはなるだろう。
その真価は、雰囲気にある。
世間では、印象深い世界観の作品を、良くも悪くも「雰囲気アニメ」と呼ぶ。
『かみちゅ!』は、好ましい意味で、屈指の雰囲気アニメだ。
それを支えるのは、圧倒的な懐かしさにほかならない。
一九八三年から翌四年の間に、私は生まれていなかった。
とはいえ、都市から離れていた地元には、まだその頃の面影がしつこく残っていた。
土曜日には隔週で学校の授業があった。
どこのスーパーも週一の定休日をもうけていた。
平日の夕方には、アニメの再放送をやっていた。
ゲームボーイを買った店は、色あせた模型の箱が所狭しと積み上げられた昔ながらのおもちゃ屋だった。
実家の部屋の仕切りはふすまで、居間は畳張りであった。
漆喰塗りのグレーの壁の上には、長押と柱がむき出しになっていた。
客間の戸棚には、贈答品のウイスキーが何本か飾られていた。
ゆりえ様の弟の章吉が火をつけたのと同じ方式の石油ストーブは、やかんとセットで今でも現役らしい。
その雰囲気は、私でも感じ取ることができた。
放送当時、よく2ちゃんねるのアニメ板をのぞいていたことを思い出す。
地方からコミケに参加したり、グッズを大人買いしたりと、そこの人々の経済力がうらやましかった。
彼らは二〇代ぐらいだと勝手に思っていたが、そうだとすれば作中の年代の頃に生まれたことになる。
私以上の懐古の念を、彼らはおぼえていたのだろうか。
ちなみに、ゆりえ様と同年の誕生ならば、ちょうど三五歳を迎えていた。
さらに現在では、ここに、放映されていたときの記憶も加わる。
二〇〇五年、私は中学生だった。
居間のビデオデッキで録画し、学校から帰って夕食の後に観ていた。
『ARIA』、『ローゼンメイデン』、『苺ましまろ』などの深夜アニメは全部そうだった。
二七時近くまで起きていると次の日の授業がしんどかったし、トイレにいく家族から小言をいわれるのもいやだった。
高校を卒業するまで、ついに平日の『涼宮ハルヒの憂鬱』や『ななついろ★ドロップス』といった深夜帯のアニメはビデオに録って視聴し続けることになる。
例外は土曜の『ひだまりスケッチ』であった。
配信サイトで改めて本作を観て、少しずつそれらがよみがえってきた。
第一話のエンディングを聴いたときは、泣きそうになった。
この感動は、後にではなく、あの時分の、あの瞬間に作品に触れていた者だけが味わい知ることのできる特権だ。
ときに人間は、過去から今へとつながる足跡を振り返る。
第七話「太陽の恋人たち」においては、打ち捨てられた海の家「はまかぜ」へと、夜空に浮かび上がった古い写真に誘われた往年の常連客達が集まった。
第八話「時の河を越えて」では、戦艦大和の魂が呉に帰艦するのを、かつてその船員だった源さんが見届けた。
そして、お茶の間の視聴者も、それぞれの足跡をたどる旅に立つ。
それもまた、ゆりえ様の神通力にちがいない。
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